スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

浦和エリア旨い店シリーズ ~その1PARTⅢ~

2014-11-29 08:10:18 | 食~洋食

ビア&レストラン isle(アイル)

浦和区仲町1-9-5(駐車場は無くなってしまった)

ビルオーナーの都合で11月3日(月)に西へ

30Mの所(越谷街道沿い)に移転、新装オープンした

(2011-1-31付 2013-4-30付掲載参照)

その閉店案内。横には使わなくなった

ビールタンブラーのセットが「自由にお持ちください」と

書いて、沢山置いてあった

これが新店舗。旧店舗のイメージを残しつつ

ちょっと小振りに成った

店内の様子。ピアノも残してあり、面影は随所に見られる

唯、残念なことにカウンター席から料理をしている

所が見えなくなってしまった。

厨房は御覧の通りだ

店外にあるメニューは今までと同じだ

本日のランチのポークテリ焼きステーキ800円

ランチは20円アップしたようだ

それにしても、アイルのもち豚はいつ食べても

マイウー!

アイルのもう一つの隠れた魅力はこのライス。

拘りの農家直契約の秋田県大潟産のあきたこまち

甘味があって旨い。いつ行ってもそう感じる

アイルのメニュー。実はここの売りはふだん

あまり食べていないアイルハンバーグ

毎月5日、15日、25日がアイルハンバーグの日になっている。


阿武隈ゾーン震災支援事業

2014-11-26 08:11:21 | 地震

浦和東ロータリークラブが継続して行なっている震災地の支援事業の第3弾。

宮城県阿武隈地区へのサッカー交流・植樹活動に参加してまいりました。

当日は素晴らしい晴天に恵まれ、実りの多い時を過ごすことができました。

ここは岩沼震災遺構記念植樹を行なった近くにできた「千年希望の丘」の1号丘。

高さは11M。この地を襲った8Mの津波よりちょっと高い避難丘として

いざという時に使われる。このような丘を15基造られるとの事。

慰霊式の会場に多くの人が集合

この式典には参加した7RCののぼりがはためいている。

「一つ心に」の短いフレーズが心を打つ。

公園の真ん中に立つ慰霊碑。この塔の天辺まで津波が来たそうだ。

「思いを未来へ」人と人が大切に支えている塔の中心の鐘には

鎮魂と記憶、そして希望の意味が込められ、慰霊碑の向こう側の景色が

見える未来へ、そして希望へとつながるメッセージを表現している。

参加者が慰霊塔に献花し全員で黙祷をし、犠牲者に思いを馳せた。

犠牲者の氏名を刻んだ刻銘碑 ここ岩沼市では183名の方が亡くなった。

2011.12-13掲載した岩沼警察署の6名の殉職者の名前も刻まれており

新ためてあの大震災の悲惨さを思い起こさずにはいられなかった。

岩沼市教育長のご挨拶。

この地からすぐそばにある仙台空港。空港に来た津波の映像を思い出してしまう。

各代表者が植樹をしている所を見守っている7クラブのロータリアンと

浦和から来た2チームそして地元のサッカー少年団の皆さん。

最初に支援した相野釜組合のメロン農家の皆さんも駆けつけてくれた。うれしい事だ。

岩沼市建設部長さんからこの植樹についての詳細な説明がありました。

なぜ植樹なのか?ということをはじめ、そうなんだという話が聞けますので

読者の皆さん是非ここをクリックして下さい。

この場所では小泉進次郎政務官。村井嘉浩宮城県知事、五百簱頭真東日本

大震災復興構想会議議長らも植樹されたとの事。

この土の下には7割程ガレキが埋まっており、被災者の思いが入っている。

2号希望の丘の頂上にあった周辺の案内図

この辺りは民家がいっぱい建っていたが、ご覧の通り今は何も無くない

先には海と一部松並木が見えるのみだ。

千年希望の丘プロジェクトの説明看板。

希望の丘の頂上から植樹式会場へ向かう子供たちとロータリアン。

一班3名で植樹した7本の苗木。

植樹をしている全景

地元岩沼サッカー少年団の子供、金沢西RCメンバーと私と3人で植えた。

スコップでちょっと掘ると下からガレキが出てきて、なんとも言えない気持ちになった。

私達が植えたNo.4いつか機会があったら建設部長さんの話の様に又来てみたい。

その為この写真を記録として残しておきます。

植樹に使った軍手とシャベル。単なる道具に見えない。参加した

互々の思いがここに積まれているようだ。

仙台空港を出た所に建立された「カリヨンの鐘」2520地区

阿武隈ゾーン(名取、岩沼、亘理、角田、丸森の5RCクラブ)の

ロータリアンが何かをしなければならないという使命感で大震災の丁度2年後

