タイにおける音楽教育の実情を知る必要があって西部タイのラッブリー県の小学校や中等学校を訪れた。その小学校では「音楽」が週一時間教えられていたが、驚いたことはタイの伝統音楽だけが教えられていることである。ドラムや鼓笛なども教室においてあるが放課後のブラスバンド活動の中で使われるもので授業では扱われていない。因みに、町の記念パレードやお寺のドーネーションなど地域のセレモニーでは大活躍とのことであった。
中等学校に行ってみてさらに驚いた。各学期ともタイ音楽と古典舞踊(タイダンス)のみが平均週6時間も課せられていたのである。これはどうしたことだ。履修単位の多さばかりでなく、その教科内容がタイ音楽、古典舞踊のオンパレードであることに恐れ入った。
話は再び小学校に戻るが、幼い顔の児童たちが大きなラナート(木琴)やコーン・モーン(モン)など打楽器やソーゥアン(鰐形三 琴)などを脇目もふらずに巧みに演奏している姿に、ある種の厳粛さを感じたのである。「どうしてタイの音楽だけおしえているのですか?」と教頭先生に尋ねてみた。すると教室の正面に掲げてある皇室の写真を指差しながら明快な説明があった。「王女さまが古典芸能が好きでねぇ。その保存に一生懸命なんです。また、ご自身が外国を訪問されるときはいつも宮廷楽団を連れて行かれ相手側の前でタイ舞踊を披露されるんですよ。学校教育でもこうした古典芸術の保存をたいそう大切にされているからです。」と。こうした王室の意向に加えてタイの現代史にもその意図をくみ取ることが出来る。そしてその意図は日本の場合となんと異なることか、と感慨にひたる。つまり、どうしてタイでは伝統が尊重される思想があるのか。それは’70年代のタイの社会開発の思想を少し見れば理解できよう。
つまり、タイは好むと好まざるに拘わらず、今後ますます近代化をしていく、そして様々な社会、経済的開発が実行される。社会、福祉、そして教育にも大きな影響をもたらすであろう。その時には西洋流の近代化が怒涛の如く社会生活にも押し寄せてくる。するとタイとは一体何なのか?タイのアイデンティティーを保持できるのか?そんな知識人からの危惧から真剣に検討されたのがタイの伝統文化への関心であった。つまりタイ人に合った近代化とはタイのセンシティブな奥深い感性をタイ人が十分理解しておかねばならない。そうしたタイ人の感性を理解し、育みのはタイの伝統文化への限りない造詣であるという結論に至ったようである。
タイ人のためのタイ人自身の近代化のためには、今、国に存在する様々な土着の文化、伝統を国の隅々まで熟知しておかねばならないという思想が強固に芽生えたのである。タイにおける近代化はもちろn欧米化べったりではない。タイのアイデンティティーを問うという過程の中で起こっていくものである。知識人の間ではこうした伝統に息づく繊細な感性の上に築かれる社会開発や社会福祉の施策でなければ意味がないと考えている。そうでなければその施策は水泡に帰すというコンセンサスが成立している。そうした理論の上にタイ独特の伝統文化の尊重という道筋が形成されるのである。
蛇足であるが私などは日本の古来の伝統音楽に関する知識はなにもない。どうしたことだ。また、学校でそれらを教えられた記憶はほとんどない。今の日本での音楽教育は極めて西洋音楽至上主義に陥っている。それに疑問を投げかけない。そこから出てくる音楽観には日本はいつまでたっても借用文化を背負い日本独自の文化的成熟を遂げることは出来ないのではないか。
バンコクに帰った夜はよくディナー付の古典舞踊を観賞することがある。それは昔から王室で演じられて来ただけあって優雅である。ディナーショーでは伝統的な叙事詩にゆかりのものがあり圧巻である。その中で代表的なものと言えばヒンドゥー起源の叙事詩「ラーマーヤナ」のタイバージョン「ラーマキエン」物語である。ラーマキエンは178場面で構成され、その中には「憤怒」、「歓喜」、「悲哀」などの感情表現の場面やら「結婚の場」、「別離の場」、「臨終の場」などの場面が36部門に分類・細別されている。
こうした古典舞踊、歌謡を観賞しながら考えたことがいくつかあった。その一つは演奏スタイルである。演奏者はみな胡坐をかいて座っているということである。こうした演奏スタイルは明らかに西洋には見られない特徴といえる。西洋においては演奏は大抵椅子式になっている。そうしたスタイルの違いが芸術作品にどういう特色を出しているかを考えてみる。胡坐式においてはその演奏の動作ではどうしても躍動感に乏しくなるはずだ。つまり奏でるリズムや旋律の巾は自ずと制約を受ける、ということである。
また、次に考えたことはタイでは音楽家という職業はほとんど育たないようにみえる。タイの歴史の中でこうした古典舞踊や歌謡は脈々と息づいていて強固であり音楽家は冠婚葬祭やその時のテーマの行事に合わせてその時々にふさわしい曲を用意するという選曲者にすぎないという現実である。いかにふさわしい曲を選ぶか、真の音楽家とは普段から多くの伝統作品に精通していなくてはならない。その点では西洋とはまったく対照的である。西洋では音楽家は個性的で創造的な作品を生み出すことが期待される。タイにおいてはこうした音楽家の故人の資質を云々するのではなく、重視されるのは多数の集団によって共有されている表現や感じ方の表出である。そこでは必ずしも特定の優れた個人を必要とはしない。西洋音楽では作曲家の生誕日を銘記したり、楽譜における音符の読み方を重視したり、あくまで個性の追求や天才の個性的な表現を重視するのとは正反対である。この点は非常に重要な相違であろう。
さらにタイの古典音楽では単独での楽器演奏というものは稀であり、楽器とは舞台劇や演劇の伴奏として声楽の付属物として見なされておりそれ独自が独立したものになっていない、ということである。その伴奏方法においても西洋とは違った特質が見うけられる。特に面白いことは、歌の合間を縫って旋律を差し挟む方法である。歌詞が終わればその時点でのみ器楽を奏でる。従ってその貴学演奏は合間を十分意識して伸縮自在の拍節となる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます