スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

世界文化遺産 天龍寺庭園

2022-04-30 06:01:33 | 旅 ~京都

どうしても嵐山に来るとアクセスの良い歴史の寺、史跡・特別名勝の

臨済宗天龍寺派大本山の天龍寺に寄りたくなる。

今回は天龍寺の奥にある竹林の道にも行きたくて久し振りに訪問した。

こちらは緑多き山々の中で最初に顔を合わせる「庫裏」。

庫裏とはお寺の食事を準備するところ、すなわち寺院の厨房(台所)のことをいう。

天龍寺の見学コースは丁寧に3つ設けられている。

①本堂と庭園コース ②法堂(はっとう)雲龍図コース ③庭園のみコース

そして目的の竹林へ行くのも北門(有料)と外側参拝コース(無料)の2つある。

今回は世界文化遺産の庭園のみを味わうコースで、

本堂には上がらないシンプルな選択をした。

天龍寺は1339年(暦応2年)吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために

足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した。

夢窓国師の門流は隆盛し、天龍寺は京都五山第一位の寺格を誇った。

開山夢窓国師が作庭した「曹源池庭園」は

王朝文化の優美さと武家文化の荒々しさを巧みに融合した庭です。

正面の枯山水の三段の石組は龍門の龍といい、これは中国の故事に由来する。

手前の石橋は日本最古の橋石組で右の石組は釈迦三尊石と称し釈迦如来(中央)、

文殊菩薩(左側)普賢菩薩(手前下側)を表現している。

曹源池の名称は国師が池の泥をあげた時、

池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられた。

曹源池庭園より大方丈をのぞむ。

この大方丈は明治32年(1899年)の建築で天龍寺最大の建物。

正面と背面に幅広い広縁をもち、さらにその外に落縁をめぐらせている。

因みに天龍寺は都合8度の火災に罹災している。

天龍寺といえば達磨図を連想する人も多く、天龍寺のシンボルのようになっているとか。

この絵は住職であった平田精耕老師によって書かれたもので、

京都大学を卒業し、インド哲学や仏教を学んだ住職の方だそうだ。

庭園コースを進んでいくと多宝塔から北門開設と同時に

昭和58年に整備された庭園「百花苑」に出る。

この多宝塔の枝垂桜の枝振りがまた見事なこと。

ここでも暫し桃源境の世界に思わずウットリして足が止まってしまった。

自然の傾斜に沿って苑路が造られており、満開の枝垂桜の中、

負けじと木瓜(ぼけ)、山茱萸(さんしゅゆ)、隼人三葉つつじ、沈丁花などが咲き誇り、

まさに春爛漫そのものだ。


嵐山と竹林散策

2022-04-29 07:02:28 | 自然

桜や紅葉など一年を通じて絶景を楽しめる嵐山のシンボル・渡月橋。

桂川に掛かる長さ155m、幅11mの木製の橋だ。

平安時代初期に亀山上皇が月が橋を渡るように動いていく様を見て、

「くまなき月の渡るに似る」と述べたことがその名の由来だ。

因みに渡月橋の下を流れる川は行政上は桂川と統一されているが、

渡月橋を境に上流は大堰川、下流は桂川と名が変わる。

特に春の嵐山はいたるところでお花見ができ、

京都でも桜の名所でも代表的なところになっている。

見頃は3月下旬から4月上旬。

この時期に約1,500本のヤマザクラ、ソメイヨシノなどが山をピンクに染め、

美しい景色を作り出します。

ここの山桜は元々自生していたもののほかに、

鎌倉時代に吉野山から運ばれてきたものもあるとされ、

以来その光景は多くの人々を魅了し続けてきた。

京都でヤマザクラが主役になっている桜景勝地は嵐山がその筆頭地ではないか。