2013年3月11日に全国RCの協力のもと完成した。

サッカー少年団の子供たちも興味深げにハンドルを叩いていた。

被災された方々の鎮魂と不忘、後世への教訓の意がこの鐘に込められている。

各音には「敢然の鐘」「人道の鐘」「道標の鐘」「支援の鐘」「安寧の鐘」

「感謝の鐘」「復興の鐘」「鎮魂の鐘」「復旧の鐘」「実践の鐘」などと命名されている。

時の国際ロータリー田中作次会長(八潮RC)の字で「一つ心に」

名取RC「一つ心にの鐘」ボランティア演奏グループの増田音楽教室の皆さんが

5曲演奏をしてくれた。この動画は「見上げてごらん夜の星を」

この鐘の音を聞いているうちにジーンとくるものがあった。

地元のロータリアンの方には涙ぐむ人もいた。色々な思いが去来したのだろう。

音楽の力はすごいと感じた。

この鐘の裏の仕組。大事に使ってもらいたいものだ。

 

仙台空港の外壁に表示されていた津波の高さ

その日の夜、仙南シンケンファクトリー(角田市)で行われた浦和からの

少年サッカー団と地元の少年サッカー団の交流会。最初はなんとなくぎこちなかったが

子供は打ち解けるのが早い。

浦和、木崎チーム、大東チーム、地元チームのサッカー団代表が明日の抱負を語った。

少年団に用意された夕食。勝カレーだ。

地元角田市の大友市長も大歓迎してくれた。

翌日も素晴らしい晴天。少年サッカー交流大会が角田市陸上競技場で行われた。

参加チームは6チーム。素晴らしい芝のグランドだった。

協議開始前のセレモニー。この日も角田市長が来てくれた。

多くの父兄も参加。この中で、1チームだけ弱小チームがあった。

亘理町と交流の深い福島県浜通りの最北端にある新地町のサッカー少年団。

今も多くの子供達が仮設などで不自由な生活をしている町の子供達です。

ここのチームの家族が最も多く参加していて何よりもサッカー交流を

喜んでくれました。この話を聞いて心の支援ができて本当によかったと

ロータリーメンバーは感じた次第です。

少年たちの真剣なプレーとキックオフの円陣

そして終了の礼。スポーツはやはり素晴らしい

このサッカーボールは何かを語っているようだ。

この日のスタジアムの紅葉は殊の外、美しかった

この横断幕をつけて浦和からバス2台で来た

この事業を成し遂げる為、浦和東RC会員全員で

古新聞、古雑誌などのリサイクル品を回収し

「被災地の子供たちに心の支援を」する為資金集めを

汗を流して半年間実施した

そして、今度は来年3月に宮城県と金沢市の少年サッカー団を

招いてサッカーの聖地

「埼玉スタジアム2002」で行われる予定の

Jリーグ開幕戦に、地元浦和の少年サッカー団と

心のサッカー交流大会実施を予定している。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~その188~

2014-11-24 10:30:31 | 食~その他

埼玉県中央市場(株)大食堂  更科さか本

桜区桜田3-3-1

TEL 048-863-6021

定休日 日曜日、祝日  営業時間6:00~14:00

駐車場 有 (市場の駐車場)

広い市場の中でもすごく目立つ大看板

この建物の2階が大食堂だ

飲食棟の建物は相当古いが市場内に唯一ある普通の食堂

(表現が不適切か)だ

敢えて言えば、和風れすとらん

市場の社員食堂的でお客さんは市場関係の常連さんが多い

その会話を聞いているとおもしろい

営業時間も早朝6時からと普通とは違う。

メニュー一覧も日に焼けて黄ばんでいる。

ラーメン490円 かけそば、うどん490円、カレーライス650円

メニューは多彩で安い。正に市場の食堂と言えるラインアップだ。

本日のメニュー。ぎょうざ6ヶで半額160円

なんともらしい食堂だ。裏メニューに値段は不明だが

お粥は名物らしい。

市場ということで期待してまぐろ刺身定食880円をオーダー

赤身まぐろ7枚

冷奴、ネギとかつお節がのっていた

味噌汁、具に冬瓜を使っているとは珍しい

味は、正直たいしたことはないが、ガッツリ飯が食いたいときにはオススメ

カウンター席16席、22テーブル88席

寿司ネタの仕入れの帰りか、知り合いの鮨屋の大将3人と会った

すごいのは(今どきもう無くなった)全面喫煙可だ

もうセリは終わったのか、人気は少ないがボーっと歩いていると

「ジャマダ ジャマダ」と

怒られそうな空気は残っていた。


浦和エリア隠れた名店シリーズ ~その3~

2014-11-21 08:01:07 | 地元企業

大丸海苔店

桜区桜田3-3-1(浦和総合流通センター中央市場内)

