スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

フランス料理

2015-02-27 08:13:34 | 食~番外編(海外)

 

モン・サン・ミッシェルで宿泊したホテル メルキュールの隣のレストラン

アントレのパテ料理

メインディッシュ

デザートのアイスクリーム

ラベルを見ての通り

地元の地ビール

・ノルマンディ料理は北大西洋に面しており

モン・サン・ミッシェル付近では潮風が吹かれた牧草で育てた子羊の

肉が名物。リンゴを用いた味付けが多い。

パリ市内のレストラン「Les Balcons」の入口と店内

名物料理エスカルゴ。殻から取り出し内臓を除去した後に加熱され

パセリとニンニクのみじん切りを練り込んだ

エスカルゴバターと呼ばれるバターソースを絡めるのが一般的

専用の皿に置いて専用トングで殻を挟んでからフォークで身を取り出して食べる

メインの肉料理

エッフェル塔第1展望台にあるレストラン「58トゥールエッフェル」

レストランに入るにはエッフェル塔の入場券も必要

パリの夜景眺望を楽しみながらのディナーもまたオツな感じだった

天井を見上げるとエッフェル塔の鉄骨が剥き出しになっていて

逆にインテリアとしてインパクトがある

それにしてもエッフェル塔の鉄骨は細くて細かい

だから遠くから見ると芸術的に見えるのかも

シャイヨ宮殿とセーヌ川方面の夜景

エッフェル塔内側からの夜景

名物料理のムール貝の店「Leon DE BRUXELLES」

ムール貝の白ワイン蒸し食べ放題コースで12.5ユーロ(1700円)

地元でも人気店のせいか満席状態

地下にも店がある

この店のムール貝料理が今回の旅で一番旨かった

最初見た時は鍋いっぱい山盛りで出てきてビックリ

こんなにも食べられるのかと思ったが、食べ始めたら

もう止まらない。アットいうまに完食。本当に旨かった

最後の2個。このスープにフランスパンをつけて食する

これが又、最高

この汁も全部飲んでしまった。

なんとなくムール貝の形をした殻入れも山盛りだ

付け合せのフライドポテトもボリュームがあり、グーだ

ムール貝はたぶんベルギー産だと思う。

ベルサイユ宮殿隣りのレストラン

サラダ

名物料理牛の赤ワイン煮込み

デザートのキャラメル味のプリン

 

今回の旅で食した料理を全てアップしましたが基本的にはフレンチ料理

フレンチは16世紀トスカーナ地方の料理を受けフランス王国の

宮廷料理として発達してきた

その特徴は高度に発達したソースの体系

日本への輸入は明治維新の際に行われた

日本国外の来賓への接待として使用されてから

ここでフレンチ(ラ・キュイズイーヌ・フランセーズ)の料理

を並べてみます。

 

ポトフ・ラタトゥユ・ブイヤベース・キッシュ

フォンドヴォー・フォアグラ・スフレ・コンソメ

ミルフィーユ・ポワレ・テリーヌ・パテ

フランスパン・クロワッサン・カナッペ・・・・エトセトラ


パリの街

2015-02-26 08:13:02 | 旅 ~海外

パリの象徴的な名所、エッフェル塔。写真を撮る絶好ポイント、シャイヨ宮から撮った2枚

フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた

第4回万国博覧会のために建造された

設計はギュスターブ・エッフェル。地上324メートル2年2ヶ月という

驚異的な速さで建設され、1人の死者も出さなかった

黄昏時のコンコルド広場から見たエッフェル塔

左に見えるのがエジプトのルクソール神殿から運んできたオベリスク

この広場であのマリー・アントワネットが処刑された。

夕方、ライトアップされたエッフェル塔、

なぜか一枚目の写真、第3展望台の

まわりがブルーの輪が写っている。なんだこれ!

