スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

「どうする家康」大河ドラマ館

2023-09-29 11:31:41 | イベント

現在、NHKで放映中の大河ドラマ「どうする家康」のドラマ館が岡崎城内の岡崎公園に作られている。

出演者による徳川家、織田家、今川家、武田家などの人物関係図

主役家康役の松本潤くんが着た衣装

次は本多忠勝役の山田裕貴くんの等身大パネル

有村架純ちゃんの瀬名役のパネル

豊栄している映像をみているので”そうそう””うんうん”と「どうする家康」の世界に入っていける。

シアターやLEDウォールを駆使して、この岡崎城で家康が生まれて6才までと、19才~29才まで過ごし、

乱世を戦い抜いてついに天下統一を果たす天下人の一生が上手に描かれている。

今回のドラマは古沢良太氏が、弱小国のか弱きプリンス、後の家康が泣き虫で決断力もなく、争いごとも嫌いな、

弱い武将として描き囲りの家臣団に助けられ「弱さ」という個性を強みに生きていくと描いている。

今までにない家康像が大河ドラマになっているがこの秋、後半戦 戦乱のない天下泰平をこのまま「どうする?」でどう実現していくか楽しみである。

家康像のからくり人形が30分毎に謡いとともに能を舞っている。


夏の風物誌 盆踊り

2023-08-31 06:09:09 | イベント

さいたま市緑区にある大在家自治会の夏祭りに行ってきました。

(スミダマンの地元です)

場所はみずほ幼稚園の園庭をお借りしています。

コロナのため休んでいましたが、4年ぶりに子供のために子供御輿をひく、

盆踊り、ゲーム大会、夜店を自治会が開きました。

自治会の皆さんに感謝です。

大人の御輿は今年も残念ながら高齢化のためできません。

(150人もの人数を集めるのが難しいと聞いた)

なかなか立派な子供御輿です。

スミダの提灯も見えますね。

暑い中、大勢の子供たちが実は担ぐのではなく引っぱって街の中を練り歩いてくれました。

楽しい夏休みの思い出になったかな?

夜店の定番、やきそば、バナナチョコ、串焼、射的など、

薄暗くなった夕闇には、何だか買いたくなりますね。

浦和踊り、東京音頭、次々、元気よくたたいてくれる太鼓。

それにつられて老いも子供も踊ります。

参考に盆踊りの起源は平安時代中期!!

当時活躍していた僧侶により「節に合わせて念仏を唱える」という思考が広まり、

念仏に合わせて踊るようになったことが盆踊り誕生のきっかけと言われています。

この時はまだ「念仏踊り」と呼ばれており、

これが先祖を供養する盂蘭盆会(うらぼんえ)と結びついたことで盆踊りとして確立しました。

最後になりましたが、後ろに見える三角屋根の園舎はスミダマンが20年ほど前に建築しました。

ちなみに大在家自治会の会長さんは当みずほ幼稚園の理事長さんで、スミダマンの幼な友達です。


邦楽同好会お浚い会 IN 祇園

2023-07-18 06:11:06 | イベント

今回の旅のメインイベントは浦和東ロータリークラブが誇る邦楽同好会のお浚い会。

今までに熱海(2019-3-11付参照)、神楽坂(2022-6-6付参照)に続いて

とうとう一見さんお断りの歴史的お茶屋さん祇園「一力亭」で

華々しく開催することになりました。

とうとう来るべきところまで来たかという感を強く持ちました。

会場の一力亭。

祇園の中でも最も格式の高い由緒のあるお茶屋さんで、

花街祇園甲部のお茶屋のシンボル的存在。

弁柄色の界壁の風情が絶対的存在感をアピールしている。

祇園甲部の数あるお茶屋でもこのような広い部屋があるのは

一力亭ともう1つだけと聞いた。

これから始まるお浚い会の前に皆さん緊張しながらその雰囲気を味わっている出演者の皆様。

今回わざわざ東京から三味線で来ていただいた東音の2人の女性と貴音の由多加先生。

東音とは東京芸術大学邦楽科を卒業したOGの方々。

実はこの方のお力で一見さんお断りの超有名茶屋一力亭でこのような席を設けることができた。

貴音由多加さんは長唄の人間国宝で日本芸術院賞受賞の宮田哲男(東京藝術大学元教授)の長男。

現在祇園で定期的に芸舞妓に長唄、三味線を教えている。

そしてこの方が浦和東ロータリークラブ邦楽同好会を約40年間という長きの間、

長唄を指導してくれたH先生。(貴音ひろみ)

