2023.1.15 日曜日、くもり
小ちびの発達課題(主に言語)と直面して1年。幸いにも早々に療育園の支援を受けられることになって、月1回の個別療育に通ってきた。
この1年の小ちびの成長は目覚ましい。なにしろ1年前、3歳になったばかりの頃はまだ8割が喃語だったのだ(それでもよく喋っていたけど)。それが今ではちゃんと言葉で意思表示ができる。なんならちょっと舌足らずな喋りが今超絶可愛いタイミングだ。
頑固にもなったが、本人なりに葛藤する様子も、なんとか自分の中で折り合いをつける様子もずっと見てきた。
この成長は果たして療育の効果なのか?月1回程度のセッションでは正直よく分からない。もしかしたら通わなくても自力で同じだけ成長したかもしれない。
でも我が家の場合、療育に通う意味はそこじゃないと思うのだ。
それよりも私たちの家庭が専門家の支援とつながっていて、定点観測的に今できること・できないことを見てもらい、いいですねこの調子で、と言ってもらい、必要があれば相談できる状況があり、保育園にも有用なアドバイスをしてくれる。何より本人が療育に行くのをとても楽しみにしている(主に、セッション後の自由遊びが楽しいからではあるが)。この環境にこそ意義があると感じるようになった。
療育に通わずに同じ成長をしていたとしても、周囲の子たちとの差が顕著になれば、悠長な私でも焦ったであろう。そして母親の焦りというのは必ずと言っていいほどネガティブな形で家庭に、とりわけ子どもたちに伝播する。
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ちょうど小ちびが療育に通い始める前後のタイミングで、私は全く別のある重要な問題を抱えていた。それは私自身の海外勤務の可能性についてだ。
グローバル事業を統括する会社に出向していて、私以外のチームメンバーは本社のあるロンドンに赴任していた。私は育休から復職したばかりだったということもあって赴任はせず、日本にいながらグローバル本社の業務をしているのだが、次のステップについてどうしたいか?こっちに来たいか?とロンドンにいる先輩から繰り返し聞かれていたのだ。
海外勤務はしてみたいとかねてから思っていた。このチャンスを逃せばもう機会はないだろうとも思っていた。
しかし海外勤務に関してはまず私自身が「行けます」「行きたいです」と断言しない限り話が来ない。国内の人事異動とは訳が違う。分かってはいたが断言できずにいた。
いくつかの理由があったが、1番大きいのは小ちびの発達の問題だった。
行くなら家族で行きたい。単身赴任は選択肢になかった。
オットは仕事を辞めて帯同しても良いと言ってくれた。
ちび小1(当時)は行けばきっと貴重な経験ができるだろう。現地校に通って、語学力をつけたりマイノリティ経験をしたりして後々まで人生の糧になる、そういうメリットを存分に受けられる。試しに本人に「もしカカが外国でお仕事することになったらどうする?」って聞いてみたら、家族みんなで行きたいとのこと。
問題は3歳(当時)の小ちびだ。なにしろ母語の発達に課題を抱えているのだから、多言語環境が向いてるわけがない。日本語でしっかりサポートを受けられる環境が必要だ。幼稚園や小学校は日本人学校に行くとしても、支援を受ける環境をどうするのか。
試しに、ロンドンで日本語の療育を受けられる環境があるのか調べてみたところ、「虹の森センター」という小さな療育センターのブログを見つけた。日本人の精神科医・臨床心理士(※1/16訂正)がやっているようだ。あくまでも民間の療育であってイギリスの公的な福祉機関ではないが、ここに通えば一応のサポートは受けられるかなあ、と頭の片隅に入れておく。 いっそ現地校に入れるという荒療治もあるか?と考えてもみたが、大博打だ。うまく行けばラッキーだが、うまくいかなかった時にメチャクチャになる可能性がある。つまり、日本語と英語のいずれも十分に使いこなせず、それゆえ実際の発達レベルの測定もままならないし、本人はどちらの言語でも言いたいことが伝わらないストレスにさらされ続けるリスクだ。そうなったら本人に申し訳ないし、おそらく私も仕事どころではなくなってしまう。
それにたまたま英語に適性があったり現地校でうまく行ったとしても、帰国したらどうなるのか。今度は「日本語をろくに理解しない日本人児童」(日常会話はできても、学習面や集団生活ルールの理解が伴わない可能性がある)としていきなり日本の公教育に放り込まれることになる。現地校に入るよりも100倍ハードルが高そうで、想像しただけでげんなりする。
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療育園での個別療育が実際に始まってみると、思った以上にいい環境だと感じるようになった。月1回のセッションで専門家の知見を得られるのはもちろんだが、その他に、保育園にも心理士を派遣して小ちびの様子を半日きっちり観察してきてくれる。保育園にはその場でフィードバックしてくれ、後日保護者である私にも詳細なレポートをしてくれた。
ちょうど2歳児クラスから3歳児クラスに進級したタイミングで、保育士の割り当て数も少なくなるなかで集団での活動にうまく参加できるのか、心配もあったが、レポートの中で、担任の先生たちがうまく小ちびを促してくれていることや、多少の逸脱を許容してもらって本人なりに楽しく活動に参加できていることなどが窺えた。
また保育園は月1回面談の機会を設けてくれて、こちらからは療育園でのセッションの様子を、園からは日頃の様子をフィードバックして、今どういうことができていて、何が課題かを双方で確認し合えている。
これは、家庭・保育園・療育園の3者で連携して子どもの発達をサポートする理想的な環境ではないか・・・?
