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時代の意識

2011-01-13 | 思うこと
子供に「ダイヤルって何」と聞かれました。
ダイヤルと言ってすぐに思いつくのは電話機、でも今はダイヤルを回す電話機など探そうと思っても中々探せない。
他には何かなかったかと思い巡らしても、テレビとか金庫位しか思いつかない。
テレビは「チャンネル」と言っていた様な。でも今は回すチャンネルなどありえないし、金庫もまた同じ。
結局身の回りにダイヤルは見つけられず、これでは知らないのも無理がないと気がついたのでした。

あえて教えなくても当然知っているはず、そんな物がいつの間にかなくなっている。
そして消えていく時は音も立てず静かに、気が付いたときはすでに無くなった後だったという場合が多い。
それは古い「物」に限らず、考え方や、ある時代の共通認識としてあったはずの「時代の意識」のように「物」ではない何かも含まれています。
後の時代から見ると、「意識」が忘れられて形だけ残っている習俗などは、なぜこんな事をするのかまったく分からなくなっていますが、「時代の意識」はその時代の人には当たり前すぎて説明も記録も必要なかったのでしょう。
きっと今現在も、自分では気が付かないだけで、今の「時代の意識」の中に私もどっぷりと浸かっているのだと思います。





皆既月食の夜

2010-12-17 | 思うこと
皆既月食を観察しよう
天文は詳しくないのですが、皆既月食は月齢15.0の日という理解で合っているのかどうか。
21日は皆既月食なのだそうで、ふたご座流星群のすぐ後にまた天文ショーが楽しめそうです。

マリンスポーツに血道を上げていた頃は、月齢と潮汐は生活の一部でもありました。
海に行く予定は、大潮小潮の干満と目的によって時間が決まり、何気なく海を眺めているときでも、時刻と潮の具合からその日の月齢を考えたりしていました。
マリンスポーツを一切やめてからも、月を見て月齢を考えるのはなんとなく習慣化しています。

冬至の近い今の時期は朝起きても外は真っ暗で、毎朝庭に出て見上げるのは東の空が幽かに白んだ夜空のままで、満月に近ければこの時間には西の空に沈んでいます。
十六夜以降は日の出前に西の空に輝く月は、日を追うにつれ細くなって朝の太陽に近づきます。
天候に左右されますが、北国において朝の定点観測は冬の楽しみでもあります。
日の出が早くなると早朝の夜空を眺めるのも終わりますが、それは春の始まりでもあり、春の山野草の時期が気になる季節でもあります。



今年のガッカリ大賞(個人的に)

2010-11-06 | 思うこと
今年の総括は早すぎるかもしれませんが、ニュースを見て非常にガッカリしたのがこちらです。
三戸の野瀬観音8年ぶり開帳、住民ら拝観(2010/08/20)
なにしろ10年に一度の御開帳。
次は2020年の予定とあっては10年分のガッカリ度でした。

新聞からイベント情報を集める事が多いのですが過去形の情報が多く、終わってしまったイベントの記事を見ながら事前に知らなかったことを残念に思うことが多かったので、今年は月間イベント情報をブログトップにしていました。
自分の行きたいイベントはここへ書き込んでメモ代わりとしていましたが、冬になれば行きたいイベントも少なくなるため11月で終わりにしようと思っています。
イベント情報は来年春からの復活を予定しています。







郷土資料館の香り

2010-10-16 | 思うこと
縄文土器や民具に興味があって、青森県内の郷土資料館を見て歩くことがあります。
青森は遺跡の多い土地なので、近年の開発によって調査が進み、各市町村ごとに発掘された土器や石器などの遺物が展示されています。
小さな資料館であっても意外と素晴らしい土器が展示されていたりして、そんな土器に出会うことが楽しみの一つになっています。でもそんな資料館は見学者も少ないらしく、せっかくの歴史遺物がもっと多くの人に鑑賞されるような方法はないものだろうかとも思います。

民具は近年まで実際に生活を支えていたため、未だ数も多く残っていてその価値も低く見られているのが展示法を見てもわかります。
民具を展示している場所はどこも同じように黴のような古い香りがします。
生活道具として生きていた頃は、きっと木や煤や食べ物などの、今とは違う香りがしたはずです。
役目もなく置かれている民具ではなくて、生きて働いている民具を見てみたいと、この頃よく思います。
きっと全く別の表情を見せてくれると思っています。






