スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

スミダのリノベーション

2018-09-29 05:30:16 | お仕事

皆さま、こんばんは😃🌃

毎度、ご愛読ありがとうございます!

たまには、営業しちゃお!

ちょうど、私が提案した、リノベーションが

完成しましたので、当社のリノベーション技術をご紹介したいと思います。

今のご時世、人口減少、少子化世帯の日本では、築年数が経っていて、間取りが3DKや3LDK のマンションは、

空室が目立ってますよね。そこで、私が提案したのは、築年数が

経っていても、ディンクス?デュークス?

もしくは、お子さまお一人世帯をターゲット

にした、お洒落な2LDKへのリノベーションです!

まずはTV モニターホーン

防犯対策!

新築マンションであれば当然!

ホワイトを基調とした、お洒落なフローリング。シューズボックスも装備。

ちょっとしたことですが、

照明のスイッチも今風に🎵

 

バスは追い焚き機能のユニットバス

これは、もう必須です!

ネット検索で追い焚き機能付きがないと

引っ掛かりません。

洗面化粧台もドレッサー付きは

もちのろんで常識設備です!

キッチン!

欲を言えば、ガスコンロ、食洗機付きで

あれば、良かったですが、十分ではないでしょうか。

クローゼットのドアもフローリングと

マッチさせました!

今回、いちばん拘ったのは

LDK のトップスポットライト。

かなりお洒落な雰囲気です!

この他、各お部屋、脱衣室など、随所に

アクセントクロスで遊び心を演出しました!

こうして、築30年のマンションは新築に生まれ変わりました!

まさにスミダの匠なデザインと施工力の賜物です!

さすが創業107年目に突入老舗会社!!!!

ご愛読の皆さまで、空室があるマンションをお持ちの方、

お知り合いで困っている方、

あるいは、戸建てのリノベーション、トイレ、浴室などの交換など、

ちょっとしたことでも構いませんので、ご相談くださいませ!

見積りだけでも当然無料で、ご提案させて頂きます!

お値段も、おそらくハウスメーカーのリフォームよりお安く出来ると思います!

少しでもお考えであれば

是非、営業担当の池田までご連絡ください!

当然、ボスに直接連絡でもOKです!!

048-882-0166(会社)

090-5990-6010(池田携帯)

 

 

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ~番外編212~

2018-09-28 06:31:20 | 食~番外編(都内)

 

「らぁめん小池」

世田谷区上北沢???

 

5月にうちの愛犬のフレンチブルドッグ

が死んで、ペットロス状態だったが

やっぱりなんか飼いたくなってきちゃいました❗

かみさんが、ネットで探してて、上北沢に

いい店があるとのことで、行って来ました❗

だいたい価格は50~60万円くらい…😱

うちのは12年前で42万円だった。

当事でその価格だと今なら100万円以上は

くだらないと、店員さんは言ってた❗

お金貯めないと…😱

 

ちょうどお昼時だったので

店員さんに、いいラーメン屋さんを

紹介してもらった❗

世田谷区上北沢の有名店らしい

ミシュランガイド2016にも載った❗

ラーメン小池🍜

 めちゃめちゃに旨かった❗

都内はスゲーなあ❤

是非、また足を運んでみたい

ラーメン屋さんだ🎵

この小池さんとは

まったく関係ない…😱

 

