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北海道北限のツバキ探索 index

2021-08-30 13:04:19 | 北海道北限のツバキ探索

「花の旅」 総合目次 

 

北海道北限のツバキ探索 index

 

 1. ワクチンを接種し、PCR(ー)です  (コロナ対策を済ませての旅)

 

 2. 函館のツバキ  (函館市内に育つツバキ)

  

 3. 木古内、松前のツバキ (木古内町栗原邸の大椿、松前のツバキ)

 

 4. 江差 法華寺の椿  (法華寺の椿は推定樹齢268年)

 

 5. 庭に植えるツバキ (庭に植えたツバキが生き続ける条件)

 

 6. 積丹半島 古平町のツバキ (古平町の民家に育つツバキ)

 

 7. 北海道 余市町のツバキ (余市町ではツバキが無理なく育つ)

 

 

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北海道 余市町のツバキ

2021-08-20 22:17:58 | 北海道北限のツバキ探索

 古平で思いがけないツバキを見て、私は北海道のツバキに関する認識を大きく改めました。

 

 今回の北海道のツバキ探索の旅は、日本ツバキ協会の機関誌、ジャパンカメリア111号(2019年5月)に、金澤欣哉さんが寄稿した「北海道のヤブツバキ、120年」の記事を読んだことに始まります。


 記事には、「金澤さんの生家は文久4(1864)年、積丹半島の西海岸の泊村に創業した網本であること。

 明治30年におばあ様が「内地旅行」をした際、お土産に持ち帰ったヤブツバキが、4度の植え替えを経て、現在は金澤さんの甥御様が住む、余市町で花を咲かせること」が記されていました。


 私は、函館、松前、江差辺りが日本の栽培北限と考えていたので、この記事に好奇心を刺激され、金澤さんが紹介したツバキを、自分の目で直接確かめたいと思いました。


 「金澤さんのヤブツバキが特別なのか、あるいは環境が特殊なのか、もしかすると、多くの人が認識する【北海道では道南までツバキが育つ】の内容が改まる、何かが見えるかもしれない」と考えたのです。


 ツバキ協会の理事に依頼し、札幌の金澤さんに、余市町のツバキ所在地を教えて頂きました。


 そして、これまで記したように、道南のツバキを確認しながら北上し、余市町を訪ね、道南のツバキと金澤さんのツバキを比較して、北海道のツバキ栽培に関わる疑問を解き明かすつもりでした。


 しかし私は、余市を訪ねる前に、その答えを古平で得ていました。

 

 心も軽く、古平から南東に17km程の、積丹半島の付け根に位置する余市町へ車を走らせました。


 北海道のツバキ栽培の実態を理解できた私が、余市で行うべきは、金澤さんのツバキを確認することと、余市町のツバキに関わる、より多くの情報を得ることだけです。


 金澤さんの甥の雅志様のお宅を訪ね、玄関のチャイムを押すと、雅志様の奥様が出てこられました。


 そして快く、庭のヤブツバキを見せて頂くことができたのです。


 庭で樹高2ⅿ強のツバキが葉を茂らせていました。

 


 奥様のお話では、蕾を開かない年もあるそうですが、ツバキは枝に新しい葉を付け、健康そうな様子を見せていました。

 

 

   
 根周を計測すると601.5㎜という値が得られました。


 その数字を基に、江差ツバキの値で樹齢を計算すると、


 268/1276×601.5=126年

 

 という値が得られました。


 今から124年前の明治30(1897)年に、おばあ様が2年ものの幼木を買ってきたとすれば、樹齢はピタリ一致します。

 

 
 奥様に「北海道では、道南以北にツバキが育つ認識が無かった」とお話すると、余市町では「幾株ものツバキが花を咲かせる」ことを教えて頂きました。


 更に私が、付近に育つクリの木を見て、「余市はクリの木が育つのですね」と口にすると、それを切っ掛けにして、木の話題に話が弾みました。

 

