博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

妙好人

2013年04月27日 | 読書・映画

(昨日の続き)

 鈴木大拙によれば、日本人の庶民層にまで仏教が浸透するのに500年の年月がかかったということですが、浸透の土台として、土地に根差す農民に受け入れられなければならなかったと指摘しています。実際に土地を耕し糧を得る農民、そして農民の中から生まれ地域の有力者として成長していく武士階級が最初に信仰心を育んでいったということを指摘しています。そして農民階級は浄土宗系、武士階級は禅宗系の信仰の主体になっていったということです。浄土宗系は感性的で、禅宗系は理論系といった分類もしています。

 浄土宗系では信仰の厚く徳行の優れた人を「妙好人(みょうこうにん)」というそうですが、こういう人々が鎌倉時代以降に生まれてきます。私が魅かれたのは、私が3年間暮らした富山の道宗という人です。この人は越中赤尾という今日では南砺市上平地区に暮らした人ですが、有名な蓮如上人に仕え徳行を積んだ人でした。上平地区は本当に山奥にあります。冬は一晩で1mの雪が積もる場所で、現代でも通行は容易な場所ではありません。しかし修行のためにたびたび京都まで往復していたそうです。当時、徒歩で2週間以上かかったそうです。ある日、京都に旅立つ道宗に妻が蓮如上人に、何か日々の暮らしを心安らかに送れるようなお言葉を書いてもらってきてほしいと頼まれます。1か月以上かかって戻ってきた道宗は妻に蓮如上人が書いた紙を見せます。紙にはただ六文字「南無阿弥陀仏」と書かれていたそうです。それを見た妻はがっかりしてしまいます。何かもっといろいろなことが書かれているものと期待していたようです。その妻の様子を見た道宗は「よし分かった」と言って、そのまま再び妻のために蓮如上人にいろいろ書いてもらうために京都に旅立ったそうです。この時道宗はまだ草鞋も脱いでいなかったそうです。山また山の道を十数日かけてです。

 この逸話で素晴らしいと思うことは、浄土宗系の信仰では、本当は「南無阿弥陀仏」の六文字だけで心穏やかに暮らしていけるはずなので、道宗はそのように妻に言って聞かせることもできたと思うのですが、そうはぜずに妻のために少しも躊躇することなく蓮如上人のお言葉を頂きに京都に旅立ったということです。これが正に妙好人という存在なのだろうと思いました。

 本文とは関係無いのですが、写真は自宅近くの九州自動車道基山PAの写真です。連休初日の今日は良い天気でした。

 


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