京都ではこのような光景をよく目にすることが多い。

この日は渡月橋の袂で和装姿に正装した新郎新婦が

カメラマンを引き連れて前撮りを行っていた。

この渡月橋前でのカットは時代を超えた普遍性を感じる。

明日アップしますが、天龍寺の北門を抜けると大河内山荘、

常寂光寺、落柿舎、二尊院、祇王寺、念佛寺、そして今まで行きはぐってしまった

嵯峨野の竹林方面と野の宮神社、渡月橋方面に分かれる。

今まで嵯峨野の竹林風景を人力車に乗って2回ほどアップしましたが、

今回の嵯峨野の竹林の道が是非ゆっくり歩きたかった道です。

この竹林の道は野々宮神社から天龍寺北門を通り、

大河内山荘に抜ける約400メートルの道。

数万本もの竹が植えられていて、

野々宮神社のそばに生えるマダケのため「野宮竹」という名称がある。

特に今回散策した天龍寺北門から大河内山荘へと至る100メートルほどの道は

すくっと伸びた竹と小柴垣が生い茂って幻想的な世界が広がっている。

以前、人力車の車伕に教わった竹の迫力が伝わってくる写真の撮り方を

今回もやってみたのがこの1枚。

カメラを竹の幹に添えてシャッターを切る。

すごく竹の質感が伝わるでしょう。

竹の道は光が降り注いで竹林の青さが増す晴れの日も、ちょっと薄曇りの日も、

雨の煙る日も、どの天気でもその天気なりの楽しみ方ができる。

この日は花曇り。

生い茂った竹林の天空から優しい木漏れ日が漏れてきて、

改めて京都はいいナーと思わせてくれた。

ここ大河内山荘は京都嵯峨野の地に、

昭和の映画俳優・大河内傳次郎が造営した山荘と庭園。

比叡山や近隣の嵐山~保津峡の景色・借景が楽しめる回遊式庭で、

広大な庭園に点在する「中門」「大乗閣」「持仏堂」茶室「滴水庵」が

国の登録文化財となっている。

竹林を散策していたら何か見覚えのある池に出てきた。

そうです、2021-8-20付ブログ「人力車で嵯峨野めぐり」でアップした

蓮の花が咲いていた池の逆側の1枚でした。

この嵯峨野散策マップはマンガチックでわかりやすい。

地図をじっと見るのも旅の味わい方の1つだ。

嵯峨野観光の代表の1つにトロッコ列車がある。

その「嵐山」駅に出た。

こんもりした林の中にある山小屋風の駅舎は、

うっかりすると見逃してしまいそうな小さな駅。

約1時間に1本、1日9本運行している。

スミダマンはまだこのトロッコ列車未体験だが、できれば終点の亀岡駅近くに完成した、

J1リーグ・京都パープルサンガの本拠地「たけびしスタジアム京都」で

浦和レッズ戦を応援して帰りに保津川下りをして

京都の秋を楽しむというのが夢のコースだ。

落柿舎方向に歩いていくと見事な水仙畑と出会い、

京都嵯峨野の桜ではない違った春をパチリ。


妙心寺 退蔵院

2022-04-28 06:19:40 | 旅 ~京都

http://www.taizoin.com/

臨済宗大本山妙心寺の山内には46もの塔頭があることは昨日紹介した。

その寺院の中でも退蔵院は今から600年以上前、越前の豪族・波多野重通が妙心寺3世の

無図禅師を開祖として応永11年(1404年)に建立された山内屈指の古刹の塔頭です。

山門(薬医門)から入り、参拝受付でチケットを購入して

庫裎の前を通って方丈に向かう参道を朝の静かな空気を感じながら歩く。

ここ退蔵院には大きく3つの境内の見どころがある。

順次紹介していきましょう。

応仁の乱後、1597年に再建されたここ方丈(本堂)(重要文化財)には

当院開祖である無図宗図禅師(妙心寺第3世)を祀っている。

禅と剣の道には精神的な共通点があり、江戸時代には宮本武蔵も

ここに居して修行に励んだと伝わっている。

退蔵院1つ目の寺宝、日本最古の水墨画、

国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」(模写)。

