柳井市の余田臥龍梅を後に、広島へ向けて車を走らせました。
最初の目的地は広島市植物公園です。
この公園は私のお気に入りの一つですが、東京から遠いので、気軽に訪ね来ることができません。
なので今回のような機会を逃せば、必ず後で後悔することになります。
小雨降る生憎の天気でしたが、最初に梅林へ足を運びました。
正門右手の斜面が紅梅に彩られていました。
その先で、カワヅザクラとカンヒザクラが、季節の到来を告げています。
勿論、椿園も見逃すわけにはいきません。
園の奥へ進み「森のレストラン」の横を登ると、右手斜面全体をツバキの花が飾っていました。
しかしやっぱり、雨の中では気力が続きません。
温室の中へ逃げ込むと、熱帯睡蓮の可憐な花がスイレン温室の水面を飾っていました。
しかし雨雲が厚く空を覆って、フィルム撮影が可能な光条件ではありません。
温室を一巡りして、早々に植物公園を切り上げることにしました。
私が同じ植物園に繰り返し足を運ぶのは、「四季の花」を飾る花の写真撮影が主目的です。
何事も、ダメと分かれば、すっぱりと諦めることにしています。
広島植物公園のスイレン温室
広島市植物公園を出た後、雨に濡れる国道を北上し、杉林に包まれた峠を越え、
広島市北西部の「ヒロテック梅の里」を訪ねました。
ヒロテックは広島市に本社を置く自動車部品製造会社です。
その㈱ヒロテックの湯来工場の梅林を訪ねましたが、残念でした。
事務所の方にお話を伺うと、工場敷地の改築中で、一般公開の継続を検討中とのことでした。
梅見客が怪我でもしたら大変ですから、ごもっともなお話です。
そして次に、広島県三原市を目指しました。
ナビにアドレスを入れ、ナビのお嬢さんのアナウンス通りに車を走らせました。
広島市の北部を東へ、三篠川(みささがわ)に沿って県道37号(白木街道)を走ると、対岸の梅並木の花に気付きました。
川堤の桜並木は各地で目にしますが、梅並木が川面に映る景色は初めて見る気がします。
もしかすると桜の可能性もあるかと思い、国道を左に折れて白木山橋を渡って確認しましたが、梅の花に間違いはありませんでした。
下がそのときの写真です。
ウメとサクラの見分け方は以前「春の景色に巡り会う」に記しましたが、梅は一輪ずつが枝に付きますが、桜は枝に複数輪が束となって花を咲かせます。
三篠川堤の梅 小石川植物園のソメイヨシノ
1時間半ほど走って、三原市浄水場の敷地内にある西野梅林に到着しました。
この辺りは、菅原道真が大宰府への旅の途中で梅を植えたことから、地区に「梅林」という地名が残るほど、江戸時代は数多くの梅が花を咲かせていたそうです。
しかしその後は宅地開発などで梅の木が減って、それを嘆く市民有志が、梅を植え育てているそうです。
地域の子供たちが郷土に誇れるもの、を作りたい思いがあるそうです。
日本という国は何処にいっても、それぞれの土地に、将来を背負う子供たちの為に汗を流す人々の姿があります。
私は新潟に6年暮らしましたが、このような話に接するといつも「長岡藩の米百俵」の逸話を思い出します。
次に三原市深町の菰口山山頂に広がる満汐梅林を訪ねました。
しかし入門口にロープが張られ、梅園へと続く坂に、止め石のようなプラスチック製のビールケーズが置かれていました。
閉園中かと思い、先に来ていた広島ナンバーの車の方に「休園ですか?」と聞くと、「さっき管理者にを電話をしたら、2~30分後に行くと言われ、待っている」のだそうです。
そうですよね、こんな時にスマホがあれば便利でしょうね。
私は今も、携帯やスマホを持ちませんが、旅に出た時はいつも「持ってもいいかな」とは思うのですが・・・
暫く待つと車が到着し、管理者の元気なおばさんの後について坂道を上り、見事な梅林の景色を堪能することができました。
おばさんから園内の七福神巡りを勧められましたが、私は今回の旅の主旨を説明して、この梅林の由来などをお尋ねしました。
満汐梅林を経営する濱浦さんは、以前は「満汐丸」という漁船を有する尾道の漁師さんだったそうです。
お父様がこの場所を開墾し梅を育て、観光農園の営業もしつつ、梅ジャムや梅ジュースなどの加工を行う6次産業農家さんなのだそうです。
今回は電話を受けて、尾道から車を走らせ、ゲートを開けにきてくれたそうです。
私はお話を聞かせてもらったお礼に、梅プリンをお土産に買い求め、帰宅後に、満汐梅林の景色を思い出しながら、上品な梅プリンのの味を楽しませて頂きました。
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