スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

桃源郷祖谷の山里

2018-05-31 06:25:44 | 旅 ~国内

東祖谷のほぼ中央にある山の斜面に広がる落合集落は

2005年、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

集落内の高低差は約390mもある。この写真は対岸の

中上展望所から集落の全景を撮ったものだ。

江戸中期から昭和初期に建てられた古い民家の集落景観は、

まるで日本の原風景や桃源郷のような空間を醸し出している。

落合集落を展望する対岸の落合展望所にも名頃かかしの里に

あったかかし人形が置いてあった。

よく見るとこの人形は服装にインパクトがある。

さぞ人形に合った古着を集めるのが大変なことだったろう。

ここが桃源郷祖谷の山里事務所。ここは廃校に成った

旧落合小学校内にあり、茅葺民家スティのチェックインはここで行う。

http://www.tougenkyo-iya.jp/

落合集落散策マップ。ここには8棟の茅葺民家の宿(一棟貸切)がある。

ここ落合集落はいわゆる限界集落(過疎化と高齢化で

共同生活の維持が難しくなり、社会単位としての

存続が危ぶまれる集落)で、人口は年々減り続け、

それに伴う空き家問題が大きな課題となっていた。

その課題解決の取り組みとして、2011年から

「桃源郷祖谷の山里」プロジェクトがスタート。

プロジェクトの主たる目的は、落合集落の伝統的景観の

保護と集落の活性化。空き家状態になっていた

8軒の民家をこの地域の伝統工法に基づいて改修し、

昔ながらの茅葺き民家型の宿泊施設として再生させた。

たまたま最後の予約で取れた標高差約390mに及ぶ

なかで最上部の「浮生」。―星にいちばん近い夜、雲の上に

おきる朝― なんてロマンチックなタイトル。

他に「悠居」「雲外」「蒼天」「晴耕」「雨読」「談山」「天一方」の

1棟民家宿がある。旅館とも民宿とも違う独自の宿泊スタイルを

確立させ、維持可能な地域再生活動に取り組んでいる。

かずら橋から一日お世話になったタクシーのKさん。

氏は語り部タクシーの会の会長も務め、この地域の歴史、文化

活動などあらゆる分野に詳しく、とても勉強になった。

祖谷川沿いの入口から集落内を上へ上へとつづら状に続く

里道のつきあたりが宿泊先の「浮生」の入口。

タクシーはここまでで、その先は3軒の民家の庭先を歩いて行く。

「えーこのあぜ道みたいのは他人の家の土地じゃないの?」

と腰を引いたが、立派な公道だという。

これが浮生の茅葺き民家の外観。しっかり古民家を

リニューアルしてあり、少しも古さを感じさせない。

まさに現代の隠居所のような静寂さと趣きがあり、歴史や伝統を感じさせる。

・隣の民家(ここの住人と話したが、先祖はやはり平家の落人と言っていた。

・わずかな庭先(この前はすごい崖状態。この写真では

見えないが急な斜面に平坦な土地を作るための青石の石垣)

・外壁の竹(これは外壁を強化するためのひしゃぎ竹

この竹が意匠的にお洒落。)