TEL 0120-54-4188

17号バイパス「流通センター」からちょっと入った所にある

浦和卸売市場の全景。この中に埼玉県中央市場がある

ここは昭和45年に開業した。

中央市場には水産、塩干 青果、食品、珍味、漬物、佃煮、惣菜

のり、茶、穀物、米、食器、包装、雑貨、日用品、文具

衣類、食肉、鶏卵、クスリなど種々雑多なお店が入居している

市場の中ほどにある海苔、お茶の専門店

昭和38年に当地で開業、爾来約50年

味本位で吟味し、厳選した逸品を提供し続けている

又、ここの女将さんとは行きつけのスナックでよく、いっしょに飲むことがある

ここの海苔は現地で直接買付ける独自仕入れで

産地と収穫期を限定している

そして、商品企画から製造管理、販売まで

一貫して自社で行うことによって、より良い商品を

納得した価格で提供している

寿司用の有明海苔は2切50枚で1080円(税込)

福岡県産及び佐賀県産の二番摘み

「本等級」又は「重等級」を原料にして

パリッと歯切れがよく、口の中で

旨味が広がるのが、特徴

手巻寿司、おにぎりはもちろんそのまま食べても旨味が実感できる

因みに鮨処「五代力」(2011-6-30付掲載)さんの

先代があらゆる海苔を試して大丸さんの海苔に行きついたという話を

今の大将から聞いた。

有海海苔は有明海の干満差により

海と太陽の恵みを受け、柔らかく歯切れのよい

旨味たっぷりの海苔だ

きざみのりは、そば、うどん、和風のスパにかけると旨い

ポレポレ食堂のカツ丼にもかけてあって一段と

旨味を深めている

きざみのり2m 1080円

特撰 2m 1404円

特撰・金1.5m1404円

以前 女将がビニール袋にこれでもかときざみのりを

押し込んで売ってくれたサービスを思い出す

参考に、のり網で一番初めに採れる海苔で

柔らかく美味しい海苔が多く

生産できるのが一番摘みだ

 

大丸さんは狭山茶を中心にお茶も販売している

造り込み煎茶:煎茶、くき茶、粉茶、の選別を

極力最小限に抑え、互々の風味を大切に

「秘伝自製法マイクロ波殺菌火入れ」で仕上げた味本位の煎茶


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編51~

2014-11-20 07:54:38 | 食~番外編(京都)

せき川

京都市中京区木屋町通三条上る上大阪町528

TEL 075-256-6110

定休日 月曜日 最終曜日の火曜日

魚料理野菜料理にこだわっている懐石・会席料理の「せき川」さん。

開業して20年に成るそうだ。大分以前に一回お伺いしてその味に魅せられ、再訪した。

カウンター席が8席、掘り炬燵の座敷席が2席、それ以外にテーブル席もある。

大将は青森出身、女将は宮城出身。京都人でない夫婦が

歴史を重んじる京都料理店をやっているのはおもしろいし、すごい事だ。

内装は真新しく、改装したのか。店内にはジャズが流れ、

外国人客が一席いたが、たぶん、不思議な感傷を持ったにちがいない。

のどぐろ、くじ、えびいもなど京都の食材をやはり使ったお品がある。

ここに書かれたメニュー以外にも壁に注文したくなるような料理がいくつも書かれていた。

ふぐの鉄皮、きんぴらごぼうのお通し、写真からもその繊細さが伝わってくる。

やはりせき川さんはいい仕事をしています。

刺身の盛り合せ。剣先いか、、まぐろ、とろ、鯛、秋刀魚どれも新鮮で生きがいい。

桜えびのかき揚げ、これはものすごく旨かった。正に絶品だ。

鯨のベーコン。どうですかこの鮮やかな色、こんな美しいのはちょっと無い。

かぶらむし。本日の料理のNo.1 さすが京都で勝ち抜いてきた技だ。もう最高!

笹がれいの唐揚。かれいは若狭湾で採れたものか。

牛のあみ焼き。やはり魚、野菜料理のアピール度が高かった為か

ちょっとピンボケした印象だった。

大好きな穴子ずし。見た目にも美しい。さすが洗練された京都の料理。

納得、納得の味だった。

せき川さんは先斗町の端にある。腹ごなしに京都の夜を散策してみた。

ここは森鴎外の小説で有名な高瀬川のほとり。

この界隈は随分お洒落になった。ここも外国人が多くいて

一瞬外国に居ると錯覚してしまう程だった。

高瀬川から夜の鴨川に出た。不思議な程カップルが等間隔で語らっている。

鴨川サイドから見た先斗町の裏のお店。本当に風情があるナ―。

先斗町の呼名は、ここの人家がすべて川原の西側にたち

先ばかりに集中したところから先斗町と呼ばれたとも言われている。

先斗町もずいぶん変わった。近代的でお洒落な雰囲気に成ったが

京都のしっとりした風情は失われているような気がする。

そうは言っても路地に入れば、京の町屋の造りは昔のまま残っていて、ホットする。

芸妓さん、舞妓さんの源氏名のうちわのディスプレーを発見。アートだ。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編50~

