スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

ミャンマー・ヤンゴン事情あれこれ➁

2020-01-11 07:04:39 | 旅 ~海外

現在のミャンマー国旗は2010年10月21日に軍事政権により変更された。

三色のストライプの黄色は国民の団結、緑は平和と豊かな自然環境

赤は勇気と決断力を象徴し、白星はミャンマーが地理的・民族的に

一体化する意義を示している。

市街地に残っているこのレールは以前、広島市の

路面電車を使用していた時の名残だそうだ。

ミャンマーには日本との係りがあるものが多いのには驚いた。

対日感情が良いのはこんな所からも察することができる。

ミャンマーでは腰巻のロンジーと同じように街の光景として

外せないのがこの伝統の自然化粧品「タナカ」だ。

柑橘系の木片を石ですりおろして顔に塗る。

ひんやりと清涼感があり、日焼け防止になるのだとか。

女性や子供がおもに使う。

最近は固形になったものや香料が入ったものも売っている。

ヤンゴン川に現在ではヤンゴンからリバークルーズが運航されており、

水上からアクセスできない場所への観光などで人気がある。

この施設もどうやら日本の援助があったみたいだ。

感謝状みたいな版が張り出されていた。

なんと船内に衝撃的な張り紙を見つけた。

「在ミャンマー日本国大使館から重要なお知らせ」

ということでヤンゴン市ダラ地区において過剰請求の被害、

スリ被害がでていることへのものであった。

なかなか海外でこの手の注意書きを見ることは無いので思わずパチリしてしまった。

このクルーズ船の港には多くの露天ショップが出て賑わっていた。

売り子の女性の顔には「タナカ」が塗られている。

船の中でも物売りがいていかにも東南アジアの光景だ。

ガイドさんの話ではこのコロニアル風ビルは旧ヤンゴン地裁で戦後最も古い建物で

日本軍の攻撃弾痕の跡があるとか。

現在は何も使われていない。

ガン・ドー・ジー湖に浮かぶ船の形をした水上レストラン。

ミャンマーの伝統的なショーを鑑賞しながら

バイキング形式で料理を楽しめるそうだ。

車中からアレッ?といったポスターを見つけた。

第8回目のジャパンエキスポがヤンゴンで開催というもの。

ポスターをよく見るとユンボやパワーシャベルなどの建設機械もあれば

アニメ・メイドカフェなどの写真も写っている。

バスで街中を走っていくと小さな池の中に金色の

男女2人の像を発見。とてもミャンマーっぽい像だったのでパチリ。

ここはミャンマーの国立博物館。

1952年6月に設立された国内最大の博物館だ。

5階建ての館内には国内各地から集められた王朝時代の

遺産や各民族の伝統芸能や工芸品、仏像、文献など

ミャンマーを代表する財宝の数々が展示されていたが

館内は一切撮影禁止なので外の景色のみです。

気のせいかヤンゴン市内はタクシーがやたらと多く感じた。

一般的なタクシーの多くは20~30年経過した車が多いとか。

ここのタクシーは乗る前に料金を交渉しなくてはならず

外国人にとっては言葉の問題が出てしまう。

しかし料金はとても安かった。

これは降りる所でちょくちょく見かけた相乗りのタクシーか?

どんなシステムに成っているのかわからないが

かなり大勢の人が乗っていたのが印象的だった。

ここは1991年10月にノーベル平和賞を受賞した

アウンサンスーチー女史が軍事政権によって合計約15年間軟禁させられていた自宅。

門には「ビルマ建国の父」として名高いアウンサン将軍の写真が掲げられている。

中を見ることはできないが門の隙間から覗くことができる。

しっかり門の横には軍の警備ボックスがあり、なんとマシンガンを持った軍人がいた。

現在約4年前から実質の政権を握ったアウンサンスーチーになってから、

国民はものすごい期待値でまるで天国になると思ってしまったが

現在はやや落ち着いてきた。

この間に100年前の英国の法律を見直して

新しい法律のガイドライン作りをものすごくやってきた。

一時はアメリカの経済制裁で携帯・パソコンはなく

銀行オンラインもだめ、停電はしょっちゅうで水は井戸に

偏っていた時代からかなりインフラの整備もされ、

ヤンゴンのビルをはじめ近代化がかなり進んできた。

ここは空港。

日本と2時間半の時差のヤンゴンでの裸足の旅が終わり帰国の途へ。

短い期間であったが非常に興味がある国だと実感した。

 