・古民家とはいえ随所に現代の快適性を備えている。

出入口はナンバ―制のオートロックシステム。

浮生の間取り図。9畳のDKと12畳のLの1LDKタイプ。

縁側につながっている出っ張った部屋がいまいち理解できないスペースだ。

玄関はたたきの土間になっている。横にはインテリア用のワラジが。

キッチンはIHヒーターで電子レンジからパン焼き器など

自炊する為の道具が心憎いほど全て揃っている。

ウォーターも剣山の天然水タンクがセットしてある。

リビングのセンターには囲炉裏があり、床の間には

掛軸と活け花のしつらえ、タンスは民芸調のもので

ソファーは持って帰りたくなるようなモダンで使いやすいものが置いてあった。

バス・トイレの水廻りも木仕立てのぬくもりのある仕様。

もちろんウォッシュレットを採用している。

そしてウッドフロアーが床暖房になっていて最高だった。

宿泊施設として改修の際に重要視したのは、

現代的快適性という点だとか。伝統の枠内に無い要素を加えることで

独自の空間づくりを心掛けているのが伝わってくる。

天井は黒い梁がむき出しの合掌造り的なもので貴重な造りだ。

夕方、ブラブラと散歩に出てみた。山の急な斜面にへばりつくように

民家が点在する独特の景観を持ったこの集落が

歩いてみるととても良くわかった。

ここには小学校唱歌がピッタリの風景が到る所にあった。

夕方、下の方から見た浮生。ここで桃源郷祖谷の山里プロジェクトで

大切な人について紹介します。その人は三好市から委託を受け

落合集落での古民家再生、地域活性化事情の企画運営を

手掛けたアレックス・カー氏(米国メリーランド州出身)。

氏は1964年初来日。少年期に体験した日本の美しさと

失われていく現状を国内外に訴え、次代へ残すべく

日本各地に残る美しい風景と文化を守り伝える事業を推進している。

月光が浮きあがらす幽玄でのびやかな風景が楽しめる「天一方」。

アレックス・カー氏曰く「今、考えてみると、それは

ギリギリのタイミングだったと思います。1971年、初めて祖谷に

僕がやってきた時、昔の生活はまだ残っていてましたが、

消えてゆく間際だったのです。今でも祖谷にもどると、

世間からはなれて雲の上の世界へ入ったような気持ちになります。

江戸時代の石碑にも「祖谷、我阿州(阿波藩)之桃源也」と

書いてあり、昔の人にとっても祖谷は桃源郷のような

世界だったようです。」氏は他の集落でも築300余年の

萱葺民家を買い取り、リニューアルして有名な

宿泊施設「篪庵(ちいおり)」を運営してる。

夕方散策をしていたらネコを押しているオバアチャンと会った。

ネコの中には沢山のワラビが。これから子供家族が

大阪から帰ってくるので、これで料理を作るのだとか。

他の家でもゴールデンウィークには帰省してくるとか。

とてもうれしそうな顔で話してくれた。まさに鶴瓶の家族に乾杯だ。

散策して気が付いたのは各家の近くに比較的新しい

墓があったことだ。先祖代々とは書かれていない。

随所に墓があるのはよく分かるが、新しいのはどうしてだろう?

本当にここは絶景だ。時の流れとともにその風景も変化していく。

この移りゆく自然の変化をボーと見ていると下界の

イヤなことが消えていく。上の写真は夕方の、下の写真は朝の展望台方面。

この食事のシステムは3通りある。①自炊②出前③他の民家へ外食

一番安直な出前をお願いした。秘境の仕出し料理なので

あまり期待はしていなかったが、それそれは立派で

素晴らしい料理であった。郷土名物の岩豆腐、祖谷こんにゃく、

そば米雑炊、ごうし芋などそれを入れた木箱も

高級料亭のもののようだ。この店は集落を下った所にある

「そば道場」からとか、故に祖谷そばは最高であった。

驚いたのは自炊用とはいえ、塩、砂糖、コショウ、ソース、

サラダ油、そしてなんとみりんまで用意してあった。

器も若い都会の人のセンスを感じた。

早朝散歩で中腹まで降りていくと「平家伝説の里東祖谷

落合集落」の石碑を見つけた。右側には朝日を浴びて

眩しい別の集落がある。この写真でその厳しい高低差が分かると思う。

渓谷のたもとにある赤い屋根の建物が里山の事務所からもかなり昇った所だ。


祖谷かかしの里

2018-05-30 05:46:40 | 旅 ~国内

二重かずら橋から落合集落へ向かう途中で、突然林の中に

不思議なきこり3人を発見してドキッ!よくよく見ると

人と間違いそうなリアルでおもしろいかかし達でした。

ここ東祖谷名頃集落は天空の村・かかしの里として名を轟かせている。

ここは集落のセンターにある「かかし工房」。センターの

回りにはまるで日向ぼっこをしている様な人形が並んでいる。

なんともおもしろおかしい光景に見える。

このかかしには「住民は30人ですが、かかし200体で

皆様のお越しをお待ちしています。」というプレートが掛けられていた。

前に向いているのは人形だとすぐ分かるが、赤い割烹着に

麦わら帽子をかぶっている女性は人間と間違えてしまう程リアルだ。

まるで生きているような動きを感じる。

部屋の中に入ると沢山の人形が並んでいた。

中には外国人も居て皆名前が付いている。このかかし人形の

製作者は、16年前大阪から故郷に戻った綾野月見(あやのつきみ)さん、68才で

人形作りのきっかけは「故郷に戻ってから畑に種をまいたけど

何も生えてこなかった。それでかかしを作ってみようと思った」と。

今まで作ったかかし人形の「かかし村基本台帳」なるものもあるそうだ。

部屋の真ん中で寝ているオバアサン。後姿はまるで

生きている様で思わず声を掛けたくなってしまう程だった。

かかしのバス停に鎮座しているかかし達。このかかし人形の

作り方はまず表情豊かな顔づくり。次に木枠に

新聞紙を80枚以上巻いて胴体作り。要らなくなった洋服、

ブラウス、スニーカー、長靴など着せて完成。

一体作るのに2日間程かかるそうだ。

売店のかかし達。このかかし人形の数は集落の人数より

多い約100体にのぼる。製作を始めて350体位になるそうだ。

大変なのは家の軒先や畑の中に設置するので2年位しかもたないのだそうだ。

 

 

