醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  603号  磨(とぎ)なをす鏡も清し雪の花(芭蕉)  白井一道

2017-12-26 11:35:00 | 日記

 磨(とぎ)なをす鏡も清し雪の花  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「磨(とぎ)なをす鏡も清し雪の花」。「熱田御修覆(あつたみしゅうふく)」と前詞がある。
華女 熱田神宮修復工事後、参ったときに詠んだのね。
句郎 芭蕉は三年前、貞享元年『野ざらし紀行』の中で熱田神宮に参っている。その時のことを芭蕉は次のように書いている。
 熱田に詣
 「社頭大いに破れ、築地は倒れて叢に隠る。かしこに縄を張りて小社の跡をしるし、爰に石を据ゑて其神と名のる。蓬・忍、心のままに生たるぞ、中々にめでたきよりも心とどまりける。」叢(くさむら)と化していた境内が立派に修復されたことに神の力を芭蕉は感じたのかもしれない。その感動を詠んだ句が「磨なをす鏡も清し雪の花」だったのじゃないのかな。
華女 「鏡」とは、三種の神器の一つのことでいいのかしら。
句郎 、三種の神器とは、八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)を言うようだ。神鏡八咫鏡(やたのかがみ)がピカピカ光っているのを見て、研ぎ直されていることに芭蕉は感動したんだろうな。
華女 鏡は魔法の道具なの。お化粧すると女の顔は綺麗になっていくのよ。鏡よ、鏡よ、鏡さん、どうか私を美しくしてねとお願いすると美人になるのよ。鏡は魔法の道具なのよ。奇跡をもたらしてくれるもの、それが鏡。
句郎 天皇支配を正当化する呪術の道具が三種の神器なんだろうな。天皇支配の正当性を讃える組織が神社なんだろうからね。
華女 江戸時代は徳川幕府の支配する社会だったから、神社が寂れたりすることがあったのね。
句郎、そうだと思う。でも熱田神宮のように復興する場合もあった。五代将軍徳川綱吉が熱田神宮の修復を実現した。なぜ将軍綱吉が神宮の修復をしたのかと言えば、神宮の神様に徳川支配の正当性を認めさせ、権威付けさせるためだったと思う。
華女 江戸時代は徳川幕府が権力を握り、伊勢神宮を頂点とする神社の体系が権威を持っていたと言えるのね。
句郎 ヨーロッパ中世社会は二つの中心点を持つ楕円のような構造を持った社会だったということができると昔教えられた。それは権力を持った皇帝と権威を持ったローマ教皇、この二つの中心を持つ社会だったとね。
華女 日本の江戸時代はヨーロッパ中世社会と同じような構造をした社会だったと言えるのね。
句郎 徳川幕府は神社の権威というものと一体化して支配体制を整えていたということは言えるような気がする。
華女 芭蕉は「磨なをす鏡も清し雪の花」と神社の権威を讃えているのよね。
句郎 神鏡の輝きの中に神聖なものを感じたからだと思う。この神聖さというものが徳川幕府を権威づけているのじゃないかと思うんだ。
華女 厳粛な雰囲気が神聖なものを権威づけるのよね。
句郎 「その社会の支配的な思想はその社会の支配的階級の思想である」とマルクスが述べているが本当にそうだと思うな。芭蕉は徳川幕府の支配を当たり前のものとして受け入れていたその結果としてこの句が誕生した。