瓢箪で、なまずを抑えているという禅の公案(試験問題)を絵に表したもので、

足利義持の命により如拙が心血を注いで描いた最高傑作として知られている。

如拙は相国寺の禅僧であったが、宗元画を学び日本の水墨画を開拓した先駆者で

雪舟もわが師と呼んで手本にしたといわれている。

悟りの不可思議を描いた図上には京都五山の高僧31人の賛(回答)が並んでいる。

次は境内見どころ2つ目。

史跡名称・枯山水庭園「元信の庭」。

この庭園は方丈の南と西に面して

室町時代の有名な画家・狩野元信が作庭したと伝えられている。

西面は200㎡ほどの広さであるが、石組本位の枯山水庭園で、

一見無造作に石や橋が配置されているように見えるが、

全体として見事に絵画的な調和を保っている。

一方、南面は一面に苔が張りつめた平坦地に赤松を植栽されたのみで、

禅院の方丈前提で多くみられる形態だ。

方丈(本堂)内ではサウンドトリップと称して退蔵院でしか聴けない音の体験コーナーがあった。

このコーナーだけがモダンなインテリアになっていてすごく目立っていた。

そして最後の見どころ、昭和の名園・池泉回遊式庭園

「余香苑(よこうえん)」に入る門のところに来た。

左の男性カメラマンはこの時からスミダマンが苑内を散策終わるまでの約30分間、

ずっとここに立ち止まりシャッターチャンスを待っていたようだ。

我々のことも撮ってくれて、それが素敵に撮れているので

この人は半端な腕ではないと思った。

今回の京都桜の旅の目的の1つがこの退蔵院の紅枝垂桜を見ることだった。

この見事な桜は2013年春の「そうだ、京都いこう」のキャンペーンに使われ、

大変注目を集めた樹齢50年ほどの紅枝垂桜だ。

ここの紅枝垂は開花がやや遅く、来るまでちょっと心配であったが、

5~6分の見頃にはなっていて、やはり一見の価値はあった。

機会があれば満開の紅枝垂を是非もう一度見てみたいものだ。

この紅枝垂桜の左右には「陰陽の庭」がある。

敷砂の色が異なる2つの庭は物事や人の心の二面性を伝えている。

陰の庭に8つ、陽の庭に7つ、合計15の石が配置されている枯山水庭園だ。

苑内を進んでいくと奥に茶席大休庵がある。

庭園を鑑賞しながら抹茶をご賞味いただけ、退蔵院特製の茶菓とともにご一服。

この茶席の前にも紅枝垂桜が咲き始めていた。

その下には石川丈山(江戸初期の文人)が考案したといわれている

「鹿威(ししおどし)」があり、ししおどしの音が響いている。

なだらかな勾配の「余香苑」は昭和の名工、造園家の中根金作氏によって設計され、

昭和40年に完成後、昭和の名庭と謳われるまでに成長した。

桜、蓮、楓など一年を通じて華やぐ庭園の中心には瓢鮎図にちなみ、

ひょうたん池が配置され、池のせせらぎや水琴蜜、鹿威しの音が響いている。

お庭には龍王の滝など2つの滝が流れ、

東屋の跳珠亭からはまた別の庭園美を楽しむことができる。

本苑には作庭家の意図としたホットポイントがいくつも用意されており、

皆そのポイントで盛んにシャッターを押していた。

茶席の窓にひょうたんの明け取り、

まちあいの作組みの窓など随所に禅宗につながる風情があり、

ここは本当に素晴らしい塔頭だと強く印象付けられた。 

行く価値大いに在りです!!

 

 


妙心寺

2022-04-27 05:35:06 | 旅 ~京都

https://www.myoshinji.or.jp/

 

妙心寺は花園にある禅寺で臨済宗妙心寺派の大本山、山号は正法山。

広大な敷地(19.5ヘクタール)に石庭で有名な龍安寺をはじめ46の塔頭寺院が立ち並び、

末寺は世界各地に3,400余以上(全部で5,650寺ある内)、在籍する僧侶は6,000人以上。

京都一大きい寺で京都市民は「西の御所」と呼んでいる。

このことは意外に知られていないのではないか?