人間そっくりのかかしが集落のあちこちでまるで生活をしたり

働いているように置かれている。それがなんともほのぼのとした

光景を醸し出している。その中の傑作作品をアップしてみます。

米国のニュースサイトが「見捨てられた日本の村」として

ここ祖谷かかしの里を紹介して話題になった。

最後に多くの畑仕事をしているかかしの中で一人本当に

畑仕事をしているオジイサン。それをジット見ている観光客。

見事にかかし人形の中に人が共存している。

感動的な写真だと思いませんか。名頃集落の住民は

かかしによる村おこしを歓迎しているそうです。


かずら橋

2018-05-29 06:51:22 | 自然

日本奇橋の一つ、西祖谷のかずら橋。この橋は重要有形

民俗文化財に指定されている。日本三奇橋とは三つの橋に

限定されていないが、1つは山口県岩国にある錦帯橋、

2つは山梨県桂川の猿橋。他に富山県黒部川の愛木橋を

挙げる場合もある。この橋の起源は2説あり、(1)空海が祖谷に

来た時困っている村民の為に架けたという説

(2)平家の落人がこの地に潜み、追っ手が迫っても

すぐ切り落とせるように葛を使って架設したという伝説。

祖谷渓を流れる祖谷川は剣山(標高1955m)に水源があり、

三好市を経て大歩危峡の北端で吉野川に注いでいる。

祖谷渓は高さ数十~100mの高低差があり、又降水量も多い為に

樹木が生い茂り、隔絶された深山幽谷の景観を擁する。

まさにここは日本三大秘境と言われるのに相応しい地だ。

この橋はサルシナ(くらくちかずら)などの葛類を使って

架けられた人専用の原始的な吊り橋で

長さ45m幅2m、谷からの高さ14mある。1970年の

国鉄ディカバー・ジャパンキャンペーンで登場したことで

一躍有名になった。現在はこの橋を年間25万人の観光客が

訪れるという。この日は一年で一番混む日で

渡るのに数時間もかかると予想されていた。

かずら橋には上記のように多くの人が訪れ、

又老朽化も考えて3年に1回架け替えている。

架け替えには約1ヶ月要するらしい。

橋構造は床面が「さな木」と呼ばれる丸太や割木を荒く編んだだけで、

すき間から川面が見えるスリリングな造りになっている。

かずら橋の隣りには高さ50mの琵琶の滝がある。

昔、平家落人が京の都をしのび、この滝で琵琶をかなで、

つれづれを慰めあっていたことから名付けられたと言い伝えられたとか。

この日は素晴らしい五月晴れで、琵琶の滝から見た祖谷川の

河原が感動する程の美しさだったので、河原まで降りてみた。

ご覧の様に川の水は透明度が非常に高く

ウットリしてしまう程だった。

若いカップルはこの美しい風景に思わず、

自撮りしたくなるのはよく分かる。

おそらく2人の顔は満面の笑みでいっぱいのはずだ。

ここ龍宮崖公園には奥祖谷(東祖谷)の観光マップがあった。

ここから剣山までの間には秘境に関わらず、多くの見所がある。

ここにも立派な吊り橋がある。到着した時は無人の橋であったが、

しばらくして家族連れが渡って来た。この光景は正にポエムだ。

下に広がる峡谷の風景は息を呑む美しさだ。

さらに奥へ行くと東祖谷山村に着く。標高は1018m、

国道から降りていくと奥祖谷の二重かずら橋がある。

かずら橋から二重かずら橋の間には食堂が2軒しかなく、

ここ丸石パークランドで昼食。驚いたことに四国のしかもこんな山奥にも

中国人の団体客が来ていた。このグループが1歩早く入った為

(それだけではなく、店の料理も遅く)、かなり待たされた

挙句の定食がこれだ。あまごの塩焼きも追加。

味の方はどれもたいして旨くない。秘境の中で美味しさを求める方が間違っていた。

二重かずら橋は男橋が42m女橋が20m。それに手動式の

木製テーブルカート「野猿」がある。前述のかずら橋、

この二重かずら橋は2012年トリップアドバイザーの

企画「バケットリスト」の世界の徒歩吊り橋10選に選ばれた。

かずら橋は祖谷13橋と言われる生活道として利用されていたが、

現在西祖谷山村善徳と共に2ヶ所だけ残っている。

奥祖谷かずら橋は、約800年前平家一族が讃岐志度の浦の戦いに破れ

祖谷の地に逃れた後、剣山平家の馬場で軍馬の調練に

