絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

絵を描く意味 2

2009-07-21 | 美術
私は、画家ですから、絵を描く意味は単純ではありません。

描きたいから描くというだけではありません。

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理由がへんなことも含めていろいろあります。

1、絵が好きだから描く。

2、自分のライフワークと位置付けて来たから描く。

3、描かないと悔しいから描く。

4、展覧会があるから、描く。(会に所属しているから、責任で描く)

5、描かないと自分が許せないから描く。

6、絵の研究をしているから、答えを求めて描く。

7、勉強会をしているから、一緒に描く。

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こんなところでしょうか。

展覧会がなかったら、描いてないかもしれません。

その意味では、私は、会に所属して、会の展覧会に出すのは、描かなければならないように、自分を強制するためです。そうでなければ、描かないで過ぎてしまします。
そんなの関係なく、絵を描くことが好きで好きでたまらないという画家はいいでしょうが、私のようにいろいろなことに興味があり、何でもやってみたくなる人間には、描かなければならない状態を作っておかないと、描かなくなってしまうからです。


人間は、絵を描かなければならない理由なんて、ありませんからね。

ただ、そうするのは、絵を自分のライフワークにして、生きて行きたいなあと思ったからなのです。だから、描かなければならないような、自分を強制するものを設定したのです。
自分で、設定しておきながら、実行できないのは、悔しいものですから。それで、続けてくることができたのです。

絵は、続けることは苦しいですから、やめてしまう人がたくさんいます。

続けることが苦しいというのは、現状維持ではいられないからです。
描くからには、それ以前より良くなりたい。いい絵が描きたいと思います。そうなると、戦いなのです。

今までだって必死に描いて、やっとたどりついたレベルなのに、それを超えなければ我慢ができないのですから、常に、自己最高を求めて戦うスポーツ選手のようです。
スポーツならば、年齢という時期が来ますが、絵は、一生の仕事です。この苦しみと死ぬまで戦うことになるのです。何度やめたいと思ったかしれません。

しかし、上手くいった時の喜びは、また、格別なのです。

意地と根性で戦っているかもしれません。

また、私は、自分の絵を描くだけでなく、指導をすることで、いろいろな絵の研究をしています。生徒さん達は、私の研究の仲間でもあるのです。

構図の研究、テーマの研究、指導の研究なども、行います。

また、美術史を扱って、自分なりの把握の仕方を示したり、遠近法の理論を実際に説明したり、描いて見せるパフォーマンスを映像化したり、さまざまのことをしていますが、それらも、私が絵を描くことの関連です。


私にとって、絵を描く意味は、本当にいろいろあります。

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うまく、言えているかわかりませんが、私にとっては、絵とともに生きるということが、絵を描く意味なのです。

その手段は、実際に絵を描くだけでなく、このように文字を使ったり、映像をつかったりしながらです。本も出版したりです。


21世紀に生きる意味も考えながら、現代の絵画はどうあるべきかと考えることもいいでしょう。時代を生きる意味まで、考えて描いたら先端を生きることになるでしょうね。

その内、そうなるように、やってみます。



7、
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絵を描く意味

2009-07-21 | 美術
サブマリンさんのコメントから

私は画家という立場で絵を描く意味を考えたとき、絵は一つの表現手段だから、自分の表現したい何物かがあって、それが視覚的問題なので、絵を描くということで考えていました。

というのは、表現手段というのは、いろいろあって、ある人は言葉で表現し、ある人は音(音楽)で表現し、ある人は、パフォーマンスで表現すると考えています。

表現したい内容によって、一番ふさわしいと思われる手段を使う。そう考えています。

表現というのは、自分で表したいものがあって、それを誰かに伝えたくてする行為と思っているのです。

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では、なぜ、絵なのか?と問われると、自分の表現したいものが絵で表すものだから。という答えになるのです。
違う言い方をすれば、他の手段では表し難いからかな。

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ただ、サブマリンさんのコメントで考えさせられたのは、私はそれ以前の当り前のことを忘れていたということです。

画家という立場でしか、考えていなかったということです。


絵は、描くだけで楽しいということでした。

楽しいから描く。これでいいじゃないか。と。

その代り、サブマリンさんの言うように、誰かに見せるわけでもなく、認められたいからでもなく、ただ、描くことで、穏やかな気持ちになれるとか、それだけで、楽しいとかいうことで、終わるんですけどね。