2014-11-18 08:01:07 | 食~番外編(京都)

吉田山荘 cafe  真古館

京都市左京区吉田下大路町59-1

TEL 075-771-6125

http://www.yoshidasanso.com/shinkokan/

真如堂から京都大学の隣りにある吉田山の吉田神社に向かう途中

(ここでのんびりした為結局行けなかった。)偶々見つけた。

この表唐門は宮大工棟梁で文化功労者の西岡常一氏により

建てられた京都市内で唯一の作だそうだ。

西岡氏は奈良薬師寺再興を任され、飛鳥時代から受け継がれていた寺院建築の

技術を後世に伝える「最後の宮大工」と称された人だ。

敷地内には宮家時代に建てられた館の外観をそのまま残したカフェ真古館がある。

ご披露宴、二次会、ライブ、個展、展示会、会議セミナー等多目的に利用できる。

また1階にはオリジナル商品、京古商品を販売している。

入口の扉の硝子もお洒落でいい感じだ。

行った時はお客が一人も無く、大正ロマンが漂う空間を独り占め。

優雅な時間を心ゆくまで楽しんだ。

ここの名物、お福もちぜんざい 1,000円

ちょっと高目だがマーいいか!

黒蜜 きな粉餅。

そして女将の手になる歌がつけられているのでびっくり。

なんて達筆なんでしょう。

こちらは昭和天皇の義理の弟君、東伏見宮家の別邸として

昭和7年に建てられた、料理旅館「吉田山荘」

2012年4月に国の登録文化財建造物に認定された。

偶然にも真古館でオーダーを取りに来た方がここのオーナーで

こちらの山荘も案内してくれ、感謝、感激。

古風な玄関。左端に見えるのが銅鏡の背面文様からデザイン化したステンドグラス。

和と洋が見事に融合した建築物だ。

2階から見た山荘の庭園。本当によく手入れがされており

清澄な空間が満喫できた。右側に風情を感じる北山杉が見える。

玄関の上には長刀鉾(なぎなたぼこ)と書かれた飾り物があった。

長刀鉾は33基ある祇園祭の山鉾の一つで疫病邪悪をはらうと言われており

山鉾巡行の先頭を進む。稚児がしめ縄切りで結界を解き、

祇園祭巡行がスタートするので有名。

山荘の2階から東山連峰。手前に金戒光明寺、

そして閑静な黒谷の住宅街が見えた。


秋の京都

2014-11-17 08:50:02 | 旅 ~京都

京都駅から東福寺駅まではJR奈良線で一つ目。

優先シートはご覧のような図柄のシート。初めて見ました。

杖をついた老人、妊婦、赤チャン連れ、怪我人の絵などが画いてあり

わかりやすい。所変われば品変わるということか。

京都五大の一つ臨済宗大本山東福寺の案内図

創建は古く鎌倉時代、750年の歴史が脈々と流れている。

駅から徒歩10分。北大門入口の所で三重県から修学旅行で来たという小学生と

地元のガイドさんに遭遇。しばらくガイドさんの説明を聞きながら付いて行った。

これも旅の出会いの醍醐味か。

日下門。左に我が国最古最大、中世から遺る唯一の座禅道場「座堂(重文)」と

やはり我が国最古の「東司(重文)」があるが、残念ながら写真には写っていなかった。

東福寺は、時の摂政関白・藤原道家が南部東大寺と興福寺から

「東」と「福」の二字をとり、九條家の菩薩寺として造営された。

庫裡は明治23年再建された。唐門・庫裡は明治天皇皇后であった

昭憲皇太后の恩賜建築だ。

昭和の名作庭家、重森三玲の代表作「八相の庭」

(昭和14年) 近代庭園の傑作とされている。方丈の東西南北に四庭をもつ。

方丈と開山堂を結んで架かる、通天橋。ここから眺める渓谷、

洗玉澗の紅葉と新緑は京都を代表する名所だ。

残念ながら紅葉にはちょっと早かった。その代りといってはなんだが

来訪者も少なくゆっくり静かに見ることができた。

紅葉のトップシーズンではこの橋が満員電車のように成ってしまうらしい。

現存する最古最大の「三門」で国宝。大仏様を思わせる。

昭和9年築の重層入母屋造の大建築「本堂」。仏殿と法堂を兼ねている。

通天橋からつながる開山塔院(常楽庵)

(重文)

