絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

KSさんの県展制作

2013-04-27 | 県展指導
KSさんが、久しぶりに見せてくれました。
この絵は、帽子がしっかり描けないと絵にならないと言いましたら、
このようにかいてくれました。



しっかり描いてくれました。
しかし、周りの物と、表現がかけ離れています。

周りは、印象派風の表現です。
どちらに合わせるか考えなければなりません。

また、左の階段がどうもうまく溶け込んでいません。
無くしてしまいましょうかと話しました。

帽子の左上辺りが、さびしい気がします。
影の中に何かあるように感じさせることも必要かと思います。

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ESさんの県展制作

2013-04-27 | 県展指導
ESさんが絵を見せてくれました。



かなり、完成に近づきました。
色塗りに入ってから、見せてくれるのは、これが二回目です。

全体としては、やや潤いが足りない気がします。
木の質感が、紙っぽいのです。
それを解決するには、やはり描き込みです。細部まで描こうとすると、
それにつれて出てきます。影の色に、緑と茶を加えてみたらどうでしょうか?と言いました。
緑の葉も、まだ紙のようです。背景の上が気持ちが抜けています。
描きっぱなしという感じです。一番上の方にも、具体的な葉のようなものをほんの少し加えたら良いでしょう。


また、メインの木の切り口がのっぺらぼうに感じます。
それで、割れ目や穴を加えたらどうでしょうかと、アドバイスしました。

例えばで描いて見せました。

 

こんな感じにすると、目玉ができた気がします。


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寄居のTHさん、県展制作

2013-04-26 | 県展指導
寄居の保泉さんが、描き進めて見せてくれました。



かなり進みました。
右下の枯草が、平面的で、色も見えすぎです。

左の大きな木の間が空間が抜けすぎているかなと思います。
もう少し、枝を足して、埋めた方がいいでしょう。

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高校時代の思い出 13

2013-04-26 | 思い出
本庄高校は、昼休みになると、外へ食べに出かける生徒がたくさんいました。

だるま食堂というのがあって、私も何度か行ったことがあります。
面白いのは、その食堂は本庄高校の生徒が来ることを想定しているお店でした。
メニューの中に、本高ラーメンというものがありました。
少し量が少なめだったかなとも思いますが、安いのです。
詳しく聞かなかったから定かではありませんが、本庄高校の生徒でないと注文できないものだったような気がします。
我々は、それだけではちょっと物足りないので、一緒にカレーも食べました。半カレーというメニューで、カレーの半分盛りです。
合わせて、180円くらいだったような気がします。

また、ちょっと距離がありましたが、本高通りを北に歩いて、高崎線の線路を渡るとすぐに石井のたい焼き屋というのがありました。
そこは、たい焼き屋ですが、焼きそばがおいしいので、たい焼きを一つ頼んで、食べながら焼きそばができるのを待つのです。
また、時にはところてんを頼んで食べました。

どちらのお店も、お昼時は本高生で一杯でした。

この外へ食べに行くということは良くないということで、学校から昼休み外出禁止令が出されたことがありました。
生徒たちは、一週間くらいはそれを守りました。しかし、その後は、徐々にまた出ていく生徒がチラホラ現れ、先生たちの様子を見ると
何も言わないことがわかり、大丈夫だという判断がくだされると、またみんな外へ食べに行くようになりました。

あの外出禁止令は何だったのかなと思いました。
何をやるにも、やるからには徹底しないとダメだなと思います。
教師の取り組みとして、だめな部分を学ばせてもらった一コマです。

ーーーーーーーーーー
本庄高校は、ある意味とても自由な学校でした。
この教師集団の甘さも、その一つなのでしょう。

なぜなら、取り締まれなかった理由の一つが、学校が終わりの時間にならなくても帰ってしまう生徒がたくさんいたからです。
例えば一つ自習があると、6時間目の先生が空いていないか聞きに行きます。もし空いていたらその自習時間に授業をやってもらうのです。
そうすると、5時間目が終わったところで帰れます。もし、そのパターンが二つあれば、4時間が終わったところで帰れます。だから、昼休みに出かけるどころか、昼休みで帰ってしまうのです。外へ食べに出かけるのを禁止するどころではありません。

また、サボって帰る生徒もいました。一番面白かったのは、自分の出席回数をメモしている生徒がいたことです。
出席は三分の二出ればいい。それ以上だと、評価不能になる。だから、この授業はもう休めないとか何とか言っていました。
一つ上の学年でしたが、私はそんなものか、まるで大学みたいだなと思いました。