因みにこちらの門は桃山時代建立の勅使門。

この建物は慶長4年(1599年)に建立された三門(重要文化財)。

この三門は境内で唯一の朱塗りの建物で、

空・無相・無作という禅の境地による解脱の意味が託されている。

妙心寺は創建暦応5年(1342年)。

深く帰依された花園法皇が関山慧玄(無相大師)を開山として

離宮萩原殿を改めて寺としたのが当寺の起こりだ。

江戸時代建立の仏殿は妙心寺の本堂で本尊さまにお釈迦さまを祀っている。

この釈迦像は蓮華を拈じるお姿をされている。

手前仏殿の奥に見えるのが法堂(はっとう)。

江戸時代の建立で今日でいう多目的ホール。

仏像は安置されず、住持による法座や坐禅が行われている。

京都には「これを見ておいた方がいい!」という、いくつかの文物があるが、

そのひとつが法堂の雲龍図。

江戸時代の天才絵師狩野探幽が55歳の時に描かれ、

スケール、迫力、鮮やかさで京都随一ともいえる天井龍だ。

左に見えるのが江戸時代建立の経蔵(きょうぞう)。

「一切経」が中央に八角の輪蔵に納められている。

正面には輪蔵の考案者である傅大士の像が祀られている。

この建物は明智風呂といわれている有名な蒸風呂(浴室)で重要文化財。

天正15年(1587年)明智光秀の伯父にあたる塔頭太嶺院の密宗和尚が創建したもの。

光秀死後5年のうち密宗和尚は光秀の菩堤を弔うため、

この浴室を設け大勢の僧侶に施浴した。

本能寺で織田信長を打ち宿怨を晴らした光秀は自刀を覚悟し妙心寺仏殿に礼拝し、

次の辞世の句を読んだという。

「順逆不二の門。大道心源に徹す55年の夢 覚め来たって 一元に帰す」

妙心寺は室町時代後期から江戸初期の建築で近世禅宗伽藍

(仏殿、法堂、寝堂、大方丈が一直線)の最も完備した形を示しているといわれている。

元々の鐘楼は元禄9年(1696年)に春日局によって寄進されたもので

重要文化財に指定されていたが、昭和37年に放火により焼失した。

妙心寺は京都一大きな寺院だが公開している塔頭は少なく

観光客などの賑わいがない。

このように生活者の生活道にもなっていて、とても静かで落ち着いた大寺院だ。

立派な唐門。

妙心寺は今でも生きているお寺という感じがする。

百万人写経道場もあれば「微笑会(みしょうかい)」と称して会員を募り、

様々な活動をしている。

このポスターの上部に写っている龍が前述した狩野探幽が描いたという「雲龍図」だ。

 

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編387~

2022-04-26 06:13:28 | 食~番外編(京都)

前田珈琲 室町本店

京都市中京区蛸薬師通烏丸西入橋弁慶町236

TEL 075-255-2588

定休日 無休

営業時間 7:00~19:00

https://www.maedacoffee.com/shopinfo/honten/

「京都には喫茶店文化がある」ということで

最近、朝食は喫茶店内でその空気に触れたくて有名喫茶店巡りを始めた。

当店は「京都人に愛されて半世紀」のキャッチコピーで

1971年(昭和46年)創業の老舗喫茶珈琲店だ。

この建物はもともと呉服屋の京町屋を1981年(昭和56年)に改装して

古風な雰囲気の喫茶店としてオープンしたらしい。

お店に入ると珈琲豆をはじめ関連商品の販売コーナーがある。

当店の珈琲は定評があり、2021年百名店にも選ばれている。

前田珈琲はすべて京都市内のこだわりの場所に他に10店舗ある。

(ex、二条城内・茶房前田、京都国立博物館内、京都国際マンガミュージアム店など)

さらになんと中国・北京店、深圳店にも進出している。

ご覧のように店内は広く100席を有する大型店だ。

とても落ち着いた古典的な店内。

歴史深い老舗の珈琲屋には直火式の焙煎室もあり、

ドイツのプロバット社製を使用しているとか。

それにしても当店は京都の有名店なだけに次から次へとお客が入ってきて絶えず満席状態だ。

時間は朝7時半ごろだから驚きだ。

やはり京都には喫茶店文化が根付いているのを肌で感じた。

内装インテリアも時間の経過を感じる年季と渋さを感じ、

とても素敵な空間を演出している。

また壁に掛けられた3つの額もお雛様にちなんだ京都らしいものでとても味がある。

これが当店のメニュー。

表紙の写真デザインは珈琲そのものを前面に出していて、その誇りを感じる。

モーニングメニューは7:00~11:00までで、すべてサラダ・ドリンクが付いている。

パンは京都の老舗「進々堂」のものを使っている。

ガッツリ系では朝カレーセット1,300円があるのがうれしい。

そして珈琲はなんといっても当店の顔。

スペシャルブレンドコーヒー龍之介(ホットのみ)530円だ。

スミダマンは今日一日歩くのでガッツリの朝カレーセットで勝負。

朝カレーは脳の血流を増加させ、集中力を上げ、免疫機能を高めたり、

新陳代謝を向上させたりする様々な効果があるらしいとのコメントが付いている。

サラダはポテトサラダが付いていて、野菜と胡麻のドレッシングが付いている。

カレーはビーフのみの相当煮込んだもので、なかなか奥が深い逸品でした。

これはおすすめのクロックムッシュサンドセット1,100円。

厚切りハムチーズを挟みこんで焼き上げたフランスの伝統的サンドイッチだ。

こちらもおすすめのクロワッサンサンドセット1,180円。

ふわふわのクロワッサンにボイルタマゴとベーコンを挟みこんで焼き上げたもの。

とても美味しそうに撮れていますネ!

