醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  560号  白井一道

2017-11-04 16:13:21 | 日記

 観音のいらか見やりつ花の雲  芭蕉

「観音のいらか見やりつ花の雲」。この句は芭蕉が深川の草庵で病気で寝ていた時の句だとの其角の言。この時代、深川芭蕉庵から浅草の観音様の屋根がみえた。この間、真北に3.5km程度。貞享三年、芭蕉43歳。

 唐招提寺講堂の屋根瓦を見ているとそこには一二〇〇年渡る瓦の色のハーモニーがあるという。漫然と眺めていると1200年の間、松林の間、青空の下、この講堂はずっと立ち続け、僧侶たちは弥勒如来の膝元に座り、修行を続けてきたんだという感慨が湧いてくる。
 出家した僧侶たちは何を考え、どんな生活をしていたんだろう。思いは次々と起きてくる。
 金堂から眺めた講堂の屋根から目を移し、階段を降り、講堂の入口へと向かう。講堂に入って驚いた。昔、講堂の中には仏頭や如来形立像が陳列されてあったはずがなくなっていた。私は薬師如来像が気にいっていた。その薬師如来像がなくなっていた。本尊の弥勒如来像だけである。
 昔、講堂に奈良博物館の先生が二、三十人の拝観者を連れ、入ってくると如来形立像の前に立ち、話し始めた。ここに立っている檜の柱は今から1200年前の檜です。この仏様も同じ1200年前の檜です。この仏様の衣のかけ方を偏袒右肩(へんだんうけん)を申しますが、この衣はイブニングドレスです。露になっている胸に手で触ると引っ込みます。仏様の体の温かさが手に伝わってきます。血が流れているのです。
拝観者たちの中にはうっとりと如来形立像を眺
めている人がいた。天平時代の僧侶たちが仏像を前にして祈ったのが何なのかについての説明はなかった。現代に残った天平仏を現代の彫刻作品として鑑賞した。首も手も足も失われた如来形立像をトルソーとして鑑賞できると説明していたのを昨日の出来事のように覚えている。
如来形立像の前に立ち、
私に話しかけて来た人がいた。この仏さまの前に立つと、いつまでも見たいたいんだ。足が動かなくなってしまうんだ。アスティド・マイヨールの「イル・ド・フランス」を彷彿とさせるんだと、熱に浮かされるように話し始めた拝観者がいた。唐招提寺講堂に陳列されていた仏像たちは拝観者にいろいろに思いを投げかけていた。その仏たちが無くなっていた。
 拝観者が一人もいない講堂の中でぼんやりと弥勒如来を眺めていた。気が付くと講堂の中が薄暗くなってきた。時計を見ると四、五十分床几に腰掛け物思いに耽っていたことに気が付いた。ゆっくり立ち上がり講堂を後にして、鑑真和上の墓に向かった。
「若葉して 御目の雫 ぬぐはばや」  芭蕉
 六月六日は唐招提寺の開山忌である。貞享五年一六八八年六月六日芭蕉は唐招提寺に参詣してこの句を詠んでいることを思い出した。『笈の小文』にこの句は載せてある。
鑑真は奈良朝廷からの依
頼によって日本にやって来た。艱難辛苦の末、日本に鑑真はやって来た。
鑑真和尚の墓は東門に近
い松林の中にある。鑑真和尚の墓の前に立ち、中国かに日本へ、今から一二〇〇年前にやって来た人を思った。  
 「観音のいらか見やりつ花の雲」。芭蕉は何を思っていたのかな。