 

 


ミャンマー・ヤンゴン事情あれこれ①

2020-01-10 06:42:51 | 旅 ~海外

ヤンゴン市内の通りで見かけたミャンマーと日本の友好を表わす

車内の両国旗。ミャンマーと他の国との国旗を掲げた車を多く見た。

ところでミャンマー(昔のビルマ)という国の首都は2006年に

ヤンゴン(昔のラングーン)からネーピードーに遷都した。

国土の面積は日本の約1.8倍

人口は約5141万人(2014年)で人口の約70%がビルマ族、

その他シャン族、カレン族、ラカイン族など135の少数民族がいる。

言語はミャンマー語、英語が広く通じる。

昔は英国が統治していたからだろう。

夜遅く前にブログ紹介した宿泊ホテル

「ベルモンドガバナー・レジデンスホテル」に到着。

例によって翌日早朝散歩でホテル周辺を歩いてみた所、

驚いたことに数多くの大使館に遭遇。

ここは東京で言うと港区みたいな所か?

上から、スリランカ、ラオス、エジプト、マレーシア

パキスタン、インドネシア、中国(経済)、ブラジル

なにか東南アジア関係が多く、ヨーロッパの国は見つけることはできなかった。

この辺りの道路には大使館の来客、スタッフだけ

路上駐車ができる所があった。

日本ではこのような特権は見たことがない。

 

ミャンマーは今迄各パゴダで紹介してきた様に

敬虔な仏教徒国。国民の8割以上が仏教徒と言われている。

ヤンゴンの街でも多くの僧侶を見かけた。

ミャンマーの僧侶は托鉢で毎朝信者の家を巡って

生活に必要な最低限の食料をもらっているとか。

ミャンマーの街の風景を形作っているものの一つに

民族衣装のロンジー(腰巻き)がある。

これは正装でありながらも普段着としても人々に愛用されている。

巻き方は男性は余った布を正面で結び、女性は布の端を脇に織り込む。

ロンジーのすごさは、素肌を隠せる。

股を大きく開いても大丈夫。水浴びの時に大活躍。

汚れた道也トイレでも汚れない。

そしてとにかく涼しいといった特色があるそうだ。

早朝散歩して気が付いたことの1つに

街にやせた野良犬しかもほとんど同じ犬種の犬がウロチョロしていることだ。

グループの1人が言っていたが、これは赤犬といって昔日本では

この犬を食べていたとか。どうやらこの国の生きとし生ける万物の

命は尊いという仏教精神が背景にあるようだ。

庶民の足、客席付きの三輪人力車「サイカー」

日本流に言えば輪タクを街中でたまに見かけた。

これも昔の日本にあった風景で懐かしい。

料金は距離や客の数で異なるので乗る前に交渉が必要だ。

ヤンゴンで一番多く見かけた車は日本車の「スズキ」だ。

国内の販売市場シェアはなんと52%を占めているとか。

現地生産でコストを抑えているための価格が比較的安いことや

知名度もあることが好調要因らしい。

ティラワ経済特区でもアップしたが、ここに新工場建設の

計画があるのも頷ける。

数はあまり多く居なかったが、観光地や渋滞の通りには

物売りを見かけたのがとても印象に残っている。

この国は今急速に発展してるがまだまだ貧しさもある。

どうしても職業柄、どの国へ行っても建設現場には目が行ってしまう。

建設作業員はほぼヘルメットは着用して安全意識はかなりあるようだ。

建物の柱、梁は気のせいかかなり細く見える。

かなり使い込んだ生コンのミキサー車を多く見かけた。

片や路上に中空のレンガ、セメント袋が乱雑に野積みしてある所もあれば

中国のゼネコンが参画している大規模開発現場もあり

今ヤンゴンは街作りが混沌としている感じだ。

近年、経済開放策を背景に近代化が進んでいるが

ちょっと細かい所に目を配れば、ご覧のようにトタン屋根のバラック

あばら小屋で生活している人々もいる。

これが今のミャンマー、ヤンゴンの現実の姿だということを知った。

街では時たまご覧のような日本の企業、団体名が書かれたままの

中古日本車を見かけた。特にブルーの小型バスにはビックリした。

湯元ニセコプリンスホテル ひらふ亭と書かれている。

一瞬、日本から船でヤンゴンに観光に来たのかと

思わず錯覚してしまう程だ。

ヤンゴンのダウンタウンにある中国人街とインド人街。

ともに雑然とした賑わいと活気がある。

この辺一帯がヤンゴンの盛り場だ。

市民の憩いの場、市内の中心にあるマハバンドゥーラ公園から見た

スーレー・パゴダ(2019.12ブログ参照)