建設当時はあまりに奇抜な外見の為、賛否両論評価が激しく割れたらしい。

展望台は3つあり、第1展望台の眺望自慢のレストランに向かった

 

塔脚の内部からの二枚。塔の下部アーチが何とも美しい

真下の方から撮ってみた、真ん中が吹き抜けていて

意外な空間が拡がっていた。

エッフェル塔の材質は鋼製ではなく、鎮鉄製だそうだ

それにしても錆防止の為の

定期的塗装は費用もかかるし、大変だろう

主柱の基礎ベースはよく見るとなんと自然石であった。

しかも斜目。構造計算はどのようにしたのだろう

その当時のフランス建設技術の高さをうかがわせる

パリのナイトライフを楽しむ為、地下鉄(メトロ)に乗った

地下鉄の改札風景

そしてプラットホームと車輌

車内の一枚。パリは黒人の人が多いのには驚いた

アフリカ系移民の人達だろう

そしてもっと驚いたのは、車内放送で日本語で

盗難に注意のアナウンスが流れたことだ。

これには皆、ビックリ。

フランクリン・ルーズベルト駅で乗り換え

駅名表示をよく見ると日本語、ロシア語、中国語

アラビア語の表示があった。日本でも最近、英語

中国語、韓国語表示が増えているが、やはり

ビックリだ。さすが世界一観光客が多いパリ。

パリのレビューショーで有名なのがムーランルージュ、(モンマルトル)、

リド(シャンゼリゼ大通り)、そしてここクレージーホースだ。

真っ赤なネオンがいかにもらしい雰囲気だ。

「Let's Go Crazy!」これがその時のチケット。

確かシャンパンのみで125ユーロ。すごく高かった。

写真に写っているダンサー16人位が1時間半ウットリするようなショーを演じた。

店内も怪しげな赤い照明。舞台の両サイドに金のビーナス像。

ステージは想像していたより小さかった。

売店でマドモアゼルの了解を取って撮らせてもらった。

売っているグッズはここにはちょっと書けないセクシーなもの。

ショーの間は一切、撮影禁止。幕開のカーテンに写したこの写真で皆さん想像して下さい。

話によると、クレージーホースのダンサーのレベルはものすごく高く

練習も厳しい。ここで不採用のダンサーが、ムーラン・ルージュ・リドに流れるとか。

背格好も全く同じ、上半身裸、ある時はほとんど全裸だったが、ちっともいやらしくない。

ここまで来るともう芸術だ。ライティングも素晴しかった。

残念ながらシャンパン一杯飲んでかなりの人がコックリコックリ。旅の疲れがドッとでてきた。

パリに向かう途中、立ち寄ったドライブイン。造りはコンテナだが、すごく洒落て見える。

これも芸術の国フランスのせいか。店内もコンテナが逆にいい感じを作り出している。

日本でやったらひょっとしてうけるかも。

 