東福寺の開山には、日本で最初に国師と称された禅僧「聖一国師」が行った。

次に比叡山の麓、東山連峰の山裾に造られた修学院離宮へ向かった。

ここは、京都御所、京都大宮御所、仙洞御所

桂離宮とともに皇室用財産(国有財産)として宮内庁が管理していて、入るのに許可がいる。

申し込んだら運よく許可が取れて、これで全て拝観したことになる。

ここが参観者の出入口。宮内庁職員が厳重にチェック。総勢30名位で外国人が

多いのには驚いた。海外からインターネットで申し込んだそうだ。

拝観のスタート、御幸門。先頭に各所で詳しく説明する宮内庁職員。

後で気がついたが、最後にもう一人職員がいて、はぐれないようチェックをしていた。

修学院離宮はこの寿月観がある下離宮と中離宮、上離宮の三つのゾーンに

分かれている。一の間に掛かる「寿月観」の扁額は後水尾上皇の宸筆である。

下離宮を出ると急に視界が開け松並木の廊下道に出る。

そしてこの道は中離宮と上離宮に分かれる。ここに立つと、もうここは

京都市内とは思えない静寂で牧歌的な世界だ。

素晴らしい空間の広がりに誰もが感激するのではないかと思う。

では暫し宮内庁職員の説明をお聞きください。

修学院離宮から見た京都の市街地。

この松並木の間に広がる田園風景。総面積は54万5千㎡を超える雄大な離宮だ。

明治期に宮内省の所管となるまでは離宮を囲む垣根も全周にはなく

自然に対して開放された山荘だったそうだ。

中離宮に入る門と入った所の何かを感じさせる一本松のある前庭

小さな門の前に垂れ下がる楓は一部紅葉が始まっている。

延宝6年(1678年)東福寺院が亡くなられた後、天和2年(1982年)

