観光地へ出かけるとまず目につくのがお年寄りの団体さん、
何台も連なった観光バスからぞろぞろと降りてくる。
子供があふれていたころの修学旅行みたいだ。
ぼくが中学生のときは1クラス53人が学年ごとに10~12クラス
あるのが当たり前だった。
小学生の修学旅行は日光に1泊2日、中学は京都・奈良へ2泊3日、
高校生になるとそれぞれだが、海外と沖縄はなかったと思う。
あの時代の子供達がつつがなく大人になり、高齢者へのステップを
歩むなら、どこもかしこも年寄りだらけで当たり前。
敗戦に打ちのめされた日本をここまで成長させた原動力が彼等の
働きによる賜物と思えば、少々のことは大目に見なくては。
ものごごろ着いた時から電化製品に囲まれ何不自由のない
教育を受けてきた若者たちには今が受難の時かもしれない。
豊穣日本は血と汗で何かを生み出す開墾魂と土壌を失くし、
ユーチューバーやIT長者が巾をきかせるご時世だ。
夢をみるよりも、身近にある小さな喜びを大切に
慈しむのが大いなる幸せに通じるような気がする。
貧乏でもささやかな幸せがある。
金満の中にも大きな苦悩がある。
若い時に波乱の中に生きて分かることもあった。
近所の公園でたまに会う老婦人は小さな犬を連れている。
傍らの籐のカゴは犬が遊び疲れたときに入れるためときいた。
老婦人とワンコに幸あれと会うたびに思う。
そうだアナログ婆さんに呼ばれてるんだ、
お前は冷たいねぇと云われる前にいかなくちゃ。
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