シャルル・ドゴール広場に立つ高さ50mの巨大な門。これが有名な「凱旋門」

ナポレオンが造らせたもので1836年に完成した。

壁面を彩る彫刻や屋上展望台(284段の階段)からの眺望もため息モノだそうだ。

凱旋門から西側を撮った一枚

ぐるりロータリーになっていて、そこから放射線状に13本の道が延びている。

ここに行くには門の周囲がロータリーの為横断できない。

2ヶ所の入口から地下道でアクセス。天井は花と幾何学模様で飾られている。

左側のレリーフは1810年ナポレオンが勝利し女神から月桂冠を授かる場面。

右側は1792年の義勇兵の出陣が描かれている。

第2次世界大戦で連合軍が勝利し、パリの街に進軍行進した

ニュース画像を思い出した。70年前の歴史的瞬間もこの凱旋門は見守っていた。

第1次世界大戦で戦没した無名戦士の墓。追悼の炎が燃え続けている。

今回の旅で一番気がかりだったのがイスラム過激派のテロだ。

保険も今回は一番高いものを申し込んだ。しかしパリに来てみたら

意外にのんびりしていて2~3人組の警察軍隊はいたが

ピリピリ感は感じなかった。この2人のポリスもおしゃべりで夢中だった。

むしろパリで一番神経を使ったのはスリ。この若い女性のグループは

たぶんスリグループらしい。手にアンケートボードを持って取り囲む。

そして手荒くスル。今はルーマニア方面から来たジプシーが多いらしい。

このグループは後で大きな声を上げて仲間割れをしていた。

再度凱旋門下からパノラマ写真。

これが「オーシャンゼリーゼ ♪」のシャンゼリゼ大通り。

マロニエの並木道。歩道は本当に広い。

フランス、特にパリにはカフェがかかせない。シャンゼリゼ大通りの

有名なカフェは「フーケッツ」100年以上の歴史を誇り

映画系セレブの気分が味わえる。

今やすっかりおなじみとなった超定番スイーツのマカロン。

「ラデュレ」はマカロンで有名な店だ。本店はサントル通りにある。

艶やかで色鮮やかなマカロンは季節ごとに新作が登場。

さすが老舗店。味が複雑で奥が深い。たかがスイーツと侮るなかれだ。

どことなくアールヌーヴォの雰囲気のラデュレは食事もできる。

ご存知、人気ブランド「ルイ・ヴィトン」の本店。

このビルは日本人が建てたようなものとガイドさんが言っていた。

ヴィトンは一切値引きは無いものと思っていたが、日本より2~3割安いと後で聞いた。

このトンネルの13本目の柱に衝突してあの英国ダイアナ妃が亡くなった。

あまり速くてピンボケに成ってしまった。

それともダイアナが写真撮影を嫌がった為か。

世界に誇るオペラの殿堂オペラ座(オプラ・ガルニエ)

1875年にナポレオン3世の命により完成した。

ベル・エポックの華やかさを今に伝えている。

ここもスリのメッカらしい。(車窓より)

昼食後、外に出て目についた建物。いかにもパリらしい。

このような中層のビル・マンションでパリの街は構成されている。

シテ島南東にあり、1163年に約170年をかけて完成したノートルダム寺院。

1804年、35才のナポレオンが載冠式をした場所でもある。

ゴシック建築の最高峰と称され、ヴィクトル・ユーゴーの小説で一躍有名になった。

ノートルダムとは聖母マリアを指す。

聖堂内では先の尖ったアーチなどゴシックの特徴をもつ

祭壇にはピエタ像が施されている。

パリは紀元前3世紀頃、ノートルタム寺院のあるこのシテ島から始まった。

南と北のバラ窓。ステンドグラスの一部は13世紀当時のままでパリ最古。

この寺院は観光の為のものだけではない。側壁には懺悔の部屋があり

防音ガラスで仕切られている。この日一組、部屋に明かりがついていた。

ここでも軍隊が機関銃を持って警備していた。

テロリストは有名な観光スポットを狙うのではという趣旨で警戒しているらしい。

入口で列をなしている所に物ごいのおばあさんがいた。

大方の物ごいはこれを職業としているとか。

杖をついている人も仕事を終えるとスタスタ歩いて帰路につくらしい。

 