先生も東京芸術大の卒業で人間国宝の宮田哲男先生の教え子で愛弟子。

一番バッターの4名のメンバー。

男性3名のお揃いの着物は正絹の素敵なユニフォームだ。

演目は「供奴」。

「仕て来いな やっちゃ仕て来い 今夜の御供・・・」

こちらは2番手の女性3人組。

こちらもお揃いの浴衣がよく似合う。

演目は「菖蒲浴衣」。

どうやら長唄の演題に合わせて浴衣を誂えたようだ。

こちらの女性は唯一、三味線で出演した方。

演目は「都鳥」。

後で聞いた秘話だがこの三味線は浦和のベテランの芸者からいただいたものだとか。

4組目となるとベテランの方々の出番となる。

曲名は「新曲浦島」。

ちなみに本職は設計の先生と弁護士さんだ。

こちらは同好会メンバーではないが皆、長唄が大好きで真剣勝負をしていた。

曲名は「官女」。

ちなみに1人はH先生の妹さん、1人は設計家の奥さん、そして最後の1人はスミダマンの…。

一番後ろからパチリ。

曲名は「都風流」。

こうして曲名を見ていくと京の都を意識した選曲をしたのか?ふとそう思えてきた。

だとすれば本当に粋なことだ。

この男性陣がシンガリのグループ、勘と度胸の「勧進帳」。

長唄のレベルは別として夢のような時間を有難うございました。

頂点の一力亭でゴールかと思いましたが、

噂では懲りずに金沢東茶屋でまた芸者を揚げてやるみたい。

結構毛だらけ猫灰だらけです。


さいしんビジネスフェア2023

2023-06-28 06:04:14 | イベント

https://saishin-bizfair.jp

「さいしんビジネスフェア」はしんきんの絆によるネットワークのもと

ビジネス展示商談会として2015年より開催している。

主催は埼玉縣信用金庫。

特別協賛として川口信用金庫、青木信用金庫、飯能信用金庫

会場はJRさいたま新都心駅近のさいたまスーパーアリーナ(コミュニティーアリーナ)。

2023のテーマは「日本一暮らしやすい埼玉」の実現に向け、産業と文化を融合した展示商談会となっている。

向かって右側が「さいしんゾーン」「健康・医療・公共・教育・支援関係」「卸・小売・運輸・サービス」「DX・EX関連」「金属・機械・部品加工」のエリア

左側が「DX・GXゾーン」「物産・物販エリア(食品関連)(物品販売)」「その他の分野」「さいしんわくわくキッチン」のエリアに成っている。

さいたまの中小企業力(そこぢから)

優れた技術や魅力ある製品・商品が勢ぞろいして埼玉県内外より約230者が出展している。

入場は無料だ。

さいしんゾーンには埼玉縣信用金庫が応援しているサッカーJ1の浦和レッズとラグビー埼玉パナソニックワイルドナイツのブースもあった。

又、主催者の埼玉縣信用金庫の歴史、歩みのコーナーもあり、

昔お世話に成った懐かしい理事長さん達の写真も展示されてあった。

このビジネスフェアはリアルとオンラインのハイブリッドビジネス展示・商談会に成っているが、この日はリアル会場の日でメインステージでは一日様々なプログラムが企画されていた。

ちょうどステージを覗いた時はビビる大木氏とゴルゴ松本氏のJ:COM製作番組「埼玉の逆襲」公開収録の時であった。

最近特にゴルゴ松本氏とは縁があって個人的に色紙サインももらったっけ!

こちらは食品関係の物産・物販エリアコーナーの風景。

そしてさいしんわくわくキッチンコーナー。

赤いハッピを着ている人達が埼信の職員の皆さん。

なかには「ほんとのインド料理とカレーの店」のように列ができるブースもある。

その中で特別目立った女性が居た。

よく見るとこいのぼりを纏たコスプレ姿だった。

今回のビジネスフェアに参加したのは埼信浦和信和

浦和信和会の会長の会社「渡辺製作所」さんのブースにもちょっと顔を出してきた。


2023 葵祭

2023-06-01 06:01:06 | イベント

京都三大祭りの一つ、勅祭葵祭 路頭の儀(行列)を見に京都に行って来ました。

新型コロナの影響で3年間中止になっていたが4年振りで開催が決定。

あいにく5月15日(月)の路頭の儀は天候不順の為、翌日順延に成ってしまいました。

又、この日はTVなどで報道されましたが、上皇ご夫妻も初めて葵祭をご覧になりました。

これが今年の葵祭のポスター。

「源氏物語の世界が都大路を進む4年ぶりの路頭の儀」

路頭の儀(行列)の観覧席は今回チケットが取れた京都御苑内と下鴨神社参道に設けられている。

昨年の祇園祭の教訓から今回は最前列の席をゲットするために知人の家族まで参画して申込みをした。

〆切時間を過ぎてすぐ売切れになったプラチナチケット。

大変ご苦労をおかけいたしました。

前述した様に上皇ご夫妻が来られた為か、警察の警備は大変ものものしいものがあった。

行列は建札門から出発。

堺町御門から丸太町通りに出る。

その御所門最後の

コーナーの所にはマスコミ関係の取材エリアが設けられ、事前準備に追われていた。

たまたま話をしたこのチームは地元TV局KBS京都のクルー。

関東エリアではBS11でレギュラー化している。

御所内には所々テントが張られ、飲み物コーナー、みあげ品コーナーなど設けられていた。

こちらが観覧席の受付。

席は10ブロックに分けられ、約7000席用意されたようだ。

最前列の席(4500円)からスタート地点の建札門方面を臨む。

右奥の白いテントが上皇ご夫妻が御覧になる葵祭ロイヤルシート。

この日は本当に素晴しい天気に成り、少し暑い位の陽気だった。

午前10:30出発。

その前に警察騎馬隊の行進があった。

御所の警備は普段皇宮警察の担当だが、この人達は?

