染物屋生活

神奈川県の住宅地(でも片田舎)の染物屋日記と、電気代が月1500円(原発反対なので)の節約生活を紹介「染め吉」と言います

まだ、露草が咲いている

2015-09-28 17:22:00 | 日記

まだ、うちの庭は露草が咲いている。心強い。
「露草がない」というのが、この住宅地に引っ越してきて、気がついたことだった。
探したら、近くで畑を作っているお宅にあった。畑というのは、昔風の雑草が生えている。ハハコグサ、ヨモギ、カヤツリグサ、エノコログサ、スベリヒユ、オオバコなどなど。

そして、雑草だらけのところには、バッタや蝶、ツマグロヨコバイなどの昆虫もいるのだ。(よそから飛んできたものもいるのだろう)しかし、雑草がないと彼らは生きていけないのだ。

昨年夏、庭掃除をしてもらい、雑草をきれいに取ってもらった。生きていけない昆虫たちが、立木の葉をかじった跡があった。かわいそうなことをしたと思う。今年のうちの庭は、そういうわけで、雑草だらけだ。セセリチョウや、小さいバッタが飛んでいる。コオロギとカネタタキが鳴いている。

うっつ、露草が写っている写真は、小さい方だった!!良ければ、写真をクリックしてみて。拡大されます。

どうしても気になる東京新聞「筆洗」4月20日

2015-04-22 22:08:27 | 日記
東京新聞のコラム「筆洗」(4月20日のもの)がどうしても気になるので書いておく。

家庭訪問のお茶菓子についてだ。弘兼憲史の「課長島耕作」にこんな場面があったそうだ。貧しい家に育った女の子が家庭訪問を心配する。家は汚いし、お茶菓子も用意できない。母親は、おはぎをこしらえて出す、といってくれる。先生は後でいただくとおはぎを持ち帰ったが、河原に捨ててあったのを女の子が発見する。「母が作ったおはぎが悪いんじゃない。捨てた先生が悪いんじゃない。貧乏が悪いんだ」女の子は言ったそうだ。
まる2日考えたのだが、これは「きみはダックス先生がきらいか」に灰谷健次郎が書いていた話ではないか?ダックス先生のモデルは、灰谷の友人の鹿島和夫である。1935年生まれの鹿島は、1945年には、疎開して貧乏で苦しい暮らしをしていた。そのときに、家庭訪問に来た先生に出した羊羹を先生に持たせたが、先生は捨ててしまった。それをみていた鹿島は、拾って持って帰ったという。この話、灰谷は何回か文章にしている。「貧乏がわるい」のだったか、「心無い先生が悪い」のだったか、忘れてしまったが、心にしみる話だった。私は、「先生が悪い」というふうに受け取ったと思う。灰谷も鹿島も、小学校の先生をしていたので、先生に対する、目つきが鋭い。弘兼、もしくは漫画における原作者は、この「ダックス先生」に出てくる話をもとにしたんではないかと、思った。話が似すぎている。