絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

麓原展 (上里展)最終日

2010-02-07 | 展覧会
今日が麓原展(上里展)最終日です。

この展覧会(上里展)は、秋の公募展以外の展覧会なので、会員会友だけで行なうという説明をしました。会場も狭いので、一人1点です。しかも10号以内の人がほとんどです。だから、小品展という場合もあります。

今朝、父から昔の麓原会の小品展について思い出話を聞きました。

この会は古川弘先生という日本でも有名な画家がいて、本庄に文化の灯をともせというような感じで、絵の指導をしてくれました。その影響で、本庄児玉は絵が盛んになり、多くのすごい画家を生み出して、今日に至っています。

その昔の麓原展ですが、まだ、始めたばかりだったので、私の父などは20代前半だったそうですが、本庄児玉の人たちに見てもらうのに、東京の白日会という会の偉い先生の絵を借りて来て、一緒に展示をしたのだそうです。せっかく見てもらうのだから、そうしたトップレベルの方たちの絵を見てもらう方がよいと古川先生が考えたのだろうと思います。

古川先生は、その有名な先生方に手紙を書いて、麓原会のメンバーに持たせ、絵を貸してもらいに行かせたそうです。今なら、郵送ということかもしれませんが、その当時は大切な絵をお借りするのだからと直接その先生方の家を訪ねてお借りしてきたと聞きました。

また、その絵を借りて来たということは、万が一盗難にあっては大変なので、会員は交代で、会場に泊まり込んで、絵の見張り番をしたと聞きました。

本庄市民に良い絵を見てもらうということは、こうした気配りが必要だったのです。

また、そうした先生たちには、その期間に本庄まで来ていただき、宿泊していただいたとも聞きました。

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父は、まだ絵を始めて何年でもなかったのでしょうが、古川先生が「菅野君、せっかくだから中沢先生の顔を描かせてもらいなさい」と言ったそうです。父は、とんでもないと断ったらしいのですが、中沢先生も「僕の顔を描いてください」と顔を差し出すようにしたので、しかたなく描いたそうです。それを描き終えて先生に見せたら、「なかなかいい」と言ってくれたというのです。

その中沢先生とは、中沢弘光先生です。父は後で考えると大変なことだったと言いました。
日本一の先生の顔を描いたということ。しかもその先生が描いてくださいと言ったということ、その出来事は、父にとっては、大変な思い出になりました。

その絵は、鉛筆デッサンですが、いまでもその旅館にあるそうです。旅館の主人が描いているところを見ていたのか、欲しがったので、その場であげたと言っていました。

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交通費や宿泊費は、おそらくこちらで出したのでしょう。古川先生が負担したのかもしれません。しかし、この麓原展の思い出としては、すごいエピソードがあるんですね。

この話は、初めて聞きました。

コメント
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