 因みに

享年12歳で天国に旅だった

俺のフレンチ

両親がアメリカンチャンピオン

という、最高血統のフレンチだった❗

こいつ以上を僕は探し続けよう🎵

ボーナスに期待する…😱


富山市ガラス美術館

2018-09-27 06:27:58 | 建物

「ガラスの街とやま」を目指したまちづくりの集大成として、

平成27年8月に富山市ガラス美術館が開館した。

この美術館は富山市立図書館本館などが入居する複合施設

「TOYAMAキラリ」内に整備され、富山市の中心市街地に位置することから

文化芸術の拠点としてだけでなく、まちなかの新たな魅力創出の役割を担っている。

この建物の設計は今や売れに売れている世界的建築家の

隈研吾氏が手掛けた。御影石、ガラス、アルミの異なる素材を組み合わせ、

表情豊かな立山連峰を彷彿とさせる外観となっている。

又、後程紹介しますが、内部は富山県産材のルーバー(羽板)を

活用した温もりのある開放的空間となっている。

又、建物の裏面も大きな壁面緑化に成っており、一見の価値がある。

入口の横になにげなく設置されていたベンチをよく見ると

外壁建材の押出し成型版が使われている。表面は塗装化粧し

デザイン化してある。成程、こういった使い方があるのだと感心した。

ここは戦災以前からこの地に建ち長く富山市民の生活の中心と

なってきた旧大和百貨店の跡だ。

そしてこの館内総合案内の木は、旧大和百貨店を支えていた

松杭を掘り出し、再利用しつくられたものだ。

2階から6階まで斜めに伸びた吹き抜けを囲むように大きく

美術エリアと図書館エリアが配置されている。

そして吹抜け空間のあらゆる所にルーバー(羽板)が使われている。

これが隈研吾氏の真骨頂の1つだ。最上階の上は大きなトップライトで

やさしい光が大空間に射しこんでくる。最近のトイレなどの

案内標識もデザインが随分変わってきた。

図書館フロアは児童図書、一般図書、参考図書の3フロアに

配置されている。本当におしゃれな空間の図書館だ。

2階にはまちなかの景色を眺めながら、美術鑑賞の余韻や

図書館で借りた本を楽しめる空間のカフェがある。そしてカフェ空間と

共有部分を間仕切っているのが造花を差した布製の大カーテン。

とてもやさしい仕切りとなっている。

6階はグラス・アート・ガーデン。現代ガラス美術の巨匠

ディル・チフーリ氏によるインスタレーション(空間美術)5作品を展示している。

シャンデリアと題した作品。深緋(コキヒ)、瑠璃色(ルリイロ)

鬱金色(ウコンイロ)という日本の伝統色がタイトルになった

三色のシャンデリアが並んでいる。

トヤマ・リーズ。リードとは葦(あし・よし)を意味する。

作品には富山県産の木材が使用されている。

トヤマ・ペルシャン・シーリング。海の生き物や天使を連想させるような形など

約400個のガラスのパーツが天井一面に敷き詰められている。

この作品を見た時、ラスベガスのホテルベラジィオの

フロント天井のガラス天井を思い出した。

トママ・フロート・ボート。富山の神通川の渙で使用されていた笹舟と

117個のフロート(浮玉)が展示されている。この内95個が富山で作成された。

トヤマ・ミルフォオリ。ミルフォオリとはイタリア語で千の花を意味します。

「リード」や「フロート」など様々な形のパーツが並んでいます。

5階ギャラリー1・2ではアートフェス富山2018.アートアワードが

開かれていた。このアートアワードは富山の次世代アーティストを対象に

今後の制作活動につながる機会を提供するコンペティションだ。

この日は3日間開催の最終日であった。

会場の光景。平面・立体部門とガラス部門の2部門に分かれている。

ここは平面・立体部門エリア。

 

 

それでは賞を受賞し、自分的に気に入った作品を紹介します。

ガラス部門でグランプリ賞を受賞した作品「花の器」

4階常設展示室(コレクション展)を外からガラス越しに撮った2枚。

ガラスという素材は自分的にはとても好きで、この日はとても良い物を

見せてもらったという満足感で満たされた。

 