ルーブル美術館

2015-02-25 08:02:27 | 旅 ~海外

ルーブル美術館は、パリにあるフランスの国立美術館

世界最大級の美術館(博物館)であるとともに世界最大級の史跡のひとつでもある。

美術館として正式に開館したのは1793年

先史時代から19世紀までの様々な美術品35,000点近くが展示されており

総面積60,600㎡(約18400坪)の

展示場所で公開されている。

毎年、800万人を超える入場者があり、世界で最も入場者数の多い美術館だ

もともと要塞として建設したルーブル城(ルーブル宮殿)は820年前に建てられた

1983年、当時のフランス大統領ミッテランが推進した

「パリ大改造計画」の一環での大ルーブル計画で建築家イオ・ミン・ペイ提案のガラス製

ピラミッドが1988年落成。直下の地下ロビーがエントランスと成った

中世ルーブル城の面影が残る城壁の一部が地下にある

大ルーブル計画の第2段階として1993年に地下の

カルーゼル・ショッピング・モールに採光用途を兼ねた

逆ピラミッドが完成した

ナポレオン広場の広大な地下エントランスが完成して入場者数は大ルーブル計画以前の

約2倍に増加した。

その内約65%が外国人観光客となっている。

ドゥノン翼の回廊の両サイドにはギリシャ時代の石像が並べられている。

階段の中段に威風堂々とした「サモトラケのニケ」がある

ヘレニズム彫刻の比類にない傑作と言われている

紀元前2世紀に製作され有翼の女神像

(ギリシャ語でニケ)と呼ばれている

発掘されて150年たっている。

「ナポレオン1世の戴冠式」ルーブルにおいて2番目に大きな巨大作品。

1806年頃、ジャック=ルイ・ダヴィットが描いたとされている

ノートルダム寺院で行われた

正面上段に描かれている女性がナポレオンのお母さん

ナポレオンはこの戴冠式のスケジュール演出を何日もかけて準備したという

ドミニク・アングルによる作品「オダリスク」

全体のバランスが誇張してくずしており、そのことによって

裸婦の美しさを表している。

天井高がすごく高く採光に工夫をしている館内

真ん中には椅子が置いてあり、じっくり鑑賞できるようにしている。

ウージェーヌ・ドラクロアの作品「メデューズ号の筏」

ドラクロアの代表作「民衆を導く自由の女神」

7月革命を題材にしている。自由の女神の隣にいる

銃を持った青年はドラクロア自身であるとの説もある

素晴らしい天井画だ

そしてルーブル美術館で最も有名な絵

レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」

解説は全く必要ない作品でしょ。

「モナ・リザ」の作品のまわりだけはすごい人集まりだ

ここには人混みの中に潜んでスリが多いらしい

ちょっと離れてスリがいないか見ていたが、この時はいなかったようだ

ラファエロ作「美しき女庭師(聖母子と幼児聖ヨハネ)」1507年

館内の様子。大変な混み様だ

これも有名な「ミロのヴィーナス」

1820年4月8日に小作農夫によってオスマン帝国統治下のミロ島で発見された

「ミロのヴィーナス」がルーブルを出て海外へ渡ったことはただ1度だけある

1964年4月~6月

東京の国立西洋美術館と京都の京都市美術館で行われた

特別展示のみである

実は、私はこれを見に行った。まるで満員電車の中で瞬間

白黒写真を撮った記憶がある。

 

 

ルーブル美術館はあまりにも巨大な為、全部見るには

1週間は必要と言われている。

それを有名作だけピックアップ、数時間で回るのだから恐ろしい

せめてワイヤレスのイヤホーンで詳しくガイドさんから説明が聞けたのが

救いだった。


ブローニュの森レストラン

2015-02-24 08:04:19 | 食~番外編(海外)

ル・グラン・カスケイド (LA GRANDE CASCADE)

パリ市民の憩いの場、ブローニュの森の中に佇むル・グラン・カスケイド レストラン。

ここはミュシュラン星付のレストランだ。

ブローニュの森はパリ中心部から西に5㎞ほどに位置し

面積は846万㎡にも及ぶパリ16区にある森林公園だ。

園内には、有名なロンシャン競馬場。スタッド。

ローラン・ギャロス(テニス全仏オープンが開催される)などがある。

このレストランは1850年築の歴史のあるクラシカルな建物で

アールヌーヴォ様式の意匠デザインだ。

まるで夜空にぼんやり浮かび上がっているおとぎ話に

出てくるような雰囲気のお店だ。

店内も19世紀の貴族の館で食事をするようなゴージャスなインテリア。

思わずウットリして夢心地の世界に入ってしまう。

入口の所にあるバーカウンター。このエリアもアールヌーヴォの香りが漂っている。

かにの海草包み、アボカドと青りんご、バニラソース

小鴨のロースト、スパイス風味、アーモンドとジロル茸風白蕪添え

伝統オペラケーキ(チョコレートとコーヒーのケーキ)

 

 