イギリスの植民地時代に建てられたビクトリア様式の旧最高裁判所。

レンガ造、中央の塔が特徴的だが現在は使われていないようだ。

この重厚な建物はヤンゴン市庁舎。

ビルマ民族様式ともいわれる屋上角に立つ尖塔など

ビルマらしいモチーフを取り入れた外観が特徴だ。

1925年に建てられ、その後幾度か修復工事が行われ1940年に

現在の姿になった。

マハバンドゥーラ公園の真ん中にそびえ立つ高さ46mの独立記念塔。

1948年イギリスから独立した証として建てられた。

塔の周囲は芝生になっていて、午後のひと時を楽しむ市民でいっぱいだった。

 


チャウット・ジー・パゴダ

2020-01-08 06:56:35 | 旅 ~海外

優美に横たわる寝釈迦仏。

ミャンマー国内でも屈指の大きさの巨大寝仏だ。

1899年に裕福なビルマ仏教徒サポーターによって後援を受けて建立されたが、

1966年に再建された比較的新しい仏塔だ。

ここのパゴダの拝観料は無料。

入口の所にはお釈迦様に供える為の花だろうか、

南の国らしい華やかな花が売られていた。

この巨大な涅槃仏は高さ17m、全長約70mで国内で最も尊敬されているrec仏の1つだ。

もともとは1907年に造られたものだが、

当時はインド風デザインだった為、後に今の仏像が造られた。

大きなガラスの目、そしてまつ毛の美白仏で

妖艶な美しさが漂っている不思議な仏様だ。

大きな足裏には黄金色で仏教の宇宙観を示す

108の煩悩を現す図が細かく描かれている。

壁にはお釈迦様の絵が描かれており外国人観光客が熱心に説明を聞いていた。

涅槃仏の裏手には36の小さな仏像と顔の面長な立像が安置されてあった。

どの仏様も日本の仏像と比べると鮮やかな色でとても華やかな仏様ばかりだ。

ちょっと奥まったエリアには小さな寝釈迦仏と

ここでも後背にLEDが光っている仏像が並び、

仏教徒が真剣に手を合わせていたのが印象であった。

 


