青葉公園商店街には、「移転のお知らせ」が目立っていた。写真2枚は移転のお知らせである。
私たちはこの日、「さんてつ」に乗ったのち、天神町にある仮設商店街も見てきた。天神町の方は、移転していった商店がもっと多かった。「黄遊」さんががんばっていた。喫茶や定食や居酒屋をやっている。こういう店があるって、ありがたいと思う。ここでコーヒーを飲んだ。
釜石にある唯一の風呂屋の前を通った。3時ちょっと前だったので、店の前で待っているお客がいるいいな。鶴乃湯さん。あとで調べると、鶴乃湯さん(釜石市大只町1丁目2.電話019-322-0883.水曜定休)
.震災にも負けず、残った風呂屋だという。風呂に入って見たかったが(私は普通の風呂が好き。スーパー銭湯でなくて)、時間がないので断念。とりあえず「洋食あべ」に戻って、インディアン・フライドライスを食べる。おいしい~。
私たちはこの日、「さんてつ」に乗ったのち、天神町にある仮設商店街も見てきた。天神町の方は、移転していった商店がもっと多かった。「黄遊」さんががんばっていた。喫茶や定食や居酒屋をやっている。こういう店があるって、ありがたいと思う。ここでコーヒーを飲んだ。
釜石にある唯一の風呂屋の前を通った。3時ちょっと前だったので、店の前で待っているお客がいるいいな。鶴乃湯さん。あとで調べると、鶴乃湯さん(釜石市大只町1丁目2.電話019-322-0883.水曜定休)
.震災にも負けず、残った風呂屋だという。風呂に入って見たかったが(私は普通の風呂が好き。スーパー銭湯でなくて)、時間がないので断念。とりあえず「洋食あべ」に戻って、インディアン・フライドライスを食べる。おいしい~。
東京新聞のコラム「筆洗」(4月20日のもの)がどうしても気になるので書いておく。
家庭訪問のお茶菓子についてだ。弘兼憲史の「課長島耕作」にこんな場面があったそうだ。貧しい家に育った女の子が家庭訪問を心配する。家は汚いし、お茶菓子も用意できない。母親は、おはぎをこしらえて出す、といってくれる。先生は後でいただくとおはぎを持ち帰ったが、河原に捨ててあったのを女の子が発見する。「母が作ったおはぎが悪いんじゃない。捨てた先生が悪いんじゃない。貧乏が悪いんだ」女の子は言ったそうだ。
まる2日考えたのだが、これは「きみはダックス先生がきらいか」に灰谷健次郎が書いていた話ではないか?ダックス先生のモデルは、灰谷の友人の鹿島和夫である。1935年生まれの鹿島は、1945年には、疎開して貧乏で苦しい暮らしをしていた。そのときに、家庭訪問に来た先生に出した羊羹を先生に持たせたが、先生は捨ててしまった。それをみていた鹿島は、拾って持って帰ったという。この話、灰谷は何回か文章にしている。「貧乏がわるい」のだったか、「心無い先生が悪い」のだったか、忘れてしまったが、心にしみる話だった。私は、「先生が悪い」というふうに受け取ったと思う。灰谷も鹿島も、小学校の先生をしていたので、先生に対する、目つきが鋭い。弘兼、もしくは漫画における原作者は、この「ダックス先生」に出てくる話をもとにしたんではないかと、思った。話が似すぎている。
家庭訪問のお茶菓子についてだ。弘兼憲史の「課長島耕作」にこんな場面があったそうだ。貧しい家に育った女の子が家庭訪問を心配する。家は汚いし、お茶菓子も用意できない。母親は、おはぎをこしらえて出す、といってくれる。先生は後でいただくとおはぎを持ち帰ったが、河原に捨ててあったのを女の子が発見する。「母が作ったおはぎが悪いんじゃない。捨てた先生が悪いんじゃない。貧乏が悪いんだ」女の子は言ったそうだ。
まる2日考えたのだが、これは「きみはダックス先生がきらいか」に灰谷健次郎が書いていた話ではないか?ダックス先生のモデルは、灰谷の友人の鹿島和夫である。1935年生まれの鹿島は、1945年には、疎開して貧乏で苦しい暮らしをしていた。そのときに、家庭訪問に来た先生に出した羊羹を先生に持たせたが、先生は捨ててしまった。それをみていた鹿島は、拾って持って帰ったという。この話、灰谷は何回か文章にしている。「貧乏がわるい」のだったか、「心無い先生が悪い」のだったか、忘れてしまったが、心にしみる話だった。私は、「先生が悪い」というふうに受け取ったと思う。灰谷も鹿島も、小学校の先生をしていたので、先生に対する、目つきが鋭い。弘兼、もしくは漫画における原作者は、この「ダックス先生」に出てくる話をもとにしたんではないかと、思った。話が似すぎている。