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私は日本共産党の民主集中制について、いろいろ批判してきましたが、やはり一番おかしいと思いますのは、同党がイデオロギー的骨格としているはずのマルクスの考え方と思い切り乖離しているとしか思えないからです。マルクスの文献を一冊でも読んだことのある方であればお分かりと思いますが、マルクスの思想は常に何かへの批判で成り立っています。『哲学の貧困』であればプルードンへの批判、『ドイツイデオロギー』であればマックス・シュティルナー、ブルーノ・バウアー、フォイエルバッハへの批判といった具合です。改めてこんなことを私が言いますと、いやマルクス主義とはヘーゲルの観念論(ヘーゲルは頭を下にして立っている!)への批判とアダム・スミスやリカードらの古典経済学への批判(これが『資本論』に結実します)を両輪とした一大思想体系なのだから、当たり前の話だ!と私はいろんな方に言われてしまうでしょう。
私が言いたいことは批判の自由がなければマルクス主義の思想体系は成立しなかったということです。もちろん、批判の自由を全うするために、マルクスは祖国プロイセンを追われ二度と戻ることはなく、異郷の地ロンドンに骨を埋めるという代償を払うことになりました。自由な批判ができなくなればマルクス主義の発展も望めないことになります。(続く)
(注)上の写真はドイツのラインラント・プファルツ州トリーアにあるマルクスの生家です。現在はマルクスの記念館になっています。私は1996年に訪問したことがあります。