天下分け目の関ケ原。
ここは一度行ってみたいと思っていた場所でした。
以前、寄居町の鉢形城に行って真田昌幸さんが攻めに来ている・・・
という史実を見た時に、変な話し「歴史上の人物は実在したんだ」
って訳の分からない事実に気がつき。
京都御所近くでも「紫式部っていた人なのね~」なんて思ったり。
そんなこんなで急速にチャンスがあれば「いざ、関ケ原へ」と思っていました。
そのチャンスがやってきた~ってところです。
埼玉からはそこそこ遠いですからまずは大垣で前泊し、
そこから関ケ原に行きました。
関ケ原の高速の出口は混んでいましたが、街は空いていました。
まずは岐阜関ケ原古戦場記念館へ。
ここで映像展示の見学時間の予約と、今回はガイドツアーが空いていたら
ガイドツアーにも参加しようと思っていたので、その予約をしに行きました。
幸いなことに10時半だったかのガイドツアーに参加できることになりました。
映像展示の予約は少し幅を取って13時にしていたのですが、
ガイドさんが「では13時に間に合うように・・・」ということを言われたので、ちょっとだけ遅らせて13:20に変更してもらいました。
いろいろ話してもらいながら、最初に行ったのは島左近隊、石田三成隊の陣地です。
島左近隊の陣地には当時を模した甲冑を着た人が。
最初は人形なのかと思いましたが、「古戦場おもてなし武将隊」の方が居られるということと、彼らのサービスで写真撮影とかをさせてくれます。
島左近さんは直前に見た「ブラタモリ」で黒田長政隊の銃撃(イメージ的には狙撃に近いものがあるなと思いましたが)で戦闘不能になったと聞いていたのでイメージが濃く残っていました。
その黒田長政隊の烽火場(のろしば)ののぼりも良く見えます。
古戦場おもてなし武将隊の方と写真を撮って石田三成隊の陣地に登ります。
古戦場おもてなし武将隊の方と写真を撮って石田三成隊の陣地に登ります。
さすがに西軍の大将だけあって、戦況の見やすそうな場所に陣取っています。
でも後方に敗走したということで、残念な思いで立ち去ったんでしょうね。
しかも結局は捕らえられているわけですし。
しかも結局は捕らえられているわけですし。
その後は島津義弘隊の陣地に向かいました。
島津義弘さんは西軍において、勝つ気なら徳川家康隊が着いた時点で夜襲をかけるべきという提案をして却下され、モチベーションダウンしたとか。
島津義弘さんは西軍において、勝つ気なら徳川家康隊が着いた時点で夜襲をかけるべきという提案をして却下され、モチベーションダウンしたとか。
最終的に徳川軍の真ん中を通り抜けて逃げたという逸話があるくらいなので
その夜襲を許可していたら戦は大きく変わったのかもしれませんね。
でも、歴史などと言うものはそういうものなのでしょうね。
この島津義弘隊の陣地にはたくさんの名前が記された石板があります。
てっきり戦死した人の名前でも書いてあるのかと思ったら、
鹿児島の何かのイベントのようなもので来られた人たちのお名前だそうです。
他の陣地にこのようなものはないとのこと。
この一つを取ってみても鹿児島の人が地域の英雄を大事にしているとか故郷愛ということが分かるような気がします。
鹿児島、栄えているし、元気な感じがするもんな~ってことを
思い出させてくれました。
その後は古戦場記念館に戻りました。
ここまででたっぷり2時間以上。
映像展示の時間を伸ばしておいて良かった~。
で、ここから映像展示に行きました。
この映像展示が動きがあってものすごく良いです。
必見ですよ!
本当にこれは分かりやすいし見る甲斐がありました。
館内の展示物はだいたいガイドツアー開始前に見ていましたが、
残していたものを見て、今度は個人で少しだけ巡ります。
足は輪行で持って行ったロードバイクです。
こいつの足の速さでちゃちゃっと回ります。
最初に黒田長政隊の烽火台に行きたかったのでそこに行きます。
石田三成隊の陣地とそう変わるところはないですね。
ただ、草は綺麗に刈ってある場所が多いです。
そこから山あいの銃撃隊が通った道が、砂利でしたが、ロードバイクで踏破します。
島左近さんを銃撃したのはこの辺か?とか思いながら、次なる場所は小早川秀秋隊の山の下へ。
小早川秀秋隊はけっこう離れたところに居て、
なかなか決心がつかなかったのと、西軍を裏切ったことで有名な方。
そもそもがこんなに離れていたってことは基本的に見ていたかったのかな、
と思ってしまいます。
山は松尾山ということですが、時間がかかるので登るのはやめておきました。
そのあとは大谷吉継さんのお墓に行ってみようと。
大谷吉継さんは石田三成さんと近くて、3度ほど戦の中止を具申したとか。
それでも石田三成さんが戦を構えたら、勝てないと思いながらも
石田三成隊につくという義理堅さで現代でも推しの人が多いみたいでした。
首は徳川に行くことはなく、関ケ原の戦い後に改めて墓に入れてもらったとか。
亡くなるのにイイも何もないとはいうものの、手厚く葬られたようです。
お墓が道路から離れていたので結局見ることはかないませんでしたが、
大谷さんが良い働きをしたということが刻まれました。
陣地めぐりはこれでおしまいです。
基本的にもう時間切れです。
島津義弘隊陣地そばのおしゃれなカフェでお茶しました。
お茶の後はロードバイクを片付けて彦根に取った宿へ戻ります。
夕食付のプランではないので、夕食を食べますが、
食べたものやお土産は別にまとめようと思いますので、
関ケ原としてはここまで。
行ってみたかった関ケ原、行ってどうだったかというと、
もうこれは満点に近いです。
ガイドツアー、映像展示、その他の古戦場記念館の展示物、
陣地、おもてなし武将隊等々どれも楽しく体験出来ました。
また、もともとトラベラーが関ケ原という名に期待する内容が割とはっきりしているので、コンテンツ提供側も狙いが絞れてて双方の思惑がマッチしやすいのではないかなと思います。
なので、そこじゃないというような裏切られ感がない。
本当に今となっては静かなこの場所で16万人が戦ったのが信じられないくらいですがこの場は凄いことになっていた時代があった。
ほんと、行って良かったです!
以下、写真です。
自分達はクルマでの移動ですが、駅からも近いです。
古戦場記念館のエントランス
古戦場記念館近くから見るのろし場
島左近さん
石田三成隊陣地に居られた小早川秀秋さん
大谷吉継さん
大谷吉継さん付の足軽さん。とはいえ何か決まっていて、自分負けてます。
島津義弘隊の陣跡
島津義弘隊の陣跡
ガイドツアーから戻ってきたところ
自転車で軽く巡ります
見たかった烽火場です
のろし場から見る古戦場記念館方面
小早川さん、居場所が遠すぎませんかね?
ボケちゃってますが、カフェです
おまけで大垣のカフェ。モーニング、良いですねぇ。