スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編183~

2018-01-31 06:50:21 | 食~番外編(県外)

お食事処 海花亭(うみはなてい)

藤沢市江の島2-4-11

TEL 0466-26-1473

皆さん、江の島が藤沢市にあるって知っていましたか?

島の中で住居表示を見て何か変な気持ちに成りました。

当店は江の島展望灯台、サムエル、コッキング苑前にある

海鮮丼のお店。実は行きたかった店は数十分待ちで

時間の制約もあり、この店に飛び込んだ。

江の島と言ったらシラス丼。ところが生シラスは3月10日まで

禁漁のため釜揚げシラスしかないとの事。残念!

ショーケースには浦和とは違い海の幸のメニューがズラリと並んでいる。

磯の香りがお客を誘うように、店頭でははまぐり、いか、さざえなど

焼いていた。江の島にはこの様なお店が到る所に並んでおり

3時のおやつ的に買いたくなってしまう。これは

日本の浜のB級グルメだ。

若干のウェイティングをして入店。席は80席あり、自分が

入るちょっと前はガラガラで今日はどうなってしまうのかと

オバサン店員が言っていた。しかし、店を出るころは長蛇の列で

江の島の飲食ビジネスはちょっと特殊な環境かもしれない。

通されたのがこのベランダテラス席。この日の天候は最高。

ここは陽だまりで、潮風が心地良く、料理が出てくるのが遅かった

せいもあって、眠くなってしまった。このベランダには、後日アップしますが

なぜか一羽のミミズクを手にしたお客が居て、他の人が

かわるがわる写真を撮っていた。このオジイさんとは

江の島を出る時に一緒になり、一日3回も一緒になった。

これが当店のメニュー。生シラスをはじめ新鮮な魚介類の

磯料理が目白押しだ。さざえのつぼ焼 800円、

焼きはまぐり 800円、いかの丸焼き 950円、

あじのたたき 1100円、ホタテ焼き 800円、

海老の塩焼 800円、 釜揚げしらす 600円、

生しらす 600円、しらすのかき揚げ 900円、

青岩のり 400円 等々これを書いていて思わず、唾液が出てきそうだ。

これがあじしらす丼定食(焼はまぐり2カン付)2000円+税。

この程度の料理で出てくるのが遅い。隣の客もまだかまだかと

数回催促していたが、返事はあっさしたものだった。

味の方はアメリカの母さん。(マーマー)。

これは帰り際に盗み撮りしたしらすかき揚げ丼(たぶん)1100円+税。


新春の湘南海岸

2018-01-30 06:49:19 | ドライブ

昨年鎌倉で気持良い新年を迎えたので、今年も同じ所で

新年を過ごした。(2017-1-23付ブログ参照)

今回は夕方の富士を中心に新春の湘南海岸の風景を

写真集的にアップしたいと思います。稲村ケ崎から見た

富士山と江の島(15:30頃)ここからの富士は関東の富士見百景に入っている。

今年も稲村ヶ崎に大勢のカメラマンが夕陽の富士山を撮ろう

としていた。

稲村ヶ崎の岸壁の下で1人シャッターチャンスを待っている男性。波の波紋が美しい。

湘南海岸はサーフィンのメッカ。海にも大勢のサーファーが

今年の初サーフィンに興じていた。

いよいよ日没が近づいてきた。(16:00頃)七里ヶ浜にあるパシフィックドライブインからの

風景はまさに絶景。相模湾に沈む夕陽は美しく眩しい。

七里ヶ浜の波打ち際の一枚。

 

日没直前の富士(16:40頃)と日没時の富士。どんどん赤みを増してきて、

所謂「赤富士」に成ってきた。

相模湾、伊豆の山々に日が沈む。(16:47)誰もがジッとその風景に見惚れて

無言に成る。皆詩人に成ってしまう瞬間だ。

パシフィックドライブインで英語が書かれた杉板の壁を背景に

記念写真を撮っていた新婚カップル(?)昨年もここでバイクを撮っていた男性が居たっけ。

ここはひょっとして有名なフォットスポットなのかもしれない。

日が没し、夕方になった(17:10頃)時点での富士と

盛んにシャッターを切っていたカメラマン達。

1月2日の満月は今年見える満月のうちで最も大きなものだ。

近年「スーパームーン」と呼ばれ注目されている。

「スーパームーン」とは満月または新月と楕円軌道における

月の地球への最接近が重なることにより、

地球から見た月の円盤が最大に見えることである。

早朝(6:20頃)、由比ヶ浜から撮った一枚。遠くに見える街の灯は逗子の町。

東の空がやや赤みがかって来た。

早朝からドンドンサーファーがやってくる。一枚目の遠くに

うっすら見えるのは伊豆大島。

由比ヶ浜を歩いて行くと「さくら貝の歌」の歌碑があった。なぜここに建立されているのか

帰って調べてみた。鎌倉由比ヶ浜の近くに住む鈴木義光(八洲秀章)という青年が

胸を病んで18才で亡くなった恋人を偲んで作曲し、彼の友人で当時逗子町役場の

職員だった土屋花情が作詞、昭和14年に発表した。その後この歌はほとんど知られず

昭和25年1月、山田耕作が気に入ってNHK「ラジオ歌謡」で報道したところ

電話が鳴りっぱなしになった。因みに八洲秀章は「あざみの歌」

「マリモの唄」などを作曲している。

翌日のスーパームーン。

由比ヶ浜、逗子の街越しに日が現れる寸前の一枚。

東の空が朝焼けで真っ赤に成って来た。

砂浜も一瞬赤く染まり自分の影がこんなにも長くなったのには驚いた。

海に入るサーファーも多いが犬と散歩する人も多い。海の近くに住む人は

散歩の姿も風情があって羨ましい。

この写真も個人的には詩情を感じる一枚だ。

東西南北にある神社、お寺とその名物の花木を書いたタイルと

地元に縁がある夏目漱石、与謝野晶子、高浜虚子の歌がかかれたタイル。

この様なものが他にも遊歩道にいくつもあった。

この時間(7:20頃)には由比ヶ浜にも大勢のサーファーが現れていた。 


浦和エリア旨い店シリーズ  番外編182~

2018-01-29 06:20:22 | 食~番外編(県外)

聘珍樓 横濱本店

横浜市中央区山下町149 中華街大通り中央

TEL 045-681-3001

http://www.heichin.com/

横濱中華街の大通りに面した一番良いロケーションにある

聘珍樓さんは1884年(明治17年)創業というから133年の

歴史を誇る老舗だ。現在国内8店舗、香港に3店舗ある。

一昔前コルソ浦和の地下1階にもあり、その味に魅了されて

随分通ったが、なぜか突然閉店してしまった残念な記憶がある。

店頭では「聘珍大甘栗」と称して甘栗を売っていた。

日本では主に天津甘栗として知られているが、中国国内では

北京が名産地として知られている。天津港が

海外出荷拠点であったため、その名が通っている。

いくら中華の有名店でもここは日本。お正月を祝う樽酒と

鏡餅が、入口正面にデンと置かれていた。

その横にはケースに入って大きなふかのひれと他に

なんだか分からない3種の食材(?)が飾られていた。

たぶん中華の珍味の食材だろう。

ダイニング2階の席 1階に45席 2階70席 3階パーティフロア225名

4階もパーティフロアで125名 6階は和室 7階は特別室で

本当に大きな本格的広東料理のお店だ。

定番メニューと期間限定メニュー

美しい写真付きでスッキリしていてとても見やすいメニューです。

 

オーダーしたのも定番もの。この日は皆あまりお腹が

空いていなかったのでこの3種類を3人で食べた。

チャーハンに黒酢のすぶた、そして豚肉とピーマンの細切り炒め。

味はどれもレベルが高くしかも上品で洗練されている。

横浜中華街の名門店の名に恥じないものであった。

大皿で来たものを3つに小分けしてくれた。この方の

フォークとスプーンの手さばきは実に見事で、思わず見とれてしまった。

この日は予約が多い為他店から応援で来たと言っていた。

こちらは1階の飲茶コーナーの聘珍茶寮。飲茶・点心メニューは

30種写真付で出ていた。点心という名前の由来は

「空心(すきばら)に小食を点ずる」という禅語から。

ちょっとした空腹を満たしてくれる役割という意味で日本でいうところの

おやつみたいなもの。なんと点心は菜(中国料理の主菜)と

湯(中華スープ)以外の料理を指すらしい。一方、飲茶とは

ズバリ、お茶を飲みながら、点心を食べること。主に中国広東省、

香港マカオを中心に行われている習慣だ。

肉まんや月餅など数々のものを売っている土産物売場コーナー。

外の通りでは正月ということで、あちこちで爆竹を鳴らしていた。

当店前ではアルミ缶の中で、燃やした為、すごい音が

鳴り響いて、思わず立ちすくんでしまう程だった。

いつ来ても横浜中華街の賑わいはすごい。

1月2日正月だというのに中華街大通りはこの人出だ。

横浜中華街へ行くといつも、華正樓の肉まんを買って帰るのだが、

この日も買いがてら「近くでゴマ団子の旨い店はどこか?」

聞いた所、この皇朝をすすめられた。このどきつい看板

中国料理世界チャンピオン4人の写真と楽天、ヤフー、ぐるなびで1位を

獲得した看板が目を引いた。もちもちの皮とぷちぷちとしたごまの

食感が絶妙の大人気ゴマ団子6個入り500円(税込)を買ってみた。


奈良の旅(その10) 奈良ホテル

2018-01-27 06:43:25 | ホテル・旅館

奈良の物産店 なら和み(なごみ館)の前に奈良ホテルの入口があった。

まだ時間があったのでついでに奈良ホテルへ行ってみた。

この木造本館は東京駅舎を設計した辰野金吾氏と片岡安氏の

コンビで設計された。昭和42年(1909年)10月に

営業を開始し、戦前は「西の迎賓館」と呼ばれ、関西において

国賓、皇族の宿泊する迎賓館に準ずる施設であった。

かつては興福寺の塔頭である大乗院が所在していた跡地の

小高い丘に建っている。木造2階建て、瓦葺に白い漆喰仕上げ。

興福寺、春日大社、奈良公園などの観光地に近く、

寺社の景観に配慮して、屋根上に鴟尾を置いている。

部屋数は全部で129室ある。

ホテルの玄関エントランスとロビー。奈良ホテルの内装は

桃山風の豪奢で華麗な意匠とドイツ風の重厚な意匠が

混在した和洋折衷様式になっている。奈良観光を楽しんだ

アインシュタイン博士がロビーのピアノを楽しんだこともあり、

大和の街並み、明治に賛を尽くして要人たちを迎え入れた

このホテルには今も華やかな時間が流れている。

ティーラウンジとメインダイニング「三笠」「すべての今日を

祝福する100年のおもてなし」興福寺の鐘の音で目覚め

窓の外の鹿に迎えられる朝、ホテル内の調度品には

100年分のそれぞれの物語がある。

「次の百年も、万葉の華やぎと100年のホテルで悠久の

ときを思い記憶に残る一日」。奈良ホテルは本当に着物がよく似合う。

今、奈良は鹿だけではない。あらいぐまも出るらしい。

まだまだ自然が多く残っている奈良の町だ。そういえば

我家の近くでもハクビシンが出没するとか。今まで2回程度目撃した。

さすが100年を超える奈良ホテル。廊下に歴史の資料が

 

展示してあった。当ホテルに宿泊した著名人の何と多いことか。

その代表的な人々を列記します。アインシュタイン(大正11年)

エドワード8世(大正11年当時皇太子)チャールズ・リンドバーグ(昭和6年)

愛新覚羅溥儀(昭和10年)満州国皇帝、

ヘレン・ケラー(昭和23年)、マーロン・ブランド(昭和31年)

インディラ・ガンディ(昭和32年)、マーガレット王女(昭和45年)

鄧小平(昭和53年)、乃木希典(明治44年)、高浜虚子(大正5年)

東条英機 佐藤栄作(最晩年まで何度も)、三船敏郎(昭和31年)司馬遼太郎 等々

日本クラシックホテルの会の9つのクラシックホテル

1.日光金谷ホテル

2.富士屋ホテル

3.万平ホテル

4.東京ステーションホテル

5.ホテルニューグランド

6.蒲郡クラシックホテル

7.雲仙観光ホテル

8.川奈ホテル

9.そして奈良ホテルだ


奈良の旅(その9) 中宮寺

2018-01-26 05:34:23 | 旅 ~国内

法隆寺、夢殿の隣りに、続いて大和山門跡尼寺の随一として

その伝統を伝える中宮寺がある。我国の尼寺の数は少なくないが、

創建の飛鳥時代から1300余年の永きに亘り、尼寺の法燈を

続けているのは、実に中宮寺のみである。当寺は

聖徳太子の御母穴穂部間人皇居の御願いによって

創建された。昭和38年の発掘調査により、四天王寺式配置伽藍で

あったことが確認された。法隆寺は僧寺、中宮寺は

尼寺として初めから計画されたと思われる。

その後、平安時代には寺運衰退し、宝物の主なものは

法隆寺に移され、僅かに草堂一宇を残して

薩摩半跏像のみといった状態であった。鎌倉時代に

いくらかの復興を見たものの、往時の盛大には

比すべくもありませんでした。宗派は鎌倉時代頃は

法相宗、その後真言宗泉涌寺派に属し

戦後は法隆寺を総本山とする聖徳派に合流した。

昭和43年5月、高松宮妃殿下の御発願によって現在の

本堂が落慶した。同妃殿下の御母君は有楢川宮の

最後の皇女で、当寺は有楢川宮皇女三方が門跡としていたという

浅からぬ御因縁から発願された。同妃殿下は

寺に万一の事があってはいけないと耐震耐火造を

念願され、吉田五十八氏が設計をした。

その設計コンセプトは門跡寺院らしい優雅さ、尼寺らしい

つつましさに昭和の新味を兼ね備えた御堂をつくること。

本堂を囲むように池があり、まるで置物と間違う程

全く動かない亀が多数。気持ちよさそうに甲羅干しをしてた。

更に池の廻りに黄金色の八重一重の山吹を植え、

周囲に四季折々の花木を配し、斑鳩の里に

ふさわしい女性の寺院としての雰囲気を醸し出している。

中宮寺本尊の菩薩半跏思惟像(如意輪観世音菩薩)は国宝。

東洋美術における「考える像」として有名なこの半跏思惟像は

飛鳥彫刻の最高傑作であると同時に我が国美術史上

欠かすことのできない作品である。国際美術史学者間では

この像のお顔の優しさを数少ない「古典的微笑(アルカイックスマイル)の

典型として高く評価し、エジプトのスフィンクス、

レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで

「世界の三つの微笑像)と呼ばれている。半跏の姿勢で

左の足を垂れ、右の脚を左膝の上に置き、右手を曲げて

その指先をほのかに頬に触れる優美な造形は、人間の救いを

いかにせんと思惟されるにふさわしい清純な気品をたたえている。

中宮寺は後伏見天皇八世の皇孫尊智女王(慶長7年没)が

御住職に成ってから、尼門跡斑鳩御所となった。

そんな背景から瓦にも菊の紋章がついている。

尚中宮寺でもう1つ有名な所蔵品として国宝の天寿国曼茶羅繍帳がある。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編181~

2018-01-25 07:01:09 | 食~番外編(県外)

総本家 平宗(ひらそう) 法隆寺店

奈良市生駒郡斑鳩町法隆寺1-1-8-40

TEL 0745-75-1110

定休日 無休

文久元年(1861年)創業の柿の葉ずし、鮎寿しのお店。

吉野に本店があり他店5店 駅中店5店。デパートに3店等ある。

柿の葉ずしは熊野の行商人が鯖が腐らない様に浜塩をし、

目を細める程「しよかろう」。これをおいしく食べたいと

素朴で滋味豊かな柿の葉でにぎったもので吉野の「ごっつお」となった。

おすすめランチベスト3。No.1 奈良ランチ1150円(税込)。

柿の葉ずし5貫、三輪素麺、日替り小鉢二種、ミニデザート。

No.2 柚庵焼鯖寿司 1本970円(税込)