あの頃、終礼というものは、どうだったのでしょう。やった記憶もありますが、やらなかったから帰れたのかなという気もします。

ただ、最後に一言付け加えたいのは、今述べたことが本高生全員にあてはまることではありません。
ほとんどの生徒は真面目な生徒で、昼休みに外へ出ることもなく、6時間目が終わるまでは学校にいて、教室に残って放課後勉強している生徒もいてという状況でした。
もちろん、私は部活がありましたから、帰るはずがありません。



つづく









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高校時代の思い出 12

2013-04-25 | 思い出
先輩がなぜ練習に出てこなくなったのか、詳しい理由がわかりません。

ただ、覚えているのは、二年と一年で勝負してみようかと言われたことです。
一年生のチームは、私と宿命のライバルと紹介している本庄西中出身のキャプテンのO君と副キャプテンのN君。
それと、県大会優勝経験のある荒川中出身のM君。そして、背の高い本庄東中出身のM君です。
かなり力のあるメンバーです。
それに対して、先輩たちは、中学時代本庄西中で夏の県大会で優勝したメンバー4人ともう一人です。
かなり、いい勝負にはなると思いましたが、やってみたら一年生が勝ってしまいました。

その後から、出てこなくなりました。一年に負けるようじゃしょうがないと思ったのか、後は任せたという感じでした。

そういえば、この部活に入ってから、3年生の記憶がありません。
やはり、2年生が1年のときに、先輩を負かしてしまったことで、先輩が出てこなくなったと聞いたような気がします。

変な伝統ができてしまったのかもしれません。
2年生の先輩たちは、県大会優勝経験者ですから、先輩たちを負かしてしまうのもわかる気がします。
しかし、その強い先輩たちに我々が勝てるとは思いませんでした。

これは、もしかすると仕組まれたことなのかと後で思いました。
ただ、その時は、私は実力で勝ったと思っていました。
なぜなら、私が自信があったからです。自分のプレーにうぬぼれていました。

前回もお話しした通り、私は絶好調で、相手チームからボックスワンをされたほどです。
それは、このチームで一番の選手だと認められたことでもあったのです。

ーーーーーーーーーー
それ以降、私たちは1年生チームとして、試合に出ました。
私は、絶好調で、スター選手の如く得点を重ねました。
1試合で、38点も一人で取ったことがあります。相手チームが私の存在を知らないために、私は思う存分動き回りました。

その時は、女子のマネージャーができていました。
どういう経緯でその二人のマネージャーが入ったのかわかりませんが、
その子たちの、「キャー、かっこいい!!」という黄色い声に乗せられて、私は余計に調子づきました。

ーーーーーーーーー
あるとき、本庄市の大会がありました。それは、高校の試合ではなく、社会人チームと対戦するものでした。
本庄には、会社とか、市のチームとかがあったようです。
そこでも、私はものすごい活躍をしました。打つシュートが悉く入りました。
あまりに、シュートが入るので、途中から相手チームが本気になり、
一人の選手が私に付きました。

その人は、後で聞いたことですが、国体選手でした。埼玉県代表の選手だそうです。
その人の、ディフェンスはすごかったです。

「よーし、このやろう」と言って私に自由にやらせないぞと向かってきました。攻撃的なディフェンスです。

私が一番驚いたのは、その人の本格的なディフェンスでした。
その後、私はかなり封じ込められました。

その一つに、私はバスケットを始めて以来、初めてのチャージングというものを経験しました。
チャージングとは、攻撃をしている側の反則です。

私は、完全に相手を振り切ってシュートに持ち込んだつもりでした。しかし、ハッと気づいたら、
その人の胸にまっすぐ向かって突っ込んでいました。
なに??と思いました。

私が動くコースをしっかり読んで、その真正面に正対して、無抵抗のまま真っ直ぐ後ろに倒れたのです。
私は、まるで、その人の胸を正面から踏みつけるような格好になったのです。
これには驚きました。今なら、それがすばらしいディフェンスだとわかります。NBAを見ていると何度も出てくるからです。
しかし、初めての私はそれがわからず、まるで騙されたような、嵌められたような気がしました。

うまいディフェンスとはこういうのを言うんだなと思い知らされた感じでした。

これが、1年生チームとして戦った一番強烈な思い出になりました。

つづく















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