 
 その話の流れで厚かましく、「私の車で、町内のツバキをご案内頂けないだろうか」とお願いすると、快く以下の2株のツバキをご案内頂くことができたのです。


 1株目は、少し離れた場所の寿司屋に育つツバキです。


 根周を計りませんでしたが、数十年の樹齢が推測されます。

 

 


  二番目が、金澤さんのご近所のツバキで、このツバキは実を稔らせていました。

 

 

   
 庭仕事をされていたご婦人にお話を伺うと、松前旅行に行った時に買い求めたのだそうです。

 

 当初は、海風が当たる場所に植えたのですが、元気がないので、今の場所に植え替えると、葉や枝を茂らせ、毎年赤い花を咲かせるとのお話でした。


 雅志様の奥様は、ツバキ以外にもカキやウメ

 

 

   
 クリやキリの木などをご案内頂き、本当に楽しい時間を過ごすことができました。


 雅志様の奥様、その節は本当にありがとうございました。

 

 

   
 そして今回の旅で、北海道のツバキ露地栽培の北限地は古平と余市と判断できます。


 特に余市町で観察した樹木は、青森、岩手辺りの景観を想わせ、それら状況から、「この地のツバキ栽培に無理はなさそう」の印象を得ることができました。

 

 そして私はこの後も、楽しい旅を続けることができましたが、

 

夕日に染まる日本海と利尻富士

 

 「北海道北限のツバキ探索」のお話は、ひとまず終了とさせて頂きます。

 

 今回も、いいね! のご声援等、本当にありがとうございました。

 

 

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積丹半島 古平町のツバキ

2021-08-19 23:13:13 | 北海道北限のツバキ探索

 7月12日、積丹の海辺で朝を迎えました。


 べた凪の海を眺めながら、クロワッサンとオレンジジュースで朝食を済ませました。

 

 そして、積丹半島を横切り、古平町へと車を走らせました。

 


 ナビが目的地まで残り数㎞と示す古平町の入口辺りで、海沿いの路傍に幹を伸ばす高木が花を咲かせていました。

 

 少し通り過ぎた車をバックで戻し、木の様子を観察しました。

 

 


 何の木でしょう?


 葉は偶数羽状複葉で、小葉は6~7対程度、小葉に切れ込みはありません。


 小さな緑色の花が地面に散り落ちていました。


 花片は5枚、雄蕊は9本、雄蕊が短い花もあります。

 

 

   
 幹は平滑で、縦方向に縞模様が入ります。

 

 
 これらの様子からムクロジだろうと考えましたが、帰宅後に調べると、どの図鑑にも、ムクロジは茨木県・新潟県以南に分布と記されています。


 もしこの木がムクロジならば、従来からの認識がくつがえります。


 メールで古平町に、情報があれば教えて欲しいと頼みましたが、返事はありませんでした。


 無理もありません。


 研究者でなければ、木に興味を示す人など、そう多くはないのです。

 

 ムクロジの果実はサポニンを含む為、昔はせっけんの代用に用いられましたので人が植えた可能性もありますが、新潟以南に分布する木が、北海道の古平で育つ事実は、非常に示唆に富む現象のように思えます。

 

 

 

 朝7時少し前に禅源寺の入口に到着しました。

 


  入口に2本の石柱が建ち、車一台分に舗装された道が本堂へ向かって伸びていました。


 道に車の跡があるので、そのまま進むと、本堂の前に出ましたが、寺は静まりかえり、人の気配がありません。


 本堂前に車を止めて、茶ノ木を探しましたが見つかりませんでした。


 10分ほど境内をウロウロしていると、ご住職が寺から出てこられたので、茶ノ木が見たくて、東京から訪ね来たことを伝えました。

 


 するとご住職は、「ご案内しましょう」と言って、舗装された道の横からヤブに入り、膝の高さほどの茶ノ木の前で、これですと指を指されました。


 想像より小さいことに戸惑うと、ご住職はそれを察し、「冬の雪に埋もれる高さより大きくは育ちません」と説明されました。


 私は若い頃、山登りを趣味としていましたので、北海道の冬山に登ると、外がマイナス40度以下でも、雪洞の中は温かいことを知っています。

 