シュエダゴォン・パゴダ

2019-12-27 06:42:53 | 旅 ~海外

ヤンゴン北部にあるミャンマー仏教の総本山がこのシュエダゴォン・パゴダだ。

釈迦および釈迦以前にこの世に現れた3人の菩薩の遺体の一部が納められていると

信じられていることから重要な聖地とされていて

ここを全てじっくり見るには1日はかかると言われている。

当パゴダの配置案内図。

東西南北の門から入り、エレベーター、エスカレーターで昇った上部にパゴダはある。

そしてそこには60余りの仏塔や廟が林立する空間が拡がっている。

ここにはお隣の国の敬虔なタイ人仏教徒がお礼参りに多く来るという。

それだけヤンゴンのパゴダは信仰深い人々の聖地となっているのだろう。

お釈迦さまにゆかりのある木は仏教の三大聖木と言われ、

無憂樹と沙羅双樹とこの菩提樹を指す。

特に菩提樹はお釈迦さまお悟りの木で、苦行により衰弱した体を尼蓮禅河の流れで清め、

村の娘スジャータから供養を受け元気を回復し、

ブッダガヤで悟りを開かれた時に座った木だ。

北門から入っていくとそこにはきらびやかな霊廟、パゴダ、仏塔が目の前に迫ってきた。

ここはスーレー・パゴダなどと違って規模、スケール、存在感など圧倒するものがある。

廟の壁には2枚の大きなお釈迦さまの絵が。

そして仏像も白い肌に金の衣をまとってアピール度がすごい。

天井の細工も立派だ。

これが中心にある黄金の塔で高さ約100m。

建物全体に金箔が施され、上部には6,000を超える宝石が装飾に使われている。

なかでもダイヤやルビーは信者による寄進されたものもある。

シュエダゴォン・パゴダは伝説によると約2,500年前に建てられたとされているが、

考古学の研究によると6~10世紀の間に建立されたと考えられる。

又、地震によって幾度も破壊されており、

現在の仏塔の原型は15世紀頃成立したと考えられている。

ここを満喫する3つのポイントとは、まず近代的エスカレーターに裸足で乗る。

日本ではなかなか味わえない体験だ。

次にスーレー・パゴダのブログで記した八曜日のお参り。

そして最後に感動の夜景スポット。

必見の美しさだそうだ。

今回は日中の参拝で残念ながら夜景体験はできなかった。

ミャンマーに来ていくつかの心打つ光景の一つに仏様に対して向かう敬虔な姿だ。

この姿は文化の違いとはいえ、日本では見ることができない。

パゴダを巡りながらいくつか目に止まった仏の化身を撮ってみた。

どれもが歴史のある寺院なのに真新しく鮮やかな姿で迎えてくれる。

このことも日本との仏教文化の違いを感じる。

当寺院で唯一見た涅槃仏像と大中小の多くの仏像。

涅槃像の光背にもLEDが光っていた。

メインのパゴダを囲んで東西南北4つある大きな堂のうち1つのBuddha Image。

ここの前では多くの信者が祈りを捧げていた。

この建物は他の塔とちがって赤味を帯びた建物で異彩を放っていた。

スーレー・パゴダのブログに詳細をアップしましたが、

ミャンマーで伝統的な暦・八曜日があり占いとして使われている。

私の誕生曜日は金曜なのでモグラを中心に撮ってみた。

各守護動物の社には生誕曜日の同じ人々が熱心にお参りをしていた。

又々一風変わった仏塔が出現。

よく見ると壁面にお釈迦さまの物語が描かれた絵がはめ込まれた塔だ。

この寺院の規模がいかに大きいかを俯瞰する二枚だ。

これで全体の各々四分の一しか写っていない。

新旧の鐘。

特に古い鐘は歴史的に重要な文化財らしい。

広い寺院内を一周して気に成った人をパチリ。

一番上の写真は老人僧なのかゆっくり歩いている姿にオーラを感じた。

二枚目は大勢の人が居る中で真剣に祈っている姿が感銘的ですらあった。

最後はロンジーを腰に巻いて歩いている外国人女性が一人異彩を放っていた。


ボージョー・アウンサン・マーケット

2019-12-25 06:48:57 | 旅 ~海外

ヤンゴン中心部バベダンにある市内最大規模の市場が

ここボージョー・アウンサン・マーケットだ。

今から93年前の1923年に開業とイギリス統治時代からの長い歴史を持つ市場だ。

植民地時代の建築と石畳の通りで知られている。

ここは観光客だけではなく、地元の買い物客向けの店舗も多数あり、

医薬品・食料品・衣服・外国製品を販売している。

これが市場の案内配置図。

区割りがメイン通りを中心に対象的でわかりやすいゾーンに分かれているが、

実際に中に入ると雑踏でゴチャゴチャしたイメージに成ってしまった。

メイン通りを両方面から撮ったマーケット内。

当マーケットは開業時にはスコット市場と呼ばれていたが、

1948年ビルマ独立後はアウンサンにちなんで改名された。

1階には小さなアンティークショップが多くあり、

メイン通りにはビルマ産のヒスイ、ルビーなどの宝石商が並んでいる。

他にビルマの民族衣装ロンデー(腰巻)などを売っている衣料品店、

少数民族の伝統工芸品も品揃えが豊富にある。

又、市場内には闇市場の両替商があることでも知られている。

ちょっと遊び心で衣料品店の看板娘をズームでパチリ。

ミャンマー人の女性の顔立ちはかなり日本人女性に似ている。

ヤンゴンではこのように物を頭に乗せて運ぶ人をたびたび見かけた。

ボージョー・アウンサン・マーケットから道路を隔てた向かい側には

近代的なショッピングセンターJUNCTION CITYがある。

その中にあるニューBOGYOKEマーケットでもお土産の買い物をした。

 


スーレー・パゴダ

2019-12-23 06:52:04 | 旅 ~海外

ヤンゴン中心部のランドマーク的存在のパゴダ(仏塔)の

スーレー・パゴダのゲートと黄昏時に黄金色に光るパゴダ。

このパゴダはダウンタウンのシンボルの1つだ。

パゴダ内に入ってビックリ。

壁も天井も柱も金色でピッカピカでしかも細かく細工が施されている。

塔内に入るには飛行場のチェックと同じような探知機の中を通らなくてはならない。

テロ防止策なのだろうか?

