醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  570号  白井一道

2017-11-14 12:15:17 | 日記

 初雪や水仙の葉のたわむまで  芭蕉

句郎 「初雪や水仙の葉のたわむまで」。身の句は「初雪や幸ひ庵にまかりある」と同じ日に詠んでいるようだ。貞享3年、芭蕉43歳の時の句。
華女 瑞々しい写生の句ね。写生句の見本になるような句だと思うわ。
句郎 芭蕉はよくものを見ている。「夜ル竊(ヒソカ)ニ虫は月下の栗を穿(ウガ)ツ」。この句はコクゾウムシを写生した句だと昆虫学者が話しているのを聞いたような気がする。
華女 芭蕉は俳句を写生から出発しているのね。
句郎 画家はデッサンがしっかりしていなければ、良い絵は描けないと言われているようだからね。
華女 高校生のころ、美術部の子はよくデッサンしていたわ。
句郎 デッサンが基礎みたいだからね。
華女 十七文字でデッサンするわけね。初雪が我が家の庭に降った時、雪をかぶった山茶花の真っ赤な花が朝日に輝いていたことがあったのよ。その時よ。NHK俳句の雑誌の中に同じ雪の中に咲く真っ赤な山茶花の花が写真になっていたのよ。その写真を見て思ったわ。写真にもデッサンような写真があるんだとね。
句郎 俳句も絵も写真にもデッサンのような営みの上にファインアートと言われるようなものができるんじゃないかな。
華女 芸術といわれるような俳句ね。
句郎 芭蕉の句にも芸術の域に達している句もあるようには思うが、達していない句も多数あるんじゃないのかな。
華女 芭蕉の詠んだの句の半数以上が芸術作品とは言えない句があるということなのかしら。
句郎 そうなんじゃないかな。「初雪や水仙の葉のたわむまで」。この句は芭蕉秀句の一つに挙げられているようだよ。
華女 私もそう思うわ。水仙の葉というのは真っすぐ生き生きと伸びていくのよ。その水仙の葉が雪の重みで撓んでいく。水仙をじっと見ている芭蕉の視線を感じるわ。
句郎 雪の重みに負けない水仙の生命力のようなものが感じられるかな。
華女 この句の輝きは水仙の生命力が詠まれていることよね。
句郎 冬には生命力の輝きがあるのかもしれないな。
華女 そうよ。冬は生命力の輝きよ。内に秘める命の輝きを芭蕉は詠んでいるのよ。
句郎 水仙の葉の撓みに命の輝きが表現されているのかも。
華女 そうよ。だから「初雪や幸ひ庵にまかりある」、この句より「初雪や水仙の葉のたわむまで」の句の方が優れているということなんじゃないかしらね。
侘助 確かにこの二つの句を比べてみるとそうなのかもしれない。草庵に一人、寒さを楽しみ、降る雪を眺めている。寒さを忘れて水仙の葉が撓み始める姿をじっと見ている。寒さをものともせず、耐えきれなくなると葉に積もった雪を払いのける。そして葉をピンと伸ばす。ここに命の輝きを芭蕉は発見した。この喜びを十七文字に写生した。人もまた生きる重みに耐え生きている。しかしやがて耐えきれなくなるとその重みを払いのける以外に生きることができない。それにもかかわらず、人間はその生きる重みを払いのけることができない。この苦しみ払いのけよう。もっともっと軽く生きよう。芭蕉は降る雪の中の水仙を見て、げんきづけられていたのかもしれないなぁー。