又、木挽、杣、猟師等に利用されたもの。

渓谷の中に架けられた男橋。女橋から撮った。

長さ20mの女橋。人ひとり渡っても揺れ、恐怖の橋だ。

この写真では分かりづらいが、川を渡る目的で設置された

人力の索道で、川の両岸にワイヤーロープを渡し、

このロープに屋形と呼ばれる籠を吊り下げたもの。

別に渡されたロープをたぐることで屋形を前進させる

様子が猿に似ていることから「野猿」と呼ばれている。

峡谷のたもとにあるだけに帰りの階段を登るのは本当にきつかった。

このゴールデンウィークの旅は坂ばかりの旅になってしまった。


祖谷美人・渓谷の隠れ宿

2018-05-28 06:19:52 | ホテル・旅館

旅の一泊目にお世話になったのが祖谷の隠れ宿

「祖谷美人(いやびじん)」さん。ここは秘境の地、

渓谷美と湯けむりに癒される隠れ宿だ。

当宿は旅館以外にそば処「祖谷美人」もやっている。

https://iyabijin.jp/

因みにご当地は日本三大秘境の一つだが、他には岐阜県白川郷、

宮崎県の椎葉村がある。まだ行ったことが無いのが椎葉村、

機会があったら是非一度行ってみたいものだ。

平成23年4月1日にオープンした新館ロビー。

囲炉裏のあるあたたかい空間で迎えてくれる。

当館の売りは色々あるが、(1)山肌が創りだす四季絵巻

(2)お客様の時間を大切にしたおもてなし

(3)囲炉裏個室でゆったり、祖谷の滋味を堪能

(4)緑しみじみお部屋で湯けむりの4つだ。

当館の客室は全9室しかなく、各部屋に檜と陶器の露店風呂が

付いていて、大浴場が無い。その内、2室が離れスイートと特別室だ。

予約が取れたのは、天然温泉檜露天風呂の部屋で

ふんわり漂う気の香りと、温かみのある木肌に癒され、

部屋にいながら渓谷の絶景が眺められる造りだ。

洗面所の水には渓谷を流れる「琵琶の滝」の湧水を引いている。

日本三大秘境と言われるのが、納得できる祖谷渓谷。

剣山から溢れる祖谷川が切り込んだ雄大な渓谷は

四季折々の風景が堪能できる。

地元のそばの実と湧水を使った蕎麦処 粗谷美人の店内とテラス。

シンプルな蕎麦を筆頭に炭火で焼く鮎、あめごの塩焼き、

でこまわし(田楽)刺身こんにゃくなど祖谷名物が味わえる。

天気の良い日はこのテラスで美味しい空気を吸いながら食事をすると最高だ。

テラスから張り出し所に、小便小僧ならぬ小便狸を発見。

深い深い谷底に小便をしている光景はすごい迫力を感じだ。 

夕食、朝食は囲炉裏個室に移動、堀コタツでゆっくりと味わえる。

川魚を筆頭に地採れ野菜、自家製豆腐やこんにゃくなど

山里の料理でおもてなしを受ける。囲炉裏を囲み、

郷愁を感じる炭火料理や祖谷の四季を映した料理が心ゆくまで楽しめる。

料理長は、料理のレベル、勢い,力強さから油に乗った年齢ではと感じ、

聞いた所やはり40代の男性との事。さすがの料理であった。

因みに囲炉裏焼は鮎、あめご、でこまわし(そばだんご、石とうふ,こんにゃく)。

地元の食材あめごのお造り、あしらい色々ご覧の様に、

本当に美しいお造りだ。味にくせも無く、さっぱりした中にコクがあった。

季節の和え物の小鉢、包丁さばきの素晴らしさを感じる。

前八寸 季節物5種盛り。素朴な盛り付けだが、そこにセンスがあった。

凌ぎとしてのそば米雑炊、いかにも秘境の中の逸品だ。

揚げ物 野菜の天婦羅。やはり祖谷の野菜を生かした物で

こちら方面ではあまり使っていない素材だ。

物が何なのか聞いてみたかったが分からない。

これも秘境料理の多喜物 牡丹鍋

〆は名物祖谷そば。挽きたて、打ちたて、切りたて、

茹でたてに拘り、太くて短いと言われる祖谷そばを、

のど越しのいい平麺にアレンジした自家製粉の手打ちそば。

そば粉の香り、甘み、粘りが生きた素朴な味わいだ。

水物 季節の果物。 これもイイ感じでしたネー。

日は変わって夕食と同じ部屋での朝食。

これが又素晴らしかった。写真がボケてしまったのが残念だ。

河原でもてなす、祖谷の郷土料理「ひららし焼」ひららとは

平らな石のことで、その上に河原や野菜を乗せ、

まわりをみそで固めて焼く料理でふるまい料理の一つだ。

ところで、囲炉裏の中間に飾られている魚の掘り物は

どんな意味があるのかご存知ですか?