 この茶ノ木も、雪に埋もれて、寒さを凌いでいるのでしょう。

 

 


 茶ノ木は花を咲かせ、実を付けます。

 

 周囲に実生株らしきものを認めました。

 


  ご住職に、今回は北海道のツバキを見たくて訪ね来たことを説明すると、ツバキならここにもありますよと言って、2ⅿほど離れた場所にご案内頂きました。


 ツバキはほったらかしだそうで、1m程の高さに折れて曲がった幹が白い木肌を見せていました。


 夏草に覆われ、真横からの写真しかなくて、全体像が分かり難いのですが、雪積もる高さ辺りで折れた幹が、そのまま横を向いていました。


 しかし、幾つかの枝は新葉を付けて、樹勢に衰えは感じません。


 このツバキも雪に埋もれ、冬の寒さから守られている様子でした。

 

 


 更にご住職は、「古平では、昔から多くの家がツバキを植えています」と仰います。


 「本当ですか?」


 「ええ、街を探せば、きっとツバキを植えた家が見つかりますよ」とのお話でした。


 詳しい話は省略しますが、私は「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の方法で尋ね歩き、二軒のお宅で、以下の写真のような、庭に育つツバキを見せて頂くことができました。

 

 

 
 ということで、古平町では、道南ほどではないにしても、冬の冷たい風に晒される場所を避ければ、ツバキを育てるのは、それほど難しことではなさそうです。

 

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庭に植えるツバキ

2021-08-18 18:21:31 | 北海道北限のツバキ探索

 法華寺のツバキを見終えて車に戻ろうとすると、門の向こうに海が見えたので、足が自然に動きました。

 

 
 目の前に小さな港が広がっていました。


 空を覆う雲の下で、平穏な日本海が水平線を見せていました。


 徳川幕府の軍艦が沈んだ海とは思えぬ、どこにでもありそうな平凡な景色でした。


 踵を返し、寺の石段を駐車場へ向かうと、掲げられた「法華寺 縁起」に気づきました。


 「当山は大永元年(1521年)に上ノ国勝山に創立し、寛文5年(1665年)に江差に移転、享保元年(1716年)に復建した、総欅作りの古刹である。


 山門は檜山奉行所で使用されていた門で、1678(延宝6)年に建造され1882(明治15)年に法華寺に移された北海道最古の建造物の一つで、本堂の天井に描かれた「八方にらみの龍」は、京都に生まれた江戸時代の文人画家 、池大雅の作と伝えられる。」

 

 などが記されていました。

 

 
 文中に記された大永元年(1521年)の古さに興味を覚え、江差、松前の歴史を調べてみました。


 和人が北海道に移り始めたのは、私が認識していた時代より更に前の、室町時代の頃からだそうです。

 

 徳川幕府成立後の慶長9(1604)年に松前藩が成立しましたが、ちょうどその頃、京都の花山院忠長らの青年公家達が、後陽成天皇が寵愛する女官たちと密通、それが発覚して、忠長等は松前に流刑、それを契機に松前藩と京の公家達との交流が始まります。

 

 更には近江(滋賀)商人との交易も進んで、松前や江差に京文化が運ばれるようになりました。

 

 ツバキも多分、その頃に持ち込まれた筈です。


 しかし北海道に持ち込まれたツバキは、人間が他の植物との競合から守らなければ、生存競争に負けて消滅します。

 

 庭に植えたツバキが生き続けることと、ツバキが自生することは全く次元が異なるのです。


 それはヤブツバキも園芸種も同じで、数多くある我が国固有のツバキ園芸種は、文化財保護と同様に対処しなければ必ず消滅します。


 そう書くと「そんなことをして何かの役に立つか」という意見が出ますが、その意見には、東京大学小石川植物園等で保存されてきた江戸時代からの変化アサガオ群が、動く遺伝子・トランスポゾンの研究に大きく貢献した例などを示し反論することができます。


