東寺から城南宮までの時間を利用して訪れた京都御苑は京都市の中心部にあり、
東西700m、南北1300mの中に京都御所、大宮御所、仙洞御所などがある。
京都御所は明治遷都まで禁裏と呼ばれ天皇の居所であり、仙洞御所や大宮御所は上皇などの居所であった。
京都御苑には3つの御所のほかに200軒もの宮家や公家の屋敷があったそうだ。
子供のころは玉砂利の広い道と長い塀ばかりの印象であったが、
従兄に連れられて行った弟がセミを捕ってもらったと喜んでいた記憶はある。
きっと終戦後の当時から緑は深かったのだろう。
最近になって環境維持や公園としての整備がきちんと行われているようで、
トンボ池、バッタが原、コオロギの里、出水の小川などと自然を思わせるゾーンが出来ている。
閑院宮邸跡では御所の自然の写真展をやっていて、四季の花や昆虫、鳥など多くを見ることができた。
先ほども触れたように子供のころは玉砂利と塀の記憶しかなく、
このような池があることに初めて気づいた。
ここは五摂家のひとつであった九條邸跡だ。
池のほとりに鳥居が見える。
ここは厳島神社で九条家の鎮守社だったらしい。
広島の厳島神社の分社の一つで、もとは平清盛が勧請したものだという。
この鳥居は中央部分を弓形に盛り上げ、左右になだらかなに流れる破風形が特徴だ。
祭神はつぎの三女神であり、神仏習合により弁財天の神社となった。
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと) 田心姫命(たごりひめのみこと) 湍津姫命(たぎつひめのみこと)
加えて清盛の母の 祇園女御(ぎおんのにょうご)が合祀されている。
御所に関係ないが、城南宮の補足を付け加える。
これは2年前に撮ったヤマアイ
先日の城南宮の記事でヤマアイが源氏物語の若菜下に出ていると書いた。
六条院となった光源氏が住吉参詣をしたときの東遊の舞人の衣裳について
「山藍に摺れる竹の節は、松の緑に見えまがひ・・・」と書かれている。
山藍で摺り出した竹の模様の衣装は、松の緑に見間違えて・・・
ヤマアイを染料としたときの色合いが想像できる。