光子内親王のために女院御所の奥対面所から移築した客殿。

この飾り棚は、互い違いに配された大小五枚の棚板がいかにも

霞がたなびいているように見えることから霞棚と呼ばれ

桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚と称されている。

当たり前だが、瓦には皇室の紋菊の紋章がある。

修学院の名は、10世紀後半ここに修学院という寺が建立されたのが始まり。

南北朝時代以降この寺は廃絶したが地名は残った。

離宮は、桂離宮におくれること30余年、1655~1656にかけて

後水尾上皇によって造営工事が起こされ、1659年に完成した山荘である。

この外国人は写真を撮りまくっていた。

時間は午後4:00頃。陽がだいぶ陰げってきた。西日が眩しい。

上離宮、隣雲亭から見た浴龍池。島の形を泳ぐ龍の姿に見たてたものと言われている。

この離宮でもっとも有名で美しい風景だ。

皆、感嘆の溜め息。その次は夢中でカメラのシャッターを切っていた。

千歳橋と呼ばれる石橋が、窮すい亭のある中島と

浴龍池の中島とをつないで架けられている。なぜかこの橋は中華風だそうだ。

中島の頂上に宝形造りの茶屋「窮すい亭」がある。

浴龍池の西浜に映る雲がポエムだ。

舟着から見た一枚。このあたりから印象的な写真を撮ろうと池の周りをアングルを求めて歩いた。

雲がどんよりと垂れこめた早朝6:00頃の鴨川

京都ホテルオークラの所にあった「桂小五郎」像

ここは江戸時代、長洲藩家敷のあった所だ。

そしてその斜め向かい側のビルの裏は、本能寺の変で有名な本能寺がある。

創建年は1415年(応永22年)、法華宗本門流

織田信長公廟。信長三男信孝は信長らの遺骨収集の作業をすすめ

本能寺の変から1ヵ月後の天正10年(1582)7月3日早くも本能寺を

父信長の墓所と定めた。

この廟所には武将の魂とされる信長所持の太刀が納められている。

浄土宗総本山。金戒光明寺の山門。この山門は1398年~1415年に建立されたが

応仁の乱にて焼失。江戸幕府の命により1828年(文政11年)再建。

1860年(万延元年)に落慶された

元祖法然上人が最初に浄土の教えの真実義を弘められた念仏発祥の地といわれている。

御御堂(大殿)と紫雲山くろ谷金戒光明寺の境内。この本堂は昭和9年火災にて全焼。

京都大学名誉教授天沼俊一博士の設計にてすぐさま再建。

昭和時代の代表的な木造建築と言われている。

ここにはNHK大河ドラマで有名な徳川二代将軍秀忠の正室「江」の供養塔がある。

そしてここは幕末に京都守護職を務めた会津藩松平肥後守容保が本陣を

はっていた所でもある。寺の裏には会津藩士の広大な墓地があった。

ここには源氏の始祖、清和天皇が火葬した塚もあるらしい。

金戒光明寺の北側隣りに比叡山延暦寺を本山とする天台宗の寺院、「真如堂」がある。その総門。

文化年間に再建された三重塔が趣きを添えている。

1万2千坪の境内の中心にある15間四面の堂々たる本堂

ここは不断念仏の道場として浄土宗の開祖

法然上人や浄土真宗の開祖親鸞聖人をはじめとする多くの

念仏行者や民衆の篤い信仰を集め、特に女人の深い帰依を受けてきた。

全国の浄土系の寺で行われる「お十夜」法要の発祥の地であり

四季折々に美しい念仏の寺です。

1988年、曽根三郎氏によって作庭された涅槃の庭。

ガンジス川支流の沙羅の林の中で、北(向って左)を頭にしたお釈迦様が

入寂され、その回りを弟子や生類たちが囲んで嘆き悲しんでいる様子が

石組や白砂、植栽などによって表現されている。

垣根の向こうにはうっすらと大文字山が借景として見える。

2010年、重森千青氏によって作庭された髄縁の庭。四つ目の

家紋に因んでデザインされた。

因みに千青氏は東福寺の八相の庭の庭家三玲氏の孫だそうだ。

境内に映画カメラを模した「京都映画誕生の碑」があるのを見つけた。

1895年フランスで発明された映画(シネマトグラフ)は2年後に

日本に持ち込まれ、初めて京都で上映された。

1908年、牧野省三氏は歌舞伎の劇映画化に挑戦。その第1作

「本能寺合戦」を真如堂で撮影したのがこの碑の由来です。

これは思わぬ大発見だ。

第57代陽成天皇陵。先代は清和天皇

東日本大震災の時に出てきた大昔の大地震貞観地震の時の天皇だ。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編49~

2014-11-13 08:00:36 | 食~番外編(京都)

京料理   六盛

京都市左京区岡崎西天王町71(平安神宮近く)

TEL 075-751-6171

定休日 月曜日

http://www.rokusei.co.jp/

古都の風趣に抱かれた和みのお席で心に響香り高きひとときが過ごせる

「六盛」さん。

明治32年創業から京料理ひとすじ、117年の老舗料亭です。

この地には昭和52年に移転

120名収容の大広間から大小の個室など幅広く対応できる

手軽に京料理の粋を味わえる店だ。

玄関から入ったエントランス。

京都情緒あふれる空間と目で見て楽しめる美味しい京料理

「六盛」の歴史は、初代が仕出し屋からスタートしたのが始まり

当時、出入りしていた「六盛会」(学校運営の審議を担当した学区会議員の組織)

の屋号を受け継いだのが店名の由来だとか

六盛名代の「手をけ弁当」は二代目当主が創業

「ある日、縄手三条を下がったところにある「たる源」

の店先にさしかかった所、彼は冷奴入れの桶に眼をとめ

あれを料理の器に使えないかとひらめいた」

のがこの手をけ弁当になった。

なかなか趣のある重厚な店内模様

実は昔、移転前の店に行って、六盛の手をけ弁当に

感動したことを鮮明に記憶している。

京都に行くたびに、また行こうと思ったが、タクシーの運転手などに

「あそこは商売気が多くなったからやめた方がいいよ」と言われ

行く機会がなかった

今回行ってみて、こんなにも立派になったとは

やはりメニューを見るとちょっとCPが高い

手をけ弁当が3240円

しかし京都の有名店は地元で成功して

東京、全国に進出してくるが、ここはかたくなに

一店舗主義を貫いている気骨さはうれしい。

蒸寄せ。味はアメリカのお母さん

赤出し

昆布、関西はやはり昆布なんだナー

季節のかわりごはん、まつたけご飯

そしてこれが六盛名代の手をけ弁当

この手桶は人間国宝、中川清司作の器

そして旬の極みの品の数々

やはり、CPが高いナーと食後感じてしまうのは私だけか?