それでは葵祭路頭の儀が始まった。

今回は写真集的にアップいたします。

路頭の儀は総勢511名、馬36頭、牛4頭、牛車2基の行列が平安朝貴族そのままの姿で京都市内を巡行する。

第一列(検非違使・山城使など)、第二列(馬寮便・牛車など)、第三列(舞人・近衛使代など)、

第四列(陪従・円蔵便など)からなる本列に斎王代列が続く。

毎年5月15日に行なわれる葵祭は賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)

の例祭で、祇園祭・時代祭とともに京都三大祭に数えられている。

古くは賀茂祭、また北の祭とも称せられ、平安中期の宮廷の間では単に”まつり”といえば

この葵祭のことであるといわれるほど有名であった。

平安時代以来、国家的な行事として行われたことで、わが国の祭の中でも、

数少ない王朝風俗の優雅な伝統がしのばれる。

祭の起源は、今から約1500年前欽明天皇(在位539~571)の頃、

凶作が続いたため、賀茂皇大神の崇敬者であったト部伊吉若日子を勅使として、

4月中酉の日に馬に鈴をつけ、人に猪頭をかぶらせてこれを走らせ祭礼を行ったところ、

風雨はやみ五穀は豊かにみのり国民も安泰になったことに由来する。

ここで気に成った被写体のアップをご紹介しましょう。

この方は本列の「乗尻」。

行列を先導する騎馬隊で上賀茂神社の競馬会の騎子。

競争相手の為左方と右方で衣装が違う。

頭に飾られている葵はフタバアオイで、毎年両神社から御所に納められている。

検非違便庁の「検非違使志」。

警察、裁判を司る人。

この白馬のたてがみは切り揃えられていて本当に美しいのでびっくりした。

足元に目を向けると平安時代の履物は草鞋だ。

こちらは馬に乗った方の履物をパチリ。

草鞋ではない。

この行列には多くの年配者も参加していた。

この日は素晴しい晴天になり、暑い日射しの中をここ御所から下鴨神社、上賀茂神社まで

馴れない草履で約5時間をかけて歩く。

大変なことだ。

葵祭の様子は「源氏物語」や「枕草子」にも描かれており、近衛使として葵祭に奉仕する光源氏を一目見ようとした、

妻、葵の上と六条御息所との車争いの場面がよく知られている。

この方がどうやら行列中最高位の「近衛便代」(勅使)のようだ。

天皇の御使で現在は宮内庁の掌典がつとめる。

こちらは子供達の行列。

とてもかわいらしいですね。

大きな傘に紺布を張り、これに錦の帽額総などをかけわたし、上にさまざまの造花を盛った「風流傘」

本列に続いて斎王代を中心とした女人の列が続く。

「命婦」といって内待司の中級の女官で小袿、単、打袴を装い、花笠をさしかける。

ここでもう一度、葵祭の歴史を振り返ってみると、葵祭も時代とともに盛衰があった。

明治17年(1884年)、旧儀に再興され、祭日も5月15日と定められた。

賀茂祭が広く葵祭と称されるようになったのは、江戸時代の元禄7年(1694)の再興以降のことと

思われ、路頭の儀(行列)当日に内裏農殿の御簾をはじめ、御所車、勅使、供奉者の衣冠、馬に

いたるまですべての葵の葉でかざるところからこの名があるとされる。

いよいよ最後の列、「斎王代列」の登場だ。

斎王というのは平安時代に内親王が選ばれて祭に奉仕したもので、

現在は在京の未婚女性から選ばれ斎王代と呼ばれる。

今年の斎王代に選ばれた美女は京都府医師会の御嬢さんだとか。

なぜかこの後に馬に乗って来た女官の2人はちょっとボリューム感のある女性で逆にとても新鮮に見えてしまった。

こちらは女官の後姿、

とても優雅で風情いっぱいの風景です。

俗に御所車と云われ、平安朝以来乗用車として用いられていたもので、

これは勅使の乗用として用いられたものだ。

天候不順により翌日(5月17日)に順延された路頭の儀を見ようとほとんど空席もなく

京都御所に設けられた約7000席の観覧席で約40分間の夢のような王朝絵巻を充分堪能することができた。

新ためて1200年の都 京都はすごい所だと感じいってしまった。

 

