先日、隣の研究グループが文字通り消滅した。
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こちらの生活にもある程度慣れ、周りの人たちとそれなりに親しくなると、良いことも悪いこともいろいろ聞こえてくるようになってくるもの。
ポジションにもよるらしいが今の職場は、5年か10年の期限で定められたた業績基準を満たして「昇進」しないとクビになるらしい。今回職場を去る人は10年ほど前にポスドクとしてNature誌に論文を出して、主任研究者(PI)としてここにラボを持った人だが、御自身の実力はなく、以前の研究室時代の上司(免疫の世界では誰でも知っている世界的権威)のコネでここにラボを持つことができただけとの陰口をたたかれていた。この手の話は聞いていて気分の良い物ではないのだが、サバイバル競争が激しい分、研究者というのは相当な割合で他人のことが気になる人が多いであろうか。
実は日本だけでなく、アメリカでも陰口や嫉妬はあふれかえっている。
機会は日本に比べると開かれている面(暮らしてみて初めてわかるが実は相当なコネ社会)もあるが、結果は自己責任というのがアメリカ社会の一つの側面なのだろう。
大学教育でもこの方式が当てはまるらしい。有名大学への入学は人物評価も加味され日本ほど細かい知識を要求しないらしいが、大学在学中は相当勉強しないと卒業できないとこちらの人は口をそろえて言う。大学「入学」よりも、「卒業」が自身と誇りになるそうだ。
大学医学部に進学しても、教官から適性がないと判断されれば、「君は医者に向いていないからやめたほうがいい。」と、他の学部、分野に進路を変更するように勧められることは決して珍しいことではないと聞く。日本の医学部には、少々問題があっても、「こいつは会社では勤まらないから、医学部でなんとか一生面倒見てやらないといけない。」などという「博愛精神!?」「やさしさ!?」があると思う。私も、相当個性的で学生時代は羽目を外したこともあったので、アメリカに生まれてきたら、医者には向いていないとダメ出しをくらっていたであろう。(苦笑) 広島で開業している「悪友」かついまや「人生の恩人」の同級生もアメリカなら医者にはなれていなかったかもしれない。アメリカにかかわらず、以前よりしっかりした今の日本の医学部のカリキュラムでも無理じゃない、との厳しいツッコミが聞こえてきそう。失礼しました。