仏様の前には日本のお寺、神社と同じようにお賽銭箱が置かれている。

日本と違うのはそれがガラス箱で中が見えてしまう所だ。

因みにミャンマーの通貨単位は「チャット」といい、1円が約14チャット位だ。

ミャンマーは90%が仏教徒でしかも小乗仏教。

町には茶系の袈裟を着た僧侶を多く見たが、

スーレー・パゴダ内でも多くの僧侶が着ていた。

この2人の僧侶は熱心に記念写真を撮っていた光景がとてもほほえましかった。

パゴダ内には数多くの三角スペースの祈祷コーナーがあり、

敬虔な仏教信者がいつまでも祈っている姿が目に焼き付いてしまった。

どこのパゴダも素足にならなくては入れず、

肌を露出することも戒められている。

このシルエットにはなにか懐かしさを感じる。

昔、絵本かなにかでよくこのシルエット画を見たのだろう。

脳裏に焼き付いている。

改めてこれが金色に輝くスーレー・パゴダだ。

ここは夜21時まで入場できる。

場所的にも買い物帰りや所用の合間に市民が気軽に立ち寄ることができるパゴダで、

庶民的な雰囲気があった。

このパゴダは高さ約48mあり、通常は丸い形をしているが、

ここのは八角形の黄金仏塔だ。

スーレーとはパーリ語で聖髪を意味し、

パゴダはブッタの聖髪の毛を祀っている所だ。

パゴダの周りにぐるり囲んで小さな社みたいなものがある。

パゴダ内の見学を終えて外に出ると同行ガイドさんから

「生年月日はいつですか?」と聞かれた。

すると「お客さんはもぐらです。」との答え。

ミャンマーには古くから伝わる占星術の1つ「八曜日占い」

というのが今でも生活の一部になっているとか。

水曜日を午前、午後に分けて月曜日から日曜日まで8つの曜日が存在し、

ミャンマーの人たちは自分が何曜日に生まれたのか必ず知っているそうです。

各曜日には守護動物がおり、日曜はガルーダ(鳥)、月曜は虎、

火曜はライオン、水曜午前は牙のある象、水曜午後は牙のない象、

木曜はねずみ、金曜はもぐら、土曜は蛇だそうだ。

自分の生まれた日の曜日が金曜日だと初めて知った。

おみやげ売り場には僧侶の団体が買い物をしていた。

ここには仏教関係の品物が売られていた。

ミャンマーの仏像にはLEDのカラフルなライトが点滅し、

とても派手な仏像になっている。

ライトアップされた仏像を拝んでもあまりご利益はないのでは?と

日本人の感覚で思ってしまう。

これも仏様でしょう。

とにかく良く言えば華やか、悪く言えば派手だ。

小乗仏教の表現はこんな姿に成るのだろう。

キリスト教の教会にある懺悔室みたいな建物、部屋があった。

ここもLEDでピカピカだ。

本堂に戻ると又ひときわ派手な仏像がガラス張りの中で鎮座していた。

その前には正座して熱心な人々が祈りを捧げている。

ここにもLEDで光るきらびやかな後光がさしていて

しばし足を止めて見入ってしまった。


ミャンマー・ティラワ経済特区

2019-12-21 06:58:03 | 旅 ~海外

ヤンゴンを南下した所に大きな川があり、それを渡ると

日本政府とミャンマー政府が共同で開発しているティラワ経済特区がある。

確かこの橋(タンリン橋)を含め3つの橋(タケタ橋・バゴー橋)は

日本の政府援助によって完成したものだ。

橋のたもとに日本国旗とミャンマー国旗が印された案内板があったのを見た。

ヤンゴン市内では意外にもバイクの数が少ないのでガイドさんに聞いた所、

環境に配慮しての規制がある為との答え。

この開発エリアの地に入ってバイクの数が急に増えたのが逆に目についた。

ミャンマーは急激にインフラ整備が進んでいるとはいえ、

まだまだ遅れているのが実状だ。

日本の戦後もそうであったが、インフラを含む社会資本整備を進める為の

必須資材のセメント工場が最初に目に入ってきた。

次に特区に近づいて来ると、将来の需要を見込んでであろう

日本のビジネスホテル「スーパーホテル」が進出していた。

建物は完成したばかりなのだろう、真新しいものだ。

この開発特区の経緯は2011年に民政政府であるテイン・セイン政権が誕生した後、

その年の11月にバリで日緬首脳会談が行われ、

ミャンマーから日本に対しティラワ開発の協力要請があった所から始まる。

(ミャンマーを日本では緬という字で表す。)

