五月雨に鳰(にお)の浮巣を見にゆかん 芭蕉
句郎 「五月雨に鳰(にお)の浮巣を見にゆかん」。「露沾公に申し侍る」と前詞を置いてこの句を詠んでいる。貞享4年、芭蕉44歳の時の句。
華女 芭蕉はこの句を江戸深川の草庵で詠んでいるのかしら。
句郎 露沾と言う人は磐城平藩主内藤義泰の次男、立派な武士、風雅に生きた俳人だった。芭蕉と江戸で交流があったようだ。芭蕉は露沾公に今年は上方に旅立とうと思っておりますとこの句を詠んで送った。
華女 この句は露沾公へ送った旅立ちの挨拶吟だったの?
句郎 ちょっと近江まで行って参りますと、挨拶した句が「五月雨に鳰の浮巣を見にゆかん」だった。
華女 なぜ近江までということになるのかしら。
句郎 「鳰(にお)の浮巣」でしょ。「鳰の海」と言えば琵琶湖のことだった。だから琵琶湖の鳰の浮巣を見に行ってきたいと思っていますと挨拶した。
華女 江戸時代のことでしょ。ちょっと琵琶湖まで行ってきますとそんなに簡単に気軽に言えることなのかしらね。
句郎 確かにそうだよね。貞享元年『野ざらし紀行』に旅立った時には「野ざらしを心に風のしむ身哉」と詠んで旅立ったことを思うとえらく簡単に言っているように思うよね。
華女 自分の骸骨が野ざらしになることを覚悟して旅立ったことを思うと近江まで旅することが現代のことのように芭蕉は考えていたと言うことなのかしらね。
句郎 芭蕉の故郷、伊賀上野門弟、土芳が著した『三冊子』の中で「五月雨に鳰の浮巣を見に行くといふ句は、詞に俳諧なし。浮巣を見にゆかんと云所俳也」と述べている。
華女 大変な大ごとを極簡単なこととして言うところに俳諧があるということなのね。
句郎 「春雨の柳は連歌だ」「田螺取る烏は全く俳諧也」と土芳は述べた後、「鳰の浮巣を見にゆかん」と江戸にいる人が言ってのけることに俳諧があると言っている。
華女 これは笑いなのね。
句郎 江戸は江戸でも人の住まない深川の草庵にかつかつ生きる俳諧師が近江までちょっくら行ってくると言うんだから笑いなんだろうな。
華女 俳諧とは、江戸庶民の大言壮語を笑いとした遊びだったのね。
句郎 俳諧にはそのような面があったのではないかな。笑いの一種としてね。
華女 「五月雨に鳰(にお)の浮巣を見にゆかん」。分かったわ。この句は笑いの句のなのね。初めはこの句の何がいいのか、全然分からなかったわ。
句郎 実は私もそうだったんだ。つまらない句だと思っていたんだ。なぜ現代の俳人たちがこの句をいい句だと言っている意味が分からなかった。
華女 そうよね。芭蕉はユーモアのセンスがある人だったのね。貧しい俳諧師の生活をしていながら自分を少しも貧しいとは思っていなかった。自足した生活だと思っていた。豊かな精神生活を送っていた。だから素晴らしい句を詠むことができたんでしょうね。
句郎 そうなんだろうね。句を詠む。このことが精神的生活を豊かにしていたんじゃないかと思うね。毎日充足した日々を送っていたんだと思う。