車でバンコクを朝、6時に出て、昼過ぎには東北タイ、コンケーンに着く。途中、道路沿いで泥水の貯水池を何度となく目にした。水溜りがあれば子どもや水牛が水浴していたり、魚をすくっていたりする光景を目にする。水の希少さや価値を小池に見る思いである。人と水牛が同じ池に入っているのを見たり、農夫が長い柄杓で水をs一段高い自分の田圃に入れたりするのも目に入る。
人と水牛が同居し、水牛とその背にとまっている水鳥やハエが同居し、それが森や草地、田んぼの光景の中に異様な動的物として存在し、いずれも長い年月に粘り強く自然の恵みにありつこうと営々と生きていることが分かりめまいをもよおしそうになる。
森が過ぎ、水の満ちた水田が杉、竹藪が杉、どこまでも同じような光景が続いた後、ウドムタニの町の気配が現れて来た。町の中心に行く前に右に折れるとしばらくは先ほどのような森や田んぼの光景が再び現れる。30分ほどで私の目的地ノーンハンに着く。
朝、7時にバンコクを出発し、途中の2回の軽食のため、1回のガソリン給油のため、パンクの修理のため、コラートでの両替のため、休憩したのをのぞけば走りっぱなしでこのウドムタニー県ノーンハン郡に直行し、到着は午後の4時であった。
私はタイの北部や中部の農村は何度も歩いているが東北タイは昨年に続き2回目である。首都からは離れ、やや貧しいながらも伝統的な社会を見るためである。私の旅は時間的に制約があるので、ぶっつけ本番に初日から農家に泊めてもらい、機関銃のように質問したり、朝早くから村中をスケッチして歩いたり、高床の板の上でノートを整理したりしなければなたない。
しかも一戸の農家では二、三泊しかっ計画していないので調査活動と言ってもいたって断片的なものにならざるを得ない。
こうしてタイに来るようになった初めの頃は、農村社会の伝統的文化、風習、儀礼、教育など広く客観的な調査を試行していたのであるが、いつのころからか、家族や隣人や、親戚の人々、村の青年など、リアルライフを共有するようになると、勢い現実の生活の話題になってくる。今年の農作物の出来具合、出稼ぎの様子、油や肥料、農薬などの価格の高騰の話題、息子娘の教育の話題など今の村人が直面している現実へズルズルと引き込まれる結果になったのである。
彼らと酒を酌み交わし、唄をうたい、バカ騒ぎをし、農作業を共にし、水浴や魚、エビを獲ったり、共に食事をしていると、私が日本で考えていたテーマ設定のフィールドワークも色あせてしまわざるを得ないのだ。どうも、テーマがぼやけてきてシナリオは彼らの生活感覚の中で逆シナリオとなって跳ね返ってくる。私自身こうして一人でリュックを背負い農家の台所まで上がり込んでいる。東南アジアの名も知らぬ村に足を踏み入れること自体が彼らの生活環境に直接触れることが最大のテーマではなかったかと考えさせるのである。