横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

城南宮

2009-03-03 08:22:09 | 京都

城南宮拝殿

東寺からさらに南へ行って京都市営地下鉄竹田駅の近くに城南宮がある。
都の南の守護神として創建され、以下の三祭神を祀っている。
国土守護の国常立尊(くにとこたちのみこと)
武勇に秀でた八千矛神(やちほこのかみ)(大国主命)
安産と育児の息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)




本殿、前殿、左右の翼廊が一体となった社殿は城南宮独特の複合建築、総檜造り。

城南宮のある鳥羽の地は交通の要衝にして鴨川を臨む景勝地で貴族たちの別荘地ともなった。
平安時代の末には白河上皇が壮大な離宮(城南離宮、鳥羽離宮)を造営して院政を開始。
歌会や宴、船遊びや競馬(くらべうま)が行われ華麗な王朝文化が花開いた。
白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と4代150年にわたり政治・文化の中心となり副都心の賑わいを見せた。

また熊野詣の際には城南宮に立ち寄り道中の安全を祈り身を清めて出発する慣わしとなり、
方除け・旅行安全の神としての信仰も広がった。

明治維新に際しては薩摩藩が城南宮に陣を構えて鳥羽・伏見の戦いが始まった。





白河上皇は光源氏の大邸宅「六条院」の理想を追って城南離宮の造営に取り組んだといわれ、
城南宮の神苑には源氏物語を彩る百種あまりの植物が植栽されている。
神苑には春の山、平安の庭、室町の庭、桃山の庭、城南離宮の庭などがあり、
四季それぞれの草木や風情を楽しむことができる。

春の山では枝垂れ梅が見頃であったが明日に譲る。




曲水の宴が行われる平安の庭。
歌人たちがせせらぎのほとりに座ると川上の童子が羽觴(うしょう)を流す。
歌人は流れ来るまでに和歌を詠み短冊にしたためて羽觴の盃をとり酒をいただく。
宴の間では白拍子も舞うという優雅な遊びだった。
曲水の宴




枝垂れ柳のやわらかな姿も平安の庭に似つかわしい。


苑路の脇にずーっと生垣のように植えられたゴモジュに花が咲いていた。
スイカズラ科のゴモジュは沖縄方面に自生し、琉球王城の御門樹から名付けられたとも言われる。



春の山には春の七草も植えられていたが、花が咲いていたのはハコベだけだった。



ヤマアイ(トウダイグサ科)の葉は青摺(あおずり)と呼ばれ日本最古の染物だが、
中国からアイ(タデ科)が伝来し濃い藍色に染められるようになると青摺はすたれた。
万葉集に「山藍もち 摺れる衣着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ」とあり、
源氏物語では若菜下に出てくるらしいが確かめていない。