醸楽庵だより  602号  薬呑ムさらでも霜のまくらかな(芭蕉)  白井一道

2017-12-25 11:34:06 | 日記

 薬呑ムさらでも霜のまくらかな  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「薬呑ムさらでも霜のまくらかな」。「翁、心ちあしくて、欄木起倒子へ薬の事いひつかはすとて」と前詞がある。
華女 「欄木起倒子」とは、人の名前なのかしらね。
句郎 「らんぎきとうし」は、熱田の医師だったようだ。
華女 「霜の枕」とは、冷たい枕ということかしら。
句郎 嫌、冬の旅寝のことを意味しているらしい。
華女 「さらでも」とは、どんな意味
句郎 「それでなくとも冬の旅は辛く、寂しく、心細いのに」というような意味なのじゃないのかな。
華女 体の具合が悪くなって、薬を飲まざるを得ないということなのね。
句郎、省略の利いた句なんだと思う。
華女 「霜のまくら」という言葉に鬼気迫る気配があるように思うわ。
句郎 道に死ぬ覚悟はできていたんだとは思うけどね。
華女 当時の冬の旅は、死と隣り合わせにあったのよね。
句郎 凄い緊張感の中の旅だったということは言えると思うな。
華女 鬼気迫ると言ったでしょ。鬼気迫る句を思い出したわ。
句郎 どんな句があるの。
華女 鬼気の俳人というと富田木歩(もっぽ)でしょ。
句郎 「我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮」という句だったかな。
華女 関東大震災の大火の中で焼け死んだと言われている薄幸な俳人よ。
句郎 足に障害があり、歩くことが困難だったようだから、逃げ切れなかったんだろうね。
華女 この句「我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮」、病を得て寝ているのよね。天井から釣り下がってきた蜘蛛の糸が微かな風に揺れ肩に付き、弛みが無くなった。身じろぎもせず、木歩は蜘蛛の糸を見ているのよね。
句郎 自分の死を見ている緊張感がピンと張られた蜘蛛の糸に表現されているように感じるな。
華女 死を見る緊張感という点では、芭蕉を木歩は超えているように感じるわ。
句郎 私もそのように感じるな。
華女 小学校にも行けなかった木歩はいろはかるたやめんこで文字を覚えたというじゃない。芭蕉も木歩と同じように字を学ぶ教育を受けたわけじゃなかったんでしょ。
句郎 伊賀藤堂藩の嫡子に仕え、芭蕉は字を覚える喜びを知り、和歌を覚え、先人の俳諧を学んだのではないかと思う。
華女 木歩のこの句は芭蕉の「薬呑ムさらでも霜の枕かな」を超えているようにも感じるわ。
句郎 芭蕉も木歩も死を見つめ、戦っているこの緊張感が芭蕉より木歩の方が強いように感じるからかな。
華女 「さらでも」という言葉には主観があるからなんじゃないかしらね。
句郎 主観を表現する言葉には力がないのかもしれないな。
華女 人に訴える力がないのよ。木歩の句には主観的な言葉がないのよ。
句郎 客観的具体的言葉で主観が表現されたときに句は力を発揮するのかもしれないな。
華女 そうなんじゃないかしら。音、音楽よ。人間のいろいろな感情を表現し、訴える力は場合によっては言葉より強い力を持つことがあるのよ。