料理は季節感を存分に味わえる食材を積極的に用いて

見た目にも色鮮やかで楽しめる。

行き届いたサービスも心地よく、環境・味・サービスどれをとっても

素晴らしい一級レストランだった。


美しい街 ブーブロンアンノージュ

2015-02-23 07:38:26 | 旅 ~海外

モン・サン・ミッシェルからブーブロンアンノージュへ向かう。

途中、日の出を見た。この時期のフランスの日の出

時間は遅い。午前8:30頃だ

さー今日もどんな旅が待っているのだろう。

地図にものっていない様な小さな村ブーブロンアンノージュのポプラ並木

人口は250人程だそうだ

ここはミニチュアのような可愛らしい素敵な村だった

1982年から始まった「フランスの最も美しい村」

運動で全国157村が選ばれた。この村も

ノルマンディー地方の3つの村の1つに選ばれた

村に入って初めて見たフランス人。犬二匹と散歩をしていた。

何か物語を見ている様だ

街角に「親愛なる日本の皆様・・・・・ようこそ」と

書いてある看板があったとか、私達で3班目

あと、350人位の日本人がこの小さな村に訪ねてくるのだから

この看板も納得してしまう。

AM9;30頃だというのにほとんど人気が無い

村のメインストリート。街並みが朝日に輝いて

言葉にならない程美しい。

16世紀頃 建てられた木組の家。街中を歩いた中では一番立派な建物だった

左の家はみあげ物店。我々が村に入って店を開けてくれた

どこの店も看板がかわいらしい

実にゆっくりと時間が流れている村だった

ウィンドウショッピングをしていると目が止まって、気に成るお店を発見

木組みのミニチュアと本物の家が硝子に写っておもしろい一枚となった

後程この店も開けてくれた。小鳥の置物を2つ買ったが

会計がものすごくのんびり

「バスが出発するから急いで」と言っても

「ノープロブレム」の一点張りにはまいった

木組みの家は瓦の様なものを丁寧に重ねている

木材も粗削りの一本柱を使っている

やはり手造りは人の温もりが伝わってきて味がある

たぶん閉店の看板だろう。大人びた赤ちゃん顔がフランスらしく感じる

屋根は鉄平石のような石葺き。このストレート板はこの辺で採れるらしい。

意匠デザインも凝ってますネ。

パン屋さんの腰壁に手書きで画かれた絵

気に入って思わずシャッターを押してしまった。

最初に開店しているマカロン中心の雑貨屋さんを発見

このマカロンは手造りだそうだ

このマカロンには「YUZU]と書いてあると仲間が言ったのでアップで撮った

本当にやさしいマダムで、後でマダムが付けていた

イヤリングをプレゼントされたと聞いた。

おとぎ話に出てくるようなかわいらしい家がいっぱいある。

日本の鬼瓦の様に屋根のテッペンにリスだろうか置物が乗せてある。

こんな小さな村にも、立派な教会があった

フランスの宗教はほとんどがカトリック(59%)残り3%がイスラム2%がプロテスタントだそうだ。

教会の隣りにあった墓地。多くの墓石は立派で造花の花を飾ってあった

やはり十字架が印象的だ

フランスはほとんど土葬だ

庭先に置いてあった散水機だろうか

拘っているのだろうか、カラーはトリコロール

外国での楽しみ1つ鳥を見ることだが、ここでも見たことのない

小鳥を発見した。それにしても鳥をカメラで撮るのは難しい。

小さな増築中の家を見つけた。廃材のような材木を使い、なんと釘は木釘だ

帰り道は広々とした草原と手入れがゆき届いた並木道

素晴らしい村だった。

やはり、田舎の街が私は好きだなー!


名物オムレツ

2015-02-21 07:45:32 | 食~番外編(海外)

