知らないタイを歩いてみたい!

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心理大国~タイランド<今夏タイで考えたこと>

2021-09-10 16:36:36 | ハノイ
 日本人はエコノミックアニマル、隣国のKやCはポリテイカルアニマル、其れじゃあ東南アジアのタイ王国はどんなアニマルになるのだろう?
 私はほんのジョークで「サイコロジカルアニマルだね。」と思いついた。結構当たってるね。「サイコロジカル、つまり心理的」大国がタイ王国だと思いついたのである。我ながら言いえて妙!

 
 タイ王国には数え切れないほどの友人がいる。そしてそのすべての友人が「もう一度会ってみたい」と私に思わせる人々だ。彼らは何回会ってみても私の旅を心地よいものに仕上げていくテクニックを持っている。何日の何時にドムアン空港に着くと、知らせたとする。その友人ばかりでなく友人の友人たちが大勢出迎えに来てくれて誰かの車にお世話になり、バンコクの路地裏の屋台で夜通し歓迎パーティーとなる。その場には約二十人は居合わせる。友人ばかりでなく家族や親せきの人もいる。通りかかった人もいたことがある。最初の方は私も外国人(日本人)ということで結構相手にされるのだが時間が長ずるにしたがって興が盛り上がって私なんかはほってけぼりにされた格好になる。程よい無関心もまたいいものだ。


 タイ王国の農村へ行こうものならこうした歓迎パーティーが家族、親戚、村全体のものになり村長さんとの会見まで設定されることになる。私はタイ語があまりできないのでコミュニケーションは大変なのだが彼らはそんなことは一向に気にかけたりはしない。日本の民謡を2,3曲歌っておけば彼らは大拍手。手拍子もうまい。私の声について同じように歌っている。返礼にカラオケなしの肉声のタイの歌が夜通し彼らからプレゼントされることになる。こうした友人の一人一人に会いたくなったらタイ王国にまた来ることにしている。今回で10回目は越したか。(’88、昭和63年)


 タイ王国の仏教の教科書にはタイの子ども達の生きる上での行動規範が書かれており子ども達に大きく影響を与えている。「人間が何かの行為をするときの行動基準」がたくさん書かれている。ある章に「友情成立の法」というのがある。「楽しく暮らしていくためには人と仲良く付き合っていくことが大切である」と始まる。「楽しく暮らしていく」というのがタイ人の上等の価値観であるのが面白い。つづけて「これがなければ糸を抜き取った着物かニカワを剥がしたノートのようなものでバラバラになってしまう」とある。「人と人との情によって人間社会は緊密に構成されている」、と説く。そのためには人間は「有形無形の施し」を心掛け、「相手を思いやること」に常に勤め、「目上の人に礼節」をし、「いたわりの言葉」をかける、といった実践面での様々な場面での行動規範が教えられている。
 つまりは「こころを鍛えている」のだ。今夏もタイ王国で数人の友人と語らっている時に、彼らには「鍛えられた心」「鍛えられた感受性」がある、と実感したのである。

 タイの人々はサイコロジカルに日本人である私をタイ中毒にしてしまった。さて、私は今後あまりタイ王国の農村へ行くのはよそうと思う。なぜなら私が逗留している間は人々が農作業をストップするからである。

 
 でも、本当はタイ王国の人々は、仕事を忘れて、我々と「楽しむ」、我々を「楽しませる」ことで、彼らが持つ根源的な生のエネルギーを潤沢に活性化、発散し、楽しみを積み重ね、人生をより充実させているように思えてならない。