その後2012年4月に首脳会談(東京)でマスタープラン策定に関する覚書を締結。

2013年5月に安倍総理が訪緬し、日緬民間投資会社間で開発に係わる覚書締結。

ティラワ周辺インフラの整備に対する約200億円の円借款与を決定した。

経済特区に入って最初に見えた工場は中国系の鋼鉄工場だ。

味の素の工場。

この開発・運営主体はMyanmar Japan Thilawa Development LTD。

(MJTD社 2014年1月10日設立)だ。

日本民間出資39%(丸紅、住友商事、三菱商事、

みずほ銀行、三井住友銀行、三菱UFJ銀行)、

日本政府出資10%(JICA)。

他51%はミャンマー民間とミャンマー政府が出資している。

ヤクルトの工場。

この経済特区の開発面積はZone-A開発が405ha、

開業時期が2015年9月で賃貸期限が50年。

Zone-B開発は第1期が101haで開業時期は2018年7月、

第2期が77haで2019年8月開業予定だ。

この建物はMJTDの合同庁舎だ。

2019年9月1日現在の企業進出状況は

予約契約締結済みが109社(レンタル工場5社含む)。

本契約締結・投資認可取得済みが106社、工場着工済みが91社、

操業開始済みが73社(レンタル工場3社含む)となっている。

又、輸出志向型が43社、国内市場型65社、その他1社が開発型の形態になっている。

ミャンマー進出の魅力は主に6点ある。

(1)豊富で安価な労働力

(2)消費市場としての魅力、かつ手つかずの市場

(人口5,000万人、ヤンゴン圏約700万人)

(3)国民レベルで良好な対日感情

(4)豊富な天然資源・広大で肥沃な国土・豊かな農産品

(5)地理的な重要性・優位性(大メコン経済圏、東西経済回廊)

(6)対日輸出で特恵関税の適用

逆に課題として

(1)不十分なインフラ整備(電力、通信、道路、鉄道、港湾、下水道など)。

円借款案件により急速に整備が進んでいる。

(2)査証・滞在許可上の非効率性

(3)税法上の不透明性

このようなことが掲げられている。

リョービ㈱の工場。

業種としてどのような企業が進出しているかというと

建設資材17社、包装容器11社、縫製9社、食品飲料9社、農業8社、

電力・電気8社、自動車7社、医療6社、靴2社、

他に塗料、産業用ガス、飼料、タンク、搬送機器、潤滑油、

通信施設、樹脂成型、化学品、データーサーバー、

物流倉庫(冷凍冷蔵含む)、産業廃棄物処理、職業訓練、

レンタルなど本当に多岐にわたっている。

エースコックの工場。

進出している国籍は日本55社、タイ16社、韓国8社、台湾6社、

マレーシア4社、香港3社、ミャンマー3社、シンガポール3社、スイス2社、

アメリカ、ドイツ、オランダ、フランス、オーストラリア、

ベトナム、インド、インドネシアそして中国が各1社だ。

日通の物流倉庫。

出資形態は海外独資が92社、合弁14社、

ミャンマー独資が3社の構成になっている。

ヤンゴンでは日本車、特にスズキの車を多く見かけたが、

この特区でも自動車工場の建設計画があるようだ。

担当ゼネコンは熊谷組となっている。

この経済特区全体の土木造成などの基礎工事は

五洋建設が施工したらしい。

MJTDのオフィスと警備担当会社はアルソックだ。

尚、近年改善のあった課題としてあげられるのは下記の4点だ。

(1)多重為替レートの一本化・・・2012年4月より管理変動相場制を導入

(2)2016年10月7日より米国の対ミャンマー経済制裁の全面解除

(3)外国投資法の改正(2012年11月)

これによって外資参入枠組みの明確化、外貨送金が可能となった

(4)SEZ法の改正(2014年1月23日付発動)

施行細則の公布

経済特区から1歩離れるとトタン屋根の

バラックの中での生活が現実の姿として目に映った。

又、田舎の田園風景が続き、牛を町に放牧している牧歌的光景にもお目にかかった。

 

 


頤和園

2019-11-18 08:20:37 | 旅 ~海外

頤和園(いわえん)

北京市海淀区にある庭園公園です。

西太后が愛した避暑地として有名です。

仁寿殿

見ていただくとわかるように、総面積の内4分の3を昆明湖が占めています。

楽寿堂

邀月門(ようげつもん)