読経の金額

2010-07-16 | 思うこと
お布施に目安 賛否569件 「自分も困った」賛成85%(産経新聞) - goo ニュース

実家の父の葬儀や四十九日が終わったばかりで、葬送のしきたりなどの記憶の新しい所へこのニュースでした。
実家には菩提寺もありますが、この金額設定は高すぎると感じます。
ちなみに菩提寺は神奈川県内で都会と言える場所。
宗派ごとの世間で言われている相場をあまり知らないので、実家の場合がどのような位置あいにあるかは分かりませんが通夜・葬式二日間の僧侶へのお布施が16万。
ただし戒名は生前に知人に付けてもらっています。
セレモニーホールを借りての葬式で、葬儀社の助言も入れて妥当な金額ではないかと思います。

この他に四十九日法要を菩提寺で執り行いましたが、こちらは同じ檀家の方から3~4万と聞き、あまりの安さにびっくりしました。
墓地関係の仕事の方なので事情に明るいのでしょう。
お布施の金額に悩むのは、葬式以外に寺で法要することもない現代の儀式離れの習慣もあるのでは。
寺に行かない、相場が分からない、聞く人もいない、大目に払う。
そんな繰り返しがお寺に対する不信感になって、また足が遠のく。
双方に不幸なスパイラルが出来上がって行きます。


菩提寺での法要は先々代から続いています。
檀家として読経を上げてもらう、それは家族や親戚が続いてきた歴史を感じるひと時だと思うのです。
懇ろにあげていただく読経はとても素晴らしいものでした。






家畜とペット

2010-06-17 | 思うこと
沖縄の農村部では家庭でヤギを飼っていて、何かの行事のときに〆たり売ったりしていました。
町には山羊汁屋もあって、山羊肉は食生活の中に組み込まれています。
当然ながらヤギは食べるもの、家畜という見方が一般的でしたが、ある時内地から来た人がヤギをペットとして飼いだしました。
名前を付けて散歩をしたり、ブラッシングをしたりで、それを地元の人たちは不思議に思ってよく話のタネにしていたものでした。
そのヤギが大きくなった頃、誰かが
「お前の所のヤギはいつ食べるんだ」
と聞いたところ、本人は激怒していたそうです。

子供の数よりペットの犬猫の方が多い現在の日本で、家畜をどう捉えるのか。
口蹄疫は予断を許さない状況ですが、ネット上で情報を検索すると、殺処分される牛豚がかわいそうだという意見を多く目にしました。
処分の直前にとても悲しそうな顔をする、そんな書き込みを読みながら、家畜とは本来、殺して肉を食べるものなのに何故そういった表現になるのか不思議に思っていました。
感情に訴えることが人の耳目を惹くからだとすれば、世間を低く見積もっているなと感じます。

口蹄疫は日本の農業だけでなく広く経済全体に係わる大変な問題です。
産業としての畜産業や酪農家の経済的な打撃について、現地の状況についてなど。私はそんな情報が知りたいのですが、ネット上は感情論が優勢かもしれません。




人間として

2010-06-04 | 思うこと
父が亡くなりました。
葬儀の翌日、遺品整理をしていると、父の箪笥からは遠い昔の名残が出てきました。
それは私たち兄弟の小学校時代の通信簿や幼稚園の卒業証書、独身時代の母の写真、父が武道で取った免状などでした。

昔は子供に対して厳しい時代でしたが、子供心にも不条理と思える躾をされていた私は父が憎かった。
反発もしていましたし、父の葬式には出ないと公言もしていました。
それでも自分が親の立場になってからは、少しずつ理解はできるようになってもいましたが、感覚としては大きく変わりはなかったと思います。
渋々出席した葬儀でしたが、久しぶりに顔を合わせた親戚とは楽しい昔話に花が咲きました。
深く考えずに明るく和やかな葬儀を終えた翌日、出てきた遺品を眺めながら、父が歩いていた人生は、実はごくありふれたものだったのだと感じていました。
結婚する人の写真を大切に持っていたり、小さい子供の記録をまとめていたり、生前は思い出などを大切にする人には見えなかったのに、本当は所帯を持ち家族を持つことが人並みに嬉しかったのだろうな、と。
昔の男気質で嬉しさを隠していただけで、見栄っ張りで自分勝手で少し臆病な人間だっただけだ、そう思ったらいつの間にか、憎んでいた気持ちはどこか遠くへ消えてしまったように無くなってしまいました。

