古友の巻紙手紙に添えられた「ざびえる」
箱の意匠がなかなかに個性的
CASIO EXILIM EX-Z850
詩吟についてのカテゴリーをどこにしようかまよった。、
漢詩に節をつけて吟じるのが詩吟なら迷うことなく本と音楽だ。
この迷うってところが「詩吟」のレアなところなんだね。
初めて詩吟を聴いたのは結婚式の余興だった。
およそ芸能とは縁遠いと思われた軟派な友人が、黒紋付の正装で
吟ずる「四海波(高砂)」の一声にザワついた会場が静まり返った。
四海波(しかいなみ) 作:本宮三香(もとみやさんこう)
四海波静にして瑞色披 しかいなみしずかにしてずいしょくひらく
相生の松は茂りて枝を鳴らさず あいおいのまつはしげりてえだをならさず
高砂の一曲喜び極まり無し たかさごのいっきょくよろこびきわまりなし
契りは固三三九度の盃 ちぎりはかたしさんさんくどのさかずき
「芸」のチカラってすごいなあ
まじで感動した。
漢詩自体は書道の手本としてよく書いてるし、
もともと好きな分野なので違和感はないけど、
肝心な唄が、からっきしダメ。
CD聴きながら練習しても、なにせ音符がない。
レ点というか、符丁というか、そんなシルシ見ても唄えねえよ!
口伝(くでん)芸能の独学は難しい。
代表的な漢詩・詩歌・詩吟があるサイト
漢詩・詩吟へ散歩しましょう
今はこの2曲を練習している。
人前で披露できるまで10年はかかりそう。
川中島(かわなかじま) 作:頼山陽(らい さんよう)
鞭聲肅肅夜河を過る べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる
曉に見る千兵の大牙を擁するを あかつきにみるせんぺいのたいがをようするを
遺恨なり十年一劍を磨き いこんなりじゅうねんいっけんをみがき
流星光底長蛇を逸す りゅうせいこうていちょうだをいっす
山中問答(さんちゅうもんどう) 作:李白(りはく)
余に問う何の意ぞ碧山に栖むと よにとうなんのいぞへきざんにすむと
笑って答えず心自ずから閑なり わらってこたえずこころおのずからかんなり
桃花流水杳然として去り とうかりゅうすいようぜんとしてさり
別に天地の人に非ざる有り べつにてんちのじんかんにあらざるあり
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今いちばんの憧れは、
人のいない山にこもりたい
画材と句帳をもって放浪の旅にでたいとか
十五の心そのままに夢は憧れに変ってゆく
自分の中の憧れは非現実的なもの
いくら努力したってできないことが憧れ。
詩吟「四海波」(和歌入り)本宮三香
川中島 吟詠
詩吟「山中問答」李白
物心ついた時から日本髪を結い、着物姿が似合う母でした。
母は、私が小学3年生位の頃から 謡い始めた。
毎朝、吟じる母の声で目が覚め、
そのうち、私も富士山を習ったりしていた。
年数が経ち、母は詩吟の先生となり、お弟子さんを沢山持つようになった。
母は居合いも上手かった。
そうして母は詩吟の全国大会で3位になった。
レコード会社が来て、母の吟はカセットテープになり売り出された。
70が過ぎ、
母は肺癌で倒れて、日本髪をやめた。
倒れてから4年、
父にいつも感謝をしながら母は逝きました。
母の形見はカセットテープ
母の詩吟の声が入っている。
いつでも母の声が聴けちゃうなんて
あたしって 幸せなのです。
川中島
べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる
べんせい~しゅくしゅくぅぅ~よる、かわを~ぉぉ~わたるう~う、う
>レ点というか、符丁というか、そんなシルシ見ても唄えねえよ!
そうなんだよね。母のにも レやら、伸ばしやら
なんやら書き込んであった^^
あんなんみても 唄えねえよ 笑
川中島はねえ、すごく覚えてる~
吟の中で一番に覚えてる^^
母がうたっていた中で一番耳に残っているのが
この川中島なのよね
さあ、練習、練習 がんばれー
うちは祖父と父が(今で云う)国交省の技師で母は専業主婦で
叔母と叔父は教師というヘンに堅苦しい家で幼い頃の自分は
一人だけ、はみだしっ子だった。
一人くらい芸道に優れた者がいてもいいのにとおも、
だから唄がヘタなんだな、DNAのせいにしとくよ。
川中島は親戚の爺さまがよく吟じていた。
♪べんせいしゅくしゅく~が耳に残っていて、詩吟に興味を持ったときに
真っ先に覚えようと思った。
全国大会3位も誰にもできる芸当じゃないから自慢の母だね。
りいさんもやればいいのに、血は争えないって云われるかも。
なんか楽しみが増えた感じがする。
がんばるよ。