 

 


浦和競馬場はくぼ照明点灯式

2023-05-23 06:16:29 | イベント

https://www.urawa-keiba.jp/

去る3月20日(月)、浦和競馬場にナイター施設が完成し、「はくぼ照明点灯式」が行なわれた。

当社からは北門からが近く見えるスタンドは3号スタンド。

ちょうど桜の咲いている時期であった。

現在浦和競馬場は次々と施設整備が進んでおり、3号スタンドの隣りには非常用発電機棟の施工が始まった

その仮囲いにはご覧の様なフォトギャラリーが設けられている。

とてもよいアイディア

平成3年に施工した3号スタンドの指定席から大型モニタービジョンを臨む。

ここで浦和競馬の経営理念を紹介しましょう。

1.魅力ある番組編成と強い馬、人気のある競走馬の育成強化を図る。

2.競馬ファンを大切にし、一層のファンサービスに努める。

3.地域との連携・共栄を図り、地域の振興に積極的に貢献する。

4.集客施設としてのにぎわいの創出と様々な話題や情報を発信する。

5.持続的に構成団体へ配分金を拠出する。

昼間の浦和競馬場のコースの全景。

馬場1周1200M左回り平坦のダートコースのみ直線4コーナーからゴール前まで220M、コース幅16M(向正面)、21.5M(正面)

最大出走頭数(フルゲート)1400M 1500M 2000Mは12頭、それ以外は11頭。

競馬場の真ん中には藤右衛門川が流れ、遊水池がある。

これが平成27年に竣工した新大型ビジョン愛称は「浦和ビクトリービジョン」

3号スタンドの指定席はすべてのテーブル席にご覧のようにパソコンが設置されており

これですべて勝馬投票券も買えるようだ。

全く昔のゴチャゴチャしたイメージとは変わってしまっていた。

こちらはVIP席コーナー。

競馬場とは思えない高級感があり、変な先入観がこれを見て吹き飛んでしまった。

ダートコースを次のレースに合せてならし整備をしている。

隣りにはヘリポートもある。

いよいよ日が落ちて来て薄暮状態に成ってきた(PM17:53)

いよいよウイナーズサークルにおいて大野埼玉県知事、清水さいたま市長参列のもと「はくぼ照明」の点灯式が行なわれた。

照明柱は鉄筋コンクリート造(杭基礎)高さ18M(一部20M)×40本、照明器具はLED照明(岩崎電気製)223台。

工事費は約11億円で当社も施工に参画し当日感謝状をいただいた。

LED照明設備の特徴として

①18Mの高さから真下を照らし、場外への光漏れを抑制。

➁LED照明に庶光板を取付け、場外への光をカット。

③LED照明に光分散レンズを取付け、ギラつき感を軽減。

これによりコース上の明るさは走路センターラインまで530ルクス程度。

外周フェンスの外側は10ルクス程度と成る。

素晴しい!

競馬の売上金のうち70~80%がファンに払い戻される。

残り約25%から競馬を開催するための費用や賞金等の経費をのぞいた額が主催者の競馬収益金となり、

この収益金から構成団体である埼玉県とさいたま市へ配分金を拠出している。

又、この他に地方競馬全国協会(NAR)への交付金と地方公共団体金融機構への納付金制度等があり、

これらの団体を通じても浦和競馬の収益は社会に還元されている。

 

 


