醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

「里の子よ梅折り残せ牛の鞭」 芭蕉  醸楽庵だより 574号  白井一道

2017-11-18 13:34:53 | 日記

 里の子よ梅折り残せ牛の鞭  芭蕉

句郎 「里の子よ梅折り残せ牛の鞭」。「里梅」と前詞を置き、この句を詠んでいる。貞享4年、芭蕉44歳の時の句。
華女 私が子供のころの実家の風景を思い出すわ。
句郎 それはどんな風景なのかな。
華女 屋敷内にある牛小屋から畑に牛を連れて行くのが男の子の仕事だったのよ。道々男の子は道にはみ出た木の小枝を折っては牛の尻を叩いて誘導していくのよ。芭蕉のこの句を読むと今から三百年前の農村と私が子供のころの農村はほとんど変わっていなかったのかと思ってしまうくらいよ。
句郎 終戦後から農村は急激に風景が変わってきたのかもしれないな。
華女 昔の農村の春は本当に綺麗だったわ。菜の花が畑一面に咲き誇っていたのよ。その中を牛がゆったり男の子に連れられて行くのよ。一幅の絵だったわ。梅の花を愛でることを知らない男の子が梅の小枝を折っては牛に鞭当てすることを楽しんでいるのよ。働くことを面白がっている。そん風景をこの句を読んで思い浮かべるわ。
句郎 農民の生活をした経験がなければ、もしかしたらこのような句を詠むことはなかったかもしれないな。
華女 そうね。農民の生活を芭蕉はきっと経験しているんじゃないかと思うわ。
句郎 芭蕉は伊賀上野の赤坂と言うところの出身のようだ。その場所は藩士の武士が居住する地域と接しているようだけれども、農民居住地に間違いないみたいだからね。
華女 江戸時代は身分によって住む地域が分けられていたのね。
句郎 身分制社会にあっては、住む地域が分けられ、服装が異なり、姿恰好が違っていたようだからね。見ただけで身分を見分けることができる社会だった。
華女 女の人がお化粧したり、おしゃれしたりすることができるようになったのは、近代社会になってからなのね。
句郎 どうもそのようだよ。
華女 じぁー、武士と農民、町人によっては、言葉も違っていたのかしら。
句郎 違っていたんじゃないのかな。
華女 そんな社会の中にあって芭蕉が「里の子よ梅折り残せ牛の鞭」なんていう句を詠んだということは、凄いことなのね。
句郎 凄いことだったんじゃないのかな。当時の農民は生活に追われて毎日が忙しい生活を送っていたのじゃないかと思うんだ。そのような農民が梅の花を愛でるような余裕を持てるはずがなかった。
華女 その中にあって芭蕉は梅の花を愛でるんだから、牛の鞭に梅の小枝を全部折ってしまってはダメよと、言っているのよね。
句郎 農民出身の芭蕉が梅の花を愛でたいという気持ちを持ったことは、芭蕉自身が農民の身体から解放されつつあったということを証明していることなのかもしれないな。
華女 農民だったら梅の花を愛でるようなことはなかったということなのね。
句郎 芭蕉は江戸に出て、俳諧師になったということは、農民の身体から抜け出したということを意味していた。身分はそのまま農民であったとしてもね。しかし農民であったがゆえに「里の子よ」の句を詠み得た。