仲居さんから「火の上に水の中で泳ぐ魚がいるということで

火事がおこらない。という意だそうだ。日本ならではの

洒落の世界だがこれはワンクッション入って奥が深いですネ。

朝食の食卓に添えられた3種の薬味。徳島産のすだち七味と

高知産のゆず唐辛子そして蕎麦と胡麻の振り掛け。

この振り掛けが絶妙な味、胡麻と蕎麦のコラボした

相乗効果が口の内に広がる。

試食サービス期間中という表示を見るとおそらく新製品ではないか。

これは買わなくてはと売店で4個買ってしまった。


大歩危周辺エリア

2018-05-26 06:05:33 | 旅 ~国内

阿波池田駅で乗り換えて土讃線「大歩危(おおぼけ)」駅へ。

上りの次駅「小歩危(こぼけ)」と共に「オオボケ・コボケ」と呼び

メディアでも時折ネタとして紹介され親しまれている。

大歩危とは大股で歩くと危険から来ていると言われ、

日本三大秘境の一つ祖谷(いや)渓への入口になっている。

このエリアは吉野川の渓谷が美しく、平家落人の里や

後日アップ予定のかずら橋など秘境に相応しい景勝の地だ。

大歩危駅のホームにはかずら橋のミニチュア版の橋があり、

これから当地に向かう旅人の心を掻き立てている。

かずら橋の隣りには奇妙な「らぶらぶベンチ」なる物があった。

確かに2人で座るとすべり台の要領でお互いに体が寄ってしまうベンチだ。

このらぶらぶベンチには「たいへん、よくすべる

ベンチですので、くっつきすぎにごちゅういください。

との注意書きがあった。駅をデートスポットとして利用出来るように

JR四国が設置したらしい。

田舎の駅とはいえ、なかなか趣きがある「大歩危駅」の駅舎と駅前広場。

駅前の向こうはご覧の様にすぐに急な山並みが迫ってきている。

改札口の横には2011年4月に地元生まれの妖怪

「こなきじじい」が駅長に就任し、観光案内所入口横に

木彫りのこなきじじい像が置かれている。こなきじじいは

徳島県山間部などで伝承される妖怪で、本来は老人の姿だが、

夜道で赤ん坊のような産声をあげるとされている。

電車の車窓から撮ったので、写真がボケてしまったが、

吉野川の大河沿いと国道側にワイヤーを張り

全国から集められた百十匹の鯉のぼりが川面を泳ぐ

有名な「鯉のぼり秘境大歩危峡を泳ぐ」イベント。

本当はその地まで行ってじっくり撮りたかったのが、

時間の余裕もなく、この車窓の1枚だけとなってしまった。

ここ東祖谷(イヤ)は日本有数の圧倒的な質と量の平家落人

伝説が語り継がれていた地方だ。そして古き文化を

今に伝える平家落人の里にある東祖谷歴史民俗資料館。

ここには東祖谷の歴史に最も雅やかな変化をもたらした

平家一族の資料が展示され、興味のつきない歴史の足跡がうかがえる。

近代のわが国では、各地に置いて文明の利器や、

生活様式の変化に伴う日常用具の変遷が生まれた。

当時、貴重だった道具、利器の数々。

又生活を潤す芸術品など、村民が大切に残した時代の形、

暮らしの風景が展示してある。

祖谷に眠る秘密の物語「もうひとつの平家物語」

祖谷平家物語のポスターとNHK平清盛(平成24年スタート)の

ポスター ・・・平成は平安を見よ。

展示物の硝子に書かれた平家物語の冒頭の一節

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・」が

より一層この地だと響いてくる。「ただ春の夜の夢のごとし

たけき者もつひには滅びぬ・・・」

母が平清盛の娘徳子(後の建礼門院)の安徳天皇御尊影

(御寺 泉涌寺 蔵)

平氏および天皇家の関係。平清盛の甥平教経(国盛)の影が

祖谷のいたるところにあった。

安徳天皇崩御により、平氏再興の願いは途絶えてしまったが、

平国盛はこの祖谷の地で根を張っていきてゆくことを決意し、

祖谷街道、土佐街道のどちらからも目に付きにくい場所に

居を構えた。その子孫は「阿波」の国と「土佐」の国の

国境に屋敷があることから、それぞれの国名から

1文字ずつ取り、「阿佐」という姓を名乗り、

23代に渡りこの地で暮らしている。それがこの阿佐家住宅だ。

屋敷の特徴のひとつは玄関。正面玄関からは

武士階級の人、横の小さい玄関からは役付のお百姓さん、

その他の人は西側の入口からしか出入りできなかったそうだ。

主屋の建立は文久2年(1862年)と考えられ、その後阿佐氏による

維持管理がなされてきたが、根本的な保存修理が必要と成り、

所有を三好市に切り替えて昨年3月、保存修理工事が完成した。

本屋を入母屋屋根に復元し茅葺を現わし、

玄関屋根は柿葺、下屋は板上に銅板養生に整備した。

阿佐家には大小二流の平家の赤旗、系図、宝刀が

伝わっており、この赤旗は日本最古の群旗と言われている。

戦場用の小旗には八幡大菩薩の文字と雄雌二羽の

揚羽蝶(平家の家紋)が入っている。

阿佐家は追ってから身を隠すために、代々亡くなった時は

名を伏せて墓に入るという約束も守られているという。

丁度訪問した時奥の松の木の下の畑で、現在の

阿佐家当主が農作業をしていた。その姿を目の当たりして、

歴史の非情さを感じてしまった。

 