京都時代祭

2014-11-12 07:54:50 | イベント

京都三大祭の一つ、時代祭に行って来た。これで夏の祇園祭

春の葵祭と三大祭全てを制覇したことになった

行列は京都御所建礼門前行左折を12:00に出発して烏丸御池を経て

ここ平安神宮に14:30到着予定だ

当日はあいにくの小雨模様。晴天の日に見たかったナー

この時代祭は、平安神宮の創建を奉祝して京都市民あげて始められた祭りで

毎年京都の誕生日にあたる平安遷都の日、10月22日に行われる

この祭が京都の誕生を祝う市民の祭ということもあって

知事、市長、府議会正副議長、市会正副議長、商工会議所会頭、

時代祭協賛会会長らが名誉奉行を勤めている。この馬車はその先頭

行列は明治維新から平安時代へ遡る倒叙法で構成され

当初6列であった行列も、折々に遂次加増され、現在は20列

およそ2000余名の大行列となっている

平安神宮の行列の所では、ご覧の美人アナウンサーが、それぞれ

行列の解説をしてくれる

丁度、目の前にアナウンサーがいて、かなりその仕草が気になった

いよいよ明治維新時代が来た

都大路にくりひろげられる時代風俗絵巻は、見る者に祭という場の

華やぎや厳粛さのみならず、日本の歴史を振り返る面白さを伝えてくれる

維新勤王隊列

各時代行列に使用する衣裳や祭具の一つ一つが厳密な時代考証を

もとに作製された本物であるところにその特徴がある

♪ピーヒャラ、ラッタッタと軽快なリズム

明治維新になってからも、東北地方では、幕府方諸藩が激しく抵抗していた

鎮撫の為、丹波の国北桑田郡山国村(現在の京都市右京区京北町)