モン・サン・ミッシェルの名物料理と言えば、なんといっても特大オムレツです。

ここはグランド・リュー入口にある名物オムレツ発祥の店

「ラ・メール・プーラル」創業は1888年

店にメニューが貼りだしてあった。フランス語と英語そしてなんと日本語で書いてあった。

感激ものだ

店頭で調理していたのでジーと見ながらポイントを撮った

テーブルに置いてあるのは卵とオムレツのベースとバターだと思う。

たっぷりバターを敷き、これを専用のフライパンに入れ、昔風薪火で焼く。

その間ほんのわずかな時間だ。

これは技がいる。

焼いていたおばさんの手際は見事だった

これが出来たてのふんわりオムレツ

ものすごくシンプルな料理だ

専用フライパンがお店のディスプレーになっている

この名物特大オムレツは疲れ果てた巡礼者の

身体を癒すためにプーラール夫人が考案したもの。

実は「ラ・メール・プーラル」さんは初の海外店として

2011年に東京有楽町東京国際フォーラムに出店

その後、2013年横浜みなとみらい店を出店

いかに日本人に人気があるのかこれみてもわかる

我々が名物オムレツを食べたのはモン・サン・ミッシェルに入る手前にある

ホテルエリアの中のホテル「ルル・サン・ミッシェル」

食前酒のリンゴ酒。この地方はりんごの産地だそうだ。

これが名物のふっくらサクサクの特大オムレツ。たった一個の卵だけでつくりあげる

バター、ミルクの生クリーム、胡椒とこの地特産の塩で焼き上げる

まるでスフレのよう。ちょっと塩気があるのが特色だ

サーモン。焼いてパリパリした皮が特に旨かった

やはり、フランス料理はソースがつきものだ

チーズケーキだったかな?真四角な形が印象的だった。

広い店内は日本人の団体ばかり

モン・サン・ミッシェル内も日本人がやたら多かった

まだこの地には中国人はあまり足を延ばして来ない様でホットする。


モン・サン・ミッシェル

2015-02-20 07:45:46 | 旅 ~海外

隔年で行われている「さいしん海外旅行シリーズ」

今回でなんと11回目。しかも全県で13班 合計約500名募集というすごい企画です。

憧れのフランス、芸術の都パリと海に浮かぶ奇跡の世界遺産モンサンミシェル

王政象徴の地ベルサイユに銀行の要請により行ってきました。

パリ市の南寄りにあるモンパルナス駅にTGVに乗る為、朝向かう

駅構内はかなり広い。主にフランス西部、南西部方面の列車の始発駅である

モンパルナス駅は1840年に開業したという

なんと江戸時代末期の頃だ

フランス自慢のフランス国鉄(SNCF)が運行する高速鉄道

名称は「TGV]

最初に考案されたのは1960年代で日本が東海道新幹線の工事を始めた直後であった

上が新しいTGV、下の列車に乗ってレンヌ駅へ向かった

駅には改札がなく、乗車する前にホームの入口にある

この刻印機で切符に日付を刻印することが義務付けられている

この刻印がないと検札の際に追徴金を支払うことになるらしい。

旅行者にとっては勝手がわからないと、えらい目に合う。

フランスのごみ箱はアールヌーボー調で芸術的だ

こんなところにも芸術の都パリを感じてしまった

モンパルナス駅から約2時間。レンヌ駅に到着。

途中、ル・マン24時間レースで有名なル・マン駅を通った。

レンヌの市街地。レンヌは西部に位置する人口約20万人の都市で

ブルターニュ地域圏の首府。プジョーシトロエンがある。

ここはモン・サン・ミッシェル観光の起点となる街で

仙台市と姉妹都市を結んでいる

レンヌからモン・サン・ミッシェルまではバスの旅

道中はゆるやかなアップ&ダウンヒルの草原が続くのどかな田舎の風景だ

土地はあまり肥沃でないとガイドさんは言っていた

車中から見た非常に気に成った樹木

ヤドリギといわれ、樹木の幹に寄生して成長する

鳥の巣のような姿の植物。幸福の木とも言うらしい。

さーこれから奇跡の世界遺産モン・サン・ミッシェルだ

これは島内の案内図

ブルターニュ半島とコタンタン半島との間にあるアンマロ湾

奥に位置する小島。8世紀初め(708年)に

建てられた小礼拝堂を起源とするベネディクト会

修道院の建物があり、フランスでもっとも有名な巡礼地

モン・サン・ミッシェル全景をのぞめる写真撮影の絶好ポイント

ここで最初のため息が皆出た。

「すごい!」

海の海水と川の水をせき止めているポンプ場のような施設

目の前を丁度、馬車が通ったので思わずパチリ

フランスは馬車がよく似合う。ポエムだ

レストランのホールの所でこのDVDが流れていたので

ちょっと拝借。行った日はあいにく曇天の日だったので

晴れたこのDVDを見ればその美しさがさらに良くわかるはずだ。

島の入口(ラ・ヴァランセノワ)の横ではためく

トリコロールの3色旗(フランス国旗)

青は自由、白は平等、赤は博愛を表すと言われている

1794年に現在の旗となった。

参加者全員の記念写真を撮ってくれたご夫婦の写真家を逆写

二人に送りたいいい写真だ

ホテル ルレ・サン・ミッシェルから大型相乗りバスに乗り約5分

寒風吹きすさぶ中、木道の道を

島へ歩いていく。バスはなぜか途中で止まってしまう。

今回の旅で一番寒かった場所だった。

1870年に島をつなぐ道路ができたが、従来の景観に戻すために

現在工事が行われている

ガブリエルの塔。16世紀の国王代理官ガブリエル・デュプイが設置した砦

全方位からの攻撃に対応でき、中には大砲が備えられていた

モン・サン・ミッシェル修道院は御覧の様に

岩盤の上に建っている。建物の随所にこの岩が

一部露われている。さぞ、建築した人たちは大変苦労したことだろう。

有料トイレ。トイレはここのみ 50セント(約70円)払う。

ヨーロッパの建物は基本的に石積造だが、ここもご覧のような積み方だ。

島の入口から修道院へと続く石畳の細道、両側にはホテルやレストランカフェ

ショップが立ち並びいつも賑やかなグランド・リュ

ここの名物、ミル付グランド産お塩。12ユーロ(約1650円)

