昭和の映画全盛時代にはThe Call Of Far-Away Hills
- 遥かなる山の呼び声の曲がいっも映画館のビジーエムで流れていました。
2011・10~2013・12goodシネマは25本映画を上映しました。
東京物語、旅情、秋日和、第三の男、シエーン ・・・どの映画も心に残るシーンでいつぱいです。
自分がその映画の出演者に入り込みなんども同じシーンをみても、同じところで笑い、同じところで泣き、同じところで感動する。
そして上映が終ると心に響いた余韻を楽しみながらお茶を飲む。幸せの一時です。
自分の心に残る映画は何回、見たかによって、同一映画を何回、見たかによって、その映画の普遍性を見出すことができる。
こころに忘れかけた不易な心をみだす。
いい映画を拝見して、いいセリフをかたり、すばらしいシーンを見て、深く感動し、泣き、笑い、怒りましょう。
そもそも・映画・映像はこの世に存在したのは110年しかたっていません。
リュミエール兄弟らが公開した世界最初の映画群が初めてです。
リュミエール兄弟らが公開した世界最初の映画群は、駅のプラットホームに蒸気機関車がやってくる情景をワンショットで撮したもの
(『ラ・シオタ駅への列車の到着』)や、自分が経営する工場から仕事を終えた従業員達が出てくる姿を映したもの(『工場の出口』)など、計12作品。
いずれも上映時間数分のショートフィルムだった。初めて映画を見る観客は「列車の到着」を見て、
画面内で迫ってくる列車を恐れて観客席から飛び退いたという逸話も残っている。
最初に有料公開上映されたのは1896年1月である。尚、『駅への列車の到着』というタイトルが記載されているリストもあるが、
これはリヨンに近いヴィルフランシュ=シュル=ソーヌの駅で撮影されたフィルムを指す場合もある。
有料公開に先立って1895年7月11日に雑誌社主催の試写会が、また9月22日にはラ・シオタでも試写会が行われている。
それ以前は活字をとうして歴史の物語を知り、それを舞台で演じる。
能 歌舞伎、オペラ、シャンソン、カンツォーネ、演歌、フラメンコ 古代ではギリシャ神話、日本では古事記など神話の世界の語り部をとうしてその物語を知りました。
活字をとうして語り、舞台で演じその物語を再創造し再確認しました。物語は作家の視点によって創造変換します。
映画に限ったことではないですが物語を見ることによつて、自分が経験できなかったことに疑似体験がてきるということです。
もし現実でしてしまつたら命が幾つあってもたりません。
そこで映画で人生の教訓と知恵を学ぶのです。
GOODシネマに乾杯
不易流行
いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、
新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。
また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。
蕉風俳諧(しょうふうはいかい)の理念の一つ。
「不易」はいつまでも変わらないこと。
「流行」は時代々々に応じて変化すること。
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