池田屋安兵衛商店

2018-09-26 06:29:44 | 地元企業

越中富山の薬売りで有名な富山の売薬は医薬品配置販売の通称で、

先用後利(用いることを先にし、利益は後から)が基本理念となっている。

富山の売薬には面白い逸話がある。

17世紀後期、富山藩第二藩主、前田正甫が江戸城で腹痛になった

三春藩主の秋田輝季に反魂丹を服用させたところ

腹痛が驚異的に回復した。(江戸城腹痛事件)このことに驚いた

諸国の大名が富山売薬の行商を懇請したことで有名になり

全国どこでも商売ができる「他領商売勝手」が発布された。

ここは薬都とやまの伝統を今に受け継ぐ越中反魂丹本舗

「池田家安兵衛商店」

http://hangontan.co.jp/

かつての製薬倉庫や居住空間を吹き抜けにした店内。

1階では和漢薬の販売、漢方相談、製薬・健康茶などを扱っている。

又、この建物は富山の中心市街では最も古い木造建築物の1つだ。

お店に入ると最初に「越中反魂丹」の説明を受ける。反魂丹は

江戸時代に製造が始まった富山を代表する薬。動・植物性の製薬を

効果的に組み合わせて作られている。ここでは昔ながらの

職人技を見ることができる。「越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて

万金丹、それを飲む奴ァあんぽんたん」すごく懐かしいフレーズだ。

店内には当店の歴史を感じさせる写真が展示してある。

当店は創業昭和11年、初代池田実が和漢薬種問屋として暖簾を揚げた。

そして戦後まもなく江戸時代に一世を風靡した

「反魂丹」の製造販売を始めた。

当店は昔ながらの「座売り」に拘っている。和漢薬は症状のほか

体力や体質などの証に応じて処方される。この証を詳しく正しく

導き出すためにはお客様の話をしっかり聞くことが大切だとか。

店頭では懐かしいレトロなパッケージ袋が目白押しに並べられている。

1つ1つよく見ると袋の絵と薬名がおもしろい。

例えば解熱鎮痛アスナオール、頭痛歯痛薬ケロール、

ズバリ、セキトマルそして有名なケロリン。

この黄色のケロリン桶は温泉、スーパー銭湯などでよく見かける。 


越中八尾おわら風の盆

2018-09-25 06:08:35 | イベント

これが今年のガイドマップの表紙の写真、本当にこのおまつりの

写真は絵になる。越中八尾(やつお)町は2005年の平成大合併に

よって富山市を中核とした富山地域6市町村と合併した。

毎年9月1日から3日にかけて行われる「おわら風の盆」に

だいぶ以前から行きたいと思っていたが、とうとう今年行くことができた。

このおまつりはとにかく歩く。坂を登る。流しを捜す。こちらが

待っていては何も見られない。そんなおまつりだそうだ。

越中八尾の街には11支部おわら保存会がある。

おわら風の盆はその支部毎に日程を定め行なっている。

各町にはそれぞれの個性があり、踊り、囃子、着物などに微妙に違いを出している。

ここ「福島」は旧町から移り住んだ人達を中心として結成された

最も新しい支部だ。歴史は浅いものの、11支部の中で

最大のおわら人口を誇る支部だ。風の盆期間中は駅横の

特設舞台でステージ踊りが実施される。又、大人数で広い通りを

流す福島独特の町流しは見応えがあり、大変好評だそうだ。

おらわ風の盆は雨に弱い。おわらに使用する楽器(胡弓など)は

雨が降ると使用不能になる。又高価な衣装の保護の為、

雨が降るとこのおまつりは中止になってしまう。今年はこの時期の

天気予報が微妙で半ば中止を覚悟していたが、当日の夕方は

ご覧の様なビックリする程の美しい夕焼けに成って観光客を迎えてくれた。

JR越中八尾駅の近くの地鉄バス駐車場から「坂のまち大橋」を渡り

天満町あたりからダラダラ坂になり、おわら演舞場まで約40分歩く。

八尾が全国に誇る民謡「越中おわら」は300年の歴史をもち

叙情豊かで気品高く、綿々としてつきぬ哀調の中に

優雅さを失わぬ詩的な唄と踊りだ。

今町の青年男女がスタンバイに入った。旧町の古刹聞名寺の正面に

位置する今町支部はかつては中町と呼ばれていた。