そして最後にご紹介するのが当店自慢のスペシャルブレンド「龍之介」。

これは京都の老舗で修業を積んだ前田隆弘が創業当時に考案したコーヒー。

ブラジル、グァテマラ、コロンビアの厳選した3種を配合し、

京料理のように上品で後味がすっきりした飲みやすいブレンドで仕上げている。

厳選を重ねた最高級豆のコーヒーはお湯を必ず一度沸騰させ、

粉とお湯の量は人数分を守りコーヒーを淹れている。

粉は一度蒸らして膨らませ、

ゆっくり丁寧にもてなしの気持ちを込めて淹れることを守っている。

人数分を抽出し終わった粉からは渋みなどの

悪い成分が出てしまうため素早くサーバーから外す。

もったいないですがこの潔さが美味しさを保つそうだ。

とにかくスミダマンの記憶の中では最高のこれ以上ない絶品コーヒーだった。

 

 


真宗 佛光寺

2022-04-25 06:05:13 | 旅 ~京都

https://bukkoji.or.jp/

今回の早朝散歩はホテルを出て1~2分にある真宗佛光寺派の本山の寺院をじっくり探策してきた。

写真の左側の高い建物が宿泊しているホテル日航プリンセス京都だ。

時間は早朝6時に出発。

佛光寺(山号は渋谷山)の創建は伝暦2年(1212年)開山は伝親鸞。

そして中興年は元応2年(1320年)、中興は了源だそうだ。

寺の筋塀には大きな文字で慶讃法令基本理念として

「大悲に生きる人とあう願いに生きる人となる」と書かれている。

因みに筋塀の定規筋の数がお寺の格式を表し3本4本5本のうち5本が最高ランクになる。

佛光寺は5本ある最高ランクのお寺だ。

当寺は後醍醐天皇が東南の方向から一筋の光が差し込むという夢を見たという場所に

興正寺の盗まれた阿弥陀如来の木像が出てきたという霊験に由来したという。

そして天正14年(1586年)豊臣秀吉により現在地に移った。

左側が阿弥陀堂で右側が大師堂、ともに明治12年(1879年)に再建された。

人気のない本堂周辺を歩いていたら中年男性が大師堂(明治17年(1884年)再建)の

扉を開けて入っていった。

最初はお寺の関係者だと思ったがネクタイを締めたサラリーマン風の方だったので

おそらく部外者の方だと思う。

近づいていくと階段のところに「どうぞ遠慮なくお上がり下さい」と

書かれていたのでその人は入ったのだろう。

スミダマンもその人に倣ってそっと障子の扉を開け、堂内に入ったところ、 

かなり暗く、本尊がぼんやり見えた。

ところが突然、光が灯った。後光が差したような厳粛な気分になり

思わず深く手を合わせた。

内部須弥壇上に見えるのが親鸞聖人の坐像。

阿弥陀堂と大師堂の前には天皇家(三笠宮同妃両殿下)お手植えによる

紅枝垂桜3本がまだ4~5分咲きで咲き始めていた。

広い境内の片隅には龍の手水舎と味のある茶釜みたいなものがあった。

明治17年(1884年)に再建された大師堂門(御影堂門)と

その他の門の周辺に美しく咲いていた桜。

しみじみ佛光寺境内を巡ってみるとこの寺は

今も生きているといった感じを強く持った。

ご覧の横断幕には宗祖親鸞聖人御誕生850周年法要、

立教かいしゅう800年法要、そして聖徳太子1400回忌法要と書かれている。

そして毎朝7:30から茶所布教(朝のおはなし)が行われている。

「心を込めて 草花を植え 怒りを込めて 雑草を抜く

草花のいのち 雑草のいのち どちらも同じ」

大師堂門を出ると突き当りまでの一本道。

佛光寺の塔頭的な建物が並び、この通りに何か不思議なパワーを感じた。

やはり早朝の散歩はいいですねー!何かを感じてしまいます。

 