から官軍に参加した「山口隊」の姿に倣ったもの。

錦の御旗。官軍の旗印。赤地の錦に金色の日像、銀色の月像を刺繍した旗

朝敵討伐の証として、天皇から官軍の大将に下賜するものであった。

維新志士列。御祭神孝明天皇100年祭を記念して

昭和41年に維新に活躍した志士たちの顕彰の列が加わった。

これらの志士は20~30歳代の青年が中心ということもあって

京都青年会議所が奉仕している。

桂小五郎(後の木戸孝充) 他にも西郷吉之助、坂本竜馬、中岡新太郎

杉晋作、七郷落(三條實美 久坂玄瑞など)橋本左内

吉田松陰など、幕末の英傑の列が続く。

近衛忠熈など公家の列。

本列も夫々往時の服装を考証したものである。

ここから江戸時代

徳川城使上洛列。

徳川幕府は、朝廷の重要な儀式などに将軍の名代として親藩

又は譜代の大名を城使そして上洛させた。大礼の時などは

1700人に及び、一般の大名行列よりずっと盛大で格式の高いものであった。

本列は人数を簡略化しているが、時代祭の中では最大の行列となっている。

豪華な駕籠や器具、先頭の奴の所作などに当時が偲ばれる。

 徳川城使上洛列から江戸時代婦人列へ

ここでは江戸時代の京都で話題となり活躍した女性が登場する。

皇女「和宮」、孝明天皇の御妹君にあたられる方で

有栖川宮との結婚をあきらめ、「惜しまじな国と民のためならば

身を武蔵野の露と消ゆとも」と御歌を残し公武合体の為、

14代将軍徳川家茂に降嫁された。

他にも中村内蔵助の妻、女流歌人梶なども動画でお楽しみ下さい。

寛永の頃の名妓とうたわれた芸妓「吉野太夫」 打掛小袖に帯の盛装である。

出雲大社の巫女で、社殿勧進の為に入洛、念仏踊りを演じた「出雲阿国」

これが歌舞伎の起源とされている。

安土桃山時代の豊公参朝列。慶長年間、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が参内した。

「一日晴れ」と称される規定外の華やかな装束をまとった5名の大名の一人万田三成。

びんろう毛唐庇車とよばれる最高級の牛車。ビロウの葉で屋根をひいている

平安神宮の創建と同時にその維持母体として組織された全市にわたる

市民組織「平安講社」の皆さん。彼らがこの祭りを支える縁の下の力持ちだ。

応仁の乱の後、京都はさびれ果てていた。織田信長は永禄11年(1568年)9月

正親町天皇の召しに応じて兵を率いて上洛し

皇居の修復や街の復興に尽力した。この丸いのは馬印

信長に仕え、次第に頭角を現し始めた頃の羽柴秀吉

派手な兜で一段と目立っていた「滝川一益」

室町幕府執政列。この列は武家風俗を中心とするもので

当時の武士の軽武装姿を表現している。

足利将軍

子供がかわいいのでアップで撮ってみた 「童菊」

将軍補佐の大役で細川・斯波・畠山の三家(三管領)で交替で就任。

今年は細川氏

室町洛中風俗列。16世紀室町時代後半に経済力を

蓄積した京の町衆によって盛んに催された風流踊り。

これが全国各地に伝わり、江戸時代以降の盆踊りの原型となった。

このアナウンサーはこのカメラを意識しているみたいだ。

側踊りの女性。奇抜な仮装や派手な衣裳で着飾っている。

吉野時代、楠公上洛列。楠木正成公一代の盛事といわれ、

多種にわたる華麗な甲ちゅうや武具が一目に見られるのが特徴だとか。

主将楠木正成か副将楠木正季。どちらかだかもうわからなくなってきた。

雨もこの頃はほとんどやんできた。

本当に鎧といい、兜といい、太刀といい、立派なものだ。

兵士も立派だ。

中世(平安時代後半から桃山時代)婦人列。

洛北大原から京の街へ薪や炭を売りに出たのがこの「大原女」

洛西の桂から、鮎や飴を売りに出たり、婚礼や出産の時に

祝詞をとなえる巫女などを業とした「桂女」

太閣秀吉の側室「淀君」桃山時代を代表する豪華な衣装をまとった外出姿

源義経の愛妾で悲劇の女性として有名な「静御前」 水干を着けた白拍子姿

鎌倉時代、城南流鏑馬列。狩装束射手武士を中心に郎党と従えた5組で構成されている。

藤原公郷参朝列。平安時代中期以降 藤原氏全盛期の王朝風俗で

宮中での儀式に参加する文官 武官の夏正装姿。

公郷(文官) この時代唐様式の影響が薄れ、日本独自の国風文化が成熟し、

強装束が起こり、大いに容儀が整えられた。

平安時代婦人列。建礼門院の雑仕女「横笛」

源義朝の側室「常盤御前」

牛若を懐に今若、乙若を連れて雪中六原に向かう外出姿

枕草子の著者「清少納言」の女官の正装と源氏物語の著者「紫式部」の略装姿

百済王明信と女官。平安朝初期の女官の正装姿

延暦時代の延暦武官行進列 桓武天皇の治世794年(延暦13年)に

平安京に遷都。この列は正倉院御物や古墳の出土品などで時代考証されている

東征を終えた征夷大将軍 坂上田村麻呂

矛持兵子

延暦文官参朝列

服装は身分によって色が定められている。最高位の浅紫の三位は

平安神宮に到着後全行列を代表して大極殿で祭文を奏上する。

時代祭の祭事にたずさわる神饌講社列。供奉する20人の水干姿の講員

この列は京都料理組合がその役にあたっているそうだ。

神幸列。この御鳳輦には前に孝明天皇、後に桓武天皇の御神霊が鎮まっている

比叡山に源を発する白川の流域に住み、季節の花を売りに歩くのを

業とする女性が白川女で、神前に供える花を頭にのせている。

時代祭終了のアナウンス。笑顔がチャーミングなアナウンサーだった。

所要時間は約1時間10分。壮大な時代絵巻。今回は予備知識も

殆どなく、帰ってきてこのブログお書いていて新発見の連続だった。

機会があれば次回は出発時点の京都御所でもう一度、見てみたいと今思っている。

 

 

(平安神宮)

平安神宮は、明治28年(1895)、平安遷都1100年を記念して

平安京創始の桓武天皇を御祭神として創建され、その後

昭和15年(1910)に幕末の激動のなかで近代日本の礎を築かれた孝明天皇を

合祀して現在の輪奐が整えられ、京都総鎮守として崇敬されている。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編48~

2014-11-11 08:00:30 | 食~番外編(県外)

甲州ほうとう 小作山中湖店

山梨県南部留郡山中湖村山中234

TEL 0555-62-5391

年中無休  11:00~20:00  駐車場35台

山中湖湖畔にオープンして20年

甲府市北口駅前店(本社)をはじめ全部で10店舗ある

観光地にある為、駐車場もたっぷり有る

大型店、奥に椅子席もある

店内奥から逆に見た店内

なんとなく民芸調、畳と座布団で落ち着けるお店だ

名物 熟瓜 餺飩 中心のメニュー

他にも、豚肉、ちゃんこ、鴨肉、茸、あずき

辛口カルビ、猪肉、熊肉、すっぽん、牡蠣(11月~3月)

など色々なほうとうがある

小作の人気ナンバーワンのかぼちゃほうとう1150円

あまーい南瓜のはいったかぼちゃほうとうは

甲州ほうとうの基本

ほうとうはここから始まりました

かぼちゃのピュアな甘味が口いっぱいに広がって

心も身体もあったまります。

正にこれから、旬の料理だ

甲州ほうとうは、禅僧の手により中国から日本にもたらされた

「はくたく・はうたう」が語源と言われ

武田信玄が野戦食として用いたことから甲州地方に広く根付いたと言われています

「ほうとう」はいわば、山梨の誇りともいえる郷土料理であり

その味の中に甲州の長い歴史が息づいています。

富士山と山中湖を望むリゾートホテル

「マウント富士」標高1104Mの高台にあり

富士山を見る為に建てられたリゾートホテルだ

行った日(10月20日)はあいにく曇っていて

富士の雄姿は全く見えなかった

山中湖と反対の向きから撮ったパノラマ写真

山中湖畔から伸びる一本の坂道の上

周囲からは豊かな緑で隔絶され、静かな空気に包まれた

雄大なパノラマリゾートが

お客様の心からくつろぎを約束している

丁度、紅葉が始まった時期でひんやりした

空気がとても気持ち良かった

ホテルから見た山中湖

大雑把に言って向かい側が甲州ほうとう

「小作」