醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  598号  さればこそ荒れたきままの霜の宿(芭蕉)  白井一道 

2017-12-21 11:39:02 | 日記

 さればこそ荒れたきままの霜の宿  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「さればこそ荒れたきままの霜の宿」。「人のいほりをたづねて」と前書きして、この句を詠んでいる。貞享4年、芭蕉44歳。
華女 伊良湖崎に蟄居させられていた杜国の庵を芭蕉が訪ねた時の句なのかしら。
句郎 そうだと思う。『芭蕉俳句集』には「逢杜國」と前詞を置いて「さればこそ逢ひたきままの霜の宿」とも詠んでいる。
華女 句としては「さればこそ荒れたきままの霜の宿」の方がいいと思うわ。
句郎 中七の「荒れたきままの」に力が入っているのかなと感じるよね。
華女 「荒れたるままの」じゃ、だめなのよね。
句郎、放ったままにされているということを言いたかったのじゃないかな。
華女 そうよ。蟄居という冤罪を表現したかったのかもしれないわ。
句郎 確かに杜国は空売りのようなことはしていなかったようだからね。無実の罪を背負わせられ、その罪を受け入れている杜国の気持ちを表現したかったんだろうと想像したいね。
華女 「荒れたる」と「荒れたき」では、一字しか違わないけれども意味は大きく違ってくるのよね。
句郎 杜国は心も荒んでいるのかと芭蕉は心配していたんだと思うけれども実際は違っていたみたいだ。芭蕉は「杜国が不幸を伊良古崎にたづねて、鷹のこゑを折ふし聞て」と前詞を置き「夢よりも現(うつつ)の鷹ぞ頼もしき」と詠んでいるからね。
華女 杜国は元気にしていたのよね。芭蕉は安心したんだと思うわ。「案ずるより産むが易し」ということよね。
句郎 この句は「むばたまの闇のうつつは定かなる夢にいくらもまさらざりけり」というよみびと知らずの歌が『古今集』にあるそうなんだ。その歌を芭蕉は知っていたのかもしれないな。
華女 その歌にた対して芭蕉は「現(うつつ)の鷹ぞ頼もしき」と詠んだのね。
句郎 「荒れにけりあはれ幾世の宿なれや住みけむひとのおとづれもせぬ」という『伊勢物語』にある歌を芭蕉は知っていて「さればこそ荒れたきままの霜の宿」と句に詠んだのかもしれないな。
華女 芭蕉は杜国の庵を見て涙を流したのね。
句郎 芭蕉は杜国が蟄居させられている村を句に詠んでいる。「麦生えてよき隠れ家や畑村」とね。この句は、僧正遍照が詠んだ歌「里はあれて人はふりにし家なれや庭も籬も秋の野らなる」を下敷きにしてを詠んだのかもしれない。
華女 芭蕉は僧正遍照が詠んだ歌のような村なんだろうなと思って訪ねてみるとそうではなかったと、いうことなのよね。
句郎 実際はどうだったのか、分からないけれども、藩の役人の目が届かない場所だったのかもしれないから、思うほど酷い場所ではなかったのかもしれない。
華女 伊良湖崎で再会を果たした芭蕉は杜国と一緒に奈良の方に旅立っているのよね。そんなことを考えると蟄居といっても管理は行き届いていなかったのね。
句郎 杜国を訪ね、芭蕉が詠んだ句は我々現代に生きる人間に対していろいろなことを教えてくれているように感じるね。当時の社会についてね。