長廊

人人人です。

湖にボートで出ることもできます。

頤和園のシンボル 八角三層の仏香閣です。

中国には公園で習字の練習をしている方がいます。

ディズニーランドでもお掃除キャストの方が箒でミッキーマウスを描く所を見ました。

それと同じか上を行くくらい感動的な美文字を書かれます。

専用の筆でサラサラと書きます。

日本人観光客としては拍手喝采したいくらいですが、

地元の方にとっては普通のことでベビーカーで美文字の上を

滑走していきます。それくらい日常的な光景の様です。

 

 

 

頤和園観光

 

 


北京動物園のパンダ

2019-11-15 08:17:51 | 旅 ~海外

北京動物園

北京市西城区西直門外大街137号

総面積70ヘクタールという広大な動物園です。

熱烈歓迎?

中国建国70周年式典の直前であったためか、

北京市内はどこも厳重な警戒態勢がとられている。

その建国式典のため、ツアーが大幅に変更になった。

ならば、「パンダーみたーい。連れてってー!」と

駄々をこね、見学権利ゲット

やったね!

ご覧の通り、とても一日では回り切れないので、

パンダ館だけの見学という条件付き。

中国最古、最大のこの動物園。

中国固有の野生動物がたくさん飼育されている。

大熊猫と書いてジャイアントパンダと読む。

現在1600頭ほどしかいない絶滅のおそれのある大型哺乳類なのだ。

野生のパンダは四川省にしかおらず、

中国国内からも観光客が多く訪れる。

園内はおびただしいほどの樹木が植えられている。

いたー!

あのひょっこりしてるのはまさしく

パ ン ダ ちゃま。

えっ!うそうそ

こんなに近くで?

目が合っちゃうよ。かわいいー。

 

北京動物園①

へえー、こんなふうに笹、いや竹を食べるんだ。

 なんと、豪快なお食事風景ですこと

北京動物園の朝は早い。

7時30分に開園するので、早朝の見学がおすすめ。

早朝から彼らのやんちゃぶりが見られます。

いつまで見ていても飽きないし、

とっても癒される。

裏方さんは大忙し。

あの肩の丸み。かわいい。

残念なのは、ガラスの汚れ。クリア指数低め。

ご覧ください。誰にも邪魔されず、

がぶりつきでパンダちゃまを身近に見れるんです。

「立ち止まらないでくださーい」なんて放送はもちろんないです。

座っている周りに大好きな食べ物

遊具、お昼寝場があるなんてうらやましい。

山に帰りたいとか思ったりするのかな?

確かに人生、いやパン生を考え、ふけっているようにも…

私が訪れたのは9月でしたが、

10月13日に双子の姉妹が増え、総勢10頭となりました。

ちなみに双子は1歳5か月、ちょうどミルクから竹に変わる時期で

体重はおよそ40キロ前後だそうです。

 パンダ館には屋内と屋外があり、

屋外ではアクティブに動き回る姿が見られます。

好奇心旺盛なパンダくんたちは、

ガラス越しまでやってきてくれることもあるんです。

来場者も屋内に戻ったり、屋外に行ったりと

パンダの動きに合わせて移動しては、

愛くるしいしぐさをカメラにおさめていました。

よーく見ると、みんなお顔が違います。

その違いがわかるほどじっくり、ゆっくりパンダを満喫できます。

北京動物園②

パンダ館にあるおみやげ売り場です。

縫製とかどうなんだろうって不安でしたが、

とんでもない。

お値段もお手頃で、かわいい商品ばかりでした。

いやあ、もっとたくさん買えばよかったと後悔しました。

未確認だけど、実物大かなぁ?

子供と比較すると大きいんだなあ、パンダって。

大柳がやさしく木陰を作ってくれていました。

出口門です。

集合場所となっていた場所に到着したのは、

当然、最後になってしまいました。

パンダくんたちと別れを惜しんでました。

おまけ

中国のトイレ事情です。

和式なのだけどどちらが前かわからないですね。

個室の奥に丸いゴミ箱がありますね。

使用済みのトイレットペーパーは流さずここに捨ててください。

おっと、トイレットペーパーは個室に備え付けてはございません。

トイレの出入り口に設置してあるのを

使用する分を予測して、カラカラと取って個室に向かいます。

というトイレが多かったです。

 

