私は、画家ですから、絵を描く意味は単純ではありません。
描きたいから描くというだけではありません。
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理由がへんなことも含めていろいろあります。
1、絵が好きだから描く。
2、自分のライフワークと位置付けて来たから描く。
3、描かないと悔しいから描く。
4、展覧会があるから、描く。(会に所属しているから、責任で描く)
5、描かないと自分が許せないから描く。
6、絵の研究をしているから、答えを求めて描く。
7、勉強会をしているから、一緒に描く。
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こんなところでしょうか。
展覧会がなかったら、描いてないかもしれません。
その意味では、私は、会に所属して、会の展覧会に出すのは、描かなければならないように、自分を強制するためです。そうでなければ、描かないで過ぎてしまします。
そんなの関係なく、絵を描くことが好きで好きでたまらないという画家はいいでしょうが、私のようにいろいろなことに興味があり、何でもやってみたくなる人間には、描かなければならない状態を作っておかないと、描かなくなってしまうからです。
人間は、絵を描かなければならない理由なんて、ありませんからね。
ただ、そうするのは、絵を自分のライフワークにして、生きて行きたいなあと思ったからなのです。だから、描かなければならないような、自分を強制するものを設定したのです。
自分で、設定しておきながら、実行できないのは、悔しいものですから。それで、続けてくることができたのです。
絵は、続けることは苦しいですから、やめてしまう人がたくさんいます。
続けることが苦しいというのは、現状維持ではいられないからです。
描くからには、それ以前より良くなりたい。いい絵が描きたいと思います。そうなると、戦いなのです。
今までだって必死に描いて、やっとたどりついたレベルなのに、それを超えなければ我慢ができないのですから、常に、自己最高を求めて戦うスポーツ選手のようです。
スポーツならば、年齢という時期が来ますが、絵は、一生の仕事です。この苦しみと死ぬまで戦うことになるのです。何度やめたいと思ったかしれません。
しかし、上手くいった時の喜びは、また、格別なのです。
意地と根性で戦っているかもしれません。
また、私は、自分の絵を描くだけでなく、指導をすることで、いろいろな絵の研究をしています。生徒さん達は、私の研究の仲間でもあるのです。
構図の研究、テーマの研究、指導の研究なども、行います。
また、美術史を扱って、自分なりの把握の仕方を示したり、遠近法の理論を実際に説明したり、描いて見せるパフォーマンスを映像化したり、さまざまのことをしていますが、それらも、私が絵を描くことの関連です。
私にとって、絵を描く意味は、本当にいろいろあります。
ーーーーーーーーーーー
うまく、言えているかわかりませんが、私にとっては、絵とともに生きるということが、絵を描く意味なのです。
その手段は、実際に絵を描くだけでなく、このように文字を使ったり、映像をつかったりしながらです。本も出版したりです。
21世紀に生きる意味も考えながら、現代の絵画はどうあるべきかと考えることもいいでしょう。時代を生きる意味まで、考えて描いたら先端を生きることになるでしょうね。
その内、そうなるように、やってみます。
7、
描きたいから描くというだけではありません。
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理由がへんなことも含めていろいろあります。
1、絵が好きだから描く。
2、自分のライフワークと位置付けて来たから描く。
3、描かないと悔しいから描く。
4、展覧会があるから、描く。(会に所属しているから、責任で描く)
5、描かないと自分が許せないから描く。
6、絵の研究をしているから、答えを求めて描く。
7、勉強会をしているから、一緒に描く。
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こんなところでしょうか。
展覧会がなかったら、描いてないかもしれません。
その意味では、私は、会に所属して、会の展覧会に出すのは、描かなければならないように、自分を強制するためです。そうでなければ、描かないで過ぎてしまします。
そんなの関係なく、絵を描くことが好きで好きでたまらないという画家はいいでしょうが、私のようにいろいろなことに興味があり、何でもやってみたくなる人間には、描かなければならない状態を作っておかないと、描かなくなってしまうからです。
人間は、絵を描かなければならない理由なんて、ありませんからね。
ただ、そうするのは、絵を自分のライフワークにして、生きて行きたいなあと思ったからなのです。だから、描かなければならないような、自分を強制するものを設定したのです。
自分で、設定しておきながら、実行できないのは、悔しいものですから。それで、続けてくることができたのです。
絵は、続けることは苦しいですから、やめてしまう人がたくさんいます。
続けることが苦しいというのは、現状維持ではいられないからです。
描くからには、それ以前より良くなりたい。いい絵が描きたいと思います。そうなると、戦いなのです。
今までだって必死に描いて、やっとたどりついたレベルなのに、それを超えなければ我慢ができないのですから、常に、自己最高を求めて戦うスポーツ選手のようです。
スポーツならば、年齢という時期が来ますが、絵は、一生の仕事です。この苦しみと死ぬまで戦うことになるのです。何度やめたいと思ったかしれません。
しかし、上手くいった時の喜びは、また、格別なのです。
意地と根性で戦っているかもしれません。
また、私は、自分の絵を描くだけでなく、指導をすることで、いろいろな絵の研究をしています。生徒さん達は、私の研究の仲間でもあるのです。
構図の研究、テーマの研究、指導の研究なども、行います。
また、美術史を扱って、自分なりの把握の仕方を示したり、遠近法の理論を実際に説明したり、描いて見せるパフォーマンスを映像化したり、さまざまのことをしていますが、それらも、私が絵を描くことの関連です。
私にとって、絵を描く意味は、本当にいろいろあります。
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うまく、言えているかわかりませんが、私にとっては、絵とともに生きるということが、絵を描く意味なのです。
その手段は、実際に絵を描くだけでなく、このように文字を使ったり、映像をつかったりしながらです。本も出版したりです。
21世紀に生きる意味も考えながら、現代の絵画はどうあるべきかと考えることもいいでしょう。時代を生きる意味まで、考えて描いたら先端を生きることになるでしょうね。
その内、そうなるように、やってみます。
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