醸楽庵だより  597号  鶏頭の十四五本もありぬべし(子規)  白井一道

2017-12-20 11:20:12 | 日記

 鶏頭の十四五本もありぬべし  子規



句郎 子規の病中吟に「鶏頭の十四五本もありぬべし」があるでしょ。
華女 昭和20年代、この句の評価をめぐって「鶏頭論争」のあった句ね。
句郎 そう。私もどこがいいのか、全然分からなかった。こんなものが俳句なのかと、思っていた。
華女 七、八本じゃ、句にならないのとか、言う論争よね。
句郎 こんなつまらない論争をしているから俳句は「第二芸術」だ。習い事だとか言われるだと思っていた。
華女 「第二芸術」とは、何なの。
句郎、俳句は菊人形となんら変わることのないものだとフランス文学者の桑原武夫が論文、『第二芸術論』で述べたんだ。
華女 それで俳句は第一級の芸術ではなく、第二の芸術だということなのね。
句郎 そうなんだ。しかし第一級の芸術に値する俳句もあれば、第二級の芸術にも値しないような文学作品だってあるからね。
華女 そうよね。でも桑原武夫が言ったことは、俳句という文学ジャンルそのものが第二芸術だと述べているのじゃないの。
句郎 確かにそうなんだ。だから芸術に値する俳句がある以上、俳句は第二芸術だという主張は間違っていると私は考えているんだ。
華女 私もそう思うわ。
句郎 何でもない言葉の端くれのような俳句「鶏頭の十四五本もありぬべし」、立派な俳句なんだと感じるようになったんだ。
華女 どうしてそのように感じるようになったの。
句郎 山口誓子が、1949年『俳句の復活』の中で述べている。「子規が、鶏頭の十四五本もありぬべし、と詠んだとき、自己の”生の深処”に触れたのである」。この言葉には説得力があるなと感じたんだ。近所の子供たちが元気に遊ぶ声がしたとき、子供の声って、いいなと感じる時があるでしょ。それと同じなのかな。
華女 あぁー、そういうことなのね。
句郎 日常の何でもない言葉がある時、詩的言葉として胸に響くことがあるんじゃないのかなと感じたんだ。
華女 「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」ね。同じ子規の句よね。
句郎 日常の言葉が詩になるんだということを子規は発見したんだと思う。
華女 言葉が通じたと実感した瞬間なのかもしれないわ。
句郎 そうなのかもしれないよ。日本の茶人が「一井戸、二楽、三唐津」なんて言うじゃない。名品の茶碗だよね。その名品の茶碗、一級品の茶碗は朝鮮高麗朝下の一般庶民が日常生活に用いていた茶碗みたいだからね。毎日飯茶碗に使っていた陶器が一級品の芸術作品になっている。
華女 凄いことね。井戸茶碗を使っていた朝鮮の庶民は何でもないものとして使っていたのよね。凄い職人さんが当時の朝鮮にはいたのね。
句郎 私たちの身の回りには宝が転がっているのかもしれないね。ただそれに気づかないだけなのかもしれないよ。
華女 外国人が日本に来て日本人にとっては何でもない景色が素晴らしい景色だと言われて初めて気付くということがあるじゃない。そういう事といっしょかもしれないわ。
句郎 何でもない事に気付くことが発見なのかも。