ホテル日航プリンセス京都

2022-04-23 06:24:47 | ホテル・旅館

今回宿泊でお世話になったのは京都駅烏丸中央口から車で約5分、

烏丸通りと高辻通りの交差点を東にちょっと入った「ホテル日航プリンセス京都」さん。

実は秋の紅葉を楽しみにセットしていたが急に体調を崩し前日キャンセルしたところ、

その対応が素晴らしく今回はお詫びを含めて当ホテルに来なくては、との思いで訪ねた。

当ホテルはオークラニッコーホテルのチェーンホテルで

京セラ興産(株)が100%出資会社だ。

京セラフィロソフィ(考え方)の1つである。

「従業員=家族」を重んじることなど、

当ホテルでは全従業員の物心両面に貢献することを経営理念に掲げている。

ホテル規模は地下2F、地上14F建てで客室は216室ある。

1階のホテル内の様子。

石貼りを基調にシックな内装仕立てで落ち着いた雰囲気。

玄関を入ると正面に2階への舞台のような大階段が迫ってくる。

ロビーには裏手の方に控えめにソファーコーナーが2ヶ所に分かれ、

右奥にフロントディスクがある。

スミダマンとしては好印象を得た空間が広がっていた。

1階にあるカフェ&ダイニング「アンバーコート」。

スミダマンの京都でのホテルライフは最近、

朝食・夕食全て外食のため、ただ夜寝るためのホテルとなっているので、

ホテルレストランにはほとんどお世話になっていないのが実情だ。

ロビーの一角には桜の季節ということで「牡丹桜」の活け花が

確かな存在感を主張していた。

因みに牡丹桜とは八重桜の別名で、花弁が重なった状態で咲き、

花の色は白・黄・紅色など多くの品種があるそうだ。

ホテル1階のギフトショップ「和小路(なごみ)」。

限られたスペースに京銘菓、工芸品、京漬物などの京土産の定番はもちろん、

ホテルスタッフが厳選したおすすめのアイテムが多数あり、

確かにその密度レベルは高いものを感じた。

フロントの横には最近見かけるようになった外貨の両替機がさりげなく置かれていた。

ホテルの部屋から見た東山方面の景観。

窓硝子のところには親切に立体パースが画かれていて、

それを見ながら1つ1つ京都の風景を楽しむことができる。

これも1つのおもてなし表現でドンドン広がると良い。

ルームオーダーとして東山サイドをリクエストしておいて良かった。

部屋はゆったりと広く明るい色調でコーディネートされ、

バスルームは広いスペースとバスタブでリラックスできるのが当ホテルの売り。

さらに当ホテルは京都の大きな魅力の1つ「名水」を

豊かな地下水脈から天然水として汲み上げ、

少量の水道水を混合の上、全館で使用している。

最初はこのことを知らず、なんと気持ちの良いお風呂なんだろうと思っていたが、

その訳が後からわかった。

また、ベッドのマットレスにエアウィーブを導入し、

より質の高い睡眠を提供しようとしているのも素晴らしい。

何か褒めすぎのような気もしてきたが、ついでに参考として

当ホテルグループは「ワンハーモニー」というプログラムを実施している。

入会金・年会費は無料で入会すると宿泊価格のサービスほか、

各種サービスが付くので入会した。

そしてこれが部屋から見た朝6時ごろの東山方面の早朝の風景。

さぁ、これから毎度の早朝散歩の出発だ。

下に見える大きな屋根の建物が「仏光寺」です。

 