それは、別のことで言えば、体操をして体を動かすと気持ちがいいとか、いい汗かいてさわやかだと感じるのと、同じで、絵を描いて気分がいいというような、自己完結型ですけどね。

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将棋の名人に、谷川浩司さんという方がいますが、その谷川さんが、勝負の世界にいて必死で戦っていたとき、将棋の原点を忘れていたと言ったことがあります。
それは、「将棋は本来楽しいものなのだ」ということでした。

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もう一度、原点に立ち返って、やり直そうとおっしゃったのです。
厳しい、勝負の世界にいて、全てを承知してやっていながら、それでも忘れていたこととは、将棋の原点でした。

初心忘るべからずと言いますが、まさにそのことでした。

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実は、私が忘れていたのもそのことでした。
それを、サブマリンさんに教えてもらいました。

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ただ、私は、果たして絵を描くのが好きなのかなと疑問にもつこともあります。
私は、あまり、絵が好きではないのに、この世界に入り込んで、チヤホヤされてしまったために、今この世界に身を置いているのかもしれないと、ふと思う時もあります。

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ただ、「この世界に身を置く」という言葉は好きですね。絵を通じて、知り合ったとても素敵な人たちがたくさんいます。そういう意味では、絵がなければ、出会えなかったすばらしい人たちとの出会いを感謝したいですし、私の人生をすてきなものにしてくれているのは確かなことです。

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まだ、続きます。お風呂に入ってきます。


お風呂の中で考えました。

八代亜紀さんかあ。以前、自宅紹介というような番組で、八代さんの絵を見たことがあります。10号くらいの絵でした。私に言わせると、たいした絵ではありませんでした。しかし、いくらですか?と質問されて、「安いのよ、40万円」とさらっと言ってのけたのには、驚きました。

自分の描いた小さな絵を、40万と言い、それを安いと言ったのです。

私は、この人は金銭感覚が麻痺しているんだなと思いました。

確かに、私のブログで、「絵の値段」のところで書いたように、絵の良し悪しと値段は比例しません。しかし、八代さんの人間性が疑われる言葉でした。

本当のところは、わかりません。忙しい歌手という仕事の中で、せっかくの休日があっても、その時間を絵を描くことに費やしているのだとしたら、すばらしいことだと思いますし、それだけ、絵というものが、八代さんの心を癒せるものになっているのかもしれないのです。決して、絵を描いて儲けようとか考えているわけではないと思うのですが、その発言だけ、がっかりしたことを覚えています。

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本来画家というのは、職業として成り立たないものだとも、思います。
だから、貧乏なのです。

その理由は、自分で気に入った作品でなければ、売りたくありません。
世間に出たとき、これがあの画家が描いた絵だと言われます。その作品が気に食わなければ、そう言われたくないのです。
しかし、気に入った絵は手放したくありません。だから、売らないのです。

そうなると、絵をお金にすることはできません。だから、貧乏なのです。

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私の師匠は、絵を売るときは、娘を嫁に出すようだと言ったそうです。そのくらい大切な手放したくないものだと。

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そろそろ、絵を描く意味を書かなければですね。

絵は、描きたいから描くでいいと思います。

絵を描くことには、いろいろな喜びがあるからです。

1、真っ白な紙に、線を描くといろいろな形が現れます。それだけで、楽しいです。

2、文字と違って、自由にどんな形でも描けます。

3、形が閉じたり、離れたり、一つの形に対して、別の形が並べられたとき、出てくるイメージも楽しいです。

4、上下、左右にいろいろ形を描くと、バランスが出てきたり、アンバランスになったりして、楽しいです。

5、それに色が加わると、色の喜びがあります。

6、いろいろな物を描いて、ただの紙と鉛筆なのに、動物に見えたり、自動車に見えたり、いろいろなものに見えることも楽しいです。

7、見えるとおりに、そっくりにかけることも喜びです。

8、似顔絵で、その人に似てくると、笑っちゃいます。

9、描き込むと、充実した感じがします。

10、苦労して、完成させる喜びがあります。

11、出来上がった絵を、額に入れてみると、描いた時より、良く見えて楽しいです。馬子にも衣装ということかな。

12、それを誰かに見せたいという気持ちもいいものです。

13、褒められたら、うれしいです。

14、壁に飾ってみると、もっと素敵に見えたりします。

15、展覧会に出して、入選したら、うれしいです。

16、見ず知らずの人が、その絵の感想を言ってくれることがあって、それも何ていわれるかで、緊張したり、よろこんだり、がっかりすることもありますが、その反応を見ることも、喜びの一つです。