醸楽庵だより  596号  鷹一つ見つけてうれしいらご崎(芭蕉)  白井一道

2017-12-19 11:50:57 | 日記

 鷹一つ見つけてうれしいらご崎  芭蕉


句郎 芭蕉が伊良湖崎で詠んだ「鷹一つ見つけてうれしいらご崎」という句は、芭蕉の名句の一つとして挙げられているみたい。
華女 あら、そうなの。どこが名句なのか。ピンとこないようにも感じるけれど。
句郎 でもね、現在、日本にある俳句結社の主宰者三百十二人の俳人が選んだ芭蕉の俳句百五十七句の中で「鷹一つ」の句は三十五位に選ばれている。
華女 かなり高得点の句ね。どこがいいのかしら。
句郎 どこなのかな。「鷹一つ」という上五の力強さのようなものに説得力があるのかもしれない。
華女 そうね。今一つ分からないわね。
句郎 「鷹一つ見つけて」という言葉から寒風を思わせるとも言っている。
華女 「鷹一羽でなく」、「鷹一つ」と言っているからなのっ。
句郎 そうかもしれないな。「一つ」という表現にはいろいろな意味が込められているのかもしれない。
華女 伊良湖崎で芭蕉が見たものはいろいろあったでしよう。その一つが鷹だったということなんでしよう。
句郎 そうなんだよ。鷹は芭蕉が伊良湖崎で見つけたものの一つだったんだ。
華女 だから鷹一羽と言わずに「鷹一つ」といったのかしら。
句郎 「一つ」という言葉には孤高というイメージを引き出す力があるように思うんだ。鷹は大空に舞う孤高の鳥でしょ。群れて飛ぶことはない。一羽で悠々と舞い、高い空から地上目がけて急襲する。誇り高く頭を上げて睨みつける。戦国武将の兜の紋章になるような鳥だよね。
華女 芭蕉の句の特徴は力強さにあるのかしらね。
句郎 そういわれると「五月雨をあつめて早し最上川」にしても力強い句だよね。
華女 蟄居中の愛弟子杜国を訪ねて伊良湖崎まで厳しい寒さの中、行ったわけよね。何か、強い思いがあったのよね。
句郎 芭蕉の衆道の相手では、という話があるくらいだからね。
華女 ホントなのかしら。
句郎 あり得る話だとは思うけれど。そう、杜国が蟄居に参っていないことに安心したんじゃないのかな。元気にしていた。発句を詠み、滅入っていなかった。それでこそ、杜国だと芭蕉は思った。芭蕉は杜国が元気にしている姿を見て、喜んだ。杜国は鷹のように誇り高く孤高の存在だ。鷹の姿に芭蕉は杜国の見た。伊良湖崎への旅は杜国を訪ねることがすべてだった。その願いがかなった。その願いを「一つ」という言葉で表現した。
華女 「鷹一つ」とは伊良湖崎への芭蕉の旅の願いがかなったということを表現しているの。
句郎 そうなんじゃないのかな。「鷹一つ」とは、杜国が元気にしていたということ。「みつけてうれしいらご崎」という中七と、下五の語句「いらご崎」は「鷹一つ」を修飾しているんだ。辺境の地、伊良湖崎でくよくよすることなく、元気に俳諧を楽しんでいる杜国に逢えて嬉しいと叫んでいる。
華女 芭蕉は率直な人だったのね。
句郎 芭蕉は自分の気持ちを率直に表現している。杜国は孤高の鳥、鷹のように一人にされてもしおれることがないとね。

醸楽庵だより  595号  雪や砂馬より落ちよ酒の酔(芭蕉)  白井一道

2017-12-18 12:52:46 | 日記

 雪や砂馬より落ちよ酒の酔  芭蕉

句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「雪や砂馬より落ちよ酒の酔」。「伊羅古に行く道、越人酔うて馬に乗る」と前詞を書き、この句を詠んでいる。紀行文『笈の小文』には載せられていない。載せるほどの句ではないと芭蕉は考えて載せていないのか、どうかは分からない。貞享四年、芭蕉四四歳。
華女 芭蕉は越人を笑っているのよね。弟子を笑っている句など、載せられないと芭蕉は思ったんじゃないのかしらね。
句郎 そうなのかもしれないな。
華女 伊良湖岬と言ったら渥美半島の先端よね。そこに杜国が蟄居しているというのでそこを真冬に訪ねて行っているのよね。
句郎 古い地図に「江比間」を「酔馬」と書き、「えひま」という村があった。この地名に刺激を受けた芭蕉は酒を飲み、うっつらうっつらして馬に乗っている越人を見て即興で詠んだ句がこの句なのではないかという解釈があるみたい。
華女 馬から落ち、雪や砂にまみれた越人の姿を想像し一人微笑んたという句だというのね。
句郎、俳人、下里蝶羅の『合歓のいびき』という俳諧紀行には「雪や砂馬より落ちて酒の酔」とあるようだ。「馬より落ちよ」ではなく、「馬より落ちて」になっている。
華女 「落ちよ」と「落ちて」では、大きな違いがあるわね。
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』の注釈には学海の『伊羅古紀行』「ひとかさ高き所は卯波江坂とて、むかし越人、翁にしたがひ、酔うて馬にのられし時、
雪や砂馬より落ちて酒の酔、と翁の口ずさみ給ふとなん」とある。
華女 もしかして、本当に越人は酒を飲み、馬に乗って行くうち、眠ってしまい、馬から落ちてしまったのかもしれないわね。
句郎 芭蕉も越人は「雪や砂馬より落ちて酒の酔」と口ずさんだのかもしれないが、「馬より落ちて」では句にならないと芭蕉は思ったんじゃないのかな。
華女 私もそう思うわ。「馬より落ちよ」じゃなくちゃ、俳諧の笑いにはならないわ。「馬より落ちて」の笑いは人の不幸を笑う下品なものよ。
句郎 酒を飲み、馬に乗り、落っこちそうになりながらも落ちないねぇー。これでなくちゃね。
華女 そうよ。それでこそ、笑いなのよ。人を貶める笑いは良くないわ。
句郎 そうだよね。人を貶め、突き放す笑いは人を打ちのめす笑いだよね。
華女 そうよ。弱者を笑いものにするのは、卑怯なことだと思うわ。
句郎 弱者が強者を笑いものにするのが俳諧の笑いなのかもしれないからね。
華女 落語の笑いはそのような笑いなんじゃないのかしらね。庶民の笑いというものはそのような笑いなんじゃないのかしらね。
句郎 「づぶ濡れの大名を見る炬燵かな」という一茶の句があるでしょ。参勤交代の大名行列を家の奥の炬燵の中から眺めている。ここに江戸庶民の心意気があるよね。威張りぬく武士を農民の一茶は笑っている。
華女 弱者は弱者を笑っちゃいけないのよね。
句郎 その笑いは弱者を殺す笑いかな。そのような笑いは俳諧の笑いにはならないな。俳諧の笑いはもっと上品なものだから。

