睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

井上陽水ライブ(1992年と1980年)とリバーサイドホテル

2022-09-01 04:16:48 | 唄は世につれ風まかせ



陽水最盛期の声は誰にもまねができない。
メリハリのある高音は音圧が高くて艶っぽい
どこか妖艶でエロい陽水がいい、
このころのとんがった陽水が好きなんだ。

バックで演奏するギタリストは今剛に松原正樹(故)
どちらも日本屈指のギタリストで松原氏は2016年に
惜しくもこの世を去った。(61歳没)

ところどころに二人のソロパートあり
最高峰のツインギターをバックに唄う井上陽水は
もう二度と見られない。


リバーサイドホテル 1992 SPARKLING BLUE (日本武道館)  3:52

誰も知らない夜明けが明けた時
町の角からステキなバスが出る
若い二人は夢中になれるから
狭いシートに隠れて旅に出る
昼間のうちに何度もKissをして
行く先をたずねるのにつかれはて
日暮れにバスも
タイヤをすりへらし
そこで二人はネオンの字を読んだ
※ホテルはリバーサイド
川沿いリバーサイド
食事もリバーサイド
oh- リバーサイド

チェックインなら寝顔を見せるだけ
部屋のドアは金属のメタルで
シャレたテレビの
プラグはぬいてあり
二人きりでも気持ちは交い合う
ベッドの中で魚になったあと
川に浮かんだプールでひと泳ぎ
どうせ二人は途中でやめるから
夜の長さを何度も味わえる
※印くりかえし

ホテルはリバーサイド
水辺のリバーサイド
レジャーもリバーサイド
oh- リバーサイド
リバーサイド リバーサイド


SPARKLING BLUEは1990年と1992年の2本がUPされている。
陽水の衣装がどちらも赤シャツ+白パンツなので混同しがちだが
1992年は赤シャツの下に白いTシャツと金色のネックレスをつけ
1990年は赤シャツの下は何も着ていない。

ライブとしては1990年は少し粗削りの感があるので
1992年とのmixは避けたい。1992年はいい感じ(私見)



動画のタイトルは[207井上陽水]
中身は、井上陽水 1992 SPARKLING BLUE(日本武道館)2:30:02


サポートメンバー
ドラム:山木秀夫、ギター:今剛&松原正樹、ベース:美久月千晴、
パーカッション:浜口茂外也、キーボードピアニスト:佐藤準
キーボードシンセサイザー:川島裕二BaNaNa

セットリスト
傘がない、氷の世界、暑い夜、ライバル、ジャスト・フィット
ワインレッドの心、背中まで45分、ジェラシー、フィクション
Speedy Night、東京、東へ西へ、いつのまにか少女は、心もよう
帰れない二人、海へ来なさい、いっそセレナーデ、最後のニュース
招待状のないショー、リバーサイドホテル、飾りじゃないのよ涙は
Every Night、クレージー・ラブ、少年時代、終了
アンコール:Happy Birthday、夢の中へ、新しいラプソディー



懐かしく穏やかな陽水が好みの方はこちらを
「FM Fanスーパーライブ ザ・陽水」 東京厚生年金会館 '1980  1:25:38
(映像なし音源のみ)


サポートメンバー
アコースティックギター:吉川忠英
左キーボード:井上鑑、右キーボード:中西康晴

セットリスト
氷の世界、もしも明日が晴れたら、帰郷、白い船、ゼンマイじかけのかぶと虫、
子供への唄、白い一日、青空ひとりきり、傘がない、夢の中へ、Flight、
帰れない二人、感謝しらずの女、闇夜の国から、小春おばさん、心もよう、
結詞、クレージーラブ、招待状のないショー、眠りにさそわれて



今夜はここまでにしとこうか
追加はまたあとで
おやすみ



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12 コメント

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Unknown (pitanuki)
2022-09-01 10:24:16
おはようございます
なんだか、昭和の時代のミュージシャンの、レベルの高さに驚くばかりです
バックのメンバーの豪華さも(笑)

歌唱力も素晴らしい
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こころの発露 (睡蓮)
2022-09-01 10:55:22
1960年代に生まれたフォークソングをベースに彼等は
歌い手・楽器・プロデュースなど各方面に分かれていくが、
根っこはひとつ、時代を築いたミュージシャンたちと思う。
とくにスタジオミュージシャンで鍛えられた彼らの演奏は
それだけで(歌い手がいなくても)ゼニは取れるが、
今はまだ一部のコアなファンに限られている。