17、絵を通じて、同じ趣味を持つ人と、友達になったり、知り合いになったり、ということが、うれしいです。

18、場合によると、私の絵に次回の作品を楽しみにしてくださる人が現れたりします。

もっと、もっと、いろいろな喜びがあるでしょう。

自分が極めて、個人的に勝手に描いた絵について、これだけの楽しみがついています。

絵には、いろいろな喜びがあるんですね。

難しいことを考えなくても、これだけのよろこびがあります。
だから、好きだから描くでいいんじゃないのかな。

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私のように、画家として、人生をかけて絵を描くという場合には、もう一つ上の絵を描く意味がなければならないでしょうが。

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一つ、忘れました。

フランダーズの犬のラストシーンは、ルーベンスの絵があったことだけ、覚えています。何かで見ましたが、ストーリーもわかりません。
すみません。











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もしかして、奇跡?

2009-07-21 | 日記
いま、私の体の中で、奇跡がおこるかもしれないという予感がしています。

しびれていた足に感覚が戻って来ました。

今回のステロイドの治療が効果をあげているのかもしれません。

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今回の目的は、甲状腺からくる目の炎症を取ることが目的で、行われました。

目の周りの筋肉が炎症を起こしていて、腫れているため、眼の動きが制限されて、
複視という状態が起こっているというもので、炎症を治せば、それが改善されるという説明を受けて、入院しました。
大量のステロイドを使うので、点滴で行い、その後は、飲み薬に切り替えるというものでした。
そのため、退院した今も、飲み続けています。

目的は、眼のためでしたが、それが、足のしびれを取り除き、感覚が戻ってきたので、驚いています。もしかして、この治療を続けていけば、足が治るのではないかと希望が出てきました。

私は、糖尿があるため、ステロイドは使えないと言われていましたが、インシュリンを使って、コントロールしながらやれば、やれるということで、今回は、内科での入院でした。

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車いすになって、丸4年が経過して、足の状態は時間と共に悪くなり、このまま動けなくなるのを待つのかなという気持ちでいましたが、少しでも良くなる方向へ動くと、希望が膨らんで来ます。

今日は、リハビリに行ったら、先生から、「ずいぶん足の動きが柔らかくなりましたね」と言われました。
筋力トレーニングをしても、いつもの20キロがあまりに軽くて驚きました。
足先に命令が届くので、力が入るのです。

また、いつもの脈拍は、90を超えていて、100近いときもあるのに、前回が74で、今日は81でした。これは、甲状腺からくるのだと思いますが、ステロイドは甲状腺にも効果があるのでしょうか。

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私の足の麻痺は、MRI検査をしても、原因らしいことが見つからず、糖尿からくる末端神経障害と診断されました。それ以外わからないからです。

しかし、糖尿の値は、ヘモグロビンA1Cが、7.6くらいで、インシュリンを使っている人から比べたら、酷い値ではありません。だから、糖尿からこんな状態になるだろうかと思い、別の難しい病気ではないかと心配していたのです。

そのことは、まだ、全然わかりませんが、今回の結果を見ると、ステロイドが効果を上げるのではないかという気持ちにさせられました。

なぜなら、本当にしびれていた足の感覚が戻ったのです。

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素人の勝手な推測で話すと、私の足は、腰に原因があって、神経を圧迫している。
MRIでは、わからないほどの炎症があり、それが神経を遮断していたけれど、今回のステロイドがその炎症を治してくれている。そのため、神経が戻ってきた。

だから、痺れがとれた。

のではないかと、想像しています。
いままで、力がないのではなく、命令が届いていなかったのです。
だから、力を入れてと言われても、入らなかったのです。

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このステロイドの治療は、どのくらいやって良いものなのか、わかりませんが、今回の治療で、ここまで良くなるなら、それを続けることができるなら、何回か繰り返せば、治るのではないかと勝手な夢を描いています。

奇跡よ、起こってくれーーーーー!!!と祈りたいです。

治ったら、卒業生のみなさん、また、一緒にヨーロッパに行こうね。
私がガイドで。


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