醸楽庵だより  594号  冬の日や馬上に凍る影法師(芭蕉)  白井一道 

2017-12-17 14:44:45 | 日記

 冬の日や馬上に凍る影法師  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「冬の日や馬上に凍る影法師」。紀行文『笈の小文』に「あまつ縄手、田の中に細道ありて、海より吹上る風いと寒き所也」と書きこの句を載せている。貞享四年、芭蕉四四歳。
華女 「あまつ縄手」とは、何なのかしらね。
句郎 『芭蕉紀行文集』「笈の小文」にある注釈によると渥美半島西岸、風を受け寒い田舎道とある。
華女 「田の中の細道」畦道に固有名詞が付いているのね。
句郎 そうなんじゃないかな。
華女 芭蕉は冬の薄日を受けた自分の影法師が氷っていると詠んでいるのよね。
句郎、氷った自分の影法師だと詠んでいるんだと思うけど。
華女 『野ざらし紀行』だったかしらね。「水とりや氷の僧の沓の音」という句があったでしょ。この句を思い出すわ。
句郎 奈良東大寺の「お水取り」の儀式に参列した際に詠んだ句だったんだよね。
華女 「氷の僧」だから、冬の句なのかなと思った早春の句だったのよね。
句郎 そう、「お水取り」は早春の儀式だからね。
華女 「冬の日や馬上に凍る影法師」は、間違いなく冬の句よね。冬の本意が表現された句なのよね。
句郎 そうなんだと思う。「馬上に凍る影法師」には熱い思いが籠っていると言うことを表現したのではないかと思うな。
華女 「お水取り」は新春の水を汲むということなのよね。だから命の蘇り、春の到来を喜ぶ儀式なのよね。だから関西では、「お水取り」が終わると春が来るといわれているのよね。
句郎 「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」という世間で使われている言葉そのものが句になっているくらいだからね。
華女 子規は母の言葉をそのまま句にしたのよね。
句郎 「お水取り」は二月だから寒い最中の儀式だからね。確かに寒いよね。その厳しい寒さが春を待つ強い気持ちを生んでいるんだろうね。
華女 「冬の日や馬上に凍る影法師」。この句の場合はどうなのかしら。
句郎 杜国への熱い思いがふつふつと燃立っていたんじゃないのかな。
華女 寒さに耐える熱い思いなのかしらね。
句郎 杜国に会いたいという強い強い思いがこの句には籠っているんじゃないのかな。
華女 だからなのかしら。芭蕉と杜国は男色関係にあったのではないかといわれている理由なのかもしれないわ。
句郎 引き締まり、無駄な言葉がなにもない。名詞を中心にした表現が最も俳句的な表現だと言われる理由に納得するような句なのかもしれないな。
華女 そうね。「冬の日」を切る「や」が効いているわね。「馬上」「影法師」を結ぶ「凍る」という言葉が結び付け、一つの世界を作っているわ。
句郎 馬に乗った芭蕉の姿が瞼に浮ぶよね。
華女 今突然「生きながら一つに氷る海鼠かな」という句を思い出したわ。即興の嘱目吟のように理解しているんだけど、それでいいのかしらね。
句郎 この句も鮮明なイメージを読者に結ばせる句のように思うね。
華女 将に冬の句ね。