醸楽庵だより  601号  面白し雪にやならん冬の雨(芭蕉)  白井一道

2017-12-24 12:10:35 | 日記

 面白し雪にやならん冬の雨  芭蕉

句郎 今日はまた芭蕉の句に戻り、味わってみたいんだ。岩波文庫『芭蕉俳句集』から「面白し雪にやならん冬の雨」。「鳴海、出羽守氏雲宅にて」と前詞がある。
華女 芭蕉はお武家さんとも付き合いがあったのね。
句郎 「出羽守氏雲」とあるから領主なのかなと思ってしまうが刀鍛冶の岡島佐助という人だったらしい。鳴海六歌仙の一人で俳号を自笑と言っていたようだよ。
華女 自笑さん宅で歌仙を巻いたのね。
句郎 『俳諧 千鳥掛』に載っている発句の一つがこの「面白し雪にやならん冬の雨」のようだ。
華女 誰と芭蕉は俳諧を楽しんだのかしら。
句郎、芭蕉、自笑、知足の三人で俳諧を楽しんだようだ。
華女 それぞれどのような句を詠んだのかしら。
句郎 芭蕉が「面白し雪にやならん冬の雨」と詠むと自笑が「氷をたゝく田井の大鷺」と詠み、知足が「船繋ぐ岸の三俣荻かれて」と詠み継いだ。
華女 「雪にやならん」とは、雪にはならないだろうというのではなく、雪になるだろうということなのね。
句郎 だいぶ冷え込んできたね。面白い。愉快だ。この雨はそのうち雪になるんだろうねと、亭主、自笑さんに挨拶をした句が「面白し雪にやならん冬の雨」だったようだ。
華女 田んぼには氷が張り、大鷺が氷を叩き始めていると自笑が詠み継いだのね。
句郎 日本人が天候を挨拶にするという習慣は江戸時代にすでに出来上がっていたのかもしれないな。
華女 昔、魚屋さんに行くと「寒くなりましたね」と挨拶されたことを思い出すわ。
句郎 今、買い物はスーパーだから挨拶を交わすことは無くなってしまったからね。
華女 そうよ。レジの代金を見て、お金を出し、レシートを貰い、それで買い物は終わりよ。今の買い物は流れていくのよ。そこに個人的な挨拶を交わす交流は失われているのよ。
句郎 俳諧が培った挨拶の文化は無くなってきているんだね。
華女 事務的、合理的になり、無駄な時間は無くなってきているのよ。
句郎 挨拶文化が無くなってきている今、「面白し雪にやならん冬の雨」、なんと素晴らしい挨拶の言葉なのかもしれないな。
華女 今蘇る挨拶の言葉ね。
句郎 挨拶が人間関係形成の始まりだよね。
華女 そうよ。昔、出勤し、店長に挨拶すると書類に目を落とし、見向きもしなかったから私、そのうち挨拶をしないようになったわ。机に向かって仕事をして、顔を上げると誰もいなくなっていたなんてことがよくあったわ。
句郎 出勤しても挨拶をせず、帰る時も挨拶しないで帰社していたの?
華女 そうよ。職場の人間関係は冷たいものよ。
句郎 江戸時代の平民が生きていくためには濃厚な人間関係がなくては生きていけなかった。協力し助け合いが無ければ生活が成り立たなかった。そのような豊かな人間関係が俳諧と言う文化を生んだのかもしれないな。芭蕉は伊賀上野から江戸に出稼ぎに来た農民だったからね。
華女 一茶もまた信州からの出稼ぎ人だったんわ。

醸楽庵だより  600号  句郎 いくたびも雪の深さを尋ねけり(芭蕉)  白井一道

2017-12-23 11:35:54 | 日記

 いくたびも雪の深さを尋ねけり  子規


句郎 今日は芭蕉の句ではなく、正岡子規の有名な句、「句郎 今日は芭蕉の句ではなく、正岡子規の有名な句、「いくたびも雪の深さを尋ねけり」について感じたことを話し合ってみたいんだ。
華女 この句は中学生の国語の教科書に載っているらしいわよ。
句郎 名句として知られているということなんだろうね。先日、NHK俳句を見ていたら、選者の今井聖氏の「名句検証」のコーナーでこの句を取り上げていた。
華女 どんなことを述べていたの。
句郎 子規が病を得て寝ていたということを知らなければ、理解できない句だと述べていた。そういう点でこの句は自己完結した句ではないのではないかと述べていた。
華女 そりゃそうよね。子規は当時不治の病、結核に罹病し、脊椎カリエスに侵され若くして亡くなったのよね。
句郎、自宅で寝ていたということを知って初めてこの句の意味が理解できるんだからね。
華女 そういう点では、芭蕉の句にも前詞なしには何を詠んでいるのか、分からない句がたくさんあるわね。例えば「まづ祝へ梅を心の冬籠り」の句も杜国のことを知らない人にとっては何を詠んでいるのか、理解に苦しむのじゃないかしらね。
句郎 そうだよね。自己完結した句とはいえないと思うね。
華女 句を詠んだだけで意味が通じる句じゃないと文学作品としてはどうかと思うわ。今井氏は子規のどんな句が良いと言っていたのかしら。
句郎 「筆も墨も溲瓶(しびん)も内に秋の蚊帳」。この句がいいと述べていた。それほど有名な句ではないがいい句だと思うというような発言をしていた。尿瓶という言葉は病人だということを読者に分からせる。秋になっても吊りっぱなしなった蚊帳の中に筆も墨も尿瓶もある。
華女 自己完結した句ね。予備知識も前詞もなしに理解することができるわね。確かにこのような句が文学になっている句なのかもしれないわ。
句郎 俳句が文学として認められるためには、句として独立していなければだめだとは思うよね。
華女 文学になるためには人に伝わるということが大事よね。
句郎 予備知識なしにね。
華女 そうよ。でも子規が病を得て寝ていたということを知ると「いくたびも雪の深さを尋ねけり」という子規の気持ちが伝わるのよね。
句郎 「雪の深さを尋ねけり」の「けり」に深い余韻があるのかな。
華女 そうよね。だから名句だといわれているのかもしれないなんて思ってしまうのよ。
句郎 杜国に対して芭蕉が「まづ祝へ」と言っている意味の深さ、人生というものを分かった者でなければ言えないようなことなんだということが分からないものね。
華女 悲嘆に暮れている者に向かって、悲しみを祝えと言う芭蕉はまさに人生の達人だったのね。
句郎 蟄居の現実を知った上で芭蕉は「まづ祝へ」と蟄居の現実を肯定的に受け入れろと言っている。
華女 身分制社会に生きた人間の強さなのかしら。
句郎 どれほど虫けらのように扱われようと人間としての誇りを失うことなく芭蕉は生きた人だったのかもしれないな。