見つけた写真を母に見せると
「あら、綺麗じゃない」
「これをお母さんの遺影にしたら ?」
「そうだねぇ」
「じゃあそのまま黒い額装しとこうか(笑)」
「まったくもぉ(笑)」

いくらなんでもそれは図々し過ぎるんじゃないか、とチャチを入れる弟とみんなで笑う何時もの時間に戻っていました。




曖昧な記憶の

2010-05-20 | 思うこと
暖かく緑の多い季節になると、どこかへ出かけたくなってそわそわしてきます。
考えてみると毎年同じような場所へ同じような季節に出かけるのですが、なぜ飽きもせずに続くのか。

どこかへ遠出すると、いつもどこかで必ず美しい光景を目にします。
車を運転中のことが多くて、そんな景色は写真には収められないのですが、八甲田山にかかる夕日であったり、空を飛ぶ鳥の群れであったり、道路沿いの農家の庭先に植えられている花であったり、新緑の森の向こうに見える岩木山であったり。
ハンドルを握りながら、一瞬目にする光景がその日の一番素敵な風景であることも多いかもしれません。
すぐにその場で車を止めて写真を撮ろうと思っても、交通の邪魔にならない駐車場所を探しているうちに、美しいと思った風景はもうなくなっています。
もしくはその場所だと思ってよく見ると、電線や看板など写真に収めるには余計なものがあったりで、結局撮らないままだったり。

単に視覚情報の処理速度の問題なのでしょうけれど、美しいものを選択的に見る人間の能力は便利なものだな、とも思います。
自分の記憶に残るのは美しい風景ばかりです。





いつか思ったこと

2010-04-21 | 思うこと
死期の近い父親の近況を母から電話で伝えてきます。
先日は見ていた夢の話をしたと聞きました。
小さい頃住んでいた家の自分の部屋で今寝ていたんだ、そんな話をするんだよ。
なぜかこの話を聞いた時に涙が出ました。
死に行く親への惜別の情とは違う、いつかどこかで感じた自分の死生感を思い出したからです。

若い頃住んでいたとても好きな土地で、毎日感動するような景色の中で日々を過ごし、この世の楽園と思っていたその頃ふと、私が死んだ時はこの場所のこの時間に戻ってくると強く思ったことを思い出したからです。
今はもうなくなってしまったその風景は私の心の中にはしっかりと残っていて、今でもその時に感じたことを信じています。
私にとってはその場所ですが、父にとっては小さい頃の自分の家だったのかもしれません。
春の温かい日に、目覚めた布団の中でまだもう少しの時間を楽しんでいたその時のその時間。
そんな風景の中に少しずつ戻っていくんだなあと、電話での話を聞きながら思っていました。
私もきっとあの場所へ帰れるんだと確信を持ちながら。




家族とはなんだろう

2010-04-08 | 思うこと
この一週間ほど、死期の近い親の事で色々と考えていました。
今まで元気でいた親が急に入院する事になり、残り少ない時間であると知って、家族関係という閉塞した物の中にある精神的な凶器に思いを馳せています。


私の子供のころは、子供をたたく事は当たり前という風潮がありました。
私もご多聞に漏れずよくたたかれていましたが、子供心に深く傷ついてもいました。
今なら虐待ですが、高度成長期にはある種の狂気もあったのかもしれません。
東北地方の歴史を調べていると、日本には縄文から続く狩猟採取の文化と弥生時代から始まる農耕文化がかなり近代まで並立していたのではないかと感じています。
以前書いた狩猟採取民の世界観でも、狩猟採取民は子供をとてもかわいがるといわれ、江戸時代末に日本を旅行した外国の人の紀行文でも日本では子供をとても可愛がると記述されています。
現在の日本では子供に対する虐待が報道され、年々虐待事例も増えていますが、江戸時代末に海外の人を驚かせた子供に対するスタンスは今とどのように繋がっているのでしょうか。

子供時代の心の傷はなかなか消えるものではなく、何かの折にふと現れてきて子供だった自分の悲しみをまざまざと思い出させます。
子供を育てる歳になってもそれはどこかに隠れていて、それを思い出す度に子供だった自分に対して、だいじょうぶだよ、そんなに悲しまないで、と心の中で話しかけています。
私は自分の子供達を傷つけることなく育てられたのか、心の中にいる子供時代の自分と自分の子供が重なって見えることがあります。
子供を生み育てることに効率という考え方を取り入れてはいけないのだと、今は強く感じています。