醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  575号  いでや我よき布着たり蝉衣(芭蕉)  白井一道

2017-11-27 12:27:46 | 日記

 いでや我よききぬ着たり蝉の聲  芭蕉 


句郎 「いでや我よき布着たり蝉衣」。「門人杉風子、夏の料とて帷子を調じ送りけるに」と前詞を書きこの句を詠んでいる。また別の句集には「人に帷子をもらひて」と書き「いでや我能(よき)布着たり蝉の声」とも詠んでいる。さらに「杉風生、夏衣いと清らかに調じて送りけるを」と前書きして「いでや我よききぬ着たり蝉の聲」と詠んでいる。貞享4年、芭蕉44歳の時の句。
華女 私は三番目の句が良いと思うわ。夏の単衣を着て喜んでいる芭蕉の姿が目に浮ぶわ。一番目の句は「蝉衣」という言葉が渋滞する感じがするわ。
句郎 いや、スケスケルックの夏の衣服を蝉衣(せみごろも)というらしいよ。スケスケルックの蝉の羽に譬えていうらしい。
華女 そんな日本語があったのね。
句郎 「蟬衣」より「蝉の聲」が確かにいいよね。
華女 初夏の空気を感じるのかしら。
句郎 そうなんだ。軽快さがある。
華女 二番目の句の中七「我能(よき)布着たり」の漢字が重いのよ。ここは三番目の句の中七「よききぬ着たり」のひらがなが軽くて良いのよね。下五の「蝉の聲」が落ち着きを感じさせるのよ。
句郎 夏になると夏の衣服を差し入れてくれる門人が芭蕉にはいた。これは芭蕉の人徳というものだったんだろうね。
華女 杉風さんへの令状として挨拶吟として句を贈っているのね。
句郎 当時、俳句というものは人間関係を作っていく技のようなものだったのかな。
華女 きっと今でも句が詠める人にとっては挨拶になることがあるんじゃないのかしらね。
句郎 まず、俳句は挨拶ということなのかもしれないね。
華女 今日はいい天気ね。この挨拶の言葉が日本の挨拶よね。このような挨拶の言葉が定着したのは、もしかしたら俳句文化の影響があるのかもしれないわね。
句郎 そうなのかもしれないな。若者は挨拶ができない。若い子は挨拶ができない。こんな言葉を会社の上司の人が言うのを聞いたことがあるな。
華女 そうよ。挨拶が大事よ。そう教えられて出勤した時、上司に「おはようございます」と挨拶したら「はい」と返事され、「頭に来た」という話を聞いたことがあるわ。
句郎 挨拶をわきまえない人が今増えているのかもはれないな。
華女 人間関係において挨拶が大事だと言うことを今教えてくれるものがもしかしたら俳句なのかもしれないわよ。
句郎 芭蕉は感謝の気持ちを相手に伝えるためにはどのような言葉が良いのか推敲している。自分の気持ちを相手に伝える。この言葉の働きを簡潔に伝える方法を探求する営みが俳句を詠むということなんじゃないのかな。
華女 俳句を詠むということは、実は実用性があるということなのね。
句郎 きっとそうなんだろうね。だから今でも俳句人気は続いているんじゃないのかな。
華女 コミュニケーション能力を身に付ける方法の一つに俳句はいいのかもしれないわね。
句郎 俳句はコミュニケーション。その楽しさが俳句なんだろう。