醸楽庵だより  599号  まづ祝へ梅を心の冬籠り(芭蕉)  白井一道

2017-12-22 11:28:50 | 日記

 まづ祝へ梅を心の冬籠り  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「まづ祝へ梅を心の冬籠り」。「しばし隠れゐける人に申し遣(つか)はす」と前書きして、この句を詠んでいる。貞享4年、芭蕉44歳。
華女 「しばし隠れゐける人」とは、杜国のことを言っているのよね。
句郎 そうだと思う。芭蕉は伊良湖崎に杜国を訪ね、六句も詠んでいる。その最後の句がこの句のようだ。
華女 芭蕉の杜国への思い入れが随分あったということなのかしらね。
句郎 そうなんだろうね。
華女 「まづ祝へ」とは、蟄居させられたことを祝えと言っているのよね。
句郎、名古屋の富裕な米穀商であった杜国に対してすべての土地屋敷財産を没収され、渥美半島の先端に蟄居させられていることを「まづ祝へ」とは、よく言ったものだよね。
華女 そんなこと、絶対に祝えないわ。まるでキリストが言うようなことよね。
句郎 『新約聖書』「マタイによる福音書」の中の言葉「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」のようなことだよね。
華女 芭蕉が言いたかったことはどんなことだったのかしらね。
句郎 どんな不遇な状況にあっても自分に与えられた状況を否定的にではなく肯定的に受け入れなければ生きていけないということを言いたかったんじゃないのかな。
華女 生きるということは、自分を大事にしなくちゃいけないということなのね。
句郎 やけを起こして、酒を無理やり飲んだりしないということなんじゃないのかな。
華女 辛いことにひたすら耐えて、畑を耕し、稲を植え、食べ物を確保し、生活するということね。
句郎 そうすることによって、また新しい世界が開けて来るということがあるんじゃないのかな。
華女 人を恨み、拗ねていては、何にもならないということなのね。
句郎 確かに悲しくて、苦しい現実に対して悲観的になってしまうのが普通なんだなんだけれども、その現実を前向きに受け入れろと芭蕉は杜国へ励ました言葉が「まづ祝へ」だったのじゃないのかな。
華女 そうよね。こんな生活嫌だと言ってはみても、明日又この嫌な生活があるんだということを受け入れなくちゃ、生きていけないと言うことなのよね。
句郎 そうだよ。与えられた生活をうつむき加減にいやいやながら受け入れるのではなく、胸を張って元気に受け入れると言うことなんじゃないかと思う。
華女 春になったら梅が咲く、そんな日が確実にやってくると信じて厳しい冬を乗り越えようと句なのね。
句郎 蟄居とは、春を迎える冬籠りだと思えばいいじゃないかと芭蕉は杜国を励ました句が「まづ祝へ梅を心の冬籠り」だったのじゃないかな。
華女 確かに杜国の状況、、伊良湖崎に蟄居を命ぜられたことを知っている読者には通じる句なのかもしれないけれども、何も知らいない読者には芭蕉は何を言っているのか、全然わからないかもしれないような句よね。
句郎 前書きがなければ分からい句は、句としてどうかなと思うな。