阿波半田・阿波池田

2018-05-25 06:13:24 | 旅 ~国内

半田という地名で一番名が通っているのは

愛知県の知多半島にあるミツカン酢で有名な半田市があるが、

次に知られているのが、ここ徳島県美馬群つるぎ町

(合併前の半田町)だ。

JR四国の徳島線の無人駅「阿波半田」の駅舎とホーム。

当駅の開業は大正3年と古いが、2014年の乗車人数

(降車客は含まない)は一日たった88人とほんのわずかの利用客の駅だった。

無人駅の為、乗車券は駅舎の向かいにある

雑貨店 正木 で販売していた。電車が来るまで

約1時間位あったので、そこの店のオバアチャンが

「家に上がって、お茶でも飲んでいきな」と言って

お菓子を食べながらよもやま話に花が咲いた。

まるでNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」の様なことに成り、

人の温かさに感動を覚えた。

駅近の古いトタンの看板には半田と名の付く役場、高校

病院等が並んでいて、とても変な気持ちに成ってしまった。

雑貨店のオバアチャンに「半田姓の人は多勢居ますか?」と

聞いたら、ほとんど居ないとの事。地名と名前とは

必ずしもフィックスしていないことが分かり、ちょっとガッカリした。

半田町で有名な物といったらなんといっても「半田手延素麺」。

半田素麺は江戸時代、当地の船頭たちが、

奈良の三輪地区(三輪そうめん)から技術を持ちこんで

冬場に素麺づくりを行うようになったのが始まり。

吉野川のもたらす肥沃な土地が小麦を育て、良質な水を

もたらし、吉野川と剣山に囲まれた山間に吹く寒風と

相俟って素麺作りの好条件となった。半田麺は

0.1~0.3mと太く、そうめんとひやむぎの中間の太さの麺だ。

阿波池田駅は三好市における主要駅で、土讃線と徳島線の

ターミナルとなっている。やはりここも大正3年開業で

一日の乗車人員は647人。池田といったらすぐ思い出すのが

「さわやかイレブン」「やまびこ打線」と呼ばれ、

春夏の甲子園大会で優勝3回、準優勝2回を

果たした蔦文也監督率いた池田高校野球部だ.

こういっては悪いがこんな山奥の高校から良くぞ甲子園優勝校が出たものだ。

阿波池田駅を降りると駅はやたらアンパンマンだらけだ。

高知出身の故やなせたかしのアンパンマンを

JR四国は前面に出し、アンパンマン電車を各線で運行している。

まさに四国はアンパンマン一色だ。


都市伝説の神社

2018-05-24 05:38:48 | 旅 ~国内

今回の旅の目的の1つは邪馬台国は実は

四国阿波にあったという説

こんな都市伝説とルーツのロマンに触れ、

目で確かめるというある意味馬鹿げた旅である。

美馬市美馬町には2つの神社がある。1つは倭大国魂神社

(やまとおおくにたま神社)もう1つは八幡神社である。

この近くには重清城跡があり、又3基の八幡古墳と

もう3基の大国魂古墳の6古墳群がある。

ここ倭大國魂神社(やまとおおくにたま)の由来は不詳だが、

平安時代の「延喜式」神名帳の美馬群条にある

「倭大国玉神大国敷神社二座」に比定される古社で、

大国魂命、大己貴命を主祭神とする。

「日本書紀」の第10代崇神天皇紀6年に

「天照大神、倭大国魂、二神を天皇の大殿の内にお祀りしたとある。」が、

「延喜式」で「倭大国魂」を冠とする神社は

他に無く、「倭大国魂」との強い関係性が窺える。

古事記の神話の舞台が徳島であると考える根拠の一つとして、

日本で唯一「倭」の国名を冠したこの神社の存在をあげている。

天皇の尊号に「美馬」を用いたのは、神々の母神が

鎮まる美馬地方に天皇が入り込んだため、由緒あるその名を

冠したものと言われている。少数説だが邪馬台国四国山上説が

あるのは歴史のロマンだ。四国は日本史のブラックホールだ。

倭大国魂神社の隣りには八幡神社がある。鎌倉時代末期に

小笠原長親が重清城を築いた時に、京都石清水八幡宮の

分霊を勧請し、源氏であった小笠原氏の守護神、

武神として祭られ、明治には郷社となり、現在も村人たちの

氏神、鎮守の神様として崇敬されている。境内には昼なお暗く

うっそうとした森である。樹齢数百年、太さ5~6mのクスの巨樹が

神社の神秘性を高めている。

徳島県三好市東祖谷地区にある栗枝渡八幡神社

(くりしどはちまんじんじゃ)。ここは鳥居も無く、平家の隠れ里集落に

ひっそりとあるが、詳しい人はよく知っている神社だ。

「栗枝渡(くりしど)」は「キリスト」のことではないかとの話もある。

ここはユダヤ教やキリスト教をルーツとするパワーが溢れている。

祖谷(イヤ・・・ユダヤ教のイザヤから来ているとか)

には平家や安徳天皇にまつわる伝説遺跡が多く残っている。

安徳天皇は壇の浦で入水したことになっているが、入水したのは

影武者で、この地方の伝承では祖谷に落ち延び

剣山に宝剣を奉じ再起を祈願したが、ここ祖谷で崩御され、

栗枝渡神社で火葬されたというらしい。

安徳天皇の次に即位した後鳥羽天皇から、天皇家の

家紋菊16紋が与えられたとの事。これも何かの縁か。

東祖谷山村、西祖谷山村には天皇家にまつわる話が

非常に多いという。奥深い祖谷の山の中に

「天皇村」というバス停がある。

この山深い場所は天皇家が移り住む予定だったという伝説もあるとか。

 

今回の秘境の旅の目的の1つにこの超マイナーな

一笑に付される様な伝説の地に行き、実際に目で

確認することにあった。歴史とはロマンであり、

そこから派生した様々な伝説には理屈を超えた

魅力を感じる。読者の皆さんも、自分のルーツを調べて各地を

訪ねてみてはどうですか。きっと何かを感じることがあると思いますヨ。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編196~

2018-05-23 06:14:11 | 食~番外編(県外)