帰国後、羽田のトイレに

トイレットペーパーはそのまま流してください。

という但し書きがありました。

中国に行くまではその言葉に気を留めもしませんでしたが、

そういう事情があるようです。


明の十三陵

2019-11-13 06:07:43 | 旅 ~海外

明代の皇帝、皇后、皇貴妃と皇太子等陵基群がある明の十三陵は

北京市の中心から約50km離れた燕山の支脈、天寿山の南麗にある。

一般公開されているのはここ定陵、長陵、昭陵の3つだ。

明の十三陵は中国最大の皇帝陵基群で成祖永楽帝以後の皇帝13代の

皇帝の陵基がある為、この通称となっている。

その中の長陵は成祖永楽帝、徐皇后、

昭献貴妃権賢妃の陵基で最大規模を誇っている。

定陵の陵門に行く手前にはそれなりにしっかりした

長屋風のみやげ物店が並んでいる。

到着した時はほとんど客がおらず、店員さんと身振り手振りで

のんびりとコミュニケーションを楽しむことができた。

ここで売っているみやげ物はとても安く、果物も豊富に並んでいた。

これは神功聖徳碑と言い、もともと入母屋造式の碑亭であり、

碑亭の四面にアーチ門が設けられていた。

清乾隆の時代に修繕の際、碑亭は取り壊されて壁しか残っていない。

この石碑は竜のような想像上の動物を

碑の頭部に浮き彫り亀の形を台座にする形で碑身に文字がない。

ここ定陵は第14代神宗万暦帝の陵基だ。

この皇帝(1573年~1620年)は在位期間が最長の皇帝で48年の長きに渡り、

贅を尽くし財をむさぼった歴史上に名を残す暗愚の君子と言われている。

昔、稷恩門があった遺跡跡。

この門は崇禎17年(1644年)3月に李自成をはじめとする

農民反乱軍によって焼き壊され、清乾隆50年に縮小再建されたが、

日本偽政府の時にまた焼き壊された。

こちらは稷恩殿の遺跡跡。

門と同じように石柱跡が残っている。

欄干の彫刻は竜と鶴で眼に迫ってくる。

この門は霊星門と言われ、天の門を象徴して、皇宮、壇廟などに広く使われ、

王権のシンボルとして、標識的な意義を持っている。

ガイドさんがこの木が花を咲かしているのを見て盛んに強調していたが、

いまいちその意味が分からなかった。

中国ではこの木を桂花というらしいが日本ではキンモクセイの木だ。

1959年に建てられた第一展室には

明朝時代の歴史、お宝などが展示されてある。

万暦帝と2人の皇后の画像。

金冠はすごい。

ブルーの冠は7匹の竜と7羽の不死鳥があしらわれているらしい。

丸形な構造で城壁に囲まれた宝城。

宝城の壁は全部レンガで造られている。

文化財には防火設備は重要だ。

火警の下に119番は偶然の数字か?

定陵は万暦12年(1584年)に起工し、

6年の歳月をかけて万暦18年に完工した。

白銀800両に及ぶ工費は当時の国家税収の2年分に相当したそうだ。

1956年5月に国務院の承諾を得て、試堀が始まり、1年間を経て発掘に成功した。

この発掘により内部は地下宮殿として公開されており、

玄室は前中後左右という5つの部屋に分かれ、

石を積み上げたアーチで支えられている。

総面積は362坪、出土した文化財は3000点あまりにもなる。

棺床には山となった紙幣が乱雑に積まれてあったのが印象的であった。

中殿には漢白玉の王座、後殿には万暦帝と

左右に2人の皇后の棺が安置されている。

又、色鮮やかな漆塗りの道具入れの家具が数多く置かれてあった。

ここには多くの団体観光客が訪れていた。

明の十三陵で唯一発掘されたのが定陵という希少価値性が

そうさせているのかもしれない。

明楼には「聖号碑」があり、碑首に「大明」、

碑の真ん中に「神宗顕皇帝の陵」と刻まれている碑の基座は

上が小さく下が大きくて、九層の方台からなり、

「九五の尊」を意味している。

定陵からはるか彼方には定陵よりずっと大きい他陵がうっすら見えた。

こちらは帰路に立ち寄った第二展覧室。

ここにもその当時の貴重な資料が展示されていた。

館内のみやげ物売場にはトランプ形式で54位の皇帝と

各臣の姿絵が展示してあった。

よく見ると最後の皇帝、各臣の姿だけは写真が使われている。

ひょっとして清朝最後のラストエンペラーかもしれない。