No.3 柿の葉ずし三種盛合せ(鯖、鮭、他)5貫780円税込。

なんとモーニングに柿の葉ずし+お吸いもの500円(税込)をやって入る。

モーニングという響きはトーストとコーヒーだが、

奈良は寿司とお吸いものがよく似合う。

店内は和の空間が広がり、風情溢れる食事が楽しめる。

この日もあとからあとから観光客が入ってきて大盛況。

この日のランチは随分豪勢なものだった。焼き魚に天婦羅。

煮物に豆腐料理に柿の葉ずし5貫、デザート付だ。

柿の葉ずし5貫は鯖、鮭、穴子、海老、柚子大根。

海のめぐみ(鯖)山のめぐみ(柿)地のめぐみ(米)に感謝。

愛情を込めてご飯をにぎり、真心を込めて柿の葉で包む。

女店員の半纏の後姿は渋くてなかなか良いですネ。

店の入り口はお土産物売場コーナーになっている。当然柿の葉ずし

などの寿司と、お菓子、小物関係を売っていた。

柿の葉ずしは6種類、他に焼鯖寿司、ローストビーフ棒寿司などもあった。

新鮮なものは何でも簡単に手に入る現代だからこそ、あえて押しをきかせて

熟成させた旨みの価値を今まで以上に味わい深く提供する。

これが柿の葉ずしの老舗としての目標とか。

お菓子は半生菓子、羊かん、落雁など、他に奈良ふきんを売っていた。

もう1つ気になるものを売っていた。提供期間通年であったかい

かき氷が注目を集めているとか。大和茶、吉野本葛、柿、酒粕などを使った氷らしい。

 