 ですが、科学の発展の多くは、何かの役に立つか否かではなく、純粋でひた向きな探求心の結果であることは、良く知られた事実です。


 あれれ、 「法華寺 縁起」から、あらぬ方向に話が脱線しましたが、「旅は気まぐれ風任せ」が私の旅のスタイル・・・ いえ、あの、その、どうぞ大らかな目で見てやって下さい。

 

 法華寺を出て、すぐ近くの江差姥神大神宮を訪ねました。

 

 
 ネット検索で、この神社にツバキ咲く情報を得ていたのです。


 ふむふむ、確かに。

 

 桜の木の下に一株のツバキが緑の葉を茂らせていました。


 境内に育つ数本のツバキを見て、江差も松前同様、ツバキが普通に育つ気象条件であることを理解しました。

 

 
 江差姥神大神宮のツバキを確認し、道南のツバキ探索を終了しました。


 次に目指すは余市町のツバキですが、その前に、日本最北の茶の木が育つ古平の禅源寺に寄り道します。


 江差でナビに古平の住所を入力すると、走行距離約220km、5時間強が示されました。


 無理をせずに、禅源寺は明日訪ねることにして、今夜は積丹半島の海辺で夕日を眺めながら晩酌を楽しもうと考えました。

 


 江差のコンビニで買ったパンとコーヒー牛乳で、運転しながら昼食を済ませました。


 ナビのお姉さんに言われる通り、熊石から八雲へ抜けて国道をはしり、長万部からニセコを経て岩内に着いたのが16時半頃でした。

 

 数年前にニセコ連山の花の百名山である目国内岳に登り、この辺りを見下ろした光景を思い出しました。

 

 積丹半島の付け根に開けた、僅かな平地の佇まいが脳裏に浮かびます。

 

 そんな侘しい街のスーパーで夕食を購いました。


 今夜のメインディッシュはタコ飯

 


  酒の肴は生ウニ

 

 
 そして酒は青森のスーパーで手に入れた「桃川」です。

 


 海辺のパーキングに車を止め、後部座席をフラットにし、潮風を車内に導き、まだ暮れやらぬ、19時半頃からコップ酒の一人宴会を始めました。

 

 
 ほんと! 金もかけずディオゲネスを気取って、幸せな人生だな~

 

 ムムム・・そう云えばたしか、ディオゲネスは食べたタコに当たって死んだそうです。

 

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江差 法華寺の椿

2021-08-17 15:43:08 | 北海道北限のツバキ探索

 松前の街を後に、再び国道228号を走り始めました。


 次の目的地は江差町の法華寺です。


 すれ違う車も殆どない北国のひたすらな道を楽しみながら、江差を目指しました。

 


 松前から江差までの64㎞ほどの距離をはしり、昼少し前に江差町に到着しましました。


 ナビに導かれ、法華寺の駐車場に車を止め、ツバキを探して境内を見歩きました。

 

 
 最初に目に付いたのがメタセコイアです。

 

 
 木の下に「保護樹木指定標識 メタセコイア 推定樹齢52年 平成14年4月1日」と記されていました。

 


 北海道で20年ほど暮らしましたが、メタセコイアを見た記憶がありません。

 

 北海道にメタセコイアは育たないと思っていましたが、改めて調べてみると、1945年に中国で生きた化石として発見されたメタセコイアは、1950(昭和25)にカリフォルニア大学から100本の苗が日本に贈られ、3本が北海道大学に植えられたことが分かりました。


 法華寺のメタセコイアが平成14(2002)年に樹齢52年であれば、日本に最初にメタセコイアが入った頃の木です。


 予想外に、貴重な木に巡り合うことができました。


 境内の中央に見事なクロマツが枝を広げていました。


 このクロマツも江差町の保護樹木で、推定樹齢200年と記されています。


 6年前に自転車で北海道を縦断した時、静内で見たアカマツを思い出しました。


 クロマツやアカマツは北海道に自生せず、ツバキ同様に内地から持ち込まれた植物です。


 そして今回の旅は、そのようなツバキやマツの育成北限を、植物相の視点から探索するつもりです

 


 しかし、それにしてもツバキは何処にあるのでしょうか?