杉本博司ギャラリー 時の回廊

2023-04-14 06:08:44 | イベント

ベネッセハウスは現代アートの展示スペースとホテル機能を備えた施設として

作品と向かい合いながら自身との対話の中で大切な時間を過ごせる場を提供している。

1階フロント横の階段を地下に降りていくと「杉本博司ギャラリー 時の回廊」がある。

日本の写真家、現代美術作家、建築家、演出家、文化功労者である杉本博司は1948年2月23日生東京出身。

ジオラムシリーズ以降海景・・・世界中の水平線を写した。

個人の存在を超えた時間の積み重なりや流れをとらえるためのコンセプトや方法を模索している。

また、氏は昔、東海道線の列車から初めて海を見た際に、

水平線の鋭さに衝撃を受けこの水平線を数万年前の人と同じように見ていることに思いをはせたという。

美術館の中に設けられた「作品に一番近い」ホテルだからこそ体験できる朝と夜の美術館。

時間帯によって印象が変わる作品を心ゆくまで鑑賞できる。

暖炉のある部屋に展示してある杉本博司の作品。

グリーンとブルーの地平線の写真。

このテーマをどこまでも追い求めている。

建物は外に向かって大きく開かれた構造を持ち瀬戸内海そして季節により沈む夕日が一望できる。

室内に居ても常に自然を感じることができる所だ。

杉本博司の庭園ギャラリー昼と夜の顔。

「時の回廊」とは建築空間や自然環境を回遊し体験することを促す安藤建築の特徴や

杉本博司が追求し続ける時間に対する問い、

そして彼らの長年にわたる直島との関係性などを反映し、

鑑賞者に自然の変化や壮大な時間の流れの体感、

歴史を生きることについての思索を巡らせてもらうことを意図するものだとか。

ベネッセハウスミュージアムの室外の素敵な打ち放し空間には杉本博司が30年以上に亘り

ライフワークとしている「海景」シリーズが並べられて展示してある。

大型カメラを用い日本をはじめ世界各地の海をモノクロ表現にこだわって製作された作品は

厳密なコンセプトと哲学に基づいて作られている。


さいたま市 秋の交通安全出発式

2022-11-07 06:30:50 | イベント

9月15日(木)浦和駅東口駅前のPARCOの10階にある

さいたま市浦和コミュニティセンター多目的ホールで

秋の交通安全出発式行われた。

今年の浦和警察署の一日所長は、お笑いコンビのTIMが務めた。

前半の出発式式典セレモニーでは、さいたま市長、浦和警察署長、

さいたま市議会議長の挨拶の後「TIM」のお2人で交通安全宣言を行った。

TIMのゴルゴ松本の人文字で有名な「命」は人の命、

交通事故の撲滅をすごくわかりやすく、瞬時にしかも迫力を持って訴えた。

お笑いコンビのTIMはゴルゴ松本とレッド吉田の2人で、

日本テレビ「有吉ゼミ」等に出演し、

その他にはYouTubeやボランティア活動などで活躍。

子どもお年寄りまで幅広い世代に人気のあるお笑いコンビだ。

この人文字は何でしょう?

そうです、この出発式を祝福する「祝」の文字です。

式典とTIMによる交通安全ステージを終え、

その後外に出て浦和駅周辺で交通安全キャンペーンを行った。

このキャンペーンには多くの交通安全関係団体の方々をはじめ、

取材のために多くのマスコミ・メディアの方々も来ていた。

この啓発活動を盛り上げるために今年春、浦和警察署に寄贈したポッポ君、

そして後からさいたま市のイメージキャラクター「つなが竜」も応援に駆けつけてくれた。

多くの市民の方が思わず立ち止まり、

交通安全の啓発グッズを受け取っていた。

ちなみに9月14日時点でのさいたま市内の

人身事故は1,980件(前年比39件減)、死亡事故は6人(同2人減)。

そのうち1,248件が脇見運転が原因で全体の63.2%を占めている。

交通安全キャンペーンの啓発運動に大活躍であったお笑いコンビ「TIM」の

ゴルゴ松本とレッド吉田の周りには多くの人垣ができていた。

 


祇園祭 八坂御輿渡御編

2022-09-28 05:58:38 | イベント

昨年の祇園祭神幸祭は神事だけ行われました。

(2021-8-7付ブログ参照)

