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特番 高床に吹くそよ風 第8号より

2022-03-22 06:43:05 | ハノイ

北部タイ農村より帰って  北原 淳 (神戸大学経済学部教授)

このたび日本社会学会が中心になって、文部省科学研究費の助成をえて、「東南ア ジアの都市化に関する研究」調査が ジョグジャカルタおよびチェンマイで実施され、私も チェンマイの都市化に関する調査団の一員として、北村農村の変化の現状を垣間見てきま した。
折しもタイはバンコクを中心に反日気運がもりあがっている時であり、この研究 プロジェクトについても公式には様々な批判が、協力相手のチェンマイ大の教師から寄せ られました。 一口でいえば、日本から一方的にやってきて、データをもって行ってしまう のでなく、もっと耳に共の研究ができないものか。そうすればわれわれも参加でき るし、我々も売る所が多いはずだ、ということでした。

私自身はこのにおいてはこの調査においては現場監督のような役割を果たしただけで、企画立案や 研究管理は別の方々の手にあったので、チェンマイ大からの批判についてはむしろ共感す る点が多かった、とだけ申し上げておきます。ともあれ、そうした公式批判とは別に、古 くからの友人たちは、少なくとも私の農村チームの調査については、全面的な援助を惜しまず、個人的善意を十二分に示してくれました。こんな短期間の調査(チェンマイにいた は十二月十九日 一月十六日)で、調査票の現地印刷から学生アシスタントの協力による、140部以上の調査票収集までができ、村人から歓迎されたのは、なんといっても古く からのチェンマイ大の友人たちの善意によるものであり、実にありがたいことでした。

私にとっては北部農村調査ーといっても全くの予備調査なのですがーは実は初め てのことであり、中部の農村と比較して、いろいろと白いことを感じました。
まず第一 に、何といっても北部の村の景観の親しみ安さです。 周辺の山並み、盆地に開けた、狭い集約的農業、寒村的な村のたたずまい、山の低さを除き、ヤシの木を除くと、私は郷里の 信州の村にもどったような錯覚にとらわれました。 そうでなくとも三十年前の大和平野の農村をほうふつとさせるものがあるといえます。
第二は、中部の村のいささかの荒っぽさ と比較して、北部の村の慎み深さ、はにかみの心得のことです。 どうやらこれは北部 の文化水準の高さとも関係しているように思われます。たしかに人々の中部タイ語しか解さぬよそ者への警戒や遠慮が、 このような慎み深さをもたらすのでしょうが、それだけ ではなさそうでした。庭先や軒下に栽培している草花の類、清掃の文化があることを示す雑巾がけやほうきの跡。 これが上層農民だけでなく全農家に普遍的にみられる点は、 昔に行ったことがある東北部の村と極端にちがう点でした。いささか乱暴にいうと、中部でも東北でもフロンティアの荒くれ男の世界といった感じがしないわけでもないのですが、 北部の村は 文化の伝統によって様式化された慎み深い人間の世界があります。
第三は、北部の予想外の貧困でした。 もっとも今、そのような土地不足、土地 分化によってもたらされた貧困さは兼業機会がふえたため、チェンマイ周辺では解消され つつあります。 私の二週間ほど滞在した村はチェンマイから二十五キロのサンバートー ン郡という郡にありました。 十年ほど前までは農業だけに依存する貧しい村だったといい ます。 しかし仏歴二千五百二十年(一九七七年)頃から、 チーク材の木彫、織物等の家内工業、 出稼ぎがふえたそうです。 チェンマイの「ナイトバザール」でうられている商品 がそれです。そのため電化された農村にはかなりの耐久消費財が普及していました。若者 特に、ティーンエージャーの高等教育と出稼労働が定着化して、土、日になるとようや 村に若者が帰ってくる、という状態です。 収入は確実にふえています。 今後は貧困時代 に培われた生活態度をどうきりかえてゆくのか、という大きな課題がありそうで、これは 今日の日本が直面している課題でもあります。

ただ、最初に幅広く歩いたのうちチェンマイから五十キロ近くはなれた農村では、 土地無層が極端に多いにもかかわらず兼業機会がほとんどなく、私の滞在した村の十年前 の姿をそのままとどめている感じでした。 同じチェンマイ盆地の農村でも出稼ぎや日雇の機 会が少ないと、結局農業だけに依存せざるをえず、しかもその農業はますます零細化化して おり、これまでの伝統的農業の再生産では、たとえ裏作の大豆などを加えたとしても、 生活をするのもおぼつかないと思われました。古典的貧困もまだまだ確実に存在しています。 今タイでは"おしん』がヒットしてますが、"おしん。のなめた極貧の生活はまだタイで はまさに現実です。

ともあれ外国人にとってチェンマイ地の村は実に暮らしやすいとおもいました。 昔々日本のマスコミの袋だたきにあったT氏も、あんなことさえなかったら、 案外幸せ に複数の現地の奥さん暮らしていたかも知れません。そんなことを感じさせるものがあり ます。そんなわけで、調査の内容そのものよりも、チェンマイ盆地の農村の人情の方がす っかり気にいって帰りました。余談ですが、キングスヒルやポッターが調査した村ークデ ーンもほんの数時間だけのぞいて来ました。 一緒に行った大学院生たちにポッターの家主 のおばあさんが別れざわにいったものでした。 ヤー・ムーム・ナ"(忘れずにな)。
(一九八五年一月二十一日)