知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

日本の高校生を三日間、ウトラデット・ダルニー学校へ連れて行く。①

2024-01-11 17:12:55 | ウタラデット
令和5年12月24日(日曜日)
8時10分、飛行機はピサヌ空港へランディング。郊外にあるためか人家も見えず草原に降り立ったよう。タラップから青空を仰ぎながら地上に降りる。暑くもなく寒くもなく、日本のあるのようでもある。荷物をターンテーブルから取って、到着ロビーに行くとウタラデットの先生方が待ち受けておられる。テウ先生、ノット先生である。全員が自己紹介をして、外に出る。タクシー会社がいやに目立つ。スクールバンとノット先生の車に分かれてのどかな120号線を北上すること1時間程度でウタラデットダルニー学校へ到着。乗ったときに感動したこと。ケーキパン、フルーツジュース、ペットボトル、スナック菓子が10人分に用意していただき、やはり女性の先生方の心配りは素晴らしい、と感じ入ったことであった。
9時30分、講堂に案内される。入り口には両側に生徒たちが立ち並び、拍手拍手、日本人側はいよいよ出会いと交流が始まったという緊張、不安、喜びの気持ちが芽生えてくる。講堂は素晴らしい飾りつけで、赤い傘、お城や金閣寺の型紙を切り取ったデコ、正面にはパワポで、タイ語と日本語で「タイと日本の二つの国の文化の絆2023年12月24-26日、ウタラデットダルニー校」と書かれている。
アン先生が相変わらずの臨機応変、柔軟に生徒の表情を大切にしながらタイ語、日本語で進行される。タイ側の先生の紹介、アン先生、ノット先生、テウ先生、メー先生、それに教育実習中のチェンマイ大学からのジップ先生。生徒たちは屋久0人の日本語を専攻する高校生たち。それに講堂入り口では、調理の方が3人、手伝ってくれている。その次は、我々10人が生徒たちの紹介である。アン先生が「一昨年に続いて2回目の日本タイ教育交流協会の皆さんが来てくれてとてもうれしいです。今日と明日と明後日の三日間、日本の高校生と一緒に交流でき、我々ドキドキしてます」と前置きを。「三日間の交流」、そうなんだ!とやけに感動。これまでだったら日曜日の今日だったら、簡単な歓迎の式とホームステイのマッチング、あとは先生方と我々大人で夜の宴会といった生徒同士の日本語学習と交流という形は明らかにネグレクトされたものではなかろうか?素晴らしい、日本人が来たこの素晴らしい機会に最大限に接触時間を長くなるように企画されている。
私が、協会の代表であり、京都から6人の高校生を連れてきたこと、彼らはこの3日間で素晴らしい体験をするであろう、ことを述べました。6人の生徒もタイ語を交えてうまく自己紹介をしています。明日はもっとうまくなるでしょう。
その後は我々においしい焼きめしが供され、水やお茶やコーヒーが生徒たちから供され本当に気楽で楽しい時間を醸し出されました。日本の學校ではここまでは全くやれない。日曜日に全員が参加する、この機会を最大限に活用とされるアン先生の姿勢に感服、感動,感激。
我々が朝食を楽しみ中、整列してら生徒たちの机と椅子は全員の力で6つのグループに分けられ、それぞれが何かを話し合ったり、ネームプレートを書いたりしてがやがやの時間が過ぎる。やがて日本の高校生が一人ずつそのグループになかに加わる。自己紹介が改めて全員でなされる。日本人にはニックネームが創出される。ソム、アンパン、ピーサーイ、ファンカーオ、???いろいろのアイデアでつけられたようだ。この活動が終わると、いよいよ料理の時間、カオマンガイ、カノムソーンナムヤーン、カオパット、ルークチント^トと野菜、センミーガイチーク、パットクラプラーオムークロープはすでに作られてテーブルにコンパクトに用意されておりたいる。ウトラデットの特産料理といわれるミーバンとカオパンパックは料理の女性のアシスタントと生徒のペアで日本語で紹介されるという圧巻である。思わず動画を撮りたくなる。説明が終わり試食。残念なことは先ほど朝食でカオパットを腹いっぱいに喰ったことだ。日本人はそれでもよくいろんなものを食べる、調整ん的なグループと、おなかを抑えて食傷気味で一線から距離を置くものとに分かれる。でも、美味しいものはとてもおいしい。すがすがしい気候や空腹のためにといったレベルではない美味しさだった。全員が好きな食事を手に取って元のグループ席に戻ってまた、会話する。これまた日本の高校生は積極型とやや引き気味型に分かれる。仕方がないことだ。強硬なスケジュール、ディープな異文化体験の数々、正常であり続けることが困難であろう。
おなか一杯になったところで案先生がせれではちょっと運動しましょう!近くにあるピーチャイ像へお参りに行きましょう、ということで班ごとに出発。学校の隣にあるウトラデットに来れば必ずマストなスポットである。ピーチャイはムエタイがとても強く王様の近衛兵の大将にもなったそうである。小さな博物館では、ピーチャイにちなんで作られて博物館へ入る。刀の数々、鉄の最終などの模型品や写真で分かりやすく解説されていた。外に出てアイスクリームをアン先生の買っていただき食べる。近道を抜けて再び学校へ帰ると時間は12時半になっていた。
ホストが迎えに来られるのは3時だと聞いたので、まだ2時間以上はある。突然私は日本の歌の練習をしたい、という衝動にかられ、講堂正面のスクリーンに歌詞をうつしていただき「さくらさくら」と「上を向いて歩こう」をタイの生徒も歌えるように一度日本語を読み合わせて、それから歌って、そしてユーチューブで本物を聞いて耳に少しでも残るように練習をした。いい時間をもらったものだ。そのあとは再びグループに分かれて校内を見て回るトリップに出かけた。
再び講堂に集まることにぼつぼつとホストのお父さんやお母さんおねあいさんが迎えに来てくれた。菅谷さんに日本の生徒とホストと我々と一緒に記念写真を撮ったりした。
木村はホテルを紹介してもらいお土産の整理やマッサージ1時間半、そしてナン川ソイのレストランへ連れて行ってもらい随分食を堪能させていただいた。