 洞窟内に建てられたサン・ピエール教会。現在も周辺住民がミサに訪れる

入口横に見えるのはジャンヌ・ダルク像

いよいよ島のハイライト、モン・サン・ミッシェル寺院が近づいて来た

ロマネスクとゴシック建築の建築芸術だ

修道院まではかなり急な坂道と階段(300段ほど)を歩く(15分ほど)

足腰が弱い人にはかなりきつい所だと思う。

修道院入口の手前でちょっと小休止。振り返ると

有名な干潟が眼下に雄大に広がっていた

まだまだ階段が続く。この辺で皆、悲鳴が出てくる

「きつい、まだ着かないの?」

動物の姿を借りた雨樋。いかにも修道院にピッタリだ。

遠く右上の方にかかっている小さく見える橋が前述した

写真撮影の絶好ポイント(ポンプ場)の所

時代とともに変化してきた修道院が模型で展示してあった

モン・サン・ミッシェルの歴史は708年、司教オベールの夢枕に立った

大天使ミカエルのお告げにより聖堂が建てられ10世紀には修道院が設置された

11~12世紀には巡礼者で賑わい13世紀にはほぼ現在の姿に

14世紀英仏百年戦争が勃発すると域塞となり難政不落を誇る

フランス革命後は監獄となり「海のバスティーユ」

として恐れられた。19世紀末から観光地となり1979年フランスで最初に

世界遺産に登録された。

鐘楼と尖塔は1897年の完成。尖塔の先には大天使ミカエルが見える

教会の正面にある広場。これは墓石だそうだ

石畳の床には職人のサインが残されている。

大聖堂の中

聖堂の手前の天井はアール木造

バイキング・ノルマン人の影響とガイドさんが言っていた

驚異(ラ・メルヴェイユ)と呼ばれる棟の最上部

列柱廊と中庭。僧たちの憩いと瞑想の場だった

どことなくスペイングラナダのアルファンブラ宮殿の香りがする。

まるでハリーポッターの世界だ

僧たちが静寂のなかで食事をとったという広々とした食堂

59の窓から光が差し込む明るい空間が人々を圧倒する。

最も古い礼拝堂。石を積んだだけの本当にシンプルな教会だ。

外へ出ると一部修復工事をしていた

この単管足場、初めて見た。きっとつばの様な所に足を掛けるのだろう

夕食後幻想的にボンヤリとライトアップされた

圧巻のモン・サン・ミッシェル

時差ボケで夜なかなか寝られずホテルの窓から見た満天の星(星を撮るのは難しい)

なんとロマンチックな一日だったことか

まだまだ旅は続く。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編60~

2015-02-19 07:45:20 | 食~番外編(県内)

夢庵 蕨中央店

蕨市中央6-16-20 (R17号沿)

TEL  048-434-6608

定休日 無休 10:00~24:00

スカイラークグループの和食店。蕨中央店は昨年12月1日オープンの

開店ホヤホヤのロードサイド店。

夢庵は全国で168店舗(H26.12.31現在)展開している。

さいたま市内には西区と見沼区に3店舗ある。

スカイラークグループには夢庵はじめ、ガスト、バーミヤン、ジョナサン

ステーキガスト、グラッチェガーデンズ、藍屋、おはしcafeガスト、Sガスト、

魚屋路と10業態ある。

実は当社のスミダワン2Fにこの春(5月半頃オープン予定)

入居予定で、ご優待券をもらったので、見学がてら、社員数名と試食に行って来た。

店内模様。和食店の為、随所に和のインテリアが施されている。

新店舗の為新しくて気持ちがいい。

お昼の献立、ランチタイム定食、そして甘味メニュー

やはり、大手外食チェーン店は顧客ニーズを調査しているのか、バリエーションは豊富だ。

飲み物メニュー。焼酎「いいちこ」グラス399円(税抜)

サントリー角ハイボール369円(税抜)キリン一番搾り(生)グラス239円(税抜)

スミダワンの店の夜は24:00まで営業予定なので

居酒屋チックに成るのでは。

竜田生姜焼定食+小せいろうどんセット

うまか丼

スタミナ丼

料理はワゴンで持ってくる。これは合理的かも。

おみあげ商品のグッズ販売コーナーもある。

これは一般の飲食店に無い外食チェーンの特色だ。

ドリンクバー。ドリンクのみは399円(税抜)

