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豊かな暮らしとは何だろう

2011-04-12 | 社会
ネット上では反原発の声が大きくなっています。
私はずいぶん前に、ある知人と話していた時に感じた違和感が消えません。
最新の家電機器に囲まれクーラーの効いた友人の部屋で、何気ない雑談の合間に友人の語った一言。
「私は原発反対よ。」

当時は私もまだ未熟で、違和感はあるものの何がどのように変なのか明確に説明できるスキルも無かったのです。今なら説明できるかというと、そうでもないのですが。
戦後日本の経済は輸出と内需に支えられていて、時代ごとに「三種の神器」があり庶民の憧れでもありました。
3Cと言われたカー・クーラー・カラーテレビの後は、新たな三種の神器という格付けは無かったものの、各種家電製品が世に送り出されて「ちょっと便利」な生活は当たり前のものになりました。
新しい電化製品が普及すればそれに見合った電力が必要になります。
製品を作り出す工場でも電気は必要になり、発電・製造・消費の関係は縄をなうように歩調を合わせて拡大してきました。
「ちょっと便利」な生活に慣れてしまうと生活スキルの世代間伝承は途絶えてしまいます。
手に職をつける、そんな言葉も使われなくなり、包丁を使えるより学歴と将来の収入が大切になって受験戦争へと流れは向かいます。
生活の中の楽しみはお金とエネルギーに換算され、お金があれば楽しく暮らせると誰もが思う、そんな世の中になりました。

私はそんな考え方は好きではなかったけれど、そうして回っている経済があるからこそ生きて楽しく暮らせているわけで、昔の友人の一言に対する違和感を声高に主張することもできないし、間違っていると言うこともできない。
ただ「ちょっと便利」な生活の代償はとてつもなく大きくて、大震災後に今の自分の立ち位置を多少でも見直そうと考える人が増えてくるかもしれません。

一つだけ、もしもこれから新しい方向に進みだす時には、「不便を我慢する」というマイナスのベクトルで考えるのではなく、「持たない生活の楽しさ」を追求するプラスのベクトルであればいいなと思っています。
いつの時代も人間は楽しみを見つけながら生きていたはずで、ささやかな娯楽を楽しめるのも人間の能力のひとつです。



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