東南アジアで考えたこと

2024-01-11 16:59:07 | 旅行
一、『質しい」ところ
私はここ数日東南アジアを旅しているものです。一 人でリックを背負って農村から農村を歩いているものです。時々、なんでこんな ことをしているのだろう? と不思議に思いながら。

一度でも東南アジアに かれた方はその「食しさ」,「不衛生さ」「不能率さ」 強烈に印象に残り「もう、あんなところはいかない!」とお考えになる方が多いでしょう。

私も確かに日本と比べてみるとその通りだと思います。空港に降りれば怪しげ な業者が数多くたかってきて、配車からホテル宿泊から観光地の手配までしつこく迫ってきます。

一歩街路に出れば簡易バスに人が鈴なり。信号が赤で停まれば就学年齢の児童が花を売ったり新聞を売ったり。掘り起こされた建築現場でも幼い少年までも泥だらけになって働いています。
観光巡りと称して運河でもめぐれば「俺のボートは安い!」と腕を引っ張る。運河は褐色に濁っている。その水で顔を洗い、洗濯をし、米をといでいる。

東北タイの方へ行けば、干ばつで米は獲れず、野山の木の芽や虫を食べてるところもあります。ラテライトの赤茶けた土が素足で学校へ向かう児童たちの後から煙のように舞っている。
その児童たちの多くは、読み書き算ができれば小学校の途中であってりも止めて働くのです。どんな勉学の意志があっても。
 ですから、東南アジアの人々は確かに「貧しい」し、生活は「不衛生」なのです。そんな現場からは目をそらしたり、あまり関わりたくない、と考えたくなるのも事実でしょう。
 二、本当に賛しいのか
しかし、と私は言いたいのです。しかし、私は アジアの姿をそうした基準のみでみてあとほったらかしていていいものだろうか と思うのです。結局そうし た日本人のおおかたの認識の仕方が気になるのです。つまり、経済的な見方が我々には肥大化しているのです。お金という尺度で、商人の目だけで世界を見て いくことは文化的、歴史的 人間の財産を切り捨てることにつながるのです。そこ には人間中心のっ座標が当然 ねしまげられるのです。
タイの農家に泊っているとおかみさんか朝早くから起きて食事の用意をしてくれます。子どもたちが近くの市場まで料理の材料を買いに行ってくれます。稲刈りの仕方を周り若者が教えてくれます。夜は村の人たちか 唄をうたってくれます。彼らのだれでもが「楽しいか?」「面白いか?」と聞き返します。

 相手が自分たちの村に来て「本当に楽しんでいてくれるのかを一番気にするのです。そうです!「安逸」であるかどうか、このことが彼等の視座にあるのです。そこには、デレビやマイコンの豊かな物質的な基準を持たない、人間中心の本来の幸せを求めていこうという空気がいっぱいにあるのです。貧しくあっても。
私は東南アジアの高床式農家にいると、日本が寒々とした列島にみえたり、日本人が黄色い西洋人に見えたりするのです。
(山城高校育友会新聞(昭和59年12月20日)