手打皿そば 楽庵

徳島県美馬市脇町大字猪尻西分142-1

TEL 0883-53-6990

定休日 月曜日

 タクシーの運転手の紹介で訪ねた。当店は、道を挟んで

オデオン座の隣りにあった。皿そばとは珍しいと思ったら

ご主人は兵庫県豊岡市の出身で、当店の手打ちそばは

出石ソバということが分かった。

誰が書いたのか分からないが、なんとなく納得してしまう言葉だ。

確かに食には肉体を養うためのものと心、精神を養うという

2面があり、すべての基になっている。

店内は大きくテーブルカウンター席とお座敷席の

2つのゾーンに分かれている。入店した時は

ほぼ満席状態で人気店という程が分かる。

唯一空いていた奥の座敷に通され、壁に貼ってあるものを

一通り見てから、じっくりメニューに目を向けた。

石臼碾き自家製粉を使った皿そば(五目)と

20食限定の生粉打ちそば(1人前一盛り、本わさび付き)の2種類だ。

生粉打ちそばはそば粉100%、俗にいう

10割そばで独特のコシと弾力、甘みと香りが楽しめる。

皿そばは二八そばで、あっさり自然派の大根おろし780円と

本場出石流のオススメ生玉子、山いも830円がある。

本日使用の玄そばは兵庫県夢前町産のもの。その現物を

ディスプレーしているのは記憶では初めてだ。

それにしても今年のゴールデンウィークは

兵庫県産の食材に縁があるものだ。

なんとこのソバ屋さんにはおでんがあった。

1本100円牛すじのみが200円。うれしいナー。

具の刺し方が関東とは違い大中小の異なった食材が

1本になっている。正に所変われば品変わるだナ。

ということで、大根おろしと生玉子山いもの皿そばをお願いした。

この皿そばで2人前。見た目に迫力がある。そばつゆの

入れ物は徳利で風情がある。相方が言うに

「ここの新鮮な赤玉子は白身がとけにくく、全然味が違う。

ものすごく美味しい。」そばは気持平べったく、ソバの香りが強い。

一言で「旨い」次に「マイウー」そして「日本に生まれて良かった。」

旅の醍醐味のひとつはやはり食だ!

当店自慢の手作り一品「うだついなり」130円の張り紙を見て

更に追加オーダー。じっくり煮たおあげに、五目寿しと

こころをつめた逸品であった。「これでうだつがあがるとか」フムフム・・・


脇町劇場・オデオン座

2018-05-22 05:49:47 | 建物

うだつの町並みの終点、大谷川の川向こうに、ポツンと建つ

昭和初めの劇場「オデオン座」。ここは昭和9年に芝居小屋として

建てられ、歌舞伎や浪曲などが催され、戦後は映画館となり、

地域の憩いの場として親しまれた。

間口が14.5m奥行27.3m二階建てで、建築延面積612.17㎡。

舞台には直径6mの回り舞台があり、四国では

愛媛県の内子座、香川県の金丸座に現存している。

1998年、美馬市指定有形文化財に指定された。

ここに入るには入場料(大人200円)がいる。切符売りの女性と

劇場内で色々話をしたが、時間の余裕もあったせいか、おもてなしを

受けている様なとても心地良い時を過ごした。田舎ってイイナーって感じ。

劇場の収容人員は250名で、花道、うずら桟敷、太夫座等の設備が

整っている。舞台の奥には300インチの映画用スクリーンもある。

琴平の金丸座より古くないが、半分は今でも生きていて、

半分は過去の記念碑といった感じだ。ここはまさに

「男はつらいよ」フーテンの寅さんの世界そのものだ。

観客席の2階正面にある低料金の客席「大向(おおむこう)」。

常連や劇通が多いので「大向をうならせる」というと芝居上手なことにもなった。

劇場の割には広い楽屋。襖には芸能人の落書きがあった。

左側の愛の落書きは2代目林家三平のもの。

歌舞伎劇場において、1階の左右両側にあるうずら桟敷には

劇場名が書かれた素朴な座布団が並んでいた。

この劇場が今でも使われているという現役の証だ。

当劇場にもまわり舞台があり、劇場、舞台の床下には

俗にいう奈落があった。

実はオデオン座にはドラマチックな秘話がある。時代は流れ、

映画の斜陽化と建物の老朽化により平成7年に閉館し、

取り壊して駐車場になる予定であった。

がその時平成8年、松竹映画「虹をつかむ男」(山田洋次監督

西田敏行主演)の舞台になり、一躍脚光を浴び、文化的価値が見直され、

町指定文化財として昭和初期の創建時の姿に修復され

一般公開されることになった。その後NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で

平成21年、今年亡くなった大杉漣が、「過去に出演した映画のロケ地になった

映画館を訪ねたい」という理由でオデオン座が旅先に決まった。

その時の色紙がそれぞれ飾ってあった。

 


うだつの町並み

2018-05-20 05:42:39 | 旅 ~国内

うだつの町並み、脇町南町へ行くには、徳島線穴吹駅(美馬市)で下車。

この路線の駅は無人駅が多く、改札の役割を

車掌さんが電車を降りてホームでやっていた。

なんとのどかな風景だったことか。車中でもボックス席に

高齢な男女の乗客が方言で一種の井戸端会議をやっていた。

徳島弁はとても優しい言葉で(ex ~けん 語尾)

