よく見れば薺花咲く垣根かな 芭蕉
句郎 「よく見れば薺花咲く垣根かな」。貞享4年、芭蕉44歳の時の句。
華女 この句は芭蕉の良く知られた句の一つよね。
句郎 口調がいいから覚えやすいのかもしれないな。
華女 上五の「よく見れば」が素人臭いのよね。
句郎 本当に秀句のひとつなのかどうか、疑問にも感じるね。
華女 このような句だったら私にでも詠めそうだなと思わせるのよね。
句郎 中国の詩人程明道の詩「万物静観すれば皆自得す」を読んだ芭蕉が感動し、この句を詠んだのではないかという文章を読み、少し考えが変わったように思う。
華女 上五の「よく見れば」に深い意味でもあるのかしら。
句郎 そうなんだ。「薺(なずな)とは、ぺんぺん草でしょ。ぺんぺん草はよく見なくても普段どこにでも咲いている野草でしょ、だから目に入ってきている。道野辺で普段、目にしていながら、目に入ってこない野草だよ。普段よく目にしている野草、ぺんぺん草に目を留めてみると薺の花の美しさに見入ってしまった。
華女 なるほど、「よく見れば」とは、目を留めてみると、ということなのね。
句郎 そうなんだ。人が目にしてくれなくとも私は私、精いっぱい美しく装っているの。ということなんだ。
華女 こんな自分に私は十分満足しているのよと、いうことなのね。
句郎 道野辺の雑草として毎年、この家の垣根みたいに咲き誇っているのか、そっと静かに今年もここで咲いているのか、ということなのかな。
華女 「万物静観すれば皆自得す」と言う言葉の意味が分かって来たわ。
句郎 道野辺に咲く雑草、薺の花を見て芭蕉は感動したんだ。自得して花は咲いているんだという認識を得た芭蕉は薺を見て感動したんだ。
華女 何でもないことに感動するということは、何でもないことに対する認識が深まったということなのね。
句郎 万物を静観し、自得するということを認識した結果を詩として表現した句が「よく見れば薺花咲く垣根かな」だった。
華女 薺花咲く野道で芭蕉は感動に打ち震えていたのかもしれないのね。
句郎 リンゴが木から落ちるのを見て、感動し、打ち震えて万有引力があるのを予感したニュートンのように芭蕉もまた薺の花の美しさに感動していたのかもしれないな。
華女 私など、何も見ても感動なんかしないわ。感動すると言うことなどここ何年もしたことないわ。いつだったか、T子ちゃんがウィーンフィルの切符があるから聞きに行かないというから行ったのよ。演奏が始まったらT子ときたら、居眠りを始めたのよ。演奏が終わったら、目を覚まし、「良かったわね」と言ったときは顔を見ちゃったわ。
句郎 芭蕉は感動する人だったんだろうね。何でもないこと、普通にあることに対する認識が深まったりすることに感動する人だったんだろうな。真実ほ探求してやまない人だったのかもしれないな。
華女 芭蕉は単なる俳諧師ではなく、詩人だったのね。詩人でなくちゃ、三百年後の現在に至るまで句が読まれ、句集が出版され、語り続けられることはないでしようからね。