青年男女が絡む男女混合踊りはこの支部が他支部に

先駆けて取り入れたものと伝えられており、創作当時のスタイルを大切に守っている。

東町に入った所に男女の踊り手と一緒に記念写真が撮れる店を発見。

ところで「おらわ」の起源については、口伝によると

八尾町の開祖米屋少兵衛の子孫が保管していた町建に

関する重要秘文書の返済を得た喜びの祝として、

三日間、歌舞、音曲は言うに及ばず、その他いかなる賑わい事でも

とがめないから面白く町内を練り廻れというおふれを

町役所より出し、俗謡・浄瑠璃・その他思い思いの催しをなし、

三味線、太鼓、尺八、鼓などの鳴り物に和して昼夜の別なく

町内を練り廻ったのが始まりとか。この祭日三日が孟蘭盆3日に変わり

やがて210日の厄日に豊穣を祈る「風の盆」に変わったと言われている。

風の盆を見るには大きく2つの見方がある。ステージでの鑑賞と

各町内踊りでの町流しだ。初めての人にはおわら演舞場

(八尾小学校グランド)がおすすめ。但し有料だ。

丁度到着PM7:00。この日の当番支部は7:00から

25分間福島支部だ。席は地方席のサイド、前から4列目の最高の席であった。

越中八尾1

越中八尾2

往時を偲ばせる佇まいの家々が建ち並び、坂のまち風情を

色濃く残している諏訪町支部。東新町へと続く緩やかな坂道に

ボンボリが並び、狭い家並みにおわらの音曲が反響し、

道の両脇を流れる「エンナカ」と呼ばれる用水の水音と

相俟っておわらにとって最高の舞台を演出する。

越中八尾3

越中八尾4

東町は旧町でも古い町にある支部で、かつては旦那町と呼ばれた程

大店が連なっていたと伝えられており、他支部と違う

色合いの女性の衣装に当時の旦那衆の遊び心が伺い知れる。

この町からはおわらの名手が輩出され、おわらの芸術性を育んだ町でもある。

演舞場ではこの日最後の下新町支部出演が8時30分からであったが、

時間の予定もあって町流しを捜しにおわら演舞場を後にした。

越中八尾5

町流しで最初に出会ったのが、西町支部。ここは東町とともに

旧町の中心にあって旦那町として栄えた支部。

今でも土蔵造りの家や風情ある酒蔵、格子戸の旅籠など情緒あふれる

建物が残っている。又禅寺橋の石垣をバックにした

輪踊りには独特の風情が感じられる。

富山県出身のタレント柴田理恵のお母さんの実家が経営している

老舗旅館「宮田旅館」は江戸時代から続く古い建物だ。

柴田理恵はおわら風の盆の時期は必ず八尾に帰って来ているらしい。

正面に見える白い建物が曳山展示館ホール。風の盆のやっている3日間、

午後2時から午後4時までおわら踊り方教室を開催している。

又1日4回踊り説明と舞台踊りの鑑賞もここでは出来る。

八屋にはたくさの川があり、大雨が降る度、川が氾濫し、

人々は高台へと移り住むようになった。石垣の上に家が建ち

並んでいるのは今では八尾を代表する景色の1つになっている。

動画6

11支部の中で最も南に位置する西新町支部。新しく区画割されたことを

あらわす「新屋敷」という通称でも呼ばれる。腰を深く落としてから

大きく伸びあがる所作の男踊り、また繊細かつ優美な女踊りと

相俟っての町流しは見応えがある。

諏訪町の先に合って、おわら保存会11支部の中で最も

高台に位置する東新町支部。夜10時も過ぎて、夜食休憩か、

道路に座り込んで飲んだり食べたりしていた。この支部には

カイコを奉った若宮八幡社があり、その境内で披露される

おわらには独特の風情があるという。

東新町から諏訪町へ向けての一本道。ここが八尾のメインの通りで

坂道になっているのが、ボンボリの光で分かる。

この道は日本の道百選通りに選ばれている。それにしても

今回つくづく感じたのは夜あまり照度が無い中で

踊り、舞う姿を上手にカメラで撮るには技術と知識と良い道具がいることを

痛感させられた。難しいものだ。

諏訪町で、2階から町流しを見る為、又疲れを取る休憩所として

旅行屋さんが借り上げてあった町屋「山笑庵」。

しばらく流しが来ることを期待して待っていたが、

