知らないタイを歩いてみたい!

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特番 1985年1月 高床に吹くそよ風 題7号より

2022-03-21 06:06:25 | ハノイ
「タイ国便り」

 石井米雄   京都大学アジア研究センター教授

8月22日から24日まで、「タイ研究会」という限りがバンコクで開かれた ので、わたくしも出席してみました。 どうせよくある国際会のひとつだろうし、たいし てめずらしいことはないのではないか、と思われるかもしれません。しかしタイ研究に 関する「国際」会議がタイ国で描かれたのは、実は今回が初めてなのです。 それだけに、 主催者となったチュラロンコン大学の力の入れようが、 なみなみならぬものであったこと は、サンヤー・タンマサック、ククリット ブラーモートというふたりの元首相が出席し て、それぞれ開会宣言や、基調収義をしたという事実にも反映しているといえましょう。 こうしたタイの命に応えて、外国からの者が160名を越えたということは正直 っておどろきました。 日本からは3名のタイ研究者が出席しています。

外国人の研究者にまじって、タイ人の習手学者の行う、力のこもった報告も辛くあり ました。 わたくしが初めてタイへ留学した32年には、 考えられなかったほどの変 化です。 こうした変化の原因を考えるうえで見逃すことができないのは、海外留学の 「アーチャーン] たちから、研究の方法を学んだ第2世代が育ったこと、もうひとつは、 7976年10月に沿った 〔シプシー・トゥラー] と球ばれる 「生命」の影響です。 この事件までのタイには、本当の意味のなタイ研究は、ごく一部の外を除くと、 まだめばえていなかったといっても過言ではないと思います。 それまでのタイ研究を支え ていたのは、むしろ外国人学者で、タイ人によるタイ研究は、 たとえばダムロンモと かアヌマンラーチャトーン(コサティエンコーヒート) など、ごく少の限られた学者の 研究があるばかりでした。 それが、「シプシートゥラー] 以扱 タイ人のタイ研究者の が増しているのです。

なぜ、いまになってタイ人が自国の文化に目を向けるようになったのでしょうか? それは、 近代化の波にさらされたタイ人が、 文化的アイデンティティ喪失の じていることとではなさそうです。 ククリット元首相も、川会式の場のなかで の国をしていました。 タイ人とはなにか? タイ文化とはなにか? こうした いかけ、タイ人みずから楽しめているように思われます。 シプシートゥラー] と いう事件が、 タイ文化についてそれまで自明の真則として受入れられてきた成による に疑問を投げかけ、 タイの若者たちの神を開放して、 自由に自分たちの文化を える機会をあたえたことが、会の会議の席にあらわれたのではないかと考えて います。1984年