料理、デザートを注文したお客は219円(税抜)

見学の為、了解を得て厨房も見せてもらった。夢庵さんは

季節ごとのおいしい和食を気軽に召し上がっていただく和食レストラン。

年齢や性別、個人やグループなどを問わず、気楽に楽しめる

和のメニューを提供している。


インフルエンザ

2015-02-18 07:57:21 | 健康

情けないことにインフルエンザになってしまいました。

平成23年にかかってから

大人になって2回目

正直、規則正しい生活をして、うがい、手洗いもこまめに行っているので

「なぜだ!なんで 俺が・・・・」って気持ちだ。

2月3日の夜 のどがイガイガしてたがいつも通り酒飲んで寝る

                            2月4日、朝目が覚めて、水を飲むがトイレ行って吐いてしまう。

会社へ行って、かぜ薬をもらう。

通常業務。帰って、酒飲んで、薬飲んで寝る 

2月5日 快調、快調、酒と薬が効いたみたい

午前中、顧客と打ち合わせ

しかし!

昼前ぐらいから、体がだるーくなってきた。

会社へ戻り、背中がやたらと痛い

悪寒がする。

上司にTEL報告、

「すいませんが・・・体が寒くて・・・熱っぽい」・・・と私

「俺もさみーよ」とすぐに認めてくれない非情な上司

なんとか、夜の会議の資料を作ってから

帰っていいとのこと。

正直、帰りの車のなかは、つらかった。

なんともあの寒気とだるさ。

反対車線に出たりしてしまった。

長い帰路。

帰って、熱を計ると38℃

もしかして、まさか

前ひいてるし、予防注射討ってるし、まさかー

また、熱を計ってみる

38.6℃

やばい、医者行こう

行った瞬間、インフルエンザのような扱い

診断

鼻に綿棒をツッコまれ15分位待つ。

「はい、A型のインフルエンザです」

イナビルという薬を吸い込む

少し、横に成ってから、家に帰る

上司にインフルエンザと報告

熱が出てから5日間は外出禁止。

学校が行ってはダメみたいだが

会社は、企業の考え方次第

会社が出てこいと言われれば・・・

「明日は休んでいい」とのこと。

土曜日は出の日でしたが、休んでいいようす。

結果、2月9日から出社でいいとのこと。

 

その夜

39.5℃の最高熱

意識も遠くなるが、

翌日は、熱も下がった。

予防注射を打ってると症状が軽くなるようです。

健康がなによりです!


浦和エリア旨い店シリーズ ~その198~

2015-02-17 10:34:37 | 食~ラーメン・中華

カルニチン堂

浦和区高砂1-5-10 (浦和駅西口より徒歩1分) B1F

TEL 048-829-8655

定休日 無休

8年前にオープン、夜はジンギスカン、焼肉をメインにし

ランチタイムはラーメン屋という一風変わった業態のお店。

わずか100M位のこの通りはスミダマンのブログで既に4軒

(美家古鮨、南蛮亭、かめ福、りゅうらーめん)も紹介したグルメ通りだ。

店内はふんだんに木を使い、焼肉用の無煙ロースターが各テーブルに付いている。

ちょっと一般のラーメン屋とは雰囲気が違うお店。

テーブルは9つあり総数41席もある。

各種ラーメンメニュー。むつみ屋の竹麓輔氏が監修したとの事。

壁には夜メニュー バリュー焼肉食べ放題 90分制 1980円。

牛焼肉食べ放題 120分制 2480円の表示が出ていた。

店長のおすすめ香煎黒味噌ラーメン 750円をオーダー。

焙煎した七味や山椒を練りこんだ黒味噌の香りが魅力の一杯だ。

中細、縮れ麺でモチモチ感がとてもある麺だ。

具は厚めのチャーシューとネギのみとシンプル。

七味、山椒が入っているせいか、汗が出て自分的にはちょっと苦手な一品だった。

ブログ用の写真を撮っていたら店長が来て

「今写真を撮っていましたネ。食べログの方ですか?

以前食べログとトラブルがあったものですから」と言われた。

こんな注意を受けた為、イメージが悪くなった。

このブログを書くのも容易ではない!