とうとうこの前には町流しは来なかった。

越中八尾6

夜も更けてきて、午後11時、最後の町流しを見ようと

鏡町に来たがご覧の様にもう立錐の余地も無い程の混み様。

しかも疲れてきた。かつては花街として賑わった町の鏡町支部。

女踊りには芸妓踊りの名残もあって、艶と華やかさには定評がある。

鏡町支部への入口でもある、おたや階段下が支部のメイン会場と

なっており、その会場で行われる舞台踊りや輪踊りをおたや階段に

座って鑑賞するスタイルが有名だ。

おわら風の盆の踊手の特徴は顔が見えないくらいに深く編笠を被る事。

風の盆が始まった当初は、照れや恥ずかしさから人目を忍び

手拭いで顔を隠して踊ったのが始まりだったと

伝えられている。編笠に変わった今もその名残で顔が見えないくらいに

深く被る。この2枚は踊りが終わって休憩を取っている男女の踊り子。

編笠を被って踊っている時はとても色気があり、又颯爽としていて

大人のにおいがプンプンするが、終わって素顔を見ると

ほとんどの人がまだあどけない。一体この落差は何なんだろう。

とにかく暗闇の中での幽玄の世界へどんどん引き込まれていく。

このおわら風の盆は俗にいうインスタ映えがするまつりだ。

と同時に写真のセンスとテクニックもいる。今まで数多くの写真を見て

女子踊り子さんの帯が黒いのに気が付いたでしょうか?

その昔、おわらの衣装を揃えた際、高価な帯まで手が届かなかったので

どこの家庭にもあった黒帯を用いて踊った名残と言われている。

この日はテクテク歩いて結局8支所の踊りを見ることが出来た。

残りは上新町支部、下新町支部、天満町支部だけだった。

アーくたびれた。ホテルに着いたのは夜中の午前1時過ぎに成っていた。


富山・砺波地方

2018-09-24 05:50:28 | 旅 ~国内

足が丈夫な内に、どうしても「越中八尾おわら風の盆」が

見たくて9月1日、2日に富山に行って来た。

北陸新幹線開通に伴って2015年に完成した富山駅新駅舎

(JR西日本・あい風とやま鉄道駅舎。)富山駅の開業は明治32年に遡る。

乗車人員は1日7843人(降車客含まず―2016年)だ。

駅構内におもしろいエレベーターを発見した。

普通はロープで上下するが、ここのは油圧式で迫力満点、とても目立った。

平成18年開業した富山ライトレール線の富山駅北停留場。

日本初の本格的LRTとなる富山ライナーレールは公共交通活性化を

軸としたコンパクトで持続可能な街づくりに貢献し、全国地方都市の

先駆的モデルとなっている。又、グッドデザイン賞金賞(建築、環境デザイン部門)を

受賞している注目LRTだ。

中核市である富山市は人口416,498人(2018年4月1日推定)。

平成17年の合併により、全国の県庁所在地の中で2番目に広い

総面積を持つようになった。(因みに1位は静岡市)富山市市街地の道路は総じて広い。

これは昭和20年8月1日、2日の富山大空襲によって、市街地の

99.5%が焼失し、城下町としての入り組んだ町並みや面影は破壊された為か?

そして戦後近代都市計画が推し進められたからだ。

この空襲は地方都市へのものとしては最も被害が大きく、

現在も批判の声が根強い空襲の1つだ。

富山城は築城1543年(天文12年)、築城主は神保長職、水越勝重。

廃城は1871年(明治4年)。昭和29年富山産業

大博覧会開催を機に再建された。神通川(現在の松川)の流れを

城の防御に利用したので水に浮いた様に見えた為、浮城、安住城とも言われた。

又、滝廉太郎の「荒城の月」の着想の元になった城の1つとも言われている。

富山県にある信号機はよく見ると横並びではなく縦になっている。

これは雪が積もって見づらくならない様に縦にしたとか。

お国お国の違いがこんな所にも表現されているとはおもしろい。

旅ならではの発見だ。

富山市街地の西側には神通川が流れている。かつては富山の街の

東側を大きく蛇行していた。戦国時代には川のすぐ脇に

富山城が築城され、天然の堀として利用された。

富山市の西隣の砺波市は約人口48,000人(2018年4月1日現在)