この建物は京都を代表するものの1つで、八坂神社の西楼門(重要文化財)。

実際の正門は南楼門だが、あまりにも有名な門なので正門と思われていることが多い。

祇園祭はここ八坂神社(祇園社)の祭礼で、

一般的には山鉾町が主催する行事(山鉾巡行)が祇園祭と認識されることが多いが、

八坂神社主催の神事「神輿渡御」があくまでもメインの日本三大祭、京都三大祭の1つだ。

この時間は午後4時だというのに既に階段のところでは

3年振りの神幸祭を見ようと多勢の人々がその時を待っていた。

祇園祭 八坂御輿渡御編①

そうこうしていたら祇園交差点に東御座御輿を担当している四若神輿会の皆さんが

「ホイット ホイット」の掛け声も勇ましく堂々と正門に向かって行進していった。

こちらは北門のところで神事が始まるのを

今か今かと待っている中御座御輿を担当する三若神輿会の面々の方々。

もう既に熱気を感じる。

3基の御輿が安置されている舞殿の周りには神幸祭の関係者、

一般の人達が取り囲んで3年振りの御輿渡御の神事を待っている。

祭の前の静けさがヒシヒシと伝わってきた。

7月1日の「吉符入」に始まり、7月31日の「疫神社夏越祭」で幕を閉じる。

京都中心部で1ヶ月にわたって開催される祇園祭は基本的には

雨天・荒天でも決行されるが、過去に中止になったことが4回だけあった。

応仁の乱、太平洋戦争、阪急電車の地下工事そして今回のコロナ禍である。

そんな祇園祭1160年の歴史はすごい重みを改めて感じてしまう。

祇園祭 八坂御輿渡御編②

最初に舞殿から担ぎ出されたのが三若神輿会の中御座御輿。

この御輿には八坂神社の主祭神スサノヲノミコトの御霊が乗せられている。

中御座の神輿の屋根の形は六角形で3基とも違うが屋根飾りはともに鳳凰である。

三若の人達は約500名で担当する。

神輿渡御は神様を載せた重要な神事であるため、

当然八坂の神宮は大勢参列して御旅所まで渡御する。

神輿が境内から御旅所へ向かうのが「神幸祭(前祭)」、

御旅所から境内へ戻るのが「還幸祭」で雅なイメージが強い京都の街だが、

2階の神輿渡御は勇壮な行事で京都の意外な一面が見られる。

祇園祭 八坂御輿渡御編③

次に舞殿を出て境内を1周し本殿の前で担ぎ上げるのが東御座御輿。

屋根の形は四角でクシイナダヒメノミコトが祀られている。

この御輿は四若神輿会約450名がご奉仕している。

1枚目の写真から約1時間半が経過。

西楼門前の階段には八坂神社から出てきた3基の神輿を見ようと大変な人混みになっていた。

何せ3年振りの渡御ですから観衆の人達の熱気もすごい。

八坂の神宮の皆さんも東大路通から四条通に向かい、いよいよ御旅所に向かう。

これを見ても山鉾巡行とちがい神事だということがよくわかる。

沿道の大変な人出だ。

祇園祭 八坂御輿渡御編④

いよいよ祇園交差点に中御座御輿が登場。

「ホイット ホイット」の一種独特の掛け声。

そして「上げろ 上げろ」「まわせ まわせ」迫力。

色々書くよりも動画を見てその空気を楽しんでください。

そして三若会の長老。

NHKで放映されたノーナレ「祇園の神さん」の中で紹介されたスナックの大将。

祇園祭がずーっと人生で命と涙ながらに語っていた大将が

この日も元気で参加していたのを発見。

思わずシャッターを押した。

これ正直感動です!

祇園祭 八坂御輿渡御編⑤

続いて登場したのが四若会がご奉仕している東御座神輿。

もうこの頃は祇園交差点は熱気ムンムン最高潮だ。

祇園祭 八坂御輿渡御編⑥

今回この西御座神輿の紹介が少なくなってしまったのが残念だ。

この神輿は形が八角形で重さが約2トンと3基の中で一番重く、

ヤハシラノミコガミが乗っている。

約600名ほどの錦神輿会の人達がご奉仕している。

その中心的人達は錦市場の人々。

幾多の苦難を乗り越えてきた錦市場の人々の結束はものすごく強いと以前TVで報じられていた。

そんな市場気質(かたぎ)があるのか、一番荒々しく勢いを感じて

その迫力に引き込まれてしまった。

やはり祇園祭はこの御輿渡御を見なければ本当の祭の真髄はわからない。

神幸祭の翌日どうしても気になって3基の神輿が納められた「御旅所」まで行ってみた。

八坂神社の御旅所は古くは大政所御旅所と少将井御旅所の2ヶ所があったが、

1591年(天正19年)に豊臣秀吉の命により四条京極1ヶ所に移転した。

1912年(明治45年)四条通り拡幅に伴い現在の姿になった。

この御旅所は普段は京都土産処「Otabi Kyoto おたびきょうと」として使われているということで

神幸祭の7月17日から還幸祭の7月24日の1週間は

八坂神社の神様は御旅所にいて神社にはいなくなる。

 

 


