列車は勇知駅に停まりました。
私は相変わらず左側の席に座ったままで、右側に接したホームと駅舎は見ていません。
鉄道の旅が好きで、青春18きっぷを使って、はるばる東京から勇知まで鈍行列車で旅してきましたが、駅や駅舎を見るのが今回の旅の目的ではありません。
何に興味があるかと言えば、やはり花と木。
私は車窓から、勇知駅の横に育つヤナギ科の木を見ていました。
葉の様子などから、ネコヤナギだろうか、エゾノカワヤナギだろうかと考えながらシャッターを押しましたが、勿論車窓から離れ見て判断できるようなものではありません。
それより何より、ヤナギ科の木の多くは水辺に育ちますので、勇知駅の横に水の流れを予想しました。
勇知という地名もアイヌ語の「それ(蛇)・多い」を意味するイオッイ(イオチ)に由来するそうで、湿気の多い場所であることに間違いはなさそうです。
勇知に続いて列車は、稚内の二つ手前の抜海駅に停車しました。
駅の名所案内に「抜海岩陰住居跡」「天然お花畑」と記されています。
「抜海岩陰住居跡」は、抜海漁港すぐ後ろの高さ30m程の小山で、大岩が小岩を背負ったように見えるそうです。
抜海の地名も、この岩の形から「子を背負う・もの」を意味するパッカイ・ペに由来しますが、この岩の下に海食洞があり、発掘調査でオホーツク土器や擦文式土器、続縄文式土器などが確認されています。
「天然のお花畑」は説明不要ですが、初夏の頃、この辺りの海岸を飾る草花は本当に可憐です。
列車が抜海駅を発車した瞬間、駅舎が見せるレトロな雰囲気に気付いて、慌ててカメラのシャッターを押しました。
抜海駅駅舎は大正13年(1924年)の開業時に建てられたものそのままで、写真を見直すと、サッシではない窓枠や、手動式のガラス張り引き戸などに、哀愁にも似た感情が沸いてきます。
この駅舎のノスタルジックな雰囲気は多くの人の琴線に触れるのか、映画やドラマのロケに何度も使われてきたそうです。
そして、このような木造駅舎が100年近くも、この北限の地の厳しい冬を耐え忍んできたことに驚かされます。
下の写真は、抜海駅を出てすぐの車窓風景です。
駅の周囲にクマザサ茂る原野が広がっていました。
原野の周囲の木々は、平屋程の高さに背を揃えますが、冬に雪で埋まる高さが植物の高さを規定しているのかもしれません。
車窓から見えるカシワの木(ミズナラ?)は、まるで盆栽のようなフォルムを見せていました。
列車は抜海原生花園の背後の河岸段丘を走り、利尻富士が視界に大きく広がりました。
進行方向に稚内西海岸と野寒布岬へ伸びる平坦な丘陵が望めます。
あの丘の裏側で、今日の旅の終着駅となる稚内が、旭川から走り来た一両編成のジーゼルカーを待っています。
可憐な乙女の姿がそこにあれば、映画のワンシーンのような光景になるだろうなと、そんなことを思わせる程に浮世離れした風景でした。
列車は河岸段丘を北東へ下り始めました。
そして稚内市街地に入り、南稚内駅を出た4分後、
列車は旭川駅を出発後、259.4kmを6時間5分かけて、終着の稚内駅に到着しました。
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