清水寺のライトアップ

2022-04-22 06:15:49 | 旅 ~京都

美味しい三嶋亭のすき焼をいただいた後、

この日がライトアップ最終日という清水寺へ向かった。

清水寺エリアに近づくと道路は大渋滞。

いつ到着するかわからない状態になったため途中下車。

徒歩でようやく清水寺の仁王門のところにたどり着いた。

ライトアップされた朱色が鮮やかに浮き上がった仁王門と三重塔が迎えてくれた。

さらに境内を進んでいくと紅枝垂桜、枝垂桜、そして新緑の葉の3色のグラデーションが

ライトアップで浮き出された妖艶な美しさは言葉を失うほどの見事な光景だった。

西門の下からの三重塔と西門の桜。

高さ約31m、国内最大級の三重塔。

現在の建物は1632年に再建されたもので重要文化財。

西門は1631年に再建のもので、ここから見る西山の日没は素晴らしく

極楽浄土に往生する入口の門だ。

これも重要文化財。

それは桜のライトアップが美しいのは当然だが、

青く芽吹いてきた樹々のライトアップもとても新鮮で目に迫ってくる。

観音様の慈悲を表す青い一筋の光が輝く、清水寺の春の夜。

心が洗われる光景にウットリ。

清水寺から見た京都市街の中心部。

そして京都タワーを見ていた人が大きな声で言った。

「ウクライナ国旗のカラーにライトアップしているゾ」。

山の向こうに小さくライトアップされた三重塔は子安観音(千手観音)をお祀りし、

その名の通り、安産に大きく信仰を集めている小安塔(重要文化財)。

本堂(清水の舞台)外陣の西側に祀られている出世大黒天像。

仕事運や金運が上がる霊験高き大黒様だ。

本堂にはこのように大勢の参拝者が祈りを捧げていた。

お寺のお香の香りは一種独特の雰囲気を演出する。

夜の参拝もまた違った良さがある。

清水の舞台から見た奥の院のライトアップは一段と輝きを増し、

この世のものとは思えぬ時が流れていた。

この奥の院の真下に有名な音羽の瀧がある。 

ところで、この写真をアップして気がついたのですが、2枚目の写真

右側の奥の院の屋根の左上、龍が頭を出している様に見えませんか? 

竜神様が出た!!・・・・

 

春華やぐ京の都では市内のあちらこちらで桜のライトアップや

社寺の夜間特別拝観が行われている。

古都を彩る清水の美しく幻想的な春の夜を心ゆくまで楽しむことができた。

大渋滞の中を苦労してきた甲斐があったというものだ。

帰りは清水寺を出て参道を進み右に折れるとまたまた有名な産寧坂(三年坂)に出る。

石段を下る所に1本枝垂桜がほのかにボンヤリと見え、

その情緒に浸りながら帰路についた。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編386~

2022-04-21 06:18:01 | 食~番外編(京都)

三嶋亭 本店

京都市中京区寺町通三条下ル桜之町405

TEL 075-221-0003

定休日 水曜日、不定休

創業明治6年、日本のすき焼店の草分け的存在として140余年にわたる歴史を誇り、

有名人や海外の間でも知られるようになった。

京都寺町三条の賑やかな界隈に建つその姿は

まるでタイムスリップしたかのような趣きのある店構え。

京都らしい京町屋造りの店構えはこの辺りのランドマークでもあり、

その佇まいで歴史を感じさせる。

シンボルといえる行灯に瓦屋根、京都らしい風情が溢れていますネ。

この本店では精肉、生総菜の販売コーナーもある。

店の外看板には本日の奉仕品の札が出ていた。

このコーナーもどことなく文明開化の雰囲気が漂っていましたネ。

数寄屋造りの店内に足を踏み入れると、四季折々の表情を見せる坪庭や欄干、

天井、格子など、そのほとんどが明治の創業当時のままになっており、

お料理はもちろんですが、華やかかりし文明開化時代の歴史と

伝統を感じる空間が広がっている。

御公家侍に仕えていた初代三嶋兼吉は、その妻・ていと共に長崎で牛鍋を学び、

明治6年に京に戻り現在の地、寺町三条で三嶋亭を創ったのが当店の始まり。

現在は五代目が頑張っているそうだ。

三嶋亭さんは個室が18室もあり、全部で180席もある大きなお店だ。

今回は京都の雰囲気を感じながら文明開化の香り漂うすき焼が食べたくて

敢えてここ大広間を予約した。

この大広間は天井の網代、欄間など明治の風情を残し、

畳席でのすき焼は、今、京都にいるなーと感じさせてくれる。

テーブルは朱色の漆塗りのようなテーブル、

そして炭火に近い効果が得られる電熱器が使用されている。

このテーブルも郷愁に浸る空間であった。

また、大広間の中央天井に設けられている照明器具の存在感がすごい。

この工芸造り枠は番浦省吾氏の作品だとか。

こちらが三嶋亭さんのおしながき。

コースはすき焼、オイル焼、水だき、季節限定(11月~2月)としてみぞれ鍋がある。

お値段も立派で月コース15,730円だ。

因みにお昼のコースは7,986円とお得な設定。

そしてコースをよく見るとなんと円の文字が戦前の圓の漢字を使っているのには驚いた。

こちらは中国語、英語バージョンのメニュー。

コロナ前は多くの外国人が日本の味、すき焼に舌鼓を打っていたのだろう。

当店の調理方式はすべて着物姿の仲居さんが調理をしてくれ、

お客は盛られた料理をいただくだけという贅沢な食べ方。

その分しっかりとサービス料は取られている。

こちらはお通し。

何だったのかすっかり忘れてしまったが、牛肉と野菜の和え物みたい。

器もなかなかシンプルでいいですネ。

それでは三嶋亭のすき焼ワールドの始まり始まり!

