知らないタイを歩いてみたい!

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タイ・ユング旅行 ①旅の決断原則  -’86 夏ー

2020-11-25 06:34:46 | ウボンラチャタニー
 今年の夏もタイに行くことができた。大阪でもドムアンでも空港発着時にはたくさんいた日本人乗客も実際の私の10日間のタイ視察旅行には一人も出あわなかった。
 つまり、この10年来の私のタイ行きもそのパターンが段階的ではあったが変化してきたことによる。タイ人ガイドとの観光的システムにいやがおうでもつき合わされた初期のパターンからタイの農民や教師らと知り合っていくなかで最近は彼らの普段の生活空間の”流れ”にまかせたり、一人でのんびり地方探索にひたったり、いわば肩に力の入らない旅ができるようになった。必然的に日本人を見かけることもなくなったのである。
 日本ではまず紹介されることはないであろう生きとし生けるタイの庶民達との出会いをたとえ10日余りの滞在であっても毎年繰り返せば彼らの時間の流れの中で彼らの実態象がみごとに写し出されのも事実なのである。私のその意味でタイに何年いたとかという時間論よりも短期間であっても、誰とどんな風に関わってきたかという様態こそがその国の心底を真に捉えうると言いたい。
  本稿では、はじめに今回の単独探訪記を書き記し、その後、先ほど述べた視点をもってこちらの意識を相手の意識構造の流れの中に近づけた場合何が見えたのか、その一端を具体的に述べてタイの現在の姿を理解する一助としたい。
 とはいえ10日余りの日程では行ってみたい地域、毎度言っている地域いずれもこころゆくまで回ってみることはできない。東北タイのメコン川バス北上の旅、北部の国境の町メーサイ再訪、南部鉄道の旅、どれも魅力的である。あるいは今回はバンコクの大学のキャンパスに身を置いて思索してみるのも魅力的だ。中等学校の教師カニヤさんにも、中部農村の女学生ソンブーンにも会ってみたい。
 いろいろ具体的に計画を練ってみるがどれも削るのはつらい。裏返していえば衝動はあっても策がない、というものだ。バンコク到着してからもどこへ行くべきか適地の選択に迷っている。だが、いつまでもそうは言っておられない。
 到着翌日、決断原則をたてて気持ちの整理をする。①時間のかかるコースをまず進む。もし少し後で行きたくなっても時間的に取り返しがつかない。②現地に来て、そうすることが億劫になっている、エネルギーがかなりかかる、が、日本にいるときには一番行きたいと思ったところ、そこははずせない。③タイの友人、知人には必ず会っておくこと、等々である。
  タイへ来てこんな理屈を考えるのも楽しいものだ。とにかく私はタイの流れに身を置いたのだ。原則に沿ってまずは当歩期待、メコン川北上のバス紀行、残りはタイの友人たちの訪問ということに落ち着いたのである。


 
 


【今夏、タイで考えたこと】(1988年)

2020-11-25 05:01:39 | ハノイ
 日本人はエコノミックアニマル。隣国C国、K国はポリティカルアニマル、それじゃあ、東南アジアのタイ王国はどんなアニマル?私はほんのジョークで「サイコロジカルアニマルだね。」と思いついた。サイコロジカル、つまり「心理的」大国がタイ王国だと思ったのである。
 タイ王国には数え切れないほどの友人がいる。そしてその友人すべてが「もう一度会ってみたい。」と私に思わせる人々だ。彼らは何回会ってみても私の旅を本当に心地よいものにするテクニックを持っている。
 何日の何時にドムアン空港に着く、と知らせたとする。その友人ばかりでなく友人の友人たちが大勢で迎えに来てくれて誰かの車にお世話になりバンコクの路地裏の屋台で夜を通して歓迎パーティーとなる。その場には約二十人は居合わせる。友人ばかりでなく家族、親せきの人もいる。通りかかった人もいたことがある。
 最初の方は私も外国人(日本人?)ということで結構相手にされるのだが途中から興が長ずるに及んで私なんかほっぽり出された格好になる。程よい無関心もまたいいものだ。
 タイ王国の農村でも行こうものならこうした歓迎パーティーが村全体のものとなり村長さんとの会見も設定されることになる。私はタイ語はそれほどできないが彼らはそんなこと一向に気にかけない。日本の民謡を二、三曲歌っておけば彼らは大拍手。手拍子もうまい。そしてお返しに彼らからカラオケなしの肉声のタイ歌が夜通しプレゼントされることになる。こうした友人の一人一人に会いたくなったらまたタイ王国に来ることにしている。今夏で十回目を越したか。
 タイ王国の仏教教科書はタイの子ども達の行動規範に大きな影響を与えている。その中には「人間が何かの行為をするときの基準」がたくさんかかれている。ある章に「友人成立の法」というのがある。「楽しく暮らしていくためには人と仲良く付き合っていくことが大切である。これがなければ糸を抜き取った着物、ニカワを剥がしたノートのようなものでバラバラになってしまう。」とある。人と人との間の情によって人間社会は緊密に構成されている、と教える。そのために人間は「有形無形の施し」を、「相手をおもいやること」を、¥目上の人に礼節」を、「いたわりの言葉」を、といった実践面での行動規範が教えられている。つまりは「心を鍛えている」のだ。
 今夏もタイ王国で数人の友人と語らっているときに彼らは「鍛えられた感受性」があると実感したのである。
 タイの人々は「サイコロジカル」に日本人である私をタイ中毒にしてしまった。でも、私はあまりタイ王国の農村へ行くのはよそう、と思う。なぜなら私が逗留している間は人々が農作業をストップするからである。(1988年11月の稿)