 境内と外周を探し歩き、最後に寺の玄関を開けて「すみません、恐れ入ります」と声をかけました。


 すると奥から坊守さん(住職の奥さん)らしき人が出てこられたので、「ツバキは何処でしょうか?」とお尋ねしました。


 すると「ツバキは寺の中庭にあります」とのことなので、参観料を払って中庭を見せて頂くことにしました。


 そしてこれが「法華寺の椿」です。


 坊守さんのお話では、数年前の台風で幹が折れて、樹形が小さくなったそうです。

 

 
 中庭の隅に「法華寺の欅、法華寺の椿 記念保護木」の説明が掲げられていました。


 椿に関し、


 「樹齢220年と推定されるツバキは江戸時代に町内の檀徒より寄贈されたもので、毎年12月にこぶし大の花を無数に咲かせ、寒ツバキとして愛され、ケヤキとともに、江差町の歴史に残る樹木として住民に親しまれています」

 と記されていました。

 

 記載が昭和48年3月ですから、2021年現在の推定樹齢は268年です。


 ところで説明文のように、法華寺の椿が「寒ツバキ」ならば、カンツバキサザンカに分類されますから、ヤブツバキとは樹形が異なります。

 

 函館や松前のツバキ園芸種の樹齢推定に「法華寺の椿」のデータを用いましたが、それは一応の「目安」であることを、記しておきたいと思います。

 


 坊守さんに、北海道のツバキを調べに東京から来たことを説明し、庭に降りて観察する許可を頂きました。


 「法華寺の椿」は地際から4本程に分かれた枝を斜め横に伸ばし、株立ち状の姿を見せていました。


 台風の被害で樹形が小さくなったそうですが、昭和48年の記念保護木指定時には樹高3ⅿだったそうです。

 

 
 周囲を柵で囲まれていましたが、許可を頂いて柵の中に入り、根周を測定しました。

 

 
 光量不足で手振れしていますが、1276㎜という結果が得られました。

 

 
 周囲に「法華寺の椿」の実生が幾株か葉を茂らせていました。


 ここで芽生えた実生ツバキが、数件の江差民家で花を咲かせるそうです。

 

 

 「法華寺の椿」は毎年12月頃に一重の赤い花を咲かせ、5・6月頃に散り終えるそうです。


 庭に掲げられた説明に「寒ツバキとして愛され」と記されますが、「寒ツバキ」という言葉は、一般的に「寒い時期から花を咲かせるツバキ」の意味と、サザンカの分類群としてのカンツバキハルサザンカを指す場合があります。

 

 「法華寺の椿」は前者の意味と判断しますが、もう一度花の咲く季節に訪ね来たいと思いました。

 

 

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木古内、松前のツバキ

2021-08-16 16:41:27 | 北海道北限のツバキ探索

 函館市内でツバキを確認した後、函館から車で1時間ほどの木古内町栗原邸を目指しました。


 木古内は、北海道が本州へと腕を伸ばしたような渡島半島の最南端の街、松前への途中にあり、一本道なので迷う心配はないのですが、北海道の国道は目印が少なく、目的地をナビに入れないと通り過ぎてしまう恐れがあります。


 小雨降る国道228号線を走り、ナビが「目的地に到着しました」と告げた場所に車を止めると、道の反対側に、朝霧に濡れた栗原邸が佇んでいました。

 


 塀に掲げられた解説文に、


 「このツバキは、松前藩士 笠島紋十郎の家系の者が江戸時代末期に植えたものとされています。

 当時、ツバキは高位の家柄の庭に植えられた樹木で、このことからも旧泉沢村が早くから拓けていた様子がうかがえます。

 木古内町の歴史を示すものとして、昭和47年3月25日、北海道記念保護樹木に指定されました。 

 推定樹齢約190年 樹高6m 平成13年11月」と記されていました。

 

