山の神と日本人(佐々木高明著)を読みました。
日本人はどこから来たのか、また、東北に住む人々と西日本では文化的な違いがあると感じるのだけれども、その違いはどの時代からあって、現在どんな痕跡を残しているのかという疑問に、仮説ながらも興味深い話が続く内容でした。
昨年秋に青森市で全国巨木フォーラムが開催された折、三頭木(三つ又の木)の言い伝えが東北には残っているという東北巨木調査研究会の高渕会長の話に、会場から「インドのシバ神の持つトライデント(三つ又の剣)はシバ神の象徴である」という御意見が出て、この二つの関連について述べておられました。
『山の神と日本人』では山の神の信仰観とよく似ている信仰観が、東アジア・東南アジア・南アジアにまで広がっていると焼畑農民の祭りの調査などから説き起こされています。
これほど広い範囲を持つ信仰観は、何かの宗教とともに広まったと考えるより、人類のグレート・ジャーニーの時点ですでにあった信仰観ではないかとも考えられますし、そうであるなら、ささやかに調べていた私の想像にも及ばぬ古い時代の記憶という事になってしまいます。
東北に広く分布する三頭木の言い伝えは、後からヒンドゥ教が伝わったためであると考えるより、同じ信仰観を持つ広い文化圏の中にあるためと考えた方が自然です。
しかし、同じ信仰観を持つ稲作以前の文化が、アジア大陸の東に広くあったというのも、なかなかに壮大な話とも思います。
昨年の全国巨木フォーラムでご意見を述べられた方の内容はこちら。
三頭木または三又の木
まだ定説の無い歴史についてあれこれと思いを馳せる楽しみが歴史にはあって、分からないからこそ面白い。ヒンドゥ教が日本に伝わったのかもしれないし、同じように元々あった信仰観を習合していった修験道とヒンドゥ教は似ているのかもしれない。
答えが無いからこそ、考えることが面白い。
日本人はどこから来たのか、また、東北に住む人々と西日本では文化的な違いがあると感じるのだけれども、その違いはどの時代からあって、現在どんな痕跡を残しているのかという疑問に、仮説ながらも興味深い話が続く内容でした。
昨年秋に青森市で全国巨木フォーラムが開催された折、三頭木(三つ又の木)の言い伝えが東北には残っているという東北巨木調査研究会の高渕会長の話に、会場から「インドのシバ神の持つトライデント(三つ又の剣)はシバ神の象徴である」という御意見が出て、この二つの関連について述べておられました。
『山の神と日本人』では山の神の信仰観とよく似ている信仰観が、東アジア・東南アジア・南アジアにまで広がっていると焼畑農民の祭りの調査などから説き起こされています。
これほど広い範囲を持つ信仰観は、何かの宗教とともに広まったと考えるより、人類のグレート・ジャーニーの時点ですでにあった信仰観ではないかとも考えられますし、そうであるなら、ささやかに調べていた私の想像にも及ばぬ古い時代の記憶という事になってしまいます。
東北に広く分布する三頭木の言い伝えは、後からヒンドゥ教が伝わったためであると考えるより、同じ信仰観を持つ広い文化圏の中にあるためと考えた方が自然です。
しかし、同じ信仰観を持つ稲作以前の文化が、アジア大陸の東に広くあったというのも、なかなかに壮大な話とも思います。
昨年の全国巨木フォーラムでご意見を述べられた方の内容はこちら。
三頭木または三又の木
まだ定説の無い歴史についてあれこれと思いを馳せる楽しみが歴史にはあって、分からないからこそ面白い。ヒンドゥ教が日本に伝わったのかもしれないし、同じように元々あった信仰観を習合していった修験道とヒンドゥ教は似ているのかもしれない。
答えが無いからこそ、考えることが面白い。