73年の時を越えて佇む広島原爆ドーム。
2018/4/16の15:59:05にRX100初代で撮影しました。
夕暮れが迫る平和記念公園の敷地から対岸の原爆ドームを見た。
1994年米国ピューリッツア賞(Pulitzer Prize)写真部門を受賞した
「ハゲワシと少女」を見たときの涙腺崩壊とは違う静謐な悲しみと
やり場のない無念を感じた。
この場所で灼熱の放射能を浴び一瞬で肉体を失くした魂は
自分が死んだことすら分からず今も無明の常夜を彷徨って
いるのではないか...。
今の泰平の世に暮らしていても忘れてはいけない事がある。
たくさんの思いと一緒にシャッターを押した。
一度シャッター音を聞いたらもういいような気がして、
自然のままに長い黙祷を捧げた。
印象に残る写真とは、
良く撮れたとか、きれいな写真ではなく、
記憶に留まる写真、何度でも見たくなる写真、
ぼくに何かを伝えてくれる写真のこと。
こころの重いときはじっと見る
自分のちっぽけな悲哀や落胆など
軽くすっ飛ばしてくれる寂寥感に
なぜだかほっとする。
2019/01/8 追記
自分的には悲壮なシュプレヒコールより清志郎がしっくりくる。
おれと彼はタメ歳なんよw
いいやつばかりが先に逝く、どうでもいいのが残される。
清志郎絶頂期のこの唄が一時は放送禁止になった。
政府の風潮に媚びるTVなんぞクソくらえ!
不見識を晒して同調するマスコミも同罪。
ピート・シーガー「Where Have All The Flowers Gone?」
ジョーンバエズ、ボブ・ディラン、ピーター・ポール&マリー
彼等の唄を聴いて育った世代だよ、ぼくたちは。
原子力は要らねえ!電力は余ってる!忌野清志郎 サマータイム・ブルース
さだまさしの「女郎花」の歌詞に「夾竹桃の花は 紅い花 私の涙は 銀の鈴・・・」とあります。
原爆ドームがいろいろなimaginatioを思い起こさせてくれるように、夾竹桃という言葉にも
思いを馳せました。
あまりのショックにしばらくの間は、とても辛くて眠れませんでした
それでも、やはり原爆の恐ろしさは人類に知らしめるべき事だと思いますね
原爆や戦争は遥か遠くになりにけりの印象かな。
戦中戦後の親を持つぼくらにしても平和ボケしてるしね。
吉永小百合さんの朗読に涙するうちはまだましかも。
まじめに書くと
米国・仏国・中国などは核実験により多大な人的被害を出しているが、
自国の核被害には固く口を閉ざしている。
自国の核は保持する、だけど他国の核は許さないの身勝手がまかり
通るうちは、北朝鮮のような無法国家があっても不思議はない、
全世界規模の刻廃絶をしない限り第2の被爆国が出るやもしれぬ。
戦争における被爆国は世界で唯一の日本国。
日本が核廃絶に向けて不断に訴えるのは被爆国としての義務だと思う。
たとえ大河の一滴であろうと。