 

 栗原邸は朝の寛ぎの中にあって、塀の中を覗き見ても、ツバキの様子がよく分かりません。

 


 しかし、塀の西側の雑草を掻き分けて4~5mほども進み、木の塀の隙間から手を伸ばし、闇雲にカメラのシャッターを押した幾つかが、見事な樹形の大椿を捉えていました。

 

 このツバキの2021年現在の樹齢は210年です。


 掌に収まる小さなカメラが、本州の何処よりも過酷だった歳月を生きながらえた老木の見事な生命力を写し込んでいました。


 (栗原様、無断で庭を覗き込んだ旅人の無礼をどうぞご容赦下さい。)

 

 

   
 栗原邸の大椿を見て車へ戻ると、すぐ横の民家の庭にハコネウツギが花を咲かせていました。


 私がホームグラウンドとする小石川植物園で、ハコネウツギは5月10日頃に花を咲かせますので、この地は東京より花が2か月程も遅いようです。

 

 
 木古内の大椿を見た後、茫々たる国道を走り、

 

 
 10時頃に松前の町役場に到着しました。


 町役場に一本のツバキが育つとの情報を得ていたのです。


 そして、このツバキの根周は915㎜でした。


 前回の函館ハリストス教会同様、江差法華寺のツバキを基に計算すると、192年という数字が得られました。

 

 そして今私は、その数値に驚きました。

 

 自分で言うのも何ですが、本当でしょうか?栗原邸のツバキが210年で、このツバキが192年とはちょっと信じ難いのですが。

 


  この記事を書くに当たり、今初めて数値を確認しましたが、画像に記録された撮影時間等を見ても、データに間違いはなさそうです。

 

 しかし、測定時に石を巻き込む等の凡ミスの可能性は否定できません。

 

 
 町役場の次に、松前公園の松前神社のヤブツバキを訪ねました。

 

 

 

 このツバキの根周は1241㎜なので、同じ計算で260年という数字が得られました。


 この樹形から考え、さもありなんと思えます。

 

 
 数年前に富山県氷見市を訪ねた時、枯死した「長坂の大椿」は樹齢370年で、幹回りが2000㎜でしたから、幹回り1㎝増に1.85年を要しています。

 

 今回基準とした江差法華寺のツバキは樹齢260年で、根周1276ですから、根周1㎝増に2.1年を要しました。

 

 海沿いにミカンが実る富山県から1000㎞以上も北に離れた場所の気候差を考えれば、その値は説得力を持ちます。

 

 

 松前神社のヤブツバキを確認した後、松前公園のツバキコレクションを探しました。


 数年前の訪問は「桜の名所」が主目的で、記憶が定かではありませんが、桜資料館の前にそれらしき場所を見つけました。

 多分ここに間違いなさそうです。


 個々のツバキに名札は付いていませんでした。

 


 車で外周を廻ると、品種ツバキを数多く植えた場所に出ました。


 その場におられた方に話を伺うと、もう20年以上趣味でツバキを育てているそうで、「松前では普通にツバキが育ちますよ」とのお話でした。

 

 
 公園の中心部へ戻ると、興味深い現象に目が留まりました。


 イチジクの名札を付けた木が葉を広げています。


 イチジクはアラビア南部や南西アジアが原産で、江戸時代に中国を経て日本に渡来しています。

 

 高温多湿を好み、寒気、乾燥を嫌い、果実の生産統計は、北限が宮城県蔵王町で、愛知県が国内生産の20%を占めて第一位です。

 

 そんなイチジクが北海道で葉を茂らせることに驚かされました。


 そして、ツバキが普通に育つことに納得しました。

 

 

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函館のツバキ

2021-08-15 21:40:23 | 北海道北限のツバキ探索

 朝一番に函館ハリストス教会へ車を走らせました。


 函館には何度も来ていますが、繰り返し訪ね来るたびに、街が醸す港町特有の風情に目と心が感動し、波紋が広がります。

 


