じゅんじさん、ご返事ありがとうございます。
私の推測の背景は、私が高校1年生の年、1976年の7月にバイキング1号、9月に2号が火星への軟着陸に成功し、当時の新聞に掲載されたカラー写真の火星の空が明るいことに深く感動した記憶があるからです。最初の新聞写真の火星の空は地球の空に似た薄青色でしたが後に補正されて薄いピンク色であることが分かりました。月の空のように暗くなく、地球の空に似ているということに感銘を受けました。これは火星の大気中を漂う塵が太陽光を反射して空を明るく照らすという仕組みでしたね(地球とは逆に夕焼けが青色になるということは今世紀になって分かりましたね)。上の写真は同年9月にバイキング2号が撮影したユートピア平原の写真です。NASAのバイキング計画のホームページから引用させて頂きました。
ところで旧ソ連版の火星ローバーにはどんな名前が付いていたんでしょうね。気になりますね。
私は中2(1986)のとき、UFO特番ディレクター矢追純一の著書「第三の選択の謎」で、ソレ(当初青空に茶色の大地の写真が発表されたが、まもなくピンク色の空の写真に差し替えられた)を知り、大きな衝撃を受けました。
これに関する矢追さんの持論は、書けば長くなるので割愛します。しかし、今ネットで検索すれば、英語圏の人びともやはり矢追さんと同じ事を考えてますね(NASAは本当は空が青い=火星には濃密な酸素があることを隠していると)。空がピンクの写真より、色調調整の「ミス」だった写真のほうが色調が自然なのですから、それは想像力は膨らみますね。
成功のまさに直前で中止ないしは失敗した、ソ連の有人機や無人探査機がもし成功していたら、なんと命名されていたか?を、あれこれ空想し、英語文献でやっと発見するのも、ソ連宇宙開発探求の辞められない魅力です。