散居とチューリップの街だ。

宿泊ホテルはここ砺波にあるホテル。まだチェックインまで

時間があった為、道の駅に立ち寄った。入口の所には

砺波市特産のチューリップ、40種類もの球根が売られていた。

砺波市ではチューリップの栽培面積が日本一を誇り、

年間600万球以上を生産している。富山県でのチューリップ栽培は

大正7年に東砺波郡庄下村から始まった。ここはチューリップの生育に

適した気温、日照時間、肥沃な土地、豊富で良質な

水などの自然の恵みがあり普及してきた。

他に富山米トップバッター富山生まれの新品種「てんたかく」の

新米が売られていた。この新品種は福井県生まれの「ハナエチゼン」と

宮城県生まれの「ひとめぼれ」を掛け合わせたもの。

一等小麦を名水庄川の清らかな水でこね合わせ細く長く伸ばしていくので

コシが強く歯触り良くとてもおいしい、大門素麺。

農家が田園に点々と散在する散居村の砺波平野の美しい風景。

広大な耕地の中に民家(孤立荘宅)が散らばって点在する

集落形態で一般的には散村と呼ばれている。日本国内最大とされる

砺波平野には現在およそ220㎞2に7000戸程度が散在している。

カイニョ(屋敷村)に囲まれた散居村の家々は中世まで遡りうるが

一般的には治安が安定し、為政者にとっても、農民にとっても都合が良かった。

生産性向上への関心が高まる近世期以降に形成又は

拡大したと考えられる。カイニョは防風効果もあり、燃料となり

建築用材になる杉が多い。

うまさ一番の富山のさかな10種

ホタルイカ 3月~6月 春を告げる富山湾の神秘

シロエビ 4月~11月 富山湾の宝石

バイガイ 通年 うまさ倍しあわせの倍の縁起物

アユ 6月~11月 夏を彩る清流の女王

紅ズワイガニ 9月~5月 富山湾の秋の使者

ケンゲ 9月~5月 コラーゲンたっぷり富山湾の珍味

クフラギ 8月~1月 王者を目指す秋の定番

ブリ 10月~2月 富山湾の王者

ウマヅラハギ 9月~3月 愛嬌あふれる冬の味覚

甘エビ 通年 富山湾のルビー

富山湾は天然の生簀と言われ魚の宝庫だ。


ヘルシンキ大聖堂(フィンランドの旅)