車窓景色と相俟ってのどかのどかな時が流れていた。

穴吹駅からタクシーに乗り、しばらく走り日本三大

暴れ川の1つ四国三郎吉野川(参 利根川・・・阪東太郎、

筑後川・・・筑紫次郎)を渡るとそこがうだつの町並 美馬市脇町。

ここは江戸時代から阿波藍の集散地として栄えた

商家町で江戸時代中期から昭和初期にかけての

歴史的な建造物が建ち並び、歴史の変遷にふれることが出来る所だ。

南町通りの長さ400mには、歴史的な建造物が

85棟残されている。ここは昭和63年12月16日、

全国で28ヶ所目の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

昭和20年代の香りがする美馬市伝統工芸体験館、美来工房

そして自働電話と書かれた電話Box。

ここワタル珈琲さんの建物も戦後の匂いがする懐かしい建物だ。

うだつ(卯建)とは町家の妻壁の横に張り出した袖壁で、

防火の役目をした。江戸から明治にかけて富裕な家は

この卯建をあげた立派な家を造っていた。

ことわざに、いつまでもぐずぐずしていて一向に出世の

できないことを「うだつが上がらぬ」とはこれが語源だ。

鬼瓦は魔除け、火除け、雷除け、家の守り神であり、

その上に鳥ぶすまといって鳥が鬼瓦に糞をしないための

止まる所帆掛船の帆の形(防火)にしている。

藍染めの商品を取り扱っている「うだつや」さん。

薄暗い商家の店の中で味わいの深い藍の様々な

商品が並んでいる。阿波藍の最古の資料では

1247年(宝治元年)藍住町の見性寺という寺の和尚が

藍を栽培して美馬軍岩倉(現在の美馬市脇町・・・ご当地)で

衣を染めたと記されている。

「うだつや」さんの店頭でかわいらしく売られていたお手玉人形1個400円。

突然何これ!といった看板に遭遇した。

「警告 犬のフンを放置する悪質な飼い主を追跡捜査中!」

美馬市環境下水道課 この文章が一番強烈だったが

他にもいくつも犬のフンについて看板を見た。

美馬市の条例でもあるらしいが、特に犬のフンに片寄った印象を持ってしまった。

昔は当たり前のたばこ屋の店頭構えだったが、

今と成っては郷愁を誘うものがある。

土蔵などに用いられるなまこ壁。日本伝統の壁塗りの

様式の1つで、壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の目地(継ぎ目)に

漆喰を盛り上げた形に塗ったものだ。

関東方面ではあまりみないとてもビックな松ぼっくりが

無人の籠に入れられて、1個100円で売られていた。

この松ぼっくりがなぜか魅力的に見えて数個買おうと思ったくらいだ。

細かい角木を縦横に間をすかして組合せ、窓や出入口に

取りつける建具が格子で、出格子などは旧商家が

威勢を表す建築様式だ。出格子からさらに道路側に張り出しているのが

持ち送りといって、出格子を支え、装飾にもなっている。

本当に本当に懐かしいホーローでできた「ボンカレー」の看板。

モデルは松山容子さんで発売から50周年を迎えたそうだ。

「江戸から町屋のにおいを感じながら、しわしわ歩きないよ

ほんまにうだつが上がるけんな 心が癒されて いんでよ」

うだつ名物 そば米雑炊の店、茶里庵さん。そば米雑炊(1080円)は

郷土料理の原点。阿波の山里では昔からそばの

米粒が入った吸物で阿波尾鶏の肉、多種多様な野菜が

豊富に入った栄養満点な健康食品大変珍味な逸品

これこそふる里料理の王様と言われている。

こんな山奥の地にも外国人の観光客が居る。

一昔前までは考えられないが、SNSの発達の為か

我々日本人よりも情報を持っている外国人が増えた。

この街で見た唯一の近代的建物 道の駅の売店レストランと

1792年創業の藍商の館「吉田家住宅」の裏庭。

モダンな藍色のパラソルがお洒落な空間を演出している。

ここは5つあるカメラポイントの1ヶ所だ。

吉田家住宅藍商の館の中。商人の人形と藍染商品が

江戸時代から現代までの時間を継いでいる様だ。

阿波踊竹人形作りを実演販売している「時代屋」さん。

このご主人から「どこから来たのですか?」と聞かれたので

「さいたま市です」と答えたら「そんな遠い所からですか。

ようおいでてくれましたなー」と感心されていた。

1585年(天正13年)の冬、秀吉より四国征伐の功績により、

蜂須賀家政に阿波国を拝領、筆頭家老稲田植元

脇城に入城する。城下町の復興を命じ、

焼跡に町並み、表国4間、裏へ間と定める。

讃岐、伊予、備前などからも諸商人が集まり繁栄が始まった。

辻井戸。昭和62年、建設省の手作り郷土賞と

日本の道100選に選定された。

窓の形が虫を入れる籠に似ていることから、「むしこ窓」と

呼ばれる。部屋の明かりとりや、風通しを良くする為に造られた。