療育が進むほど、この環境はなるべく維持してやった方がいい、つまり彼を海外勤務に帯同する選択肢はない、という方向に私の考えが傾いた。同等の環境をロンドンで作ってやれれば良いが、現地の日本人学校が発達支援にどれくらい積極的かも、現地の小さな療育センターにどれだけのリソースがあるかもはっきり言って未知数だ。
そうなれば後はスプリットしかない。つまり私が上のちびを連れて海外に行き、オットは残留して小ちびのサポートに回る。
世帯の収入面ではもちろんオットが仕事を続けられる方がいいが、お互いに課題のある子(上はマイノリティ環境と非母国語環境のストレスにさらされる・下は発達課題)を抱えたワンオペになる。なかなかにキツいだろうと容易に想像できる。
ちび小1も行くならみんなで行きたいと言っているし。
何より、海外勤務は私にとって、家族をスプリットしてまで得たい経験なのか?
答えはノーだった。
タイミングが違えば違う答えになったかもしれない。2−3年後、小ちびの就学の方向性が出ていれば、家族全員で行くという決断もあるかもしれない。でも今じゃない。
上のちびの貴重な機会を結果的に奪うことになるのは悔やまれるが、それだってワンオペではどのみち十分にサポートしてやれない。だいたい、今赴任しているメンバーはみんな男性で、奥さんが仕事を辞めて帯同し子どもたちのサポートをしているのだ。私のキャリアのことを考えて声をかけてもらえることはありがたい。でも彼らと私では、抱えているケア負担の前提があまりにも違いすぎる。オットが専業主夫になったとて、私が今抱えているケア負担を全て委嘱できるわけではないのだ(なぜ…?という問題はまた別途)。
子どもが生まれてからも、はっきり言って好き放題やりたいことをやっている私だが、それはオットという交替要員があってのことだし、逆もまた然り。互いに自分の趣味の時間を確保したり、好きなミュージシャンのライブに行ったり、私に至っては兼業に社会人学生までしている。
夫婦それぞれがワンオペを抱える暮らしになったら今あるゆとり(と言ってもジャグリングのような毎日だが)は失われ、生活へのトータルの満足度は下がる。そしてそれは必ず子どもたちにネガティブな形で影響するのだ。
それなら上のちびには違う形で、日本の公教育だけでは得られない経験をしてもらう方がいいし、小ちびにも、発達の凹を補うだけでなく凸を伸ばせる環境を用意してやりたい。
私は私で、海外勤務せずとも多様性や異文化に触れる機会を自分で探して作ればいいのだ。そもそも今の仕事自体、日本にいながら上司・同僚が外国人という”バーチャル海外勤務”ができている珍しいケースなのだ。この機会をむしろ存分に生かすべきではないのか。
だから療育を始めて半年ほど経ったところで、今は日本で仕事を続けたいという意思表示をした。
海外赴任に帯同する妻たちは、自分のキャリアを分断して夫のキャリアと子どもをサポートしている。私は辞めてこそいないが、家族トータルでの満足度と中長期の子どもたちの環境のために自分の選択肢を手離した。
ワーキングマザーである私が海外勤務をすることで、会社にまだ少ないモデルケースを作れたらいいなと漠然と思っていたけれど、結果的にはワーキングマザーが会社員としてキャリアを積むことの難しさをまた一つ思い知ることになった。
でも私は制約を逆手にとって考えるのがむしろ好きみたいだ。
海外勤務の機会は手離したけど、それとて所詮手段であって目的ではないってこと。
日本にいながらどれだけ多様な経験を積めるか(自分も子どもたちも)、仕事をしながらどれだけ子どもたちのことに質の良い時間を割けるか。思考と試行の旅は続く。