 函館ハリストス教会が、函館山の麓で海を見下ろす、元町の斜面に門を構えていました。


 雨雲に覆われた元町の朝は、地元の人々が散策するだけで、観光客の姿は見えません。


 静かな朝の時間に、開け放たれた門を抜けて、教会の建物へと上る石段に足を運びました。

 


 咎められやしないかと思いながら進むと、石段の左右に緑の葉を茂らせる、樹高4m程のツバキに気づきました。


 つややかな葉が、ツバキの生育状況を物語ります。


 左側のツバキは、地上30㎝程の高さで幹が3本に分かれ、その内の一本は、50㎝程の場所から斜め横に枝を伸ばしていました。

 

 

    
 右側のツバキは、地上15㎝程の高さで幹が4本に分かれ、その内の二本が1m程の高さから側枝を分けています。
 

 


 ポケットに忍ばせたメジャーを取り出し、左右のツバキの根周を測定すると、左の木が567㎜、右の木が746㎜という結果でした。

 

 
 北海道のツバキ生育に関する資料が殆どないのですが、江差の法華寺のツバキが樹齢260年で根廻1276㎜でしたから、その数字を基に、この函館ハリストス教会のツバキの樹齢を推計しますと、


 左ツバキ 268/1276×567=119年

 右ツバキ 268/1276×746=156年

 

 という数字が得られました。

 

 しかし、二本のツバキが左右対称に植栽された状況から、これらのツバキが異なる時期に植栽されたとは思えません。


 そこで、函館ハリストス教会の歴史年表を参照すると、139年前の1882(明治15)年に、最初の日本人テイト小松司祭が着任していますので、その時に植栽された可能性が一つ。

 

 あるいは1907年の函館大火による聖堂焼失後、1916年に二代目の聖堂が再建されていますが、その時に成木を持ち込んだ可能性を考えます

 

 一般的に、このような場所に苗木を植えることは稀ですから、1916年頃に、他所からツバキの成木持ち込んだ可能性が高いかもしれません。


 日本のヤブツバキ自生北限地は青森の夏泊半島ですが、北海道の函館で、百年単位の年月でツバキが生育し得ることが確認できました。


 次に、函館公園のツバキを目指しました。


 函館公園を訪ねるのは今回が初めてです。

 

 公園は予想以上に広く、この公園にある筈の、一本のツバキを見つけ出すことは至難の業に思えました。

 


 そこでたまたま、朝の散歩中らしきご婦人をお見かけし、首に名札を吊るした状態で、東京から函館公園にツバキを探しに来た旨を説明して、ツバキの所在をお尋ねすると、公園のツバキは分からないが、近くの民家にツバキが育つことを、教えてくれたのです。

 

 その一件目がこちらのお宅です。


 ガレージの屋根の倍ほどの高さなので、樹高は4m前後でしょうか。


 見事な樹形のツバキが育つ様子を確認することができました。
 

 

 二件目のお宅がこちらです。


 このお宅のツバキは、道路より1m程高い庭に育ち、樹高は2m見当でしょうか。


 こんもりと茂った枝葉の様子から、良好なツバキの状態が推測できます。


 周囲に密集する庭木の様子から、一件目のお宅同様、冬に雪囲いなどは施されていないようです。

 

 

 これらの写真を示し、関東周辺の民家で撮影してきたツバキと言っても、疑う人はいないかもしれません。


 つまりそれほどに、この辺りの民家に育つツバキに「無理」を感じさせる気配がありません。


  
 予想外の成果に気分を良くして、その後も多くの方々にお尋ねしながら、当初の目的だった函館公園のツバキにも、無事に巡り合うことができました。

 

 