祇園祭 山鉾巡行編

2022-09-13 06:28:17 | イベント

1ヶ月にわたり、さまざまな行事が行われる祇園祭のハイライトといえばやはり山鉾巡行だ。

17日の前祭(さきまつり)では、生稚児が乗る長刀鉾を先頭に23基の山鉾が都大路を巡行。

多くの人々の願いと期待を背負った3年振りとなる山鉾巡行が始まる。

巡行の朝を迎えた新町通りと出発準備に追われる放下鉾。

何か祭りが始まる前の心の高まりを感じ、

秘かなワクワク・ドキドキ感を勝手に楽しんでしまう。

大規模改修が終わった京都市役所前の広場に設置された警備本部のテント。

このお祭りを陰日向で支える人々がかなり大勢いるのだろうとこのテントを見て推察してしまった。

午前9:30河原町御池の交差点も車両交通止の規制が入った。

警察も機動隊が投入されている。

この交差点では2回目の辻回しが行われる見せ場のところで、すでに大勢の人が陣取りをしていた。

御池通の寺町通から新町通の間に設置された有料観覧席は先祭で10,000席。

その半分は一般販売で発売日の受付開始からわずか1~2分で売り切れてしまった。

購入できた観覧席の斜め前は京都和風旅館で有名な柊屋(ひいらぎや)さん。

この前の道は規制線ができると案外穴場になるナと思った。

今回心配した天気は当日ご覧のように夏の空、

入道雲がモクモクして祇園祭ならではの天候になった。

但し京都の夏の暑さは格別だ。

観覧席の前のビルはレジテンス系のビルのようで

硝子窓越しに各家から多くの人が山鉾巡行を見下ろしていた。

ここは冷房完備の特等席だ。

祇園祭山鉾巡行①

毎年「くじ取らず」として必ず巡行の先頭を行く「長刀鉾(なぎなたほこ)」。

現在、生稚児(いきちご)が乗る唯一の鉾であり「しめ縄切り」で山鉾が神域に入る。

鉾頭にかざした伝・三条宗近作の長刀(現在は複製)は疫病邪悪を払いながら進む。

長刀は刃が八坂神社と御所の方には向かないように取り付けている。

2番目の巡行は「孟宗山(もうそうやま)」。

中国の史話「二十四孝」に登場する孟宗が病気の母の好物である筍を、

雪の中探し回り、ついに掘り当てて母を喜ばせたことを題材とした山。

見送の白綴地に墨一色で描かれた竹内栖鳳筆の「孟宗竹林図」は

極彩色豊かな山鉾の中では異色。

明治初年まで「花盗人山(はなぬすびとやま)」と呼ばれ、

平井保昌が和泉式部のために紫宸殿の前の紅梅を手折ってくる姿を

あらわしている「保昌山(ほうしょうやま)」。

山の故事に因み宵山には縁結びのお守りが授与される。

前懸と同懸は円山応拳下絵の逸品として有名だ。

貧困のあまり母と子を養うことができず、思い余って我が子を山へ埋め捨てようとしたところ、

黄金の釜を掘り当て母親孝行をしたという中国の史話「二十四孝」の一人である

郭巨の故事を題材にした「郭巨山(かっきょやま)」。

乳隠しという胴懸を吊るす飾り板と日覆い障子の屋根が特徴。

「函谷鉾」の名前は中国戦国時代、斉の孟嘗君(もうしょうくん)が秦の国を逃れ、

函谷関(かんこくかん)に着いたが、この関は早朝の鶏の鳴き声で開く規定なので

家来に鳴き声をまねさせたところ、本物の鶏が和して鳴いたため、

門が開き見事通り抜けたという故事による。

前懸は重要文化財。

山上は唐の詩人白楽天(白の狩衣姿)が道林禅師(紫衣に鴨子姿の僧)に

仏法の大意を問う場面の「白楽天山」。

前懸はトロイ戦争の場面を表した16世紀ベルギー製毛綴。

見送は18世紀フランス製のゴブラン織と山鹿清華作「北京万寿山図」の毛織綿。

昭和60年、117年ぶりに再興され巡行に復帰した「四条傘鉾」。

傘の上に御幣と若松を飾るのが特徴で、応仁の乱以来の傘鉾の原形を伝える。

昭和63年、滋賀県甲賀市の瀧樹神社で室町時代から伝わる「ケンケト踊り」を参考に

踊りと囃子が再現され完全復興した。

古くから町内の風早家に祀られていた天神を勧請してつくられた山。

油小路通にあることから「油天神山」と呼ばれている。

天神さんと深い関係のある紅梅の枝を立て、鈴をつける立派な朱塗りの鳥居が特徴。

見送は梅原龍三郎原画の「朝陽図」綴織。

スミダマンの観覧席の近くのところでは鉾山が通ると

なにやら各山鉾の人達が差し入れ物を取りに来る。

何を差し入れているのか?

暑いので飲み水かしら(?)

祇園祭山鉾巡行②

この「月鉾」は鉾頭に新月型(みかづき)をつけ、

真木の「天王座」には月読尊(つくよみのみこと)を祀る。

屋根裏の草花図は円山応拳筆、天井の「源氏五十四帖扇面散図」は岩城九右衛門筆、

前懸のメダリオン絨毯は17世紀インド製、

蟇股(かえるまた)の彫刻は左甚五郎作といわれている。

破風・軒桁・四本柱の錺金具なども華麗。

祇園祭山鉾巡行③

「蟷螂山(とうろうやま)」は「かまきり山」とも呼ばれている。

かまきりの羽や鎌が動くなど祇園祭では唯一のからくり山。

中国の故事を題材にした山。

前懸、胴懸、見送の色彩豊かな友禅染は友禅作家・羽田登喜男の作品。

「山伏山(やまぶしやま)」の御神体の山伏人形は八坂の塔が傾いた時、

法力によってなおしたという浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)の大峯入りの姿を表している。

