高校時代の話をします。
私は、デッサンが下手でした。
美大受験には、デッサンが必要で、そのためには適当な取り組みでは済まない事を知り、専門に勉強をしなければならないということで、美術室でデッサンをやらせてもらうことになりました。
美術部に入るつもりもなく、デッサンだけをやりに通いましたが、いつの間にか美術部員の扱いを受けるようになり、卒業の時は、立派な美術部員になっていました。
しかし、デッサンというのは、なんでこんなに難しいのだろうとつくづく思いました。上手くならないまま、一年半が経過して、受験を迎えてしまいました。
卒業した先輩にデッサンを見てもらったとき、先輩がこう言いました。
「菅野君、デッサンは枚数だからたくさん描けば上手くなるのよ、頑張ってね」
でした。
おいおい、本当かよ、たくさん描いたって上手くなりそうもないぞ、下手な私を慰めようと思って、言ってくれたのかなとその時は思いました。
そのくらい、下手でした。
しかし、私はよく嫌にならなかったなあと思います。いや、嫌になったのです。だから、いつもだらだらしていました。本気になってなかったのです。
言いかえれば、甘かった。
本気になれば、もっとやり方があったはずです。バスケットならこんなときどうするということを経験していたのに、それをしませんでした。絵は違うと思っていたのです。
ですから、誰かが言った、「描けない人の気持は、描ける人にはわからない」というのも、そのとき経験しました。
しかし、そんな私でも、やはり、上手くなりたいのです。それにはどうすればいいのか、本気で悩みました。
描いては、美術室の後ろの壁に貼ってある卒業生のデッサンと比べて、勝負をしていました。今度はどうだと思って持って行くのですが、やはり、どうにも比べものになりません。同じ人間が描いたのに、どうしてこんなに違うのか。
天才画家が描いたのなら負けてもしょうがないと思いますが、身近にいる一つか二つ上の先輩が描いたのですから、俺にだって描けないわけがないと思いました。でもダメでした。
そうして、二年間が過ぎました。私は、同級生と比べても下手で、人生の中で、こんなに負けたまま屈辱感でいたことはありません。それまでの私は何をやっても誰にも負ける気がしないほど、いろいろな面で成長が早かったのです。
だから、よく我慢したなあと思います。
ーーーーーーーーーー
それが、突如として上手くなります。それは、予備校へ冬季講習に通ったときでした。いままで、悶々としていたことが一気に爆発するかのように、やり方がわかったのです。
これは、目から鱗というのでしょうか。
初心者コースでしたが、コンクールで一位になりました。
予備校の一位ですから、ちょっとうれしかったですよ。
でも、考えてみると、ぜんぜんダメなのに、我慢した二年半があったから、この爆発があったのです。
岡本太郎の爆発とは違うかもしれませんが、私の爆発はこのように現れました。
じっと我慢していると、いつかこの爆発がやってくるという経験をしました。
駄目だと思っていたことが、駄目じゃなかった、それまでの上手くいかない日々の経験がそれまでバラバラだったのが、全部つながったような感じでした。
だから、予備校へ行けば上手くなるのではないのです。それまでの経験がつながったのが、このときだったのです。
私は、先生から意外なことを言われました。
「お前は、今までの美術部員の中では、二番目に上手い」と。
「ただ、一人だけその上にいるけどな」
ということでした。
一番ダメな私が、この美術部の歴史の中で二番だとは、思いもかけない言葉に、有頂天になったのは、言うまでもありません。
デッサンは枚数です。先輩が言ってくれた言葉は、本当でした。
本気で描いて、たくさん描けば必ず上手になります。
だから、騙されたと思ってやってみてほしいですね。
はやく、上手くなるには、環境が大切です。
それについては、ピカソがライバルで書きました。興味のある方は、ご覧になってください。
私は、デッサンが下手でした。
美大受験には、デッサンが必要で、そのためには適当な取り組みでは済まない事を知り、専門に勉強をしなければならないということで、美術室でデッサンをやらせてもらうことになりました。
美術部に入るつもりもなく、デッサンだけをやりに通いましたが、いつの間にか美術部員の扱いを受けるようになり、卒業の時は、立派な美術部員になっていました。
しかし、デッサンというのは、なんでこんなに難しいのだろうとつくづく思いました。上手くならないまま、一年半が経過して、受験を迎えてしまいました。
卒業した先輩にデッサンを見てもらったとき、先輩がこう言いました。
「菅野君、デッサンは枚数だからたくさん描けば上手くなるのよ、頑張ってね」
でした。
おいおい、本当かよ、たくさん描いたって上手くなりそうもないぞ、下手な私を慰めようと思って、言ってくれたのかなとその時は思いました。
そのくらい、下手でした。
しかし、私はよく嫌にならなかったなあと思います。いや、嫌になったのです。だから、いつもだらだらしていました。本気になってなかったのです。
言いかえれば、甘かった。
本気になれば、もっとやり方があったはずです。バスケットならこんなときどうするということを経験していたのに、それをしませんでした。絵は違うと思っていたのです。
ですから、誰かが言った、「描けない人の気持は、描ける人にはわからない」というのも、そのとき経験しました。
しかし、そんな私でも、やはり、上手くなりたいのです。それにはどうすればいいのか、本気で悩みました。
描いては、美術室の後ろの壁に貼ってある卒業生のデッサンと比べて、勝負をしていました。今度はどうだと思って持って行くのですが、やはり、どうにも比べものになりません。同じ人間が描いたのに、どうしてこんなに違うのか。
天才画家が描いたのなら負けてもしょうがないと思いますが、身近にいる一つか二つ上の先輩が描いたのですから、俺にだって描けないわけがないと思いました。でもダメでした。
そうして、二年間が過ぎました。私は、同級生と比べても下手で、人生の中で、こんなに負けたまま屈辱感でいたことはありません。それまでの私は何をやっても誰にも負ける気がしないほど、いろいろな面で成長が早かったのです。
だから、よく我慢したなあと思います。
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それが、突如として上手くなります。それは、予備校へ冬季講習に通ったときでした。いままで、悶々としていたことが一気に爆発するかのように、やり方がわかったのです。
これは、目から鱗というのでしょうか。
初心者コースでしたが、コンクールで一位になりました。
予備校の一位ですから、ちょっとうれしかったですよ。
でも、考えてみると、ぜんぜんダメなのに、我慢した二年半があったから、この爆発があったのです。
岡本太郎の爆発とは違うかもしれませんが、私の爆発はこのように現れました。
じっと我慢していると、いつかこの爆発がやってくるという経験をしました。
駄目だと思っていたことが、駄目じゃなかった、それまでの上手くいかない日々の経験がそれまでバラバラだったのが、全部つながったような感じでした。
だから、予備校へ行けば上手くなるのではないのです。それまでの経験がつながったのが、このときだったのです。
私は、先生から意外なことを言われました。
「お前は、今までの美術部員の中では、二番目に上手い」と。
「ただ、一人だけその上にいるけどな」
ということでした。
一番ダメな私が、この美術部の歴史の中で二番だとは、思いもかけない言葉に、有頂天になったのは、言うまでもありません。
デッサンは枚数です。先輩が言ってくれた言葉は、本当でした。
本気で描いて、たくさん描けば必ず上手になります。
だから、騙されたと思ってやってみてほしいですね。
はやく、上手くなるには、環境が大切です。
それについては、ピカソがライバルで書きました。興味のある方は、ご覧になってください。