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ワクチンを接種し、PCR(ー)です

2021-08-14 19:01:29 | 北海道北限のツバキ探索

日曜日の7月11日の朝、私は函館山の麓の車の中で目を覚ましました。


 今回の旅も、シュラフと毛布を車に積んで、車中泊をしながら、気ままに巡る旅のスタイルです。


 昨晩は青森発20:30のフェリーに乗って津軽海峡を渡り、日付の変わった翌日0:20に函館港に着岸しました。

 

 北海道に上陸すると、その足で函館山へ車をはしらせ、適当な駐車スペースを見つけてシュラフに潜り込みました。


 私は6月中旬に2回目のワクチン接種を済ませています。

 

 7月5日にPCR検査を受けてコロナに感染していないことを確認しました。


 旅は全行程を車で移動し、日々の食事は各地のスーパーなどで、弁当やパンを購入し、飲食店に入るつもりは全くないので、そんな旅のスタイルであれば、コロナ感染やキャリアーとなる恐れは殆どありません。


 東京ナンバーの車で東北や北海道を訪ね巡ることに配慮し、前もって、買い物などで車から降りる際に、首から下げる「ワクチン接種済み、PCR(ー)です」と記したフォルダーを準備して旅に臨みました。

 

 
 今回の旅の目的は三つです。


 一つ目は花の写真撮影です。

 

 もう20年以上も続けていますが、ホームページに掲載する「四季の花」の写真のストックが足りないのです。

 

 写真は今もフィルムで撮影していますが、毎週更新する「今週の花」は、「撮影年の如何に関わらず、掲載日の前後4日以内に撮影したもの」という不文律を自らに課しています。

 

 フィルムは現像に日数を要しますので、来年以降のストックが無ければ、ホームページを維持できません。

 

 そして、7月の第二、第三週分のストックが80歳までに達していないので、今回一気に100歳までのストックを蓄えようと考えました。


 以前は、100歳を迎えるまで、のんびりと花の写真撮影を続けるつもりでした。

 

 しかし新聞で大きく報道された、池袋の高齢者の事故などで、80歳を過ぎて車を運転することのリスクに気づき、100歳までのストックを数年内に準備すべきだと考えを改めました。


 二つ目は、北海道のツバキ露地栽培の実態調査です。

 

 2019年のツバキ協会の機関誌に、余市町に育つ、樹齢120年のヤブツバキの記事を目にして、日本のツバキ露地栽培の北限地は何処だろう?という好奇心が刺激されたのです。

 

 しかし新型コロナの蔓延で、去年も今年もツバキ咲く季節に北海道を訪ねることができませんでした。

 

 人生の残り時間を考えると、今やれることは今やっておくべきだ、と心底思いますので、ツバキの花の季節ではありませんが、今は躊躇せずに行動あるのみです。


 三つ目の目的は、この季節に咲くエゾカンゾウのお花畑を廻ることです。

 

芦川のホームページ」に「ニッコウキスゲの花の名所」(ゼンテイカが正しいのですが、その名は殆ど知られていません)をリストしていますが、できることなら、その全てを目が黒い内に確認しておきたいのです。

 
 結論から言えば、北海道のエゾカンゾウの季節は既に終了していたので、エゾカンゾウの成果はゼロです。


 花の写真は、予定通りの成果を得ることができましたので、これから100歳の誕生日を迎えるまで、のんびりと花の写真にコメント加え、ページを更新してゆこうと思います。

 

 さて、今回の旅で最も面白かったのが北海道のツバキ露地栽培の実態調査です。

 

 以前から「芦川のホームページ」のコンテンツの一つである「椿の名所」で、渡島半島南端の松前江差などにツバキが育つことを確認しています。

 そして今回、上記以外の北海道のツバキを訪ね、北海道のツバキ園芸を確認したいと考えました。


 ネットで「函館 ツバキ」を検索すると、函館ハリストス協会、函館公園にツバキが育つことが分かりました。

 

 まずは函館市内のツバキを訪ね、次いで松前、江差を経て余市へ北上するルートを定め、津軽海峡を渡って、7月11日の朝、函館山の麓で目を覚ました、という次第です。

 

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