激安ツアーだったので、一日目は、上海に夜中について、帰りは昼を食べずに帰国という状況で、しかも、ショッピングの時間が、観光よりも長いという(>_<) ことでしたが、少ない時間を生かして走り回りました。
豫園商城はたったの20分・・・しかありませんでしたが、猛ダッシュで、清朝時代の古い街並みを回りました。主に雑貨などお土産物屋がたくさんあります。建物自体も大きく、いかにも中国らしい、いい街並みです。パッと見、鉄筋にも見えますが、これは木造なのかなと、分りませんでした。木造だったら、三階・四階とあったので、お城のようですごいですね。
私が始めた中国に行ったのは、高校の修学旅行で北京に行ったのが最初でした。当時県内の県立高校はほぼ、中国に行っていました。まだ高層ビルがないころで、街の明かりもオレンジ色の水銀灯のみでした。車も多くなく、渋滞にあったことはありませんでした。
あと大きな違いは、物売りの人がほとんどいないことでした。旅行の代名詞である「三個で千円」。こちらでは、「4個で千円」とバスや、観光地で何人にも囲まれて、売られていましたが、今ではほとんど見られません。話を聞くと、上海万博の時に、当局が規制し、路上販売を取り締まったそうです。ですので、ソウルやプサンの方が、路上販売は多せいに行われています。
しかし、万博から随分と時間がたっているので、最近では少しずつ、路上販売が増えているそうです。路上販売の相場はたいてい一個10元。日本円で160円ほど。大きなセンスや、ヒョウタンの笛など。通常の土産物屋では売っていないものです。ある意味、路上でしか買えないものです。まあ、たいていは必要ないものだと思いますが、中国らしさや物珍しさを求めるなら、路上がいいですね。
インドの路上販売と違って、皆さん、強引ではありません。インドではすご剣幕で、売っていて、売り子さん同士が「俺が売る」と喧嘩をしていました。全くの笑顔なし、すごむといった感じでしたが、中国ではソフトで営業スマイルです。私の修学旅行の時よりも、ソフトでした。しかし、取締りになっていると聞いて、少し残念な感じでした。
あと、路上での物乞いの方も、いませんでした。それが、市によって救済されているのか、排除されているのか、それは分りません。というのは、私が以前、市議会友好都市訪問で大連に行った際、北九大で留学経験があり、中国でガイドをしている方から、中国ではホームレスは犯罪だったという話を聞きました。
北京市の天安門広場近くで、学生さんがホームレスと間違われて逮捕され、投獄されたそうです。汚い恰好をしていたとの理由ですが、学生だと言っても、聞き入れてもらえず、その方は、獄中で亡くなりました。その後、亡くなった人が大学生だと分り、マスコミで報道され、社会問題になったそうです。ホームレスは犯罪なのか、本来ならば行政によって救済されるべきではないのかといった声が、広がり、その後、ホームレスという理由で逮捕されることはなくなったみたいです。
そのガイドの方は、中国の人権状況はまだまだ遅れているが、市民も黙っているわけではない。日本人には考えられないことがまだ起きていると話してくれました。北九州でも少し前までは、ホームレスの人は生活保護を受けることもできませんでした。自宅があることが保護を受ける条件とされていたのです。しかし、北九州市の保護を受けさせない水際作戦が全国的に批判され、現在では、ホームレスを理由に、生活保護を拒否することはできません。
上海市での、ホームレスの方がいないことが、仕事があるのか、救済されているのか、排除されているのか、それは分りませんが、中国国内でも、人権を無視する政治に対して、物言う市民が増えているのはあると思います。中国の方と話をする中で、皆さん、政治の話をよくされます。国に対してかなり不満をもっているがひしひしと伝わりました。それも海外での留学経験がある方が多く、しかも皆さん、学歴のある、いわゆるインテリの方です。
今の中国は革命前夜という状況でしょうか。しかし、まだ街頭で政府を公然と批判することはできないみたいです。しかし、一旦、口火が切られると、一気に広がる予感がします。だからこそ、政府は、国民の機嫌取りに躍起になり、政府の方針と違うことが広がることに警戒しているんだと思います。
このような状況は、ここ日本でも最近顕著になりました。市民主催の戦争展の後援を長年行ってきたのに、突然取りやめたり、ちょっとでも、平和、憲法、原発という文言があるだけで、政治的だという理由で、行政が後援を出さない風潮が広がっています。何かに、怯えているようです。これまでは、イベントの中身がどうのというより、市民にとって、広く知見を広げるに資するもの、社会問題でも、政治問題でも、社会的教養を深めるものについては、市や教育委員会が後援をしていました。
内容について、干渉することはありませんでしたが、最近では違います。私がかかわっているボランティア団体でも、数人いる講師の一人が「子どもを放射能からまもる」というテーマで講演するというだけで、後援できないかもしれないとの話がありました。子どもを守るということが、引っかかったのでした。こんな理由で、後援を取り下げたら、逆に「なにやっとるんだと」と市民から批判が出て、問題になるんじゃないかと心配していましたが、後援は降りて、事なきを得ています。
何か、社会が委縮しているような気がします。市民というより特定の誰かの目線を気にしているような、ごく少数のモンスターペアレントを気にして、逆に学校側が、保護者全体を過度に警戒するみたいなものです。その不利益は一般の保護者に及びます。つまり、学校の対応が、モンスターペアレント仕様になるっていうような。
市民センターの利用でも生年月日を記入して、後援申請でもすべての役員の生年月日を提出しなければならないことが、少数の暴力団関係者のために、すべての市民が暴力団と疑われるような状況です。市の後援でも、ごく一部の「政治的じゃないかと」というクレーマーを気にして、自主規制しているのも、根っこは同じことです。マスコミが自民党から突っ込まれるのを恐れて、自由な報道を自らが捨て去るみたいなものです。
こんな、社会が住みやすいものとは思えません。中国の人権状況を遅れていると笑うことが、できるでしょうか。日本でも同じ状況が広がって、国や会社にたてつくものは排除するという流れになりつつあるのは、問題です。だからこそ、私たち大人が、自由でいいんだよというメッセージを発信した方がいいし、その後ろ姿があるかどうかで、子ども達にとって少しでも生きやすい世の中になるのではないかと考えています。