松原正樹さんの生前はヤマハ音楽学院関連だったから
ぴーさんのヤマハルートで昔話がきけると思うよ。
同業としてシンセの川島裕二BaNaNaはどお?
彼は目立ちたがり屋なので音を交えて少々ウザい(笑)

SPARKLING BLUEライブはCD/DVDが発売されていない、
キラ星の如き達人メンバーなのに惜しくてたまらない。
まだYouTubeに残っているだけありがたい。

ビートに目覚めた陽水がやりたかった自己満ライブだけど、
多面性を持つアーチスト井上陽水のこころの発露をここに
残したいと思った。
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Unknown (pitanuki)
2022-09-01 11:49:19
そうなんでか?(笑)
でも、音にこだわる人達はウザいの当たり前かも(笑)ぴーもウザいので自分の理想の音にうんちくしてる時間が楽しいのかもです

ぴーさんも思う今はカリスマ性があるのか?ないのか?凄い早い速度で移り変わる音楽性

一線で、長期に渡り活躍されてる方々は、やはりカリスマで、プロフェッショナル
返信する
神業アーチスト (睡蓮)
2022-09-01 12:06:52
音楽もITに支配されそうに感じるけど、大丈夫、
人間には神の手が授けられている。
いくらITが発達してデジタルサウンドが蔓延しても
先達やぴーさんみたいに自分の音を突き詰めていく人が
いる限り、ITでも神業アーチストには敵わない。

そこまでいくのが大変だよね、
巷に隠れているMusicianたちガンバレ、
ウザくていいからぴーさんもガンバレ(笑)
返信する
Unknown (yozanema-126)
2022-09-01 12:59:34
こんにちは。
良い企画をありがとうございます。
私が陽水を聴いたのは1970年代なので、こういう分け方が正しいのかわかりませんが、コンサートで、陽水は椅子に腰掛けて歌い、ギター、ハーモニカで伴奏していた時代です。
陽水が
ステージで腰掛けて歌うのと、立って歌うのとでは、
何か大きな変化なのだも思うのですが、その違いを説明する力が私にはありません。
私にとっては
70年代の曲は染み付いていますが
その先の陽水も好きです。
時間があれば、
60歳、70歳の陽水も聴きたいな、と思いました。
今回、聴かせていただき、
今の陽水のコンサートも行ってみたいな、とはじめて思いました。
返信する
Unknown (睡蓮)
2022-09-01 14:05:44
このころの長渕剛はロン毛に華奢なヤサ男でアコギ1本で
唄っていたし、拓郎はアフロにハチマキで突っ張っていた。
山崎ハコのライブは何もないステージの真ん中でイスに
腰掛け、「飛・び・ま・す」を唄っていた。

時代が進むにつれ歌うスタイルが変わっていくのは当り前で
なかでもバックバンドの影響が大きい、手練れ揃いのスタジオ
ミュージシャンたちに揉まれ磨かれてきたと思うよ。
その中で生き残ってきた人が、今は道しるべになっている。

60年代のアンドレ・カンドレ時代の陽水の唄はマスター
テープがあるかどうか、YouTubeでも見かけたことがない。
視聴的にはLPライブ「もどり道」が始発と思うしかないね。
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Unknown (yozanema-126)
2022-09-01 16:59:55
あじさい会館ホールの
山崎ハコのコンサートに行った時の睡蓮さんの記事は
その時の空気が伝わってくるようで、とても、印象的でした。
時代が進むにつれて
変わるものだから、
山崎ハコの最初の頃や、
陽水のもどり道の頃の
「その時」がとても大事な場面だったのですね。
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Unknown (睡蓮)
2022-09-01 17:30:57
「その時」がJPOP黎明期だとすれば、半世紀にわたり彼等と
一緒に時代の風に吹かれたことをシアワセに思う。
「その時」の彼等を忘れずにいられたのも加川良の歌詞にある
「唄は世につれ風まかせ」のおかげさま。

拓郎が現役引退してほっとした。
彼はぼくより5つ年上、現役のうちにケジメをつけてよかった。
拓郎も大事な場面をひとつ乗り越えた。
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Unknown (yozanema-126)
2022-09-01 19:29:00
たびたびすみません、
加川良さんの
「唄は世につれ風まかせ」は
どの曲の中の詩でしょうか?
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Unknown (睡蓮)
2022-09-01 19:45:12
アルバム「親愛なるQに捧ぐ」のタイトル曲です。
あとで今日の更新をするので、記事のラストにUPしておきます。
歌詞はスキャナーで取り込もうかな、
加川の唄は極端に短いか長いかのふたつにひとつ(笑)
のちほど。
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