2018-09-22 07:12:42 | 旅 ~海外

ヘルシンキのシンボル、ランドマークの白亜の巨大聖堂、

ヘルシンキ大聖堂。1830~1852年にかけて

ネオ・クラシック様式に改装、カール・エンゲルによって

独自にデザインされ、彼の後継者であるエルンスト・ロールマンによって

継承された。その姿は碧のドームと白い外壁のコントラストが美しい。

ヘルシンキ大聖堂はフィンランド福音ルーテル派の本山となる

教会で大聖堂の屋根には12使徒の真ちゅうの彫刻があり、

これは世界最大の真ちゅう彫刻のコレクションになっている。

ここは教会の本山であると同時に最も有名な

ヘルシンキ観光名所でもあり、毎年35万人を超える人々が訪れている。

大聖堂の前はフィンランド最大の市民広場である元老院広場がある。

2000年代に入って御影石が敷き詰められ

大きな集会、デモなどが行なわれることがある。

又大聖堂と元老院広場は広大な階段で

つながって市民の憩いの場としても有名な所だ。

広い元老院広場の真ん中にはアレクサンドル2世の像が

デンと建っている。その頭のテッペンにはカモメが。

そうです、ヘルシンキは港町なのでカモメが飛んで来ても当然なのですが、

東京の都市辺りではこの様な風景はあまり見ない。

元老院広場に面したこの建物はガイドさんの話では

一番古い建物だと言っていた。

やはり元老院広場に面しているこの建物は政府が入っている建物と言っていた。

大聖堂の裏手の一帯は政府機関の建物が固まってあるとの事だが、

この建物は確か中央銀行(日本でいう日本銀行)と言っていたな。

その向かい側に建っていた風格のある立派な建物も

公的な所のビルと言っていたが、具体的には忘れた。

大聖堂の正面を真っ直ぐ路地に入っていくと途中、

素敵なストリートミュージシャンがとっても感動的な演奏をしていた。

ヘルシンキ1

ヘルシンキ2

本当はじっくり聞きながら動画を撮りたかったのだが、

団体行動で時間の制約もあって、良い曲が撮ることが出来なかったのが残念だ。

弦楽4重奏のストリートミュージックはあまりやっていないが、

このグループはとても素晴らしかった。ひょっとしてプロの集団か。

実はこの日は世界的に注目された大政治イベントが

ご当地ヘルシンキで予定されていた。この旅行中、

世界のニュース、動きからは取り残されていた我々は、

このことを直前まで知らなかった。それはこの数時間後にこの地のごく近くで

アメリカトランプ大統領とロシアプーチン大統領の

首脳会談が行われるとの事。ということでこの路地の先は通行ストップ。

ポリスが厳重な警備をしていた。

おかげで、一ヶ所見学する予定の場所へは行けなかった。

ということで元老院広場ではどこの国のどこの局だか分からないが、

赤いドレスの女性ニュースキャスターが緊張した

面持ちでスタンバイしていた。キャスターのそばにはビニール大袋に

化粧道具一式を肩にしょった女性が付いていた。

現地からのニュースリポートが報道される裏側をしっかり見てしまった。

大聖堂を少し降りた階段の所でも他局がリポートに向けて

セットの準備を進めていた。これを見ると現地リポートを

するだけでも大変なんだナーということが分かった。

この米ロ首脳会談を受け入れたフィンランド政府の警備準備は大変なものだ。

上空には軍のヘリコプターが飛び道路には大勢の警察官がスタンバイし始めた。

その中を小さなデモ隊が旗を持って行進していた。

この旗はウクライナ国旗だ。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編211~

2018-09-21 06:06:21 | 食~番外編(海外)

ichiban

海外旅行終盤になるといつも日本食が恋しくなる。

そこでショッピングモール内にすし屋さんを発見、迷わず入店した。

ヘルシンキ市内に2店舗あるSUSHI屋の1つ

カンピショッピングセンター内にあったのがichibanさん。

どうやら日本人が経営しているようだ。

帰国後、ヘルシンキ市内に寿司店が何軒あるか調べてみたら

なんと66軒もあった。今やSUSHIは世界のグルメになっている。

当店は全員が外国人。1人はご覧の様にキッコーマンの

Tシャツを着ている。巻き物を作っている女性の右手には黒い手袋。

何か違和感を感じる。でも見た感じはなかなか上手に作っている。

大したもんです。

これがメニュー。にぎり、細巻き、太巻き、いなりと所々読み取れる字が書いてある。

見た目は立派な寿司だ。特にサーモンは新鮮で油ののりも良く、

とても美味しい。フィンランドでいなりが食べられると期待して

いなかっただけに格別だ。味の方はイマイチからマーマーのあたり。

海外での寿司は日本レベルの味・サービスを求めては駄目だ。

寿司が食べられるそれだけで満足しなくては。

ビールはアサヒDRYとキリン一番搾りがあった。CHOYAの梅酒もあった。

これは感激ものだ。口の中はいち早く帰国してしまった感じだ。


ヘルシンキの街散策(フィンランドの旅)

2018-09-20 06:24:22 | 旅 ~海外

フィンランドは3分の2が森林で3分の1が北極圏

約18万もの湖がある自然に恵まれた国で、自国民のことを

スオミ suomi(語源は湖)と呼ぶ。サウナやキシリトールガムの

発祥の国で、サンタクロース、ムーミンの国だ。そして首都ヘルシンキは

「バルト海の乙女」と呼ばれる美しい街だ。

赤レンガ造りの北欧最大のロシア正教会、ウスペンスキー寺院。

内壁に描かれたテンペラ画キリストと12使徒は見逃せない。

バスの車中から撮った建物。なんのビルだか分からないが

目につき気に成ったので。

1919年に完成したヘルシンキ中央駅。ヘルシンキの玄関口で

フィンランド国内の各都市に向かう長距離列車の

大部分と全てのヘルシンキ近郊列車は当駅から出発する。

乗降人員は一日20万人だそうだ。因みにヘルシンキ中央駅の開業は1862年だ。

著名かつ歴史の長い3つの国立大学の合併により

生まれたフィンランドを代表する大学のアールト大学。

特に工学部の難易度および教育レベルの高さはヨーロッパでも有名だ。

 