配膳台に置かれた、まずは大きくて肉の厚み、

そしてサシが入った牛肉(この日は熊本県産)。

付け合わせの野菜、豆腐など。

そして卵を割った取り皿。

昔から思うのは関西風のすき焼の仕込み方は最初に鍋に砂糖をまぶしていく。

昔行った明治村で食べた牛鍋がこのやり方ですごく美味しかったことを思い出した。

砂糖をほどほどに熱した上に牛肉を入れ、

長い伝統の中で五代目がさらに進化させ完成させた秘伝の割り下を入れる。

これが小分けされた第1回目のすき焼バージョン。

旨そう!

いや、すごくマイウーなのです。

次に野菜バージョン。

もちろん長ネギは九条ネギです。

次に第2回目の野菜すき焼バージョン。

ある意味、口直しになる。

次に第3回目のバージョンは牛肉の上に三つ葉を添えた料理法。

これもサッパリ系で乙な食し方だ。

ごはんと漬物、肉そぼろのセット。

最近名店で感じるのはご飯の味と香りのこだわりだ。

当店もそれを感じた。

最終のデザートは柑橘系の逸品。

これ美味しかったナー。

なぜかこの旅ではこの系統のデザートがあと2回続いたのは偶然か。

三嶋亭のある寺町通りと三条通りの交差点風景。

この交差点は桃山時代以来、段賑を極めたところである。

三条通りは平安京の三条大路にほぼ該当し、

古くから東国、西国に通ずる道路として重視された。

寺町通りは平安京のほぼ東京極大路に当たり、南北を通貫していた。

中世には戦乱によって衰退していたが、

天正18年(1590年)から始まる豊臣秀吉の京都大改造によって道路が修復・再生された。

主として、洛中に散在していた諸寺院がこの通りの東側に強制的に

移転させられたので「寺町」の名が付けられたが、

西側には多くの商店街が軒を連ねた。

数珠屋、位碑屋、石塔屋、仏師、書店、筆屋、

楽器屋、人形屋、紙表具屋、扇屋、白粉屋など、

宗教・文具・装飾関係の店があり、多くの人々を誘った。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編385~

2022-04-20 06:09:00 | 食~番外編(京都)

岡崎庵 Cafe

京都市左京区岡崎円勝寺町91-65

TEL 075-762-1616

https://okazakiancafe.wixsite.com/okazakiancafe

桜を求めて南禅寺別荘群からテクテク歩き続けてちょっと歩き疲れてきたので

休憩ティータイムで立派な紅枝垂桜のシンボルツリーに惹かれて岡崎庵Cafeに入った。

この枝垂桜は樹齢60年を超すとか。

陽気もテラス席でくつろぐのにちょうど良く、

お花見をしながら優雅なひとときを過ごすことができた。

当店は2019年1月10日にオープンした京都岡崎に佇む和邸宅カフェ。

散歩途中や旅の途中に立ち寄るのにちょうど良く、

時の流れを忘れられるほどの寛ぎの空間がある。

店内も和のテイストを感じられる内装で仕上げられ、

ゆったりしたソファー席が用意され、満席状態であった。

これが当店のメニュー。

メニューをよく見るとさすが京都、抹茶関係のメニューが多く目に留まる。

どうらや当店は京都宇治の本格的抹茶「貴長」を使っているらしい。

ユニークなのは、とびばこパン、パンにナンバーが振られ、アイディアに富んだ商品だ。

また、メニュー各称に「結」「祝」「縁」というのがあり、

当館がウエディングを取り扱っているのとつながっている。

トッピングも白玉3つ、おいり、あずき、生クリーム(+110円)と

いかにも京都のおもてなしの心が伝わってくる。

抹茶づくし 1,200円。

和のスイーツは見た目にも心が落ち着く。

カラフルいちご最中&抹茶 660円。

これは子供が喜びそうなかわいらしい逸品だ。

疲れた体にこの甘いボリュームと抹茶の組合せが絶妙でベリーグッドでした。