前懸、胴懸の中央に飾り房がついているのが特徴。

永正年間、京都に大火があった時、季節外れの霰が降り、猛火がおさまった。

その時、霰とともに小さな天神像が降りてきて祀ったのが霰天神山の起こり。

欄縁上に朱塗りの極色彩の透塀をめぐらし、春日造の社殿を安置。

前懸は16世紀ベルギー製の毛綴で「イーリアス物語」が描かれている。

祇園祭山鉾巡行④

「史記」に記された古代中国の聖人堯の治世で天下がよく治まって太平が続き、

訴訟用の太鼓に用がなくなり、鶏が巣を作ったという故事を題材にした「鶏鉾(にわとりほこ)」。

松村景文ら四条派による水引とトロイの王子と妻子の別れを描いた

16世紀ベルギー製の見送(重要文化財)は必見。

世阿弥作の謡曲「木賊」を題材にした「木賊山(とくさやま)」。

わが子を人にさらわれた翁が信濃国の園原で木賊を刈る様をあらわす。

祇園祭山鉾巡行⑤

鉾の古い形態である傘鉾の1つである「綾傘鉾(あやがさほこ)」。

大きな傘と棒振り囃子の行列で構成される。

棒振り囃子とは赤熊をかぶった棒振りが鉦、太鼓、笛に合わせて踊るもの。

6人の公家風装東をまとった稚児も巡行。

垂がりは人間国宝・森口華弘氏寄贈の友禅染。

神功皇后(じんぐうこうごう)が外征に際し、肥前国松浦郡玉島川で鮎を釣って戦勝の兆としたという。

日本書紀の話を題材にした「占出山(うらでやま)」。

神功皇后は安産の神として祀られ、占出山の巡行のくじ順が早いとその年はお産が軽いといわれている。

日本三景を描いた前懸・胴懸などが特徴。

巡行が始まってほぼ1時間半が経過し炎天下の中、

日陰もなくなり前の方の観客の方々が帰る人が増えてきたので

一番前に移動して巡行写真を撮った。

そこには5~6列目とは全然違う風景が拡がり、

よりリアルな写真を撮ることができた。

町内にあった菊水井にちなんで名付けられた「菊水鉾」。

鉾頭には金色で透かし彫の菊花をつけている。

稚児人形は謡曲を題材にし、魏の文帝の勅使が薬水を求めて

山に入った時に出会った菊の露を飲んで700年生き続けた少年枕慈童をあらわしている。

唐破風造りの屋根が特徴。

一番前の席に座ると色々おもしろいアングルの写真が撮れたのでアップしました。

この菊水鉾のところにはどこの局メディアだかわからないが

カメラマンクルーが付いてカメラをまわしていた。

貧しさのために夫婦は離別した後、妻は都で宮仕えをし、別れた夫を探したところ、

落ちぶれて芦を売る夫と再会できたという謡曲「芦刈」を

題材にした「芦刈山(あしかりやま)」。

天文6年、康運作の墨書銘がある御神体人形や御神体衣装(重要文化財)は山鉾最古級である。

よくよく見ると山鉾巡行の中に外国人が参加しているのを見る。

以前TVで見たが祇園祭にやたら詳しいカナダ人がいたが、

この人達も祭にどっぷりハマっているのだろう。

この芦刈山の参加者から後ろを見なさいとの指示があったので振り返ったら、

長刀鉾の生稚児が台に乗って行進していた。

今年の生稚児は老舗呉服店のおぼっちゃんでした。

またまた御池通を巡行する山鉾全景写真。

一番前列は良いアングルの写真が撮れる。

中国・周の時代、琴の名人伯牙が自分の琴を理解してくれた鐘子期の死を聞いて、

その琴の絃を切ったという故事を題材にした「伯牙山(はくがやま)」。

今度は人の表情、姿などに焦点を合わせた写真をアップ。

聖徳太子を祀る山で、四天王寺を建立する際、自ら良材を求めて山に入り、

老人に大杉の霊木を教えられた六角堂を建てたという伝説を題材にした「太子山(たいしやま)」。

他の山はいずれも松を立てているが、この山のみが杉を立てている。

祇園祭山鉾巡行⑥

今朝準備段階の「放火鉾(ほうかほこ)」がラスト3番前で目の前に来た。

また、望遠レンズで河原町御池交差点での辻回し風景も撮ってみた。

放火鉾は真木の「天王座」に放下僧の像を祀り、

鉾頭は日・月・星の3つの光が下界を照らす形をしている。

操り稚児人形は「三光丸」と命名。

この鉾とホテルが近かったこともあり、一番見る機会が多く、

一番親しみを感じてしまった鉾だ。

「古事記」「日本書紀」に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を題材にした「岩戸山(いわとやま)」。

前祭23基のしんがりを務める「船鉾(ふねほこ)」。

日本書紀の神功皇后の出陣を題材としている。

舳先に想像上の瑞鳥「鷁」を飾っている。

山鉾巡行の翌早朝の放火鉾の解体光景。

なぜこんなにも早く解体するのは訳があるらしい。

そもそも山鉾巡行は神輿が通る道を清めるために、言わず霧払いで行う。

そのため山鉾には多くの邪鬼が付いているため一日でも早く払わなければならず、

すぐ解体が必要になると聞いた。

街の中をよく見て歩くと先祭の次の後祭(あとまつり)7月21日~7月23日の

ガイドポスターが貼ってあった。

また、後祭の八幡山(はちまんやま)の準備組み立てが始まっていた。

こうして1150年間、山鉾巡行の歴史は受難と復興の歴史を繰り返してきた。

まさにここ数年のコロナ禍という疫病の中で3年ぶりに復活した今年は

その苦難の歴史にまた深く刻み込まれることでしょう。