名前は分からないが昼食後ブラブラしていたらビルに囲まれた

広い広場に出た。真ん中には幾何学的なモニュメントがあり、

又、若い女性がアイスクリームを売っていたのでパチリ。

片や古典的なビル、片やモダンなビル、両方とも目に付いた

印象的な建物だったのでアップしてみました。

ヘルシンキでもちょっと古いデザインだがトラムは走っていた。

北欧はLRT、トラムが発達した国々だという印象だ。

広めの歩道のセンターには自転車専用のラインがあった。

日本では見ないので物珍しく思いパチリした。

これはどうやらコインパーキングの精算機のようだ。

字を見てもとっかかりが掴めず、実際はよく分からない。

街角で見かけた生コン車。日本の生コン車に比べてかなり大型だ。

よく見ると生コン圧送のポンプ車と兼用しているようだ。

これは日本に無く合理的な発想だ。

高層ビルの建設現場。仕事柄どうしても関心が行ってしまうが、

フィンランドに限らず、海外ではクレーンはとんぼタワークレーンを

使っている所が多い。日本ではレッカー車。大型工事になるとタワークレーンを使う。

お世話になったこのバス会社すごいでしょ。バスのフロント

一番上の電光掲示板を見ると「バンザイ」と書かれてある。

日本の団体がバスを間違えない為の配慮だとか。

他のユニークな表現も聞いたが忘れた。

今回の旅のホテルで、初めてアメリカンスタイルの

ヒルトンホテルに宿泊した。アメリカブランドのホテルはなぜか

ホットするものがある。丁度この時もロシアW杯準決勝

フランスvsクロアチア戦がTVで放映されていた。

この旅で意外にもロータリーマークを見ることが少なかった中で、

当ヒルトンホテルではロータリークラブの例会場に成っているようだ。

隣りの和風提灯がとても気に成る。

北欧3ヶ国の旅も終わり、一路ヘルシンキ空港へ。


テンペリアウキオ教会(フィンランドの旅)

2018-09-19 06:53:16 | 旅 ~海外

ヘルシンキ市トーロにあるテンペリアウキオ教会は別名

「岩の教会―ロックチャーチ」と呼ばれている。

フィンランド福音ルター派教会に属しているキリスト教会で

1968年2月に、スオマライネン兄弟が設計して完成した。

本教会はフィンランドを代表する大胆な現代建築の傑作となっている。

教会を造る計画は1930年代からあったが、第2次世界大戦が勃発し、

計画は中断した。1961年に改めてデザインコンペが行なわれ、

スオマライネン兄弟による計画案が採用された。

予算の都合上、当初のプランの4分の1の大きさに縮小。

1969年9月に礼拝堂の選別が執り行われた。

教会は天然の小さな岩山を10Mくり抜いた地下に造られ、

上部側面にガラスをはめ込み、自然光が入り込むようになっていて

神秘的な空間を創り出している。ここは世界に1つの

岩の中にある教会として名を馳せている。

教会内壁はくりぬいた岩盤がそのまま使われていて、音響効果が優れている。

その為、しばしばコンサートホールとして利用されている。

この日はタイミングよくパイプオルガンで賛美歌が演奏されていた。

 

できるだけ自然の岩(花崗岩)を残すテーマとした造りで

華美な装飾が一切なく岩肌がむき出しの祭壇となっている。

その光と影がフィンランド建築の素晴らしさだ。

この教会には鐘がないが、作曲家タネリ・クーシストによって

録音された鐘の音が外壁のスピーカーから流れる様になっている。

席は1000席ほどのパープル座席があり、岩には氷河時代に

削られて出来た模様を見ることが出来る。

又ここ岩の教会は観光地としても有名で、

年間約50万人もの人々が教会を訪れている。

ドームでおおわれた天井には直径24M鋼板があり、

そのまわりには180枚の天窓のガラスが張られている。

ご覧の様に教会の周辺は高級アパートなどの住宅街。

その中でここだけが異様な岩山になっている。

とても不思議なエリアだ。