ただ個人的な釣行日誌

すみずみまで読んでください

天地人終わる

2009年11月24日 21時10分11秒 | Weblog
とうとう天地人が最終回を迎えた。

振り返ればあっという間に過ぎた一年であった。

最初、あんまり面白くなかったが、御舘の乱のあたりからだんだん面白くなり、HDDレコーダーに毎週予約を、子供に入れさせるようになり、気に入った回は、繰り返し見た。

「越後を守る」というフレーズがしょっちゅう出てきて、気味が良かった。

しかし、関が原を境に、まったくくだらなくなった。

ある酒の席で誰かが言っていたが、上杉は越後をぶちゃった時点で、もう義はなくなったそうである。まったく同感である。

私はとうとう最後まで、彼らの義が何であるか分からなかったが、おそらく最初からまじめに見ていたら、普通に考えて、彼らの義が数回シフトチェンジしている印象を受けるに違いない。

義、とは難しい概念だなと思う。なんか漠然としていてとらえどころがない。

これは、もし「正義」と言うんだったら、割と分かりやすい。私も、ほぼはっきりと判断できるかもしれない。

もし、自分が死ぬなりして、この世を上空から客観的に見たなら、「正義とは少数派にあり」と断言できると思う。

それ以上難しいことは考えなくて良い。

実に簡単だ。

大多数なんてのは単なる付和雷同であり、自分は本当は無能なのだが、冷や飯を食いたくないからこっちにいるんだといっているようなものである。

某国などが民主主義、民主主義と声高に叫んでいるようであるが、あんなのを真に受けていてはいけない。

かかる某国は、自国になびく国は、仮に独裁政権であろうと軍事政権であろうと公然と認め、何も非難しないのである。

民主主義を広めるなどというのは真っ赤な嘘だと言っていい。


彼らは何を得ようとしているのか

しかし、武士というのはいやらしい人種である。

兼続らはそうとうましだが、どうしてあんなにプライドが高いのだろうか。自分と相手と、どっちが上か下か、などということにしか感心がないらしい。

とてもじゃないが、彼らのような連中と仲良くなれそうにない。もっとも彼らも私のような人間と仲良くなろうとも思わないだろう。そのほうが有難いが。

ていうか、彼ら同士が、すでに仲が悪い。決着をつけようと、野原に集まっちゃったりなんかしている。

このような人種は現代にも生き残っている。実につまらない人種だ。

私は常々思うのであるが、どうしてこんなに四六時中機嫌の悪い人が大勢いるのであろうか。

たとえニコニコ笑っていても、心は怒りでいっぱいなのを感じ取れる。常に不満な人種。

学校にあがるとまずツッパリと称される人々がいて戦慄が走ったが、あれがまず珍妙だった。

とてもじゃないが仲良くなれそうにない。

なんか眠くなったので続きはまた明日。

おやすみ、みんな。

おやすみ、新一!