奈良の旅(その8) 法隆寺

2018-01-24 06:49:38 | 旅 ~国内

世界最古の木造建築がある世界遺産登録の法隆寺。

ここは約19万㎡の広大な境内に125の建造物を有する大寺院だ。

法隆寺の伽藍は西院と東院の2つに分かれている。

建造物の内、国宝に指定されているものが17件、

重要文化財に指定されているものが35件もある。

南大門は法隆寺の玄関口。国宝に指定されている。

法隆寺内の建造物では歴史が新しく、建造は1483年(室町時代末期)だ。

ここは金堂、五重塔を中心とした西院伽藍で飛鳥時代を

始めとする各時代の粋を集めた建築物が軒を連ね、

たくさんの宝物類が伝来している。法隆寺は聖徳太子が

建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、

特に1993年12月に、ユネスコの世界文化遺産のリストに

日本で初めて登録されるなど、世界的な仏教文化の

宝庫として人々の注目を集めている。

威風堂々とした金堂(飛鳥時代)の中には、聖徳太子のために

造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、太子の父君用明天皇のために

造られた金胴薬師如来座像(飛鳥時代)、母君穴穂部間人皇后の

ために造られた金胴阿弥陀如来座像(鎌倉時代) それを

守護するように、樟で作られた我が国最古の四天王像(白鳳時代)が

邪鬼の背に静かに立っている。又、天井には、天人と鳳凰が

飛び交う西城色豊かな天蓋が吊され、周囲の壁面には

世界的に有名な壁画(昭和24年焼損、現在はパネルに画かれた

再現壁画がはめ込まれている)が描かれ創建当初の美しさが偲ばれる。

塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり

仏教寺院において最も重要な建物とされている。

法隆寺の五重塔(飛鳥時代)の高さは約32.5メートルで

我が国最古の五重塔として知られている。

仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立された

大講堂(平安時代)。鐘楼とともに延長3年(925年)に落雷によって焼失した。

正暦元年(990年)に再建された。

西院伽藍から夢殿がある東院伽藍へ。この間の道は土塀に囲まれ

広々とした開放的な空間が続き、斑鳩の里の時間がゆったりと流れている。

鏡池の傍に正岡子規の有名な句

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句碑がある。正岡子規は

生涯に20万を超える句を詠んだが子規の作品のうち

最も有名な句であり、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」と

並んで俳句の代名詞として知られている。

鎌倉時代に聖徳太子信仰の高揚ともなって、

聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を

改造したのが、この聖霊隠だ。

東西の廻廊の外側には、それぞれ東室・西室という南北に

細長い建物がある。それらは僧侶の住居であったところから

僧房と呼んでいる。東室は奈良時代の建物で国宝。

妻室は平安時代の建物で重要文化財だ。

聖霊院から東に進むと宝物庫である綱封蔵(平安時代)がある。

その手前を北へ進むと食堂(奈良時代 国宝)や

細殿(鎌倉時代 重要文化財)などの建物の奥に新しい伽藍が見えてくる。

これが平成10年に落成した百済観音堂を中心とする大宝蔵院だ。

法隆寺に伝わる百済観音像(飛鳥時代)は、我が国の仏教美術を

体表する仏像として世界的に有名だ。又、日本の仏像には

珍しい八頭身のすらりとした姿と、優美で慈悲深いその表情は

多くの人々を魅了している。法隆寺では、この百済観音の

安住の殿堂を造ることが永年の悲願であった。

その夢がついに平成10年秋に実現した。

東大門を抜けて夢殿へ向かう道は広くて開放的な素晴らしい空間だ。

途中に2、3軒の屋台が出ていて世俗の世界に引き戻す。

これも又良い光景だ。

左右の築地塀は重要文化財になっている。7~8本の丸太で

塀を支えている姿は苦肉の策でなんとも痛々しい。

東院伽藍の中にある鎌倉時代に造られた東院鐘楼。

この鐘楼は袴腰と呼ばれる形式の建物で、内部には

「中宮寺」と印刻された奈良時代の梵鐘が吊されている。

601年に造営された斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、

聖徳太子の遺徳を偲んで、天平11年(739年)に建てた伽藍を

上宮王院といい、その中心になる建物がこの夢殿。

八角円堂の中央の厨子には聖徳太子等身の秘仏救世観音像(飛鳥時代)を

安置している。この夢殿は、中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と

廻廊に囲まれ、まさに観音の化身と伝える聖徳太子を

供養するための殿堂としてふさわしい神秘的な雰囲気を漂わせている。


奈良の旅 (その7) 法輪寺

2018-01-23 06:16:06 | 旅 ~国内

斑鳩の北の端、三井の里にある法輪寺は、聖徳太子の御子、

山背大兄王創建とも伝えられ、飛鳥時代の仏像と

昭和50年再建の飛鳥様式の三重塔で知られている。

昭和25年の発掘調査では規模は法隆寺西伽藍の

三分の二であることなどが明らかになり、

7世紀中には寺観が整っていたと考えられている。

斑鳩三塔の1つとして親しまれてきた当寺国宝、三重塔は

昭和19年(1944年)7月21日、落雷で焼失した。

幸い仏舎利を修得することができ、直後に再建を発願したが、

焼失のため国宝指定は解除となった。しばし、再建は困難を極めたが

地元の方々、作家幸田文はじめ全国からの支援もあって

昭和50年木工事は宮大工西岡常一棟梁のもと、全く同じ場所に

同じ姿で返すことができた。

本来は僧が勉強するための堂がこの講堂だが、現在の講堂は

昭和35年に耐火耐震の収蔵庫として改築されたもの。

講堂内でご住職から法輪寺の歴史、所蔵の仏像など

詳しい説明を直に聞くことができ、貴重な体験となった。

それによると、法輪寺では平安仏を多く伝えることから、

平安時代には寺勢は盛んであったことがうかがえるが

その後衰退して江戸時代初頭には境内に三重塔を残すのみとなった。

前写真、住職の右に見えるのが、講堂の本尊、「十一面観音立像」で

重要文化財。10世紀頃平安時代のもの。そしてこの仏様は

7世紀中頃飛鳥時代の作と考えられ、止利派の仏師によって

つくられた「虚空蔵菩薩立像」でやはり重要文化財。

他にも8つの重要文化財を保有している。

講堂から表門に向けて右手に三重塔を見ながら。開放的で

明るい境内をのんびり過ごさせてもらった。

青く澄み渡った空を見れば、松の木と甍の向こうに午前中だというのに

ぼんやり月が。ここは斑鳩の里のポエムが流れている。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~その358~

2018-01-22 06:48:31 | 食~居酒屋

名物串カツ 田中 浦和店

さいたま市浦和区東仲町8-1

TEL 048-829-9490

定休日 不定休 

営業時間 平日17:00~26:00

土日祝日 16:00~26:00

浦和駅東口沿い、そば美津村の跡(2017-7-22付閉店情報(4)

ブログ参照)にオープンした串カツの専門店。大阪伝統のB級グルメの味を

味わえる店だ。店の外装もいかにも大阪のにおいがする白字に

ロゴのシンプルな看板でB級グルメの雰囲気がプンプンする。

大阪市西成区で創業者の田中勇吉の味を広めようと

平成20年12月に世田谷1号店をオープンし、平成28年7月時点で

全国に120店舗展開している。埼玉県内にも11店舗あり、

運営はFC方式を採っている。店内の写真からもにおってくると思うが、

内装の造りは極めて簡素。床は土間づくりで大阪の庶民生活そのものだ。

女子店員が子供たちとジャンケンをしていたが、何の為なのか、不思議な光景だった。

お通しはキャベツ。(240円) 串カツ田中のルールで口を付けた

キャベツの二度づけは禁止だ。

他にも串カツ田中のルールとして、口を付けた串の二度づけは禁止。

ソースはお箸をつける行為の禁止などがある。破ると1000円の

罰金だそうだ。大阪一流のブラックジョークだろうが?

1本100円、120円、150円、200円の4段階 全部で30種類ある。

5品の盛り合せ640円のセットメニューもある。

他に大阪名物の牛すじ土手。肉吸い。大人気の旨辛豚盛。

聞き慣れないさいぼり、葱まみれチー平焼きなど、興味あるメニューもある。

鍋にちりとり鍋一人前590円。ちりとりとは浅く平らな鍋をそう言うらしい。

やはり大阪はユニークな所だ。

一品メニューとクイックメニュー。大阪名物田中のかすうどん640円。

ホルモンの油の搾りかす、羽曳野の油かすを使ったうどんだ。

右の若い男性が店長。左の男性の胸には名前とバンドマンと

書かれた名札がついている。趣味なのか職業なのか、

アルバイトの人だろう。若い女性店員もとにかく元気が良くて気持がいい。

冷蔵庫を開けるとタッパーウェアーに整然と並んでいる

串カツの種、それを揚げているところ。

左から大阪名物紅しょうが(下の写真)、串カツ牛,

アジフライ、煮玉子、玉ねぎ。

先代田中勇吉より受け継いだ衣、油、ソースは全てオリジナルブランドだとか。

左からウィンナー、芽キャベツ、うずら。この日は早目に

入店したらPM6:00まで2時間全品100円のキャンペーンを行っていた。

これは儲けた儲けた!これだけで豊かな気持ちに成れるとは

大阪の商法は人の心のひだを良く掴んでいると感心した。

左から再度玉ねぎ、たらこ、豚しそ。

ぎんなん。

めちゃ辛い、お子様使用禁止の激辛ソース。ハチミツとマンゴーが入っているようだ。

 

 

大阪のB級グルメ串カツにはまってしまったのは、、大阪元祖串カツの

「だるま」(2015-1-29付ブログ)に行ってからだ。

もう一度食べたくなって大阪に行ったが、どこの「だるま」も

長蛇の列で入店を諦めたっけ。それに近い雰囲気と味に、

地元で出会えたことはさらに心を豊かにさせた。

俺にとっては素晴らしいお店がまた1つ増えた。


奈良の旅(その6) 法起寺

2018-01-21 06:00:32 | 旅 ~国内

これから、日本人のふるさと、日本の風土の原風景

斑鳩の里を巡る旅をアップします。

第1段は聖徳宗本山の法起寺(ほうきじ)です。

法起寺は約1400年以上の長い歴史を持つ世界文化遺産のお寺だが、

小さな小さなお寺で、行った時は観光客が我々だけで

静寂に包まれていた。この入口の西門を見てもそんな空気が伝わってくる。

法起寺の最大の売りは、国宝の三重塔だ。一重の石壇上に立つ、

三間四方三層、高さ23.9メートルの塔婆で、

慶雲3年(706年)に建立されたとする現存する我国最古の三重塔として名高い。

法起寺は岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺と呼ばれ、

推古14年(606年)に聖徳太子が法華経を調説されたという岡本宮を寺に

改めたものと伝えられ、法隆寺、四天王寺、中宮寺などと共に

太子御建立7ヶ寺の1つに数えられている。

南大門を入って右に三重塔、左に聖天堂、中央正門奥に講堂がある。

法起寺は奈良時代には相当栄えていたらしいが、

平安時代から法隆寺の指揮下に入り、寺運も徐々に衰微し、

江戸時代の初めごろには三重塔を残すのみであったという。

クロマツの葉は一般的に二葉だが、高野山金剛峯寺の御影堂前にある

クロマツには稀に三葉のものが混じっている。これを「三鈷の松」と呼び

弘法大師にまつわる不思議のひとつとして、お守り又縁起のよいもの

として身に付けたりする。実はこちら法起寺にもあり、

急ぎでないお客様は探されたら如何でしょうと貼り紙が